第2話 ルティア・イリオールの入水


 新精暦三五〇年、大陸暦一〇五七年春4月。メゾチア年代記、イリオール家の家譜にもこの事件のことは一切記述がない。


「ルティア・イリオールの入水じゅすい

 

 この出来事は稗史はいしや物語等に悲恋話として収められている程度で、顧みられることは少ない。


 中央大陸、中世期。突如中央平原に勃興したマクスパン帝国による大陸統一後、大きな戦乱も無く太平を享受していた。

 かつて無双を誇った軍事大国から、文治国家に政治システムを作り変え、安定した統治を続けている。

 その威光は中央大陸周辺に及び、帝国に恭順して属国化した国々も同様におおよそ平和な時代であった。


 メゾチア共和国は中部地方、南方大陸と中央大陸を隔てる中津海なかつうみの「中のきざはし」と呼ばれるセチェリファ半島の根本の西側に位置する。


 北部を山岳と湿地帯、東西を大河で隔てられた天然の要害である。かつ豊かな水の流れは大地を豊かにし、大きな湿地帯の河口は漁業と塩業を営むに充分な広さがあった。

 それは外敵の侵入に対しても有効で、人々はやがて中州の中央メゾ島に城市メゾスを築いた。

 爾来、周辺都市と対立、協調を繰り返しつつ北セチェリファを支配するに至った。が、北部山脈を隔てて南下を狙う強勢国ネルドランド、西方で海上権益を巡りパレモニア公国と衝突した。


 そこでメゾチアは大きな賭けに出た。そしてその賭けに勝った。


 マクスパン帝国が征西を開始し台頭しはじめた極初期に臣従の意を示し、領土を安堵の上、藩屏国としてほうじられた。

 

 爾来、五〇〇年、その政体を維持し続けている。

 共和国リパブリカと称するが、民主政ではない。形式上は民会に最終決定権があるが、実際は有力貴族による立法、その貴族から選出された元首ドュクスによる行政、軍事を執行する寡頭政治体制であった。


 多くの公職は七大公家セタ・グラノビリタと呼ばれる大貴族から選出される。しかしながら元首職に関しては、この百年程は一公家、東陽公による独占が続いていた。


 ◆


 七大公家の一つ、西陽公イリオール家当主、ヴィトーは邸宅の自室で嘆息を漏らしながら白髪交じりの顎髭をならした。


 溜息の原因は彼の長女ルティアの婚約と次女のミリアリアについてである。

 総統職を務める七大公家の東陽公タルクス家の長嫡子、ランパルトとの婚約は、ルティア生誕の頃から両家の間で取り決められていたことだ。

 そこに個人の意思はない、貴族同士の婚姻というものは家門の繁栄のために粛々と取り決められるものである。

 しかしながら、当の本人達もまんざらではない、という感触がヴィトーにはあった。

 幼学院や社交の場でも、内気なルティアの手を引くランパルトのことを、頬を赤くしながら見つめる眼差しには明らかに思慕の念があった、ように見えた。

 だが、人の心は移ろいやすいものだ――。


 訴えはタルクス家からであった。既にあるこの婚姻を破談として、次女のミリアリアと改めて婚姻を結びたい、と持ちかけてきたのだ。


 ヴィトーが人をして事の経緯を調べさせたところ、どうもランパルトがタルクス邸に行われていた茶会の際にミリアリアと偶然出会い、一目惚れをしてしまったということであった。


 家門、一族の上であれば姉が妹に変わったところで大した違いはない。しかし一族の安泰と同じく重要なのは世間体と体裁、諸々の社会通念である。

 深窓の令嬢が結婚を前に自殺を図った事実は、いかに隠蔽しようとも、周囲の耳に触れ口を伝い、噂話として首都や近隣まで広がるだろう。


「閣下、いえあなた。もはやこうなってしまったことなのです」

 

 思考へと干渉してきたのは、甲高くなる弦楽器を思わせる声。ヴィトーの正室メリィナである。年は四十半ば過ぎだが黒い髪は豊かで血色の良く十歳は若く見える。

 正式には二番目の妃である。一番目の妃が早逝したため、後添えとして今の地位を得た。


 彼女の意思は明白である。タルクス家の申し出を受けて婚姻を結びなおせ、というのだ。


「しかし、長女を飛び越して次女が先に嫁ぐ、というのは前例のないことだ」


「あら、病身であれば向こうにも申し開きが付きましょう、心身を問わず」


 メリィナの声に少し嘲りが含まれていたことに、ヴィトーは気付いていた。

 彼に限らず、この時代、この国においては高貴な身分であれば女児の教育は当然乳母、一族の学者や聖職者が受け持ち男親の出る幕はない。

 

 女親のメリィナにとってもそれは似たようなものだった。が、二子の扱いには明らかに差があった。大人しく、口数の少ないルティアよりも、自分に似た豊かな媚茶色の髪と健康的な淡い褐色の肌を持つ、活発なミリアリアの方に明確な贔屓ひいきをしている。

 

 そして、自らのしゅうとめに似た、くすんだ色の金髪、萌黄色の瞳を持つ自らの長女を感情的、宿命的に嫌悪していた。それは二番目の妃として良い印象を持たれず、嫌味と罵倒に彩られた嫁姑関係への、隔世的復讐として今ここに発揮されていた。


 ヴィトーはそのことにうすうす気付きながらも、特に配慮をすることはなかった。彼にとって所詮女児というのは〝駒〟であり〝楔〟でしかない。

 病身にて婚儀、子作りに堪えられない、と申し開きしておけば、どうにでもなるか、とヴィトーの心はほぼ固まっていた。


「そういうことにしておくか」


 あっけらかんとした言い方であった。


 これが大陸暦一〇五七年四月、西陽公、むすめを代えて再び姻を約す、と簡潔に年代記に記述されたことの背景である。

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