第4話 人食いの森


「ぇえっ! 討伐報酬が目当てで来たんじゃないのかい?! 人食い魔獣の……」

「えーと、『人食い魔獣』っていうのはさっき倒した大きい獣のことですか?」


 鬱蒼とした森の中で、ふたりの男がなんとも噛み合わない会話を続けていた。

 原因は若い方にあるようで、年長の方は調子を合わせるのに四苦八苦である。


「そりゃそうさ。なんだって魔獣が好き好んで人を襲ったりするもんかね。……いや、まぁ、あんだけ大物であれば『人食い』かどうかは関係ないかもしんねぇがな?」


 着古した旅の装いをしている年長の方は大きな革袋を重たそうに抱えながら歩いている。

 それに比べて、こじんまりした荷物と護身用の剣を携えた若い方の足取りは軽い。

 歩幅を合わせている様子は余裕のある雰囲気をまとっているのだが、語り口調からは腰の低さがうかがえる。


「すみません。そのー、物を良く知らないというか、覚えが悪くて」

「いやいや、責めてるわけじゃねぇのよ? てっきり同業者の凄腕かと思ったんで面食らっただけさ。思ったことがすぐに口に出ちまう性分で申し訳ないね」


 ふたりは当然に旧知の仲ではない。

 人を食らうおっかない獣にいつ出遭うとも分からない危険な土地で、つい先ほど偶然の出逢いを果たしたばかりである。


「あんたには本当に感謝してるよ。あんたが来てくれなきゃ俺も今頃こいつの腹の中だ。……ふたりを探して埋めんのも手伝ってくれちゃって、当分、いや、一生頭が上がんないったらありゃしない」


 年長の方は担いでいる革袋に一瞥をくれながら、人の良い笑みを浮かべる。

 板についた笑顔であるが、さすに悲哀の色を隠しきることはできなかったようだ。


 何か気の利いたことは言えないかと、若い方は思案したのだが思いつかず、はははと苦めの愛想笑いをして間を持たせることしかできなかった。

 幸いにも森は高い木々で覆いつくされ、まだ昼間だというのに薄暗く、それゆえに人の表情がいまいち分からない。

 お互い上手くごまかせたと思っている。


「まー、なんだ。こいつの馬鹿でけえ心臓を麓の役人のとこに持ってけば、戦利品をまるごと持ち帰っていいうえに追加でがっぽり金が貰えるわけよ。へへ、あいつらの驚く顔が今から楽しみだ」

「奥さんと娘さんのことですか? きっとお父さんに惚れ直して戻ってきてくれますね。……さっきから言おうと思ってたんですけど、革袋持ちましょうか?」


 会話が一旦終わり、黙々と歩を進める時間帯になった。

 実のところ、ふたりには悠長に会話を楽しむ時間が残されていない。

 日没を前に森を出なければ、そこらじゅうに死が待ち受ける恐ろしい夜がやって来る。


 先ほどよりも軽快な足取りになった年長の方が先導し、ひたすらに森を突き進む。

 時おり立ち止まっては片手に持っている地図を確認しているのだが、迷っている様子はなく、前よりかは上の方をしきりに気にしている。


 ちょっとした丘を越え、小川を渡りそうで渡らず、しばらく歩いたのちに、少し開けた道らしき場所に行き当たった。


「……こりゃまずいな。元の道にようやく戻れたわけなんだが、期待してたよりもだいぶ奥に出ちまった」


 額に嫌な汗を滲ませながら、年長の方がぼそりとこぼす。

 人食い魔獣から必死に逃げ回ったせいで位置が分からなくなってしまったものの、持ち前の方向感覚で見事な復帰に成功したのだ。

 若い方は称賛の言葉を喉元まで出しかけていたようだが、どうにも雲行きが怪しいことを察して慌てて飲み込むはめになった。


「んっ……、あー、急ぎますか? もう位置は分かったわけですし」

「いやぁ、こうなってくると方針を変えた方がいい。まだ明るいが到底間に合わん。流石のあんたでも夜目が利く魔獣と取っ組み合うのは分が悪すぎる」


 年長の方は地図を小脇に挟み、使い古した手帳をカバンから取り出す。

 文字と図柄がびっしりと並んでいるのだが、目当てのページがなかなか見つからず行ったり来たりを繰り返している。


「大丈夫だ! こういうこともあろうかと事前に抜かりなく準備しているんでね。……あった! まずは……、まずはだな……」



* * * * *



 辺りはすっかり闇に包まれ静まり返っている。この森で過ごす夜はいくつめになるだろうか。

 いっぱしの旅人であればこういったことをちゃんと記憶して、食糧の配分だとか、旅程の調整だとかするのだろうけども、俺にはそういったノウハウが何もない。

 なにせ唐突に外に連れ出され、最低限の荷物を渡され、見つかる前に逃げおおせろと言われたものだから、頭と心の準備が何ひとつできていなかった。


 イベルタは無事だろうか。涼しい顔で「心配するな」と言っていたけれども、俺を逃がしてただで済むとは思えない。

 一緒に来てくれれば良かったのにな。まあ、人には様々なしがらみがあるだろうし、本人が望まないとなるとどうしようもない。

 ひとまず落ち着いたら近況報告の便りを出そう。……どうやって?


 とりあえず今日は人に出逢えて良かった。

 角はないし体格も同じぐらい。不思議な力を使うこともなければ、やたらめったら謎の威圧感を放つこともない。慣れ親しんだ『人』が存在することになんだか安心した。

 名前はユグクというらしい。とても気のいいおっちゃんで、面倒見が良くて、今日の半分はユグクさんの言うことを聞いておけば良かったから、頭がだいぶ休まった気がする。

 初対面の人と会話するのはそれはそれで疲れるけれども、疲れるだけでは決してないから、やっぱり休まったと言っていい。


 人食い魔獣から隠れる必要があるとかで、大木の下にできた適当な穴蔵に身を潜め、落ち葉やら土やらでできた天然の布団で体を覆い尽くし、朝までじっとするように言われている。

 『人食い』はヒトの気配に寄って来る化け物だから、できる限り自然と一体になってやり過ごすというのは確かに道理なのだろう。

 が、人間というのは自己の経験則を過信してしまう生き物のようで、大木の太い根の上に腰かけて、木々の枝葉から垣間見える星空を眺めながら物思いに耽っている俺は、もしかすると大馬鹿者なのかもしれない。

 なにか事が起きたらちゃんと責任を取ろう。


 魔獣と呼ばれる危険な生物は滅多に人を襲うことはないらしい。

 にわかには信じ難かったけど、たしかにこの森に来てからというもの、そこかしこに気配を感じるのにほとんど遭遇していない。

 ところが、この森に限っては人を好んで捕食する人食い魔獣が蔓延っていると言う。

 はて、こういう時は結論を保留にするのが吉だ。


 ユグクさんは長い旅路のさなかに商売話で力自慢をふたり口説き落とし、3人で鼻息荒くこの森に挑んで、一日で採算が取れる稼ぎを叩きだしたそうだ。魔獣の毛皮や牙などは高値で売れるらしい。

 そこまでは順調だったのに、今日になって欲をかき奥地に突き進んでみたところ、とても手に負えない大物に出くわしてしまった。


 熊にしてはシルエットが細長いような、巨大な穴熊のような獣だったけど、目の前の獲物に夢中だったようで背中から頭を刎ねることができた。

 もう少し早ければふたりの命を救えたと思うとやりきれないし、たいしたお墓を作ってあげることもできなかったけれど、どうか安らかに眠ってほしい。


 なんでも魔獣の討伐は本来であれば国の仕事で、民間人が勝手に狩りをすると密猟者として捕まるらしい。

 ところが、この森で遭遇する人食い魔獣であれば特定の時期に限って狩猟が認められる上に、討伐報酬まで受け取ることができると。

 だから、近頃はユグクさんのように一攫千金を夢見て命知らずが集まっているそうだ。


 今、人が集まっていることを知っていて、イベルタはこの森を目指せと言ったのだろうか。

 手元には簡略的な地図がある。もう少し細かく描いて欲しかったけど、方向感覚に自信がない俺でも結局たどり着けたのだから、要領はちゃんと押さえてあるのだろう。


 イベルタからの言いつけは3つ。

 一つ目に、脇目もふれずこの森を目指すこと。

 二つ目に、異なる世界から来た人間であると自ら口外しないこと。

 三つ目に、城で築いた人間関係の一切をなかったものとすること。

 他にもこまごまとあったのだけど、厳守するよう言われたのはこの3つだ。最後の一つは命に代えてでも守り通せと。


 重要なことに、森を抜けた先に住む人々は城主の男の敵だ。それもかなり因縁の深い、血みどろの殺し合いを続けてきたような。

 それゆえに、俺があの男によってこの世界に呼び出され、不可抗力とは言えしばらく世話になっていたことがばれてしまうと、死んだ方がましと思える悲惨な境遇が待っている……らしい。


 そして、明るい意味で重要なことに、森を抜けた先に住む人々は、異なる世界から人を呼び出すことに関して、城主の男よりも遥かに多くの知見を持っている。

 だからこそ、いつ、どこで、誰によって呼び出されたのかを徹底的に隠す必要があるわけだけど、隠し通したその先に、なんと、元いた世界に帰るための道が開かれるかもしれないと言うのだ。


「……ん?」


 あまりに夜空が狭いから、代わりに気持ちが内向きになって、だいぶ考え込んでしまっていた気がする。

 とは言え、そうした油断の状態にあっても、暗闇の奥からゆっくりと近づいてくる生き物の気配に気がつけるのだから、地獄のような鍛錬を強いられた日々は決して無駄ではなかったということだ。


 通りがかり……ではない。

 明らかにこちらを意識して、興奮で湿りきった息遣いをできる限り噛みつぶしながら、じりじりと、ぎらぎらと、まっすぐ着実ににじり寄ってくる。

 数はひとつ。姿形は闇に溶け込んで捉えようがないが、とりあえず図体はデカい。

 おそらく向こうは、こちらが気づいていないと思っている。


 鞘から静かに剣を引き抜く。

 星明りに両刃の刀身が晒されないよう自分の影におさめながら、とても、とても、ゆっくりと。

 相手にはこちらが視えている。だから絶対に、こちらは相手を視ようとしない。


 こうなったのは俺の責任だから、できればユグクさんを起こしたくない。さすがに無理かもしれないけれど、やれるだけやってみる気持ちが大事だ。

 形は相変わらずさっぱり。それでも、位置はますますはっきりと分かる。


 相手はそろそろ最も深い暗闇の縁に到達する。仕掛けてくるか?

 距離と時間は十分だ。覚悟であれば、とうの昔に済ませてある。


 ……ッスア! !?!?


 暗闇に潜む大きな塊が凄んで立ち上がったその瞬間、向かう先が決まっていたであろう勢いは立ちどころに消え失せて、その場にぴたっと止まってしまった。

 逃げてくれるか? でも、迷ってはいられない。


 大きな塊が星明りから慌てて身を引こうとする。その巨体の中心をめがけて、まっすぐに剣を振り上げる。

 下方から斜め上方に向けて、妖しい色を纏いながら鋭く通り抜けた一陣の風は、行く先の枝葉を幾らか巻き込みながら、深い森へと消えていった。


 ボスッ


 大きな塊の上半身が地に墜ちる。

 いや、地面に接してはいない。寸前のところで刀身の上に受けとめられて、間もなくごとりと鈍い音を立てながら力なく地面に横たわった。


「……ふぅ。重た!」


 ある程度は予想していたけどかなりの重さだった。

 割と無茶な姿勢になってしまったとは言え、一瞬しか持ち上げられなかった。若干腰をやったかもしれない。


 こいつは……穴熊か? 昼間に屠った人食い魔獣と似ている。

 となると……、敵討ちだろうか。家族なのか、友達なのか。心は痛むが悔いはしない。

 生きるために、生かすために、生命は生命を殺すのだから。


 頭部と上半身が左右に両断されている。なかなかグロテスクな状態で思わず顔が強張るけれど、自分のやったことに目を背けてはいけない。

 死肉の匂いが獣を集めてしまうだろうから、できるだけ早く遠くに動かそう。


 ……生命って重いんだよなぁ。

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