1-3 青き翼のセグネール 1

――港町サーリッシュナル、軍港――


「見えてきましたよ。今から港に入るところです」


 ファルナが渡してくれた双眼鏡を早速海に向けて構える。


 カリスラント探検艦隊旗艦、ラズエム=セグネール。これから私の乗艦になる船だ。


 セグネールは内海からカリスラント南海岸まで広く生息する海獣の一種。大型のネコ科動物が海に適応したみたいな感じの、地球に存在しない生き物。神話によると、海、追い風と航海を司る大いなる神ダルネリトン=ルーの愛娘、半神半人のダルシネ=ルーは父を会いに孤島の神域に行くとき、いつも青い翼を持つセグネールの背に乗って海を渡る。まぁ、ギリシア神話のイルカを騎乗する女神ネーレーイスたちみたいなものかな。


 ラズエム=セグネールとは、すなわち青き翼のセグネール。そう、今では私が海神の娘ダルシネ=ルーの化身という説がすっかり定着してしまった。だから私の乗艦にふさわしい名前はこれしかないと言われた。正直、とても恥ずかしいからやめてほしい。でもみんなは絶対この名前がいいと、私が出した他の艦名は全部却下された。はぁ……戦争中の私の乗艦、第一艦隊旗艦ルクサーム=セグアンリペール(古代魔導帝国語。意訳すると、「海の王女に栄光あれ」)の命名もひどかったし、なんで毎回私の船がこんな恥ずかしい名前にならないといけないのよ……


 ラズエム=セグネールは長距離探検船テルエミレス級の3番艦。先行試作の2隻が試験航海を終えた頃から建造開始。建造過程中に色々あって、数奇な運命を辿った船である。テルエミレス級は私が探検に出るための船だが、私はザンミアルに嫁ぐ予定だった。だからテルエミレス級の最初の8隻は建造完了後一旦モスボール保管して、ザンミアルで私が探検できるような立場になったら送ってくれる手筈。まぁ遅れて来る嫁入り道具ってやつね。あーあ、ただでこんな最新鋭の船を艦隊規模でもらえたはずなのに、自分から戦争を仕掛けて全部パーにしたよ。


 戦争のせいで、ラズエム=セグネールの建造は一時中断となった。緊急戦力増強のため、建造中のテルエミレス級の設計を変更して戦闘艦に改造するプランも出たが、ロミレアル湾の戦いでザンミアルの艦隊は壊滅。戦争のかなり早い段階でカリスラントの制海権が不動のものとなったから、海上戦力を急いで増強する必要がなくなった。トリミンス台地の戦いの後、北部地方を取り戻し、カリスラントに余裕が出てきた頃に、ラズエム=セグネールと姉妹艦たちは建造再開、元の設計のままで完成した。


 ラズエム=セグネールはこの2週間近海で単独の乗組員慣熟訓練をした。港に入ったら、乗組員は6日の休暇、船は点検。休暇終わったら他の7隻と合流して艦隊行動の訓練を2週間。そしていよいよ、探検の旅ね。


 船が着岸すると、白い海軍軍服の集団が次々と降りてきた。あの娘たちにとってはせっかくの休暇だし、偉い人がいきなり現れて邪魔するのも悪いと思って、私とファルナは目立たないように遠くから見守る。「やっと陸だ!」とか「スイーツが食べたーい!」とか「久しぶりの長風呂ができるわ」とか、かしましい声が聞こえる。ラズエム=セグネールの乗組員の半分くらいは士官学校を卒業したばかりの15、16歳の少女。こんな長い期間海の上で過ごすのは初めてだろう。陸が恋しくてはしゃぐのも無理はない。


「微笑ましい光景だね」


「わたくしが艦長を務めていた頃のことを思い出しますね」


 カリスラントの海軍の一番の特徴は、やはり女性士官と、女性だけで編成される船の存在。船と言うのは一種の閉鎖空間。風紀の乱れを未然に防ぐには、男性と女性が同乗するのはなるべく避けるべき。海軍大国だったザンミアルは男性しか船乗りになれない。カリスラントも同じだったが、王女である私が船に乗るからその不文律を破った。私の乗艦の乗組員を揃えるべく、女性の海軍士官を計画的に育成する――それが海軍士官学校設立初期の急務であった。そして時が過ぎ、最初期の女性士官たちが順当に昇進して、指揮官の素質がある娘が艦長になったり、その艦長たちの部下も後輩の女性だけで編成して……こんな感じで繰り返して、今ではカリスラントの海軍の女性率が20%くらいになった。多分このくらいが限界で、もう上がらないだろう。


 海軍に入る女性が増えるもう一つ重要な原因は、私の新時代海軍の性質。接舷しての白兵戦は滅多にしないし、帆船でなくなったから操船の重労働も減った。「身体強化」の魔法を使えば女性でも問題なくこなせる。士官たちに求めるのは力仕事ではなく、機材や兵器の操作など、より専門的なスキル。白兵戦をしなくても、魔導砲を撃つとやはり人を殺めてしまうが、私たちは遠くから敵船が沈んでゆくのを見るだけ。陸軍の戦いみたいな血生臭い光景を見ることはない。それに海軍士官に色んな専門がある。例えば船室の中に引きこもって、ひたすら魔石ライトパネルとにらめっこする情報管理士官なら、ただ命令通りに魔石を操作しながら状況を報告するだけ、実際外に何が起こったか全くわからないのもしばしば。だから虫も殺せない令嬢たちにとって海軍のハードルはそんなに高くない。まぁそれでもあまりにも甘ったれたやつは訓練に耐えられなくて、毎年何人かは海軍士官学校を中退する。


 他にも、海軍は貴族の格式を損なわないちゃんとした仕事とか、海軍は第二王女が自ら推進しているプロジェクトとか、海軍では一緒になるのは同性ばかりだから悪い虫がつかないとか、色んな利点がある。たとえ親が定めた進路を拒んでも、選ぶのが海軍なら文句を言われることが少ない。だから海軍は訳ありの令嬢たちにとって、一番都合のいい逃げ場となった。


「何をしている!まだ休暇が始まっていない!気を緩むな!」


「はーい!」


 ガヤガヤと笑い声が聞こえながらも、ラズエム=セグネールの乗組員たちはちゃんと艦長の前に整列した。遅れて降りてきた、ちっちゃくて赤いショートヘアの女性はラズエム=セグネールの艦長、インスレヤ。戦争が始まった時点では私の乗艦ルクサーム=セグアンリペールで砲撃手を務めてた。小柄の私よりも更に身長が低くて、まるで小動物みたいな可愛らしい娘だが、エネルギッシュで冷静な判断力もある。後に第三艦隊で体調不良の副艦長の代理を務めたとき、意外にも指揮官としての適性が高いと判明。今のやり取りは部下たちになめられてるように見えるが、実はみんなから親しみやすいと思われて人望が厚い。


 下級貴族が多い女性海軍士官の中、インスレヤは珍しく平民出身。普通の平民は士官学校の入学試験に合格できないし、授業もついていけない。インスレヤは裕福な商人の家の一人娘。ちゃんとした教育を受けたから入学できた。インスレヤが15歳、成人直前のとき両親は馬車の事故で命を落とした。遺産目当てに彼女を引き取ろうとする親戚が現れて、それが嫌だからインスレヤは一人で生きてゆく道を選んだ。インスレヤは海軍士官学校に入学して、5期生の成績優秀者で卒業した。


 平民出身のインスレヤを艦長にした意味は大きい。海軍では出身じゃなく実力が評価されると示すシンボルとなる。今回の任務に選ばれた最大の理由は、インスレヤの家族はもう全員他界。天涯孤独の身だから心置きなく長期任務に志願した。


「来週からは艦隊行動訓練、その後に2日の休暇、そしていよいよ我々の任務がはじまる。これは最後の長めの休暇だ。諸君は任務の内容を承知した上で志願したから、これを言うのはしつこいと思われるかもしれんが……我々は遠くまで旅して、いつ国へ戻るかわからない。少なくとも1年間は戻ってこられないと思え。これより6日の休暇に入る。今のうちに家族や友達たち、恋人や婚約者に会ってこい」


「はーい!」


「では、メカニックは点検記録をメンテナンス部門に提出したらそのまま帰ってよし!他の者はこれにて解散!」


 他のみんなが帰ると、私とファルナはインスレヤの前に姿を現す。

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