4
クロノ
「じゃあせっかくだし、クロが眠るまでお話ししましょうよ」
わたしたちは遂に連絡先を交換した。
サービスエリアを出、しばらく走ると街路灯も消え失せ、真っ暗な道を自分の車の放つヘッドライトの明かりだけを頼りに進まなきゃいけなくなる。左右にあるのは、黒い森か、そびえる遮音壁か、たいていどっちかだ。
やがて、街路灯のある区間に入り、そのときは左右に町の灯りが見えたりする。高速で流れていくパチンコ店や、郊外のお店や、ラブホテルの派手な灯りが、このときはとてもうつくしくきれいに見える。手が届かないし、すぐには行けないからこそ、余計にそう見えるのかもしれなかった。
そしてまた、暗い山林のあいだを通っていく。
《〈ヌル・モニュメント〉すか。それっぽいの見たことあるですな、クロも》
クロノ進はいった。意外と普通にそこらにあって見られてるものなのか? とも思う。
「お、本当に? どこらへんで」
クロノ進は南西にある、四つの県で構成された大きな島の名前をいった。
「へえ、じゃあシヨウに教えたろ」
《そのシヨウさんっていまどこにいるんですか?》
そういえばあとで住所をおくるといって、結局メッセージが来ていない。まあそのうち来るだろう。
《見てみたいですなあ、ほかのやつがどんななのか》
お互い仕事が終わったらまた合流して、ご飯でも食べようと約束した。シヨウから送られてきた写真は、そのときに見せてもいいかもしれない。クロノ進の写真も、そのとき見させてもらおう。
またお互い、他愛のない話をする。今まで大変だった仕事の話に、ヒヤリとした運転中の出来事。よく聴くラジオ番組の話や、動画配信者の話。でも一番盛り上がるのは、おいしい飲食店や、道の駅や
クロノ進の受け答えが次第にゆっくりしたものになっていき、ころころした声色が、はちみつのようにとろりとしてきた。
「おやすみ~」
《おやすみです~》
通話が終わったあと、何かから解放されたようにも、同時にすこしさびしいようにも思えた。
わたしは気を紛らわせるため、タブレットをタップする。中学生ごろからなんとなく見ているバーチャルユーチューバーのチャンネルにアクセスした。ちょうどライブ配信を行っていた。声色はガサガサしているのに、ハキハキとした喋り方が面白いVTuberだった。かのじょはどちらかというとラジオ寄りな雑談配信をよくする人で、そういうところが部屋でだらけているときも、勉強机で勉強をしているときも、そして運転中にもちょうどよかった。低音が魅力的で、歌もうまい。
わたしもすこし眠くなってきた。緑色の道路標識によると、パーキングエリアはすぐ近くだ。わざわざ〈キョウさん〉を起動するほどでもない──いや、こういうときほど頼ったほうがいいかもだけど。ミント味のミンティアを噛み、気が抜けてきた強炭酸ソーダを口に含み、ちょっとばかりの刺激を与える。ハンドルを握る手に力を入れ直す。
ハンドルを切る。このPAはやや小さく、コンビニとラーメン屋、それに小さなお土産屋さんがあるくらいだった。でも今の時間帯はそのどれもやっていなかった。深夜を走るトラックドライバーも前よりは減っているそうだし、この規模のPAではよくあることだった。いくつもの自販機だけが煌々と輝いている。駐車場は三分の一ほど埋まっていた。
トイレは一応行っておきたいし、歯も磨かなきゃだしで、わたしは外に出る。さっきよりもやや気温が低い気がした。
トイレに向かっているところで、ふと気がついた。
灯りの消えたPAの建屋の真ん前、駐車場の空いたスペース──駐車スペースではなく、本当に隙間のスペースだ──に、銀色のカートがあった。濃いオレンジと明るいイエローの、二色カラーのパラソルがカートから伸び、広げられていた。パラソルの内側にはライトがいくつかぶら下がっていた。
キャップを被りお腹のちょっと出たトラックドライバーさんが、カートの人から何か細長いものを受け取る。かれはそれにかぶりつきながら、駐車場を横切っていく。
ホットドッグの屋台だった。
トイレに直行しようとしていたわたしの足が、つい止まってしまう。その僅かな時間に、茹でたソーセージの食欲をそそるかすかな香りが、わたしの鼻先に漂ってきた。
屋台にいる女性と目が合った。会釈される。わたしも会釈する。
黒い駐車場の海の上で、カートはお城のように輝いていた。わたしはおそるおそる、屋台に近づく。
店主の女性はポニーテールで、青いストライプのブラウスとワークパンツを着ていて、全体的にこざっぱりとしていた。しかしどこか、浮世離れした目をしていた。シヨウの野生的な、肉食恐竜じみた感じとはまた違っていて、サメを思わせた。首からかけられた青いエプロンには、いかにもアメリカっぽいホットドッグのキャラクターが描かれていた。
「こんばんは」と女性がいう。夜の波のような声だった。
だめだ、目が合って近づいてしまって挨拶もされてしまった。いまさら「あ、いえ、へへへ……大丈夫です」といってその場を離れられる性格じゃあなかった。
「こ、んばんは~……」わたしは返事をする。
「食べてく?」女性はパラソルのポールに貼り付けられたメニュー表を指差した。ラミネート加工された表面が、ライトの光を反射していた。「オリジナルはシンプルにソーセージだけ。あと今日はチリチーズができるよ」
値段を見てわたしは驚いた。高いからじゃない、安かったからだ。あと200円か300円ぐらい上の値段が、こういうフードワゴンの平均相場だと思う。
「飲み物もあるよ。冷えたコーラにスプライト、ドクターペッパー……はあと一本。烏龍茶も緑茶あるし、ここでこのまま明日まで寝るってんなら一応ビールもある」
「ビールは、飲めないですね……」
「ははは、ごめん。やっぱ未成年なんだ」
わたしは頷き、迷った末にメニュー表の写真を指差した。これ、お願いします。オリジナルのホットドッグだ。他の味も気になるけれど、まずは普通のものがどんなものか試してみたかった。
お姉さんは切り込みの入った細長いパンを取り出し、もう片方の手で、カートの表面にあった銀色の蓋を開けた。湯気が立ち上る。湯気の向こうでは、長くてぷっくりと膨らんだソーセージが、お湯のなかに何本か浮かんでいた。
「マスタード、ケチャップ、ピクルス。あとタマネギ」お姉さんがトングでソーセージを掴みつついう。「どれか苦手なものはあるかい?」
「いえ、全部大丈夫です」
「オッケー」
片手に持ったパンのあいだにソーセージを挟むと、ソーセージ保温コーナーの縁でトングを軽く叩いて水気を落とす。かん、という軽快な音が、わたしたちの他に誰もいない、深夜の駐車場に響きわたった。
慣れたようにトングをくるりと回し、隣の蓋を開ける。保温されたグリルオニオンをさらに乗せ、刻んだピクルスの入った容器からスプーンでピクルスをすくってどっさりと乗せる。またもやトングを回して音を立てる。かん。気持ちのいいリズムだった。
赤と黄色のボトルを絞ってケチャップとマスタードのラインを描いていく。最後にアルミホイルを適当な長さに切り、その上にホットドッグを乗せる。
「はいどうぞ」
わたしはホットドッグを受け取った。小さすぎるわけでもないし、かといって大きすぎるわけでもない。軽食と呼ぶのにちょうどいい大きさだった。
親に連れられてコストコに行った際、こういうシンプルなホットドッグを食べた思い出が、突然よみがえってきた。
わたしはスマホを決済端末にかざして支払った。
ホットドッグにかじりつく。柔らかめのパンの食感、ぷりっと弾けて溢れるソーセージの肉汁、しんなりとしたグリルドオニオンの甘み、それにざくざくとしたピクルスの酸味が、ケチャップとマスタードといっしょに口のなかに広がる。
味が多い……いや、味は多いけれど、ふしぎと調和のとれたおいしさがあった。ジャンクな調和というか。どれを足しても引いても、崩れてしまいそうな気がした。
ふたくち目、
腕組みしながら口角をかすかに上げているお姉さんは満足げだった。
お姉さんが差し出した指先に、小さなカードが挟まっていた。ショップカードだった。咀嚼と会釈をしながら、それを受け取る。
濃いオレンジ色のカードには、お姉さんのエプロンと同じホットドッグのキャラクターが描かれていた。お店のロゴはミニチュア・ダックスフンドとソーセージを混ぜたような生き物のロゴで、白抜き文字で「G.G.G.DOG」とあった。裏面にはQRコードがあり、ロゴマークになってるミニチュア・ダックスフンドとソーセージの合体した生き物が「アクセスしてワン!」といっている。
「グググケン」お姉さんが唐突にいった。
「え?」
「その犬の名前。グググ犬」
「はあ……」
お姉さんはつぎに、エプロンにいるホットドッグのキャラクターを指した。
「グー・ジロー」
「グー・ジロー……」
「フランス人っぽい名前でかっこいいでしょ」
フランス人……? わたしは疑問に思いつつ、最後のひと口を食べた。
「そうなると、お店の名前はグググ・ドッグですか?」
「正解」
お姉さんによると「G.G.G.」とは「グッド・グッド・グッド」の略らしい。べつに「グレイト・グレイト・グレイト」でもいいらしい。
グググ犬とグー・ジローは仲良しで、いつも楽しく遊んでいるらしい。
「グググ・プレイスで」
「グググ・プレイスは、いいところなんですか?」
「いいところだよ。形而上空間にあるからね。すべてがグッドさ」
わたしはアルミホイルを丸めた。お姉さんが手を差し出す。わたしは、ごちそうさまですといいながら手渡した。
周囲を見渡す。駐車場で動いている人間はわたしたちだけだった。お姉さんのホットドッグ・カートが放つじーっという音、自販機たちが放つぶぶぶという駆動音、近くの草むらや木立からは虫の鳴き声がいくつも聞こえてきて、高速道路の方からは、ごーっという車の通過音がまばらに聞こえてくる。
最初にこの屋台を見かけたときから気になっていたことがある。
お姉さんは、どうやってこの駐車場までやってきたのだろう。
フードトラックではなく、手で押すようなカートだ。一見したところ、べつに車で牽引するような感じでもない。
高速道路沿いにある、このPAの駐車場に、どうやって来たのだろう。
……案外、答えは簡単かもしれない。たしかSAやPAには一般道から入れるものもあったはずだ。そこから入ってきたのかもしれない。
「まあ、いろいろあるのさ」
お姉さんは得意げにいった。
「屋台はね、自由な存在なんだよ」
自由。
「どこでやってもいいし、べつに、やりたくない日はやらなくてもいい。今日は違う場所でやりたいな、面白そうな場所はないかなと思ったら探せばいいし。もちろん、売り上げはあったら嬉しいけど、でもべつに、お金がたくさん欲しいわけじゃないからね」
なんでこの人を見たときにシヨウを思い出したのかわかった。同じような人なのだ。世間をゆったりと泳いでいる人だ。わたしはそう思った。
「大変そう、ですね。それはそれで……」わたしは本音が漏れていた。
「まあね」お姉さんはなんでもないように微笑んだ。
おとなだ、とわたしは思った。
「おとなかどうかはわからないけど、平凡な人間だよ」
*
翌朝、朝食を買うか食べるかするために駐車場に出る。お姉さんのホットドッグの屋台はいなくなっていた。山だからか、空気が思っていたよりひんやりとしていた。もうそろそろ部屋着をハーフパンツからスウェットに変えるべきだろう。
〈うんぱんくん〉たちを起こし、PAの端っこでラジオ体操をする。まばらに出入りするドライバーさんたちに、やや怪訝そうな顔をされる。でももう慣れっこだった。
コンビニかラーメン屋で迷って、ラーメン屋にした。同じようなトラックドライバーの人たちが数人、温かいラーメンを啜っている。朝から家系ラーメンを食べるのはひさしぶりだった。いつもどおり写真を撮って、ヤンダに送る。
と、ここで気がついた。シヨウからメッセージが来ていた。かのじょが働いている場所の情報だった。
その住所には見覚えがあった。わたしの荷物──マッシュルーム──の届け先と同じ場所だった。
*
PAのなかをひととおり見てみたけれど、ここは一般道から入れないPAだった。
ホットドッグ売りのお姉さんがどうやってここに入ってきたのかはわからないけれど、でもまあ、そういうこともあるか、とわたしは思うことにした。今度会ったら訊いてみればいい話だし。
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