第8話

 破れた制服を縫い終わった。


「よし。これなら目立たない」


 実際に、郁登が縫った部分は綺麗にできており、遠目からは破れていることすら分からない。

 一人暮らしをして身につけた裁縫の技術のおかげだ。


 これで明日、学校に行ける。


 気づいた。


「あれ、生徒手帳がない」


 破れていたポケットに入っていた生徒手帳がなくなっている。


「まあ、いいか。使わないし。俺も寝るかな」


 郁登は押し入れから毛布を引っ張り出すと、ソファに寝ころび、毛布にくるまる。


 すぐに意識が途切れる。


 静かな寝息が部屋を満たす。





 遅刻だ。


 朝起きて最初に思ったのはこの言葉だった。


「何で目覚ましが鳴らなかったんだ」


「あたしが止めたのよ」


 ベッドから起きあがった翠花は言った。


「何で」


「うるさかったから」


「だからって止めるなよ」


 郁登は寝間着から制服に着替え、気がついた。


「翠花、もう体平気なのか?」


「うん。薬飲んで一晩寝たら良くなった」


 翠花はベッドからおりて立ち上がる。

 昨日と違い、ふらつくこともない。


「一応熱計ってみて」


 郁登は絆創膏などをしまっている引き出しから耳で計れる体温計を取り出し、翠花に渡す。


「分かった」


 翠花は電源を入れて、先っぽを耳に入れる。

 すぐに結果が出る。

 平熱だ。


「熱も下がってるし大丈夫だね」


 郁登は身支度の手を止めて話す。


「それで、これからどうするの?」


「これからか……」


「特に考えてない。でも、家には戻らない」


「そう」


 翠花は恥ずかしそうに、両手の人差し指をあわせてもじもじとする。


「それでね。その間だけこの家に匿わせてくれない?」


 首を横に傾け、上目遣いで郁登を見る。


 郁登はしばしの間考える。


 家出した子を一人暮らしの家に匿っていいのか。


 昨日は熱だからしょうがなかったけど。


「ねえ、お願い」


 可愛らしく両手を合わせてポーズをとる。


 郁登は男だ。


「分かった。いいよ」


 頷いた。

 もしかしたら、匿ってるうちに何かあるかもしれない。

 そんな期待が郁登の頭をかすめる。

 狭い部屋に二人で暮らすんだから。


「やった!」


 翠花は両手を上げて喜ぶ。


 くう~。


「……」


 翠花のお腹が鳴った。


「お腹空いたの」


 翠花がコクン、と頷く。


「……それじゃ、朝ご飯作ろうか」


「本当!」


 翠花は嬉しそうに言う。


 郁登はエプロンをつける。

 中学の時から一人暮らしをしていたのだ。

 料理には少しばかり自信があった。

 初めて人に自分の手料理を食べさせる。

 腕が鳴る。


 キッチンに立つと、手際よく朝食の準備をする。


 トースターにパンをセットする。


 冷蔵庫からイチゴジャムを取り出す。


 トーストができあがる。


 以上。


 朝食なんてこんなもんです。





「郁登君はいないのか?」


 教室に担任の教師の声が響く。


「まだ学校に来ていません」


 郁登の隣の席に座っている人が言った。


「そうか。連絡もなかったし、素直さんは知らないか」


「何で私に聞くんですか?」


 素直は姿勢正しく椅子に座っている。


「何でって、同じ東方家だろ」


「東方の姓を名乗っていますが、あいつは東方家と一切関係がありません」


 きっぱり素直はと言う。


「確かに、魔法が使えない奴が東方家っていうのもな」


 一人の生徒が言うと、同意するように笑い声が教室を満たす。


 教師はその光景を見て、難しい顔をすると、頭を掻きながら、


「そうか、知らないならいい。ホームルームは終わりにする」


 日直が、起立、礼、と合図を出し、ホームルームが終わる。

 担任が教室を出て行く。


 教室の皆は、次の時間まで思い思いの方法で時間をつぶす。


 その間、素直は鞄から本を取り出し、読み始める。


 誰も素直に話しかける者はいない。


 素直もまた、席を立とうとしないし、誰かと話そうともしない。


 何度かページを捲ると、始業のチャイムが鳴り、一時間目の数学の担当教師が入ってくる。


 素直はしおりを挟んで本を閉じた。


 一時間目が始まっても、郁登は学校に来なかった。






 一時間目は半分ほど過ぎた時、校庭から声が聞こえた。


 窓を閉じているので聞き取れなかったが、男の声だと分かる。


「何だね」


 数学の教科書を閉じて、教師が窓へと歩き出す。


 突然の授業の中断に、窓際の席の人は窓の外を見る。

 窓から離れた人も立ち上がり校庭を見る。


 素直は校庭からの声に興味がないようで、ノートに黒板の数式を写している。


 窓際の生徒が、声を聞くためにと窓を開ける。


「東方郁登はどこにいる!」


 校庭から声が聞こえた。


 その声に素直はノートから顔を上げて、窓を見る。


「誰だねあれは」


 教師が言う。


「知っているかい、素直さん?」


 素直は窓際まで行って、校庭を見下ろす。


 そこには一人の男がいた。

 髪をオールバックにしていて、黒のスーツに黒のシャツに黒のネクタイ。

 全身黒ずくめの男だ。


「いえ、知りません。おそらく、あいつ独自の付き合いのある人でしょう」


「そうか。ならいい。ほら、みんな、席に戻れ」


「東方郁登はいないのか!」


 教師の言うことでも、大半の人はまだ窓際にいて校庭を見ている。


 学校に乱入してきた人は、変わらない学校生活にとって刺激的だ。

 あの男がどうなるか、皆、興味津々なのだ。


「こらそこの君、何をしているの!」


 校舎から一人の教師が出てくる。

 四方院留奈だ。


「お前、ここの教師か?」


「そうよ」


「丁度良い。東方郁登という生徒は知らないか」


「知ってるけど。彼に何のようなの?」


「昨日、生徒手帳を拾ったから届けに来たんだよ」


 男は生徒手帳を開いて見せる。


「確かに郁登君のね。わざわざありがとうございます」


 男が親切でここまで来たことを知り、留奈の態度が柔らかくなる。


「それじゃ、これは私が預かりますので」


「いや、直接彼に会って渡したいから、彼の所まで連れて行ってくれないか」


「すいません。学校に関係のない人を校舎に入れることはできないんですよ」


「なら、彼をここまで連れてきてくれないかい」


「……なぜ、彼にそこまでして会いたいんですか」


 留奈の警戒心が上がる。


 そんなやりとりをしている間に、校舎の窓には大勢の生徒が顔を覗かせている。


 生徒手帳を持った男は、手帳の写真を見ながら、校舎の窓を見渡す。

 その中に、郁登の姿がないのを確かめる。


「彼のクラスはどこですか?」


「それは教えられません」


 先ほどまでと違い、留奈は明確な拒絶の態度を見せる。


「それなら、彼に出てきてもらおうか」


 男は片手を校舎に向ける。

 そして、呪文を紡ぐ。


「精霊シルフの子たる暴風よ。我の敵を切り刻め。暴風の刃よ」


 魔法、暴風の刃。


 手から放たれた魔法は校舎から誰も顔を出していない教室へと向かう。


 素直の教室の隣だ。


 それを見た素直は叫ぶ。


「みんな、窓から離れて!」


 そういって素直は窓から離れる。


 だが、他の人はそうはいかない。


 暴風の刃が校舎を切り刻む。


 その余波で、素直のクラスの窓ガラスが割れる。


「きゃあ!」「うお!」


 女子生徒の悲鳴と男子生徒の悲鳴。

 窓際にいた生徒たちは後ろへと倒れ込む。


「何してるんですか!」


 留奈が叫ぶ。


 窓から見ていた生徒たちも呆然と刃を見ている。


「次は人が顔を出している教室を狙うぞ」


 刃は片手を素直たちの教室へと向ける。


 素直の教室はパニックになっていた。

 悲鳴をあげながら、我先へと教室から出て行く。


「止めなさい!」


 留奈は片手を刃に向けて叫ぶ。


「東方郁登を出せ」


「あなたの前へ出すわけにはいきません」


「なら、出させるだけだ!」


 刃は呪文を唱え出す。


 それを聞いて、学校にいる生徒たちは窓際からいなくなる。


 刃の魔法、暴風の刃が素直がいる教室を襲う。


 教室にはすでに素直しか残っていない。

 彼女は携帯電話を耳に当てて何か話していた。

 それを中断する。


「ッ!」


 素直は教室から出る。


 直後、刃の魔法が教室を破壊する。


「精霊サラマンダーの子たる炎よ。燃やし尽くせ。火種の炎球よ」


  魔法、火種の炎球。


 留奈が詠唱する。


 炎が刃へと向かう。


 刃は横へと飛ぶ。

 今まで刃がいた所を炎が通る。


 魔法は一直線にしか向かわない。


 それを分かったうえで、刃は横へと飛んだ。

 魔法が来る所が分かったとしても、普通は防御魔法で防ぐ。


 それが一番安全だからだ。


 刃はそうしなかった。


 それは、


「精霊シルフの子たる暴風よ。我の敵を切り刻め。暴風の刃よ」


 魔法、暴風の刃。


 素早く魔法を唱えるためだ。


 魔法を出した留奈は炎が邪魔をして、刃の姿を一瞬見逃していた。


 その一瞬で勝負はついた。


 風の刃が留奈を襲う。

 留奈は風の刃が当たる寸前に気づいたが、遅い。

 防御魔法を唱える時間がない。

 留奈は地面を蹴る。

 直後、留奈のいた所に暴風の刃が当たり、地面がえぐれる。

 砂埃が舞うが、すぐに暴風の刃の余波で消える。


 余波を受けたのは留奈も同様だった。


 留奈の軽い体は魔法の衝撃波で吹っ飛ぶ。

 勢いよく、校舎へ激突する。

 その衝撃で留奈の意識は刈り取られた。


 それを見て、刃は校舎へと向き直る。


「東方郁登よ出てこい。そうしないと、この女を殺すぞ」


 手を留奈へとかざす。


 校舎からは誰も出てこない。

 教員さえも。

 だが、それも無理もないだろう。

 いくら教員とはいえ、彼らは学生よりは魔法が使え、知識があるだけだ。


 それらを幽霊以外に使ったことはない者がほとんどだ。


 当然、実践経験もない。


 留奈が倒されるのを見て、どの教員も出るのを諦めた。

 自分たちでは相手にならない、と。


 そんな中、魔法使いを取り締まる者が、この学校にはいる。


「待ちなさい」


 沈黙に包まれた校庭にその声はよく響いた。


 東方素直。


「あんたの相手はこの私がするわ」


 素直は胸を張って校舎から出てくる。


 刃は素直を見て、


「お前が?」


 馬鹿にしたように言う。


「私の名は東方素直。あの東方家の跡取りよ」


「そうか、お前が東方家の跡取りか。同じ東方の姓を名乗っているなら、東方郁登のことも知ってるな」


「知ってるわよ。でも、あんたがそれを聞いても意味はないわ」


「何?」


「ここであたしたちがあんたを捕まえるからよ」


 素直が言った直後、空から4つの影が降りてきた。


 先ほど素直が電話して呼んだ、東方家で働いている、魔法使いを取り締まっている人物たちだ。

 彼らは素直を中心にして左右に並ぶ。


「お前たちが俺を捕まえることができるとでも」


「もちろん」


 素直は自信のこもった笑みで頷いた。

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魔法使いのいる世界 桜田 @nakanomichi

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