第3話 城主の計画


 西の塔は穏やかな昼を迎えていた。

 夜のうちに冷え切っていた大地はすっかり暖かな日差しに包まれて、思わず微睡んでしまう陽気である。


 そんな情緒などあっさりと脇に置いてしまって、最上階の一室にいる銀髪の女は昨夜から一睡もしていない。

 女の涼しい表情とは対照的に、もうひとりの男はしんどそうな表情で目を瞑っている。幾度か眠ろうとしていたようだが、全くもってうまくいかなかったらしい。


 女は、城の主にこの男の隔離を依頼されてから、食事の運搬と家人への伝言を除いて片時も目を離していない。

 過剰な警戒をしているかもしれないが、この者が巡りびとであると思われる以上、とても油断できる相手ではない。


 一方で、何かを食べさせた方が良い。

 ひと眠りして起きたのちに施そうと構えていたが、そろそろ見切りをつけた方がよさそうだ。

 食糧庫からいくつか腹持ちの良いものをくすねてきた。さて、いかにして食わせるか。

 ひとまず目の前で食べて見せて、毒など入っていないことを示すのが第一だろう。


 すると、左腕につけていた細い腕輪の水晶が僅かに赤く光る。それは、間もなく主君がこの部屋に来ることを告げている。

 男のことは後回しだ。


「どうぞ、中へ」


 扉の外にいる主君の気配を察知し、自ら扉を開け、最低限の礼節を済ませて迎え入れる。


「ご苦労。小男の様子はどうだ?」

「昨夜から熟睡できておらず疲弊しています。ミナカが少ないので正確には測りかねますが、これといった変動はないため懸念には及ばないかと。何かを考え込む様子を時おり見せますが、危うい行動に結びつく所作は見受けられません」

「そうか。御しやすいのは結構だが些か面白みに欠ける。まぁ、行き過ぎた期待はしないのが賢明か」


 ため息まじりの言葉とは裏腹に、エリグはとても楽しげな表情を見せている。

 普段から余裕のある軽妙な顔つきをしているが、イベルタが見るところでは、どこか無理をしているのではないかと感じることがあった。

 しかし今は、少しだけ疲労が見えるものの、確かな自信と充実感をまとっている。


「なんだ、ちゃんと起きてるじゃないか」


 男は明らかに眠たそうな表情でふたりの様子を窺っている。

 先ほどまでは夢かうつつかといった状態であったが、話し声を聞いて覚醒したようだ。


 エリグはおもむろに机の上にあるパンを一つ掴み取り、ゆっくりと男の元へ歩いていく。

 けれども、みるみる引きつっていく顔を見て思うところがあったのか、エリグはくるりと身を翻し、イベルタに向けてパンを放り投げた。


「俺としたことが迂闊だった。お前が渡せ」

「……? エリグ様がお与えになっても構わないと思いますが?」

「いや、こういうことは最初が肝心だ。この者に初めて食い物をやるのはお前でなくてはならん」


 イベルタはエリグの意図がまるで分からなかったが、反対意見を唱える理由もないので従うことにした。ただの気まぐれのはずはない。


「承知しました。与え方について、何かご要望がありましたら仰ってください」


 イベルタは食糧を積んだ籠をまとめて抱え、男のすぐそばにしゃがみこむ。エリグから渡されたパンの端を小さくちぎって、まずは目の前で食べて見せる。

 しっかり乾燥させた保存食であるから食感はいまいちだが、しばらく噛むと甘さが滲み出てきて存外に悪くない。

 その様子をじっと見ている男に対して、パンの残りを黙って差し渡す。

 逡巡を見せたものの、パンは男の手の上に収まった。


 イベルタはそうした作業を残りの全ての食糧に施して、籠ごと男のそばに置いた。とりあえずやるべきことはここまでだろう。

 立ち上がると同時に、エリグが本題を切り出してきた。


「わざわざ場所を変える必要もないからこの場で話そう。……背中を向けてやれ。見られていては食が進まん」


 主君からの許可を得て、イベルタは男の姿を視界から外した。

 一抹の不安は拭えないが、エリグがこの場にいるならば万にひとつもないだろう。


「まとまったのはあくまで暫定的な方針だ。と言っても、微調整をするぐらいで大枠は変わらんだろう。はじめに言っておくが、この計画は甚だ無謀であり、大きな不確実性に行く末を委ねることになる。破滅を導く危険に比べて割の合わない賭けになるが、賽を振らないまま人生を終えるぐらいならば道化として華々しく散る覚悟だ」


 今日の主君はいつにもまして陶酔的だ。

 悪酔いであるならば家来として敢然と諫めるべきなのだろうが、その必要をまるで感じさせないほどの勇壮な佇まいである。


「お供いたします。私はあなた様に生きる場所と意味をいただきました。主君が茨の道を行くならば、先陣を切ってこの身を棘に裂かれましょう」

「同族を裏切ることになってもか?」


 予期せぬ問いかけをされても、イベルタは一切の動揺を見せなかった。

 おのれの中に確かな芯が在ることを自覚し、今だけは自分が誇らしい。


「もとより私に同族などおりません。私の忠誠は種族ではなく、エリグ様個人に向けられております。ご心配には及びません」

「……我ながら無神経だったな。許せ」

「滅相もないことです」


 心無い謝罪も予定されていたものだろう。分かったうえで訊いているのだ。主君は慎重に慎重を重ねている。

 信頼されていないわけではないと確信しているが、今のやり取りは、それだけ重要な通過儀礼だったということか。


「端的に計画の全体像を言おう。俺はこの小男を、この巡りびとを、できる限り強く育て上げたうえで凡族のもとに送り込むつもりだ。送り込むと言っても懐柔できるとは思っていない。この者には真っ当な『勇者』として大成してもらい、我々に牙を向けてもらう」

「送り込むのですか? 勇者を? ……いや、確かにともなれば、何かしらの混乱は見込めるかと思いますが……」

「勇者は凡族社会にあってこそ劇薬にもなる。『魔族』風情が手元に置いたとて宝の持ち腐れに終わるだけ。次々と召喚できるならば話は変わるが、再現性の低さは認めざるを得んだろう。成功が今回限りとすれば、この一手を最大限に活かしたい」


 消化に時間がかかる話だ。

 種族にとっての仇敵を自らの手で育て上げ、脅威と成したうえで敵方に譲り渡す。

 そのような所業が味方に知られれば、主君の立場はおろか、一族が積み上げてきた威光もまた霧散してしまうのではなかろうか。

 しかし、禁忌を犯してこそ得られる果実もある。主君はそれを為そうとしている。


「エリグ様の深いお考えに理解が追いつきません。しかしながら、主君の信じる道が私の道であると固く信じております。つきましては、この計画に私がいかにして役立てるのか、お聞かせいただけますか?」

「うむ。お前には巡りびと、いや、『勇者』の指南役を任せたい。配下の中で適性を改めて吟味したが、どう考えてもお前が適任だ。唯一とすら言ってもいい」


 流し目で他人に相対することの多い主君が、今この瞬間は自分を真っ直ぐに見据えている。

 課される役目の重さを痛いほどに感じるが、決して苦痛ではない。

 体中を巡る呪われた血がこのお方の途方もない計画の礎となるならば、自分が生まれてきた意味があるというもの。

 ああ、あなたはまたもや私に生を与えてくれようというのか。


「ご期待に必ずや応えてみせます。人を鍛えあげた経験などありませんが、混血の戦士として、凡族を知る密偵として、私が培ってきた知見と能力の全てを注ぎます」

「ふっ、頼もしいかぎりだ。そう力まずとも普段どおり取り組めばいい。俺では逆立ちをしてもできないが、お前ならできる」


 胸に手を当てて直立しているイベルタを横目に、エリグはいつもの調子に戻って、柔らかい表情をしながら机の傍にある椅子に腰かける。


「必要な知識や指南方針は改めて伝えよう。時間はあまりないが、お前も自分なりに考えてみるといい。さて、喫緊の課題は言葉だろうが、この者が抱えている症状はいわゆる『召喚酔い』というやつだ」


 エリグはローブの袖から一冊の本を取り出すと、イベルタに向けて無造作にほいっと放り投げた。

 古びた小さな本で、表紙には天地の絵が描かれている。


「……これは神話ですね。凡族のものではない、原初的な」

「ああ。こちら側の知識には一切触れさせたくないんだが、単純な絵が多く描かれている本は生憎それしかなくてな。『召喚酔い』は言語的な刺激を与え続けることで改善されるらしい。であれば視覚も踏まえるに越したことはないだろう」


 本のページをいくつかめくってみる。

 聖書の中には高尚ゆえに文字ばかりの堅苦しいものが少なくないが、確かにこの本は絵がふんだんに挿し込んである、文字をあまり知らぬ者のために作られた書物のようだ。


「なるほど。神話の内容をできるだけ分からせないように気をつけつつ、絵を使いながら読み聞かせをすればよいのですね。……言語はルベリタの標準語が適当でしょうか?」

「まったくその通りだ。察しはついているだろうが、それはあくまで繋ぎだからやりやすい部分をつまみ食いでかまわん。朝一番にノマに大急ぎで取りに行かせたところだ。差しさわりのない絵本を大量にな」

「承知しました。他に何か踏まえておく点はございますか?」


 そう訊ねると、主君は斜め上を見上げながら記憶を手繰り寄せ始める。

 少し時間がかかりそうだから振り向いて男の様子を確認してみると、穏やかな表情で静かな寝息を立てていた。

 ふたつ目のパンを食べ切らないままに意識を失ってしまったらしいが、傍から見ればパンに毒が入っていたかのようで気分が悪い。


「……思い出した。真偽のほどは定かではないんだが、会話の中で擬音語を多用すると言語習得が幾ぶん速くなるらしい。音に限った話ではなかったか。……理由は聞くな。俺にも分からん」

「いえ、少しでも知恵を授けてくださると助かります。擬音語……ですか」


 主君から課せられた大いなる使命の第一歩が、大人の男に幼児向けの口調で絵本を読み聞かせることになるとは、いったいどうして予見できただろうか。

 いや、このような些末事に気を取られている時間はない。自分はただ、主君が進まんとする道を切り開くために、最善と思える役割を愚直に遂行するだけだ。

 これまでそうであったように、なにも特別なことではない。


「呑気なもんだ。これから自分がどうなるかも知らずに」


 主君が眠っている男を眺めながらぼそっと呟く。

 正直なところ、自分としてもこの男がどうなっていくのか分からない。目指すべき目標はあるが、果たしてそこにたどり着かせることができるのか、不安がないと言えば真っ赤な嘘になる。


 しかしながら、主君には見えているのだ。不敵な笑みを湛えた深い赤色の瞳にはっきりと映っているのだ。

 男の行く末が。これから積み上げていく事実の先にある未来が。勇者を呉れて遣ることで始まる、この世界の秩序の崩壊が。

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