1-2 最後の講義 2
カリスラントの将来についての考えを生徒たちに問うと、まず挙手するのは、さっきザンミアルとの戦争の原因について良い答えを出した二年生のカルウスト候爵令息。んー、どうもこういう頭がいい理論派こそ、理屈だけで判断して拡張主義者になりがち――
「ザンミアルさえも破った、我が国の今の海軍なら、ザンミアルでも実現できなかった内海征圧の悲願を達成できるでしょう。今こそ内海諸国を勢力圏内に置くべきだと愚考しています」
ほら、やっぱり!しかもこういう人は過信ではなく、冷静に分析して勝てると断言するのが余計たちが悪い。でもこんな人に限って、勝利したあとのことについて何も考えない。何故か戦争に勝ったら自然と何もかもがうまくいくと信じている。
内海には致命的な魅力がある。この大陸の文明の発祥地であり、かつて栄華を極めたアフェングストリア魔導帝国の領域。魔導帝国が魔物の氾濫によって滅んだあと、暗黒時代を経て、今の内海は多数の都市国家と神殿領に分裂している。誰もが欲しがる魔導帝国の遺産を、小さな国々がそれぞれ隠し持っている。周りの大国にとってはこれ以上ない旨い獲物に見える。それに内海の特産品に替えが効かないモノが多い。最後のダンジョン「アビス」の魔物素材、翻訳いらずのカネミング石、ネレミィヤの温室でしか栽培できない特有の薬草と香辛料、魔導帝国の遺跡から発掘した古代魔道具や魔法金属……これまでカリスラントは内海諸国と隣接していないから魅入られることはなかったが、ザンミアルを属国にした今ではもう無関係でいられない。
「内海進出、ね。それが我が国にどんな利益をもたらすのか?」
「はい。内海には様々の独特な交易品があります。それらの原産地を押さえることに大きな意味があると思います」
「内海の特産品は貿易で入手できる。仮に我が国が内海の一部を支配できたら獲得コストは大幅に減るが、それを実現するまでの犠牲を考えると、理由としては弱い」
「なら、アフェングストリア魔導帝国の遺産はどうでしょうか。今の技術では到底再現できない、数々の魔法の秘奥の結晶。もしそれを一つだけでも確保できたら、魔法の研究が大きく進みます。重要な文化財にもなります」
「その遺産自体が危険なのはわかっているよね?30年前のザンミアルもそれで痛い目に遭ったのは、前回の講義で話したよ?」
36年前、内海諸国連盟の大艦隊を打ち破ったザンミアルは絶頂期を迎えた。敵対勢力を一掃して、内海の侵略が更に加速した。まず目をつけたのはカービュレム共和国。圧力をかけて、併合を強要するが、相手を追い詰めすぎて逆効果になった。カービュレムを併合する式典の前に、共和国の執政官は自爆覚悟で遺産の力を開放した。この「カービュレムの惨劇」で1万以上の犠牲者が出た。その中に併合式典に出席するために滞在中のザンミアル王族二人もいた。おまけにザンミアルの虎の子の陸戦隊も壊滅。この事件によって内海諸国の対ザンミアルの感情が最悪に。直ちに三回目の反ザンミアル連盟を結成。ザンミアル国内でも王族二人の死によって王位継承権を巡る争いが表面化。内海に侵攻するどころではなくなった。
「……強硬策に出るのは確かに危険ですが、武力行使せず、ちらつかせるだけで、穏便に話を進めることも可能だと考えています。内海諸国の利益を損なうようなやり方なら抵抗されるだろうが、我が国の優位性を認めさせるだけなら難しくないと思います。それで我が国の威信を高めます」
「その考え方、アファンストリュ帝国のと全く同じなんだけど、それでいいのか?」
騎馬民族による氏族連盟だったカリスラントと、野蛮人の部族連合だったアファンストリュは大陸の西側、内海からかなり離れてる。かつての魔導帝国の支配圏の外だから、文明の発展は遅れていた。でもそのおかげて暗黒時代の混乱に巻き込まれることなく、滅んだ魔導帝国から脱出した難民を受け入れて急激に発展した。内海の文化と技術を学び、王権と封建制に移行し、カリスラントは西の大国になったが、内海と比べると自分たちは田舎者だと自覚していて、常に謙虚な気持ちを忘れない。逆にアファンストリュはとち狂ったように、自分たちこそアフェングストリア魔導帝国の正統な後継者だと言い出した。アファンストリュ帝国という国名も、アフェングストリアが訛った結果。アファンストリュは魔導帝国の領域の再征服を目指して、度々内海に侵攻する。大体は最初うまくいくけど、結局負けてすべての成果を失う。内海諸国の危機感が高まるとすぐに反帝国連盟を結成するから。しかし返り討ちにしたのはいいけど、長年の戦乱によって内海諸国は疲弊した。最終的に、内海諸国はアファンストリュが旧魔導帝国の領域に対する名義上の宗主権を認めた。名ばかりの宗主権だからそれ自体になんの意味もないが、帝国の虚栄心を満たしたことで無益の戦いを回避できた。
「そもそも、内海諸国相手に簡単に勝てると思うのが間違いだ。帝国でもザンミアルでも、我々が詳しく知らない大陸東側の大国でも、団結した内海諸国の前では結局負けた。特に神殿勢力は財力がたっぷりあるし武力もある。決して甘く見てはいけない」
カルウスト候爵令息は項垂れて席についた。大講堂を見渡すと似たような反応をしている人がちらほらいる。彼らは私が話したことに完全に納得したわけではない。でも私の言葉は彼らにとって無視できない。カリスラント海軍を作り上げ、勝利に導いた私が内海進出に反対するのは、彼らにとってよっぽどショックなんだろうね。あ、いや、それ以上にショックなのは、帝国と考え方が一緒と言われたかな?カリスラント人はみんな帝国が大嫌いだからね。あんな恥知らずの連中と同列にされたら、ね……
うーん、私の考えを伝えるのはこれで十分だけど、ここで終わるとなんだか彼らの心をへし折ったみたい。生徒の思考の促進にはよくないような……まだ講義の時間が残ってるし、この嫌な空気を変えよう。海軍士官学校での最後の講義がこんな感じで終わるのはよくない。
そんなときに、一人の生徒が挙手した。この娘は……あれ?この紫色の髪……ファルナの従妹、三年生のノリンストン候爵令嬢じゃない?こんな狙ったようなタイミングで……
思わず左を見る。そこにいるのは同じ紫色の髪、波のような巻き毛の女性。講壇のそばで控えているファルナは意味ありげに微笑む。なるほど……こうなるのを見越して、仕込んだわね。さすがは私の副官。本当頼りになる。
「カリスラントは戦争に勝ちましたが、現実の状況はそんなによろしくありません。被害が大きい北部地方の復興、属国になったザンミアルとフォミンの安定化、まずはこの2つの課題に取り組まないといけません。帝国は軍を再編したら休戦協定を破る可能性もあります。しかも内海諸国は私達を過剰に警戒しています。こんな状況で迂闊に外征を始めるのは危険です。万が一泥沼に陥るような事態になったら取り返しが付きません」
うんうん、いいよいいよ!私が教えてもいいけど、一度生徒たちに答えてもらった以上、やっぱり生徒が自分で良い答えを出すのがいいね。
「我が国の現状の分析、大変よくできました。我々海軍の損害は極めて軽微だったから、みんなはこの前の戦争の被害を軽く見ていたのは仕方ないでしょう。でも実際はみんなが思う以上に戦争の傷痕が深い。それについては実家が北部の生徒に聞いてみるといい。よってカリスラントは当面国内事務に専念し、我々海軍は貿易ルートの安全確保が主な仕事になる。戦争前とそんなに変わらない。一応補足説明するが、武力をもって侵攻しなくても内海への影響力を強化することができる。『カービュレムの惨劇』以降ザンミアルは強硬策を諦め、経済と外交による侵食にシフトした。進展は非常に遅いが一定の成果はあった――」
さらに授業を続けて、伝えたいことが全部話したところで、ちょうど講義の時間が終わった。時間配分がうまくいった。前回は話したいことが多すぎて時間がちょっと足りなかった。
「終わった……ね」
「アンネ様。まだ時間があるので、もう少しここで昔のことを懐かしむのもいいですよ」
「うん。そうしようか」
生徒たちが次の授業を受けに行った。この場に残るのは私とファルナだけ。次の時間割にこの大講堂を使う授業がないから、私たちはこのまま一休みする。この場所には、たくさんの思い出が詰まっているから。
この大講堂は昔、サーリッシュナルの市民集会所だった。11年前、私がまだ8歳のとき、ここで私が船乗りと船大工たちを集めて新時代海軍のヴィジョンについて説明した。カリスラントのルーツは草原にある。昔は海への関心が薄かった。海にリソースを回すより北の宿敵アファンストリュへの備えをすべきというのは国の共通認識だった。あのとき海軍が保有する船はザンミアルから譲ってもらった廃棄寸前の古い戦艦四隻だけ。それだけでパトロールと訓練航海をやってたけど、機材と設備が悪いしノーハウもないし、うまく運用できるはずがなかった。だから私がこの講堂に立った瞬間が、カリスラントの海軍の始まりとも言える。
なぜ8歳の子供にそんなことができるのか、それは私に「地球」という別の世界の知識があるから。もしかして私はこの世界に転生した地球人かもしれない。地球で流行りの大衆娯楽文学にそんな話が多いね。しかし私に前世の自分に関する記憶が一切ない。前世の自分の性別、容姿、職業、家族構成……何もわからない。だから私は地球から異世界に転生したわけじゃないかも。ただ地球の知識が何故か私の頭の中に流れ込んだだけ。
地球の知識で何をしたらいいのか、幼い頃の私はずっと考えていた。最後出た結論は、私は探検がしたい。この世界にはまだまだ未知の領域がいっぱいある。私の航海に関する知識を使えば、他の大陸まで行くのはそんなに難しくないと思う。かつての地球にあった、あの激動の大航海時代を、この世界で再現してみる。
そうと決まれば早速動き出した私。まずは船の用意。カリスラントの海軍があんなひどい状態なのは逆に都合がいい。私の新型船はこれまでの常識と一線を画すから、何の知識も伝統もないほうが受け入れやすい。私が王女なのも幸運だった。地位と権力がなければ海軍計画をこんなに順調に進めることができなかった。王女があんなことをするなんてはしたない、と散々言われたけどね。私が自由に動くのを許してくれるお父様には感謝してもしきれない。
この大講堂の周辺はもともと何もなかった。海軍士官学校の設立から、増築と改築を繰り返して、この10年で大きく変わった。士官学校ができたばかりの頃は私一人で全部の授業を担当していたが、今はもう各学科にそれぞれ専任の講師がいる。これまで頑張って私の知識をみんなに伝えた成果だ。
ここにあるすべては、私が築き上げたと言っても過言ではないかな。
「しかし、今の授業の内容……彼らにはまだ早いんじゃないでしょうか?」
「どうしても必要なことだよ。でも確かに、ちょっと難しいかもしれないわね。ファルナが手を回してくれて、助かった」
「わたくしはただ、そういう流れになる可能性が高いから折を見て発言したらいいと教えただけです。あの娘は元々優秀だから入れ知恵しなくてもアンネ様が期待するような答えを自分で導き出せます」
事前に従妹と状況予測を共有したのか。確かに、私が拡張政策に反対する、というヒントを得たなら、答えにたどり着くのは難しくないね。
これまでは海軍戦力の構築が最優先だから、こういう戦略についての授業は後回しにした。戦争が終わって、カリスラントの国際関係に大きな変化が起きた今が戦略の授業を始めるいいタイミングだと思う。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」、かの戦争論にあった代表的な言葉の一つだ。だから軍人は政治と外交についてちゃんと理解しなければならない。でないと手段と目的を履き違えて、悲劇を引き起こしてしまう。
地球の20世紀以降、特にテクノロジー先進国の戦争ではそれがよく起きる。卓越の情報伝達と収集能力。優れた兵器。よく訓練された人材。効率的なロジスティクス。最初から戦力の差は歴然だから、戦場では常勝不敗。しかし数々の戦術的勝利で築き上げた最後の完成品は、戦略的敗北。実に馬鹿げている。そんな悲しい失敗を繰り返さないように、軍人たちには自分が戦場での行動が政治にどんな影響を与えるか、きちんと理解してもらわなければならない。
しかし一方、軍人が政治に興味を持ちすぎると、今度は軍人が内政に介入する危険がある。そのさじ加減は非常に難しい……まぁ私一人で考えすぎても仕方ない。私はもうすぐ本国を離れる。自分ができることはもう全部やったし、後のことはみんなに任せよう。
「そろそろラズエム=セグネールが帰港する時間です」
「じゃ、港に行こうか」
来週から私たちが乗る船を迎えに――
~~~~~~
本篇開始前の登場国の関係変化をざっくり整理すると
*カリスラント王国(陸の大国)とザンミアル=フォミン連合王国(海の覇者)は利害一致の同盟国だった
*アファンストリュ帝国は北の大国&カリスラントの長年の宿敵
*主人公アンネはザンミアル王太子の婚約者だった
*主人公が探検したいからカリスラントの海軍を急発展させた
*海上貿易のシェアを奪われ、このままではザンミアルは海の覇権を維持できなくなる
*アファンストリュを仲間に引き入れて裏切りの宣戦布告(婚約破棄付き)、そしてざまぁ
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