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ある休日のことだった。ちょうど近辺にいたわたしたちに、オリヴィアは特別なものを振る舞うといった。
目の前には変わったお皿が置いてあった。白く、パスタを盛り付けるような丸いきれいなお皿なのに、中央にくぼみがあった。窪みのかたちは角丸の長方形で、いかにも何かがぴったりはまりそうだった。
キャンピングカーのテーブルを囲むわたしとシヨウとクロノ進は、各々の目の前に置かれたそのふしぎなお皿を見つめ、目を見合わせ、首を傾げた。
そんなわたしたちに陰がかかる。手が伸びてきて、お皿の窪みに、ことり、とあるものが置かれた。
ことり、ことり、ことり。
四つのお皿のくぼみに置かれたのは、すべてオイルサーディンの缶詰だった。
しかもなんだか、
「これ、やたら古いすね」
においなんてしないだろうに、隣りに座ったクロノ進が鼻を近づけひくつかせた。オリヴィアの愛犬のキナコは、すこし離れたところで自分用のお皿の前でじっとしていた。
アシストスーツのモーターを静かに鳴らしつつ、オリヴィアが斜め前に座った。
「それではみなさん、缶詰の裏をご覧ください」
わたしは目の前のシヨウとまたもや目を合わせる。いわれた通り、缶詰の裏を見た。
かすれぎみのインクで数字が印刷されていた。これはきっと賞味期限だ。海外のものだと年月日の順番が逆なんだっけ、と一瞬考えるけれど、賞味期限の西暦を見てそんなことはどうでも良くなった。
賞味期限は一年前にとっくに過ぎていた。
「切れてる」わたしはぽつりといった。
待ってましたといわんばかりにオリヴィアは「おほん」とわざとらしくいった。咳払いをしたのではなく、口でいった。
「ミレジメのオイルサーディンです」
「ミレジメ?」
聞き慣れない単語にシヨウが反応した。
「たしか、ヴィンテージとかって意味だったと思うっす」
クロノ進がいった。
「おお、クロちゃん物知り」
「随分前に見た映画で出てきたすよ。ふっふん」
クロノ進は鼻を鳴らしてドヤった。
わたしたちはオリヴィアに説明のつづきを促した。
「缶詰は開封しなければ半永久的に雑菌が繁殖しませんの。水揚げされたイワシは一匹一匹ていねいに選別と加工をほどこされ、そして風味豊かなエキストラヴァージンオリーブオイルとともに、新鮮なまま、風味と栄養価を保たれたまま詰められるの。
良質なワインと同じように、オイルサーディンも時間の経過とともに熟成され、オイルに長時間浸かった身は柔らかくなり、中心の骨も目立たなくなるまで身に溶け込むの。ひと口ひと口、噛むたびに風味豊かな味が広がるわ」
オリヴィアはなんだかやたら情感的な、つまりちょっとえっちな──こういうときに“官能的”という表現を使うのだろう──手つきで缶の表面を指先で撫でた。わたしたちはその仕草にどきりとさせられ、生唾を飲み込んだ。
「もはやこれは、単なるオリーブオイルで漬けたサーディンの缶詰ではなく、伝統料理といってもいいですわ。この缶のなかで、サーディンは辛抱強く、わたしたちを待っていますの」
おお~、とわたしたちは小さく声を上げる。
「ちなみにオイルサーディンの栄養は……」
期待を煽る語りを、オリヴィアはつづけた。その豊かな語りのおかげで、さっきまで単なる賞味期限の古臭い缶詰でしかなかったのに、今では立派な高級料理に見えてきた。
「……というものを、今から食べます。さあ、タイムカプセルの封を開けましょう」
オリヴィアは最後に、決め台詞をいった。
わたしたちは期待に胸を膨らませ、プルタブに指をかける。ぺりぺりと缶詰を開けた。
賞味期限が一年過ぎたオイルサーディンの缶詰は意外にもフレッシュで、そしておいしかった。
半分ほど食べたあたりで、オリヴィアが切ったバゲットをそれぞれのお皿に乗せた。わたしたちは缶詰のなかのオイルにバゲットを浸したり、サーディンを乗せたりしつつ「んふふ……」と笑みをこぼしながら食べ進めた。
オリヴィアがいうには、ヴィンテージもののオイルサーディン缶というのはフランスでは一般的らしく、レストランにもメニューとしてあるという。この、ちょうど缶を置ける窪みのあるお皿は、そういう文化から生まれた専用のお皿らしい。
賞味期限の過ぎた缶詰をヴィンテージとして扱うことも、専用のお皿があることも知らなかった。世の中には知らない面白いことがたくさんあるなと思う。
多くの缶詰の賞味期限は生産されてから三年ほど。賞味期限ギリギリが一番おいしいとかなんとか。わたしたちが食べたものは賞味期限を一年過ぎたものだったけれど、これはヴィンテージのサーディン缶を愛する好事家の世界では序の口らしく、長いときには十年寝かす場合もあるという。
「それで、とてもおいしいす、ありがたいすけど、それなりに貴重そうなものをなんで急に振る舞ってくれたすか?」
クロノ進が口のまわりをオイルでてかてかにさせながらいった。
「これもわたくしの仕事ですの」
わたしはオイルサーディンを振る舞われまくった日々を思い出していた。
「つまり……オイルサーディンの啓蒙活動?」
「ま、まあ、それもあるのですが、前にもいった、倉庫になりそうなところを探す仕事というのは、そこまで重要度が高くないといいますか、実際の仕事としては、ご先祖が各地に残していったミレジメ缶の収集活動と、四国のお遍路を巡ることで味にどう変化が出るかの、調査ですわ」
「……後半オカルト?」シヨウがいった。
「信じられないかもしれませんけれど、実際に味に違いが出るんです。巡礼と、そして場所によって」
「本当に?」
わたしの疑問にオリヴィアは首肯した。
「マニ車ってあるでしょう」
「あのなんか、経典がたくさん入ってるやつすか?」
わたしはお守り集めが趣味なので寺社仏閣にもよく行く。マニ車というのは、かいつまんでいうと、マントラが刻まれていたり経文の巻物が格納されている円筒形の装置をまわすと、そのぶん功徳が積まれるというやつだ。
「それと同じノリってこと?」
「信じてくださらなくてもそれはべつにいいんですの。ついでというか、跡取りに課された巡礼の理由づけというか……」
「あー、そいえば最初会ったとき跡継ぎがどうとかいってたね」
「えじゃあ、四国に散らばった缶詰を集め終えて、それで巡礼の旅も無事終わったら、次期社長になれるとか?」
わたしの質問に、オリヴィアは首を横に振った。
「いいえ、ご先祖が残した缶詰は膨大ですので、まだまだつづきますわ」
「そもそも缶詰を残したってどういうことすか?」
「まあそれもお宝探しゲームみたいなものというか……」
オリヴィアは家業のことになるとちょっと歯切れが悪い。でもまあ、人に家のことを話すときって割とこうだよねと思う。
「あとヴィンテージ缶を振る舞ったのは、まあ……新しくできたお友達への友情の証というか……」
オリヴィアはもじもじといった。その姿がかわいらしくて、わたしたちは「心の友よ~」といいながらその痩せ気味で大きな体にハグをした。
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