第3話 過去・サーディン缶・未来

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 わたしの住んでいる団地は大きな川沿いにある。団地は一棟ずつ、すこし位置をずらしてジグザグに一列に並んでいる。その長さはなんと1.2kmほど。ひとつの棟の高さは40メートルある。


 なぜこんなふうに一列になっているのかというと、この団地は有事の際、防火壁になるからだ。川と団地のあいだにある大きな公園に避難した人々を守るため、ベランダの防火シャッターが降り、棟のあいだにある大きなゲートが閉まり、大きくて白い壁となる。各所には放水銃が配置されている。屋上には巨大な水のタンクもある。


 そのどっしりとした姿が見えてくると、わたしは帰ってきたんだなと思う。


 この団地は防火壁であるものの、じつは公園の先──土手にある神社の参道に繋がっていた。だから、棟のあいだの大きなゲートの手前には、白い鳥居があった。


 わたしは鳥居をくぐる。


 鳥居をくぐると、赤い自動配送ロボットたちがうろちょろしているのが見えた。六つの小さい車輪を器用に動かして、ちょっとした段差や階段をのぼっていく。進んでいくと、赤いゴルフカートみたいな車が見えた。女性がキャビネットから、ロボットが運べないサイズの荷物を降ろすところだった。ヤンダのお母さんだった。


「こんにちは~」


「あらフミカちゃん。こんにちは。このあいだのあれ、おいしかったよ~」


「えへへ、それは良かったです」


 エレベーターのドアが開いていたので乗ろうとする。先に配送ロボットがいた。わたしの膝ぐらいまでの高さしかない。


「こんにちは~」


 ロボットが表示された目をにっこりさせ、かわいい声でいう。


「こんにちは」


 わたしは返事をしながら乗った。


 わたしが住んでいる階に着く。


「た~だいま~」


「おかえり~」


「ヤンダのとこ行ってくる~」


「は~い、いってらっしゃーい」


 家に帰って荷物を置いて、制服のまま同じ階にあるヤンダの家に向かった。


「んお~、いらっしゃ~い」


 ヤンダは居間にある大きなクッションの上でうつぶせになりつつ、タブレットでまんがを読んでいた。片手がグミの袋に伸ばされる。居間の大型テレビには、YouTubeの動画が映し出されている。緑道を進む車載動画だった。


 見覚えがある車載動画だった。カメラの角度がフロントガラスに対して変に傾いていたりもせず、ちょうどいい。映り込みも全然していない。そして完全に無音なわけでも、音楽を載せているわけでもない。環境音がちゃんとほどほどに入っている。車載動画の割には、やや目線が高い。


「シヨウのチャンネル? これ」


「お~、よくわかんね」


「なんていうんだろう。癖みたいなのがある。動画に」


「それな~。見やすいよね、シヨウさんの車載動画」


「撮り方がしっかりしてるからね」


 わたしは我がことのように自慢気にいいながら、ヤンダの隣にむぎゅっと身を沈めた。わたしがダイブした反動で、ヤンダが弾かれこてんと床に転がる。


「んもー」


「ごめんて。グミ食いな」


「あたしんだし」


 クッションに戻りつつ、ヤンダは口を開けていた。わたしはその口にグミをひとつ放った。わたしの口にもひとつ放る。


「好きだねこの……」わたしはパッケージを改めて見た。「むりぶちグミ」


 むりぶちグミは名前の通り、噛んだ瞬間はむりっとしているのに、ちょっと力を入れるとぶちっとちぎれる食感が楽しめるグミだった。ぶちっとしたあとは、なかからとろ~りとソースが溢れる。グミのかたちは蜘蛛のようなクリーチャーを模していた。悪趣味でキモいところが人気だった。


「キモい食感は一定の需要があるもんだよ。補習は?」


「まあ、済んだ」


 補習といっても、仕事で微妙に参加しきれなかった授業のアーカイブ動画を、自主的に図書室で見ただけだ。


 わたしはミニショルダーバッグから写真の束を取り出した。


「おー、それがこのあいだの四国のやつ?」


「昨日届いた」


「クロちゃん情報の〈ヌル・モニュメント〉も見たんでしょ?」


「それ意外にもいろいろとあるよ」


 レンタルビデオ屋への長いドライブのあと、わたし、シヨウ、それにクロノ進とオリヴィアの四人は、たしか最長四日ぐらいは一緒にいたと思う。


 あくまでも最長であって、わたしは中国地方や四国地方の仕事を紹介してもらったり、オリヴィアの仕事──大量の缶詰を倉庫から倉庫へ移動させる仕事を手伝ったり、クロノ進も同じ感じで仕事で離脱したと思ったら戻ってきたり、シヨウもシヨウで車載動画の撮影を進めたりオリヴィアとつるんだりしていて、みんななんとなく近場にいるなあという期間はもっと長かった。


 オリヴィアは会うたびにオイルサーディンを使った料理を振る舞ってくれた。


「たとえば?」ヤンダが訊ねる。


 わたしはスマホの写真をスワイプさせ、思い出しつついう。


「えっと、オイルサーディンのパスタでしょ。あと、オイルサーディンと納豆のパスタでしょ。それと、オイルサーディンとアンチョビのピザでしょ。これは~、エビのリゾット……に、オイルサーディンの入ったサラダ。これはアヒージョ。これはオイルサーディンと舞茸の炊き込みご飯だね。これはトマトとオイルサーディンのソテー。これはナスと一緒にやったドリア。あと……これもオイルサーディンのパスタだ、キャベツも入ってるやつ」


「パスタばっかじゃん」


 たしかにそうだった。


「でもまあ、ほら、おいしいし……」


 オリヴィアは会うたびに、リーズナブルなものから高級なものまで、いろんなサーディンの缶詰を食べさせてくれた。最初はちがいがわからなかったけど、わたしたちはオイルサーディンの味のちがいがなんとなく──本当になんとなく──わかるようになってきていた。


 そしてオリヴィアは、会うたびに缶詰をくれた。


「あっ、ぶさかわなワンちゃん」


 写真にはクリーム色の毛並みのパグが写っていた。オリヴィアと一緒に旅をしているキナコだった。


「たしかにキナコっぽいね」


「触るとね、むちっとしてて、かわいいんだよ」


「へえ~」


 ぺちゃっとした低い鼻をふんふんと鳴らしながら、わたしたちの足元をうろついたり、膝の上にどしりと乗ってくるあたたかなキナコのことを思い出していた。ちなみにキナコの由来はきなこおはぎだった。たしかにあのもちもち感はおはぎっぽかった。……キナコが恋しくなってきた。


「で結局オリヴィアちゃんの仕事ってなんなん?」


 エプロンをかけたオリヴィアがキッチンから振り向いてる写真を見つつ、ヤンダはいった。ちょっとじっとりした目つきだった。


「あ、その目」


「なに、なんだよ」


「ヤンダさあ、相変わらず好きだよね、金髪美人」


「あたしゃ面食いなんだよ。知ってんだろ」


 ヤンダはほかのオリヴィアの写真を見つつ、繰り返した。


 そんで結局さ、オリヴィアちゃんの仕事ってなんなん?


「…………」


 わたしは返答に困った。


 オリヴィアは……オリヴィアの仕事は、変わっていた。


「四国をオイルサーディンの缶詰と一緒にぐるぐるする仕事……?」


「なんそれ。それってあれ? お遍路ってやつ? 八十八ヶ所まわるやつ」


 そうといえばそうだったけど、ちょっと説明がしづらかった。

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