8
わたしはなんとなく目についた文庫サイズの詩集を手に取った。
大型本のコーナーに行ってみると、シヨウは大判の写真集を棚から引っ張り出し、適当にめくっていた。一冊を小脇に挟み、また一冊小脇に挟む。見かねたわたしはかごを持ってきて手渡した。
「せんきゅー」
シヨウは礼をいうと、また一冊かごに入れた。ずいぶんと重たそうだった。
「ぜんぶ風景写真だね」
わたしがいうと、シヨウは「そっちのほうが好きだからね」といった。
「このお店は、結構いいな」
シヨウの趣味に合う品揃えだったらしい。
クロノ
「どう?」わたしは声をかけた。
「う~ん……とりあえず買っておくかという感じのものは、あるにはあるですけど……」
クロノ進にとってはあまり趣味の合わない品揃えだったらしい。
わたしはまた適当に店内をうろつく。
こどもからおとなまで、おじいさんまで、いろいろな人々がブックオフにいた。真剣に漫画の立ち読みをする人や、暇そうにとりあえず棚を眺めている人もいる。
わたしはどちらかというと後者だった。本が好きかとか、本を読むのが好きかというと、わたしはちょっと違う気がした。ただなんとなく読んでいるだけだった。とりあえずぼーっと棚を眺めるのが好き、といえるのかもしれなかった。
文庫本の背表紙は独特なリズムがある。新書と比べるとタイトルが視認しやすい背表紙の絶妙な太さが好きだった。だらーっと目で流していくあいだにたまに挟まる、ちょっとページ数の少ない本や、逆に分厚い本がアクセントになる。判型がやや縦に突き出たハヤカワ文庫もリズムに微妙な変化を与えてくれる。
飽きたらちくま文庫の棚に行ってクリーム色の背表紙で目を癒したり、ライトノベルのコーナーに行って、うん、色が統一されておるなと謎に思ったりする。
普通の単行本のコーナーにも行く。単行本の背表紙は見やすい(ある程度厚いから)。けれども、レーベルとしてデザインに統一性のある文庫本と違い、背表紙もフォントやデザインが凝っていることが多い。色もさまざまだ。どこかゴツゴツとしたリズムは、でも独特な心地よさがあった。
本棚って、風景みたいだ。わたしはそう思う。車窓に流れる景色を眺めてるときと似たような気持ちになってくる。車窓から見えるひとつひとつの家にどんな人が住んでいるのか、ビルや工場でどんな人たちが働いているのかわからないように、本の内容も背表紙だけではわからなかった。
店内放送ではわたしが生まれる前のヒットソングが、やや音割れしたスピーカーでガサガサと流れていた。ちゃんと聴いたことがない曲なのに、なぜか懐かしいと感じてしまう。「懐かしいナンバーです」と、テレビの番組や、店内放送番組のナビゲーターさんがいったからだろうか。それともこのスピーカーのガサガサとしたノイズのせいだろうか。
懐かしいというと、古本のにおいを嗅ぐと懐かしいと感じてしまうのはなんでなんだろう。べつに、古本のにおいは特別好きじゃないのに。
ブックオフはどのお店も同じにおいがする。初めて入る店舗でも、どこか懐かしいとからだが反応してしまう。
懐かしいっていったい、なんなんだろうか。
とかなんとか考えているうちに、洋書のコーナーに着いていた。洋書は洋書でも、ポルトガル語の本のコーナーだった。ブラジルの人がこの地域に多いというのは本当なんだなと思う。
児童文庫の本とまんがの単行本を持った、小学校高学年ぐらいの男の子が目の前を歩いて行った。南米系の子だった。
さきほど手に取った詩集を適当にめくっていると、しおりが挟まっていた。ブックオフのしおりだけど、今はもう使われていない、店舗ごとのしおりだった。日本海に面したここからは遠い、九州の店舗のしおりだった。
ブックオフにはいろんなものが集まり、また人々の手にふたたび渡っていく。そういったことを、わたしは改めて実感する。
クロノ進がむふーと鼻息を荒くしてご満悦顔をしていた。なんでも、ブラジル産DVDのコーナーにあのあと行き着いて、そこで知らない映画をいくつか買えたらしい。リージョンコードがどうこう、プレイヤーがどうこうといっていたけど、とても嬉しそうだった。
シヨウもむふーとご満悦顔をしていた。
わたしたちは大型のリサイクルショップに移動した。倉庫をそのまま店舗にしているようなお店だった。
天井は高く、白い照明で照らされている。ブックオフ以上に、だれかの痕跡が充満していた。業務用の看板とか、シャンデリアなんかも置いてある。
クロノ進はまたDVDやビデオを探しに行った。
シヨウは店頭にある、石が適当に置いてあるコーナーにいた。緑や青のプラスチックのザルに置かれた石を持っては眺めている。わたしもひとつ持って眺めてみた。石だな、と思う。というか、そうとしか思えなかった。シヨウは熱心に見ていた。
「好きなの、石」
わたしは訊ねた。
「好きっていうか、なんかね、気になる」
「それってさ、好きなんじゃない?」
「へへへ、それはそうかも」
シヨウは次のザルを漁った。好奇心旺盛な目で石に視線を落としている。
「シヨウってさ、いつごろから恐竜好きなの?」
前からちょっと気になっていたことだった。わたしもザルを漁ってみる。つるりとした、触り心地のいいグレーの石があった。アザラシっぽい。
「う~ん……実をいうとこどもの頃からじゃなくて、中学生ぐらいのときに好きになったんだよね」
「へえ」
「珍しいっしょ、なんか」
「うーん、まあ、そうかも」
「なんかさ、おばあちゃんから恐竜展のチケットを貰ったんだよね。初来日のすごい化石があります、的なやつ。夏休みとかに、めちゃくちゃでかいなんとかアリーナとかパシフィコなんとかでやってて、家族連れで見に行ったりするやつ。それをね、なんとなく見に行ったんだよね。暇だったから。そしたらさあ……すげえ良かった」
シヨウは笑顔でわたしを見た。そのときの様子を反芻しているのが、傍から見てもわかった。
「月並みなこというと、人生変わった」
シヨウは断言した。
「それから好き。恐竜っていう、大昔にでかいやつらがいたっていうのもそうなんだけど、それが化石として偶然残って、偶然人間たちに発見されたっていうのも込みで、好き」
「おお、だから石にも興味がある……とか?」
「ああ、うん。そうなるかも」
シヨウはまた石を拾い上げた。親指の腹で、ちゃんとたしかめるように表面を撫でる。
「シヨウがさ」
「うん?」
「〈ヌル・モニュメント〉に興味あるのも、そういうことなのかな」
「うーん、そういうことって?」
「たいていはでかい石とかコンクリート──みたいなやつで、よくわからなくて、未来に残りそうだから……とか?」
「未来に残らないかもよ? AIとか
「写真は残るでしょ。シヨウが撮ったり、ほかのひとが撮った写真も」
「写真もいつか消えるよ?」
「だから撮ってるんじゃないの?」
「まあね~」
シヨウは笑う。でも、どこか寂しそうな笑顔だった。ぜんぶ無駄だとわかっていても、そうせざるを得ない人の表情だった。
店舗の奥にいたクロノ進はVHSテープを持っていた。
「それなに?」
「ビデオですな、どこかのご家庭の」
「いや、それはそうなんだけど……」
テープのラベルには「将馬」と油性マジックで書いてあった。もう二本はポルトガル語だった。
クロノ進がいうには、むかしのテレビ番組やCMが保存されている可能性が高いらしい。それに見知らぬ土地の番組も。
わたしもYouTubeとかで、わたしが生まれる前のCM集動画を垂れ流しにすることがあった。知らない信用金庫のCMに、大昔のマクドナルドのCM、それに、わたしの親がこどもの頃の年末特番の番宣。あの手の動画のアップロード主は自分で所蔵しているビデオテープをアップロードしていたり、何度目かの転載だったりするわけだけど、そうか、こういうふうにリサイクルショップで掘ることもできるのか。
「そっちの、ポルトガル語のビデオって?」
「こっちはきっと、私家盤とか海賊盤っすよ」
「しか……っていうと?」
「移民の人たちが多い場所では、その人たち向けのレンタルビデオ屋さんがあったりするんす。というか、ここに流れてきてるので、あった、だと思うっす。出身国のバラエティ番組とかドラマとかを録画したやつを、そういうお店で並べることもあったらしいんすよね」
なんでもかんでもインターネットでやり取りできなかった時代には、そんなこともあったんだなあと、わたしは思った。
わたしの知らない場所にも、わたしがけっして知りえない時間が、ひとびとの生活のかすかな痕跡が、はっきりとあるのだった。それを文化や歴史というのだろうと思った。個人経営の飲食店にも、チェーン店にも。そして、層のように積み重なった時間からこぼれ落ちたものが、こうやってリサイクルショップやブックオフに流れ着く。
ほくほく顔でレジに向かうクロノ進の後ろをついていくと、置物やぬいぐるみの棚が目に入った。思わず足が止まる。
この置物やぬいぐるみたちは、どういった家庭の、どういう場所に置かれていたんだろう、このぬいぐるみたちはどうかわいがられていたんだろうか──と、わたしはふと思う。
そのうちの一体、黄色い河童のぬいぐるみと目があった。どこか間抜けな顔をしている。黒くてちいちゃなお目めがつぶらだった。
わたしはそいつを、思わず手に取る。全体をぽんぽんと手ではらってやり、レジに向かった。
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