愛しの元婚約者が「筋肉カフェ」とかいう、いかがわしい(?)店を開いた件について

雨露 みみ

第一話


──愛しの元婚約者が『筋肉カフェ』とか言ういかがわしい店を開いた件について。


「議題は記載の通りだ。率直な意見を求める」


 目の前に座る友人……王太子であるリアム様に、私は議題を書いた紙を一枚ペラっと手渡した。


「いや、ツッコミ所満載すぎて、何から言っていいのか分からない」

「全て言え。でなければ、話が始まらん」

「はぁ。じゃあ言うけど議題の『愛しの元婚約者』の時点でおかしい。ラースから婚約破棄したのに矛盾してるじゃないか」


 

 私はラース・ベルガ侯爵令息。今年このシオンズ王国高等学院を卒業する予定の十八歳で、同学年であるリアム様の側近としての職務も持つ。

 幅広い知識と筋道の通った理屈で王太子を臣下として支え、これからも一番近い友人として生きていく。それが私の定めだ。


 そんな私だが、二ヶ月前に婚約破棄した。

 お相手は、私が七歳の時から婚約者だった二歳年下のクレア・ノワール伯爵令嬢。ふわふわとした白に近い金髪が砂糖菓子のように可愛くて、そのクリアブルーの瞳は晴天の空のよう。まさに天使と例えるのが相応しい彼女の姿を思い出すだけで、天に召される。


「尊い……」

「会話の途中で一人で勝手に思い出して昇天するの、やめてくれない?」

 

 お互いに本が好きだったので、よくソファーに横並びに座って一緒に読書をした。クレアが十八歳になり学園を卒業すれば結婚するのだと、疑いもしなかった。

 ……それなのに。いつしかクレアの青空の瞳は、私を映さなくなった。

 一緒に歩いていても、ふとした瞬間に視線が逸れる。それを問えば、クレアは「気のせいですわ」と……私から目を逸らした。

 だから。クレアの空から、お望み通り私は消えることにしたのだ。

  

「ラース、会話に帰ってきて」

「……気のせいなわけがあるかぁっ! こっちは七歳の時からクレアを見続けている、プロ中のプロだぞ!? 愛しのクレアのためならば、潔く身を引くに決まっているだろう!」

「落ち着けって。大体分かった。つまり、ラースはクレア嬢のことを思って意にそぐわない婚約破棄をしたんだな」


 リアム様は、一言えば十分かる男だ。普段から実に助かっている。


「それでも……婚約破棄を告げれば、縋ってくれるかとも思っていたんだ。しかしクレアは笑顔で婚約破棄を受け入れた」


 鈴の音のような声が「分かりました。さようならラース様」と残酷に告げる。そのシーンが頭にこびりついて離れない。思い出すだけで涙が止まらない。タオル一枚は余裕で濡らす。

 私はリアム様からスッと手渡されたバスタオルで涙を拭った。


「うんうん、よーく分かった。それで、筋肉カフェとは何だ?」

「私に婚約破棄されたクレアが始めた新事業らしい。何でも筋肉質な男達を商品とした……い、いかがわしい店のようで」

「へぇ。でも王都の一等地で、そんな店開けるか? 開店許可が降りないような気もするけど」


 リアム様の言うことはごもっともだ。だからこそ、噂が噂に過ぎないことを確認する必要がある。


「リアム様。ここはやはり国の風紀を守るためにも、今すぐ偵察に向かおう」

「いや、なんで俺まで行くことになっているのか謎なんだけど」



 その日の午後五時。私はリアム様と共に、噂の筋肉カフェの正面に立っていた。

 ここに私の知らないクレアの姿があるのかと思えば……怖い。

 二の足を踏む私の背中を、リアム様が思いっきり押した。長身でヒョロっとした体型の私は思わずバランスを崩して転びかける。

 

「なんでラースが怖気付いているんだよ。ほら、行くぞ」


 いつになくリアム様が立派に見える。やはりこの人は王になるに相応しい器の人だと思いながら、勇気を振り絞って店の扉を開いた。


「いらっしゃいませ! ようこそ、筋肉カフェへ」


 馴染みある鈴の音のような声が、私達を出迎える。


「あれ? ラース様……と、王太子殿下!?」


 驚いたような表情で私の前に舞い降りる天使──またの名をクレアという最愛の元婚約者。

 学園の制服の上からヒラヒラとした可愛らしいエプロンを身に纏い、最上級の可憐さで客を出迎える姿を見た私は、その場に崩れ去った。

 崩れる際に足が変な方向に曲がった気がするが、自分の足なんて構っている余裕はない。


 その後リアム様に支えられながら、クレアに半個室となった客席に案内された私達。どうやら他の客から見え難いよう配慮してくれたらしい。クレアは昔から何も言わずとも配慮の出来る女性だった。そんな彼女だからなのか、私に婚約破棄されたにも関わらず、気まずそうな様子は一切ない。

 メニュー表を開けば、一般的なごく普通の喫茶店だ。席を区切る衝立ての向こう側を覗いてみれば、我々以外にも客は入っている。今のところ筋肉要素は見当たらない。


「拍子抜けだな。調理スタッフ以外はクレア嬢しか見当たらないし、店名だけアレな普通の喫茶店じゃないのか?」

「……見てみろ。このメニュー表、隠されし裏メニューが存在する」


 私はメニュー表に意味深にかけられたカバーを捲った。すると、表紙と裏表紙にあたる部分に『夜限定メニュー』という文字が現れた。その意味深な文字列に、二人で一緒にごくりと唾を飲む。


「マジか……よく見つけたな」


 クレアは流行りの物語本を買えば、必ず表紙カバーを捲る癖がある。そこには夢とロマンが詰まっているのだと、かつて教えてくれた。

 視線で合図し合い、男二人で裏メニューの内容を確認しようとした、その時だった。店の入り口扉が開く音と共に、店内に黄色い悲鳴が響き渡った。慌てて少し腰を上げてそちらへ目をやれば、鎧を着た男達が見えた。


「何事だ!?」

「大丈夫、うちの国の騎士だよ。ほら、見覚えのある顔だ」


 リアム様の言う通り、第五騎士団の団長に……あとは彼の隊に属する騎士がちらほらと。どうして騎士が喫茶店なんて場所にやってくるのか。

 そんな疑問を抱えていると、クレアが小走りで彼らの元へと駆けて行った。その表情はかつて私に向けられていたのと同じような輝く天使の笑み。

 それだけでもう……十分すぎるほどの情報だった。 

 

「お待ちしておりましたフィル様。今日もよろしくお願いいたします」

「ああ、鎧を脱いで準備してくるよ。今日はどちらのレディーのお相手をすればいいのかな?」

「少し時間が早いので、夜限定メニューの販売がまだでして……申し訳ないのですが注文が入る時間までお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「私は構わないよ。おい、お前達。今日もクレアの指示通りに、行儀良くレディーのお相手をするように。報酬のノワール伯爵家ディナーご招待に気を取られて粗相をするなよ」

「「「了解しました隊長!!」」」


 騎士達は、客の女性達の熱視線を浴びながら店の奥に引っ込んでいく。


「おいラース。見てみろ、この夜限定メニューを。プロテイン入りミルクティーに、騎士のお悩み相談付きスコーン。こっちには騎士による筋トレ指導まであるぞ……何だこの喫茶店は。ド健全じゃないか」 

「クレアの想い人は、第五騎士団の団長フィルだったのか……」

「確かノワール伯爵領は農業が盛んで、料理も美味しいと評判。なるほどな……食事で騎士を釣って、その騎士で客引きしているのか。しかしそれにしては筋肉増強を目的としたメニューが多いような気もするが」

「フィルは確か二十五歳。九歳差か……少しばかり年が離れてはいないか? しかし血筋はマグナス伯爵家の次男坊。その年で団長を務めているのを加味すれば、決して悪くはない。侯爵令息で長男、リアム様の側近の私には劣るが、好物件だ……悔しい」

「……お互いに違う会話するのやめない? 俺、もうツッコミ入れるの疲れてきた」

 

 そうしているうちに裏メニューの時間とやらになったらしい。ソワソワとした様子で女性達が注文を済ませ、少しすると執事風の格好に身を包んだフィルらが颯爽と現れた。それだけで場の興奮度はMAXになる。優雅に茶を入れるその姿は、体つきから騎士とは分かれども、貴族らしい気品が滲み出る。

 他の騎士達もフィルを補佐するように、無駄の無い動きで出来上がった料理を各テーブルに運んでいた。ただしフロア中の筋肉から受ける圧は凄い。


「お嬢様、ご来店ありがとうございます。こちらご注文のセイロンティーです。……本日は相談事があるということでオーダーが入っておりますが、お伺いしても?」

「実は婚約者から体力の無さを指摘されてしまって……どうすれば改善できるでしょうか」


 耳を澄ませてみれば、どうやら女性客達の多くは騎士達に相談事をしているらしい。その内容は、健康面や体力面の話題が多く……前情報とは違い、至って健全な内容のようだった。

 

「あ……あの、フィル様! 私、ずっと貴方のファンで!」


 しかし中には告白めいた事をする客もいる。しかし女性客の一人にそう告げられたフィルは慣れた様子で、自らの唇に人差し指を当てる。そして少しだけ目を細めた甘い顔で囁いた。


「では……私の恋が叶うように、応援してくれるかな?」


 その後のフィルの会話内容は、周囲の女性客の悲鳴によってかき消されて聞こえなかった。それでも彼の視線を見ていれば分かる。……明らかに、クレアを追っていた。

 

「今日も騎士様達は素敵ねぇ……やっぱり男は筋肉が無いと見栄えがしないわ」

「そうそう。いくらお家柄が良くても、ガリガリじゃ……ねぇ」


 近場の席から聞こえてきた声で、思わず自分の体を見た。


「それにしても、クレア様とフィル様は並ぶと絵になるわ。騎士様に守られるお姫様みたい」

(違う。クレアは一人でも絵画となり得る美しさだ)

 

「婚約破棄された頃は沈んでいらっしゃったけど、お元気になってよかった。最近は模擬戦の観戦にも行かれるそうよ?」

(模擬戦? クレアは静かに過ごすのが好きで、そんなはずは……)

 

「では婚約破棄されて、良かったのではなくて? 毎晩フィル様と運動するのが楽しいと喜ばれてましたもの」


 ……何も言い返せなくなった。


「……ラース、気にするなって。色々想像してショックを受けるのはわかるけど」

 

 私は知らなかった。

 いつも私の横で静かに微笑んでいたクレアが何を考えていたのか。

 お世辞にも筋肉質とは言い難い婚約者を見て、どう思っていたのか。


 私ばかりが、ふわふわと可愛らしいクレアを堪能して……クレアの趣味趣向を理解してやっていなかった。

 情けない。七歳の頃からずっと見てきたのに、気がつかなかったなんて。

 

「私は愚か者だ。反省して行動を改めようと思う」

「……は? 待て、ちょっと待てラース!」


 私は立ち上がり、真っ直ぐにクレアの元へと向かった。そして膝を地面につけ、彼女の両手を握った。


「クレア、今まですまなかった。私は筋肉美の男に変貌を遂げてみせる!」

「え……?」


 真っ直ぐにこちらを見つめるクレアの瞳に浮かぶのは、間違いなく困惑であった。

 

 

 恐らく筋肉質な男が好みのクレアは、長年こんなヒョロりとした男の婚約者を務めて、さぞかし辛かっただろう。

 だから私は筋肉をつけ、今からでもクレアの好みの男になる。そしてもう一度私の元に帰ってきて欲しいと頭を下げよう。

 きっとクレアはフィルを選ぶが、それでもいい。

 ただ……彼女の趣味趣向を大切にしたい気持ちはあったのだと伝われば、それでいいのだ。

 

 これは──身を引くつもりでいた私の、最後の悪足掻き。

 

「というわけで、フィル。私に指導してほしい」


 私が注文したのは『騎士の筋トレ相談付きサンドイッチ』だ。その結果私のテーブルにはフィルがやってきて、顔面を引き攣らせつつ、サンドイッチの乗った皿をテーブルに置く。


「こうと決めたら手段は選ばないラースの事、尊敬するよ。普通はあり得ない人選だよね、フィル」


 リアム様は頬杖をついたままフィルに声を掛ける。フィルは、困惑しながらも一枚の用紙を私に差し出してきた。


「こちらが、筋トレ以前の基礎が全くできていない方にお渡しする、初歩中の初歩の改善メニューです」


 何やら言葉の端々に棘を感じるが、私はフィルから紙を受け取った。

 

「どれどれ……食事内容の見直し? 筋トレとは、何やら専用の器具を使ってするものではないのか?」

「ベルガ侯爵令息はそれ以前の問題かと。朝食は抜いて昼夜も簡単な食事で済ませていると聞きました。タンパク質にビタミン、糖類……栄養素が筋肉となるのに、それが欠けては話にならない」

「待て、フィルはどうして私の事をそこまで知っている?」

「……クレアが、そう話していたので」

「もうっフィル様! 私が言ったのは秘密にしてくださいと言ったのに!」


 私とフィルとの間を割って入ってくるクレア。小走りでやってきたせいか、押されたフィルが少し後ろによろける。


「しかしクレア。君から聞いたと言わなければ、私がベルガ侯爵令息の事を付け回している疑惑を持たれてしまう。私は君の好きな物語本の主人公にされるのはお断りだ」

「私だって『元』婚約者です……ラース様のことを気軽に話すことができる立場ではありません」


 そこでスッとリアム様が手を挙げた。

 その表情は王太子らしく、相手に拒否権を与えない笑みだ。


「事情が理解できたから提案……いや、王太子として命じても良いかな? フィルではなくクレア嬢。君がラースに筋肉についてのアレコレを教えてやってくれ」



 というわけで、何故かクレアが私に筋トレを教えてくれることになった。疑問は多々残るが、再びクレアと一緒にいられる時間が出来るのであれば、私にとっては万々歳だった。


 翌日。休日であるため午前中からベルガ侯爵家まで来てくれたクレアの格好は、まるで男乗りで乗馬をする時のようなパンツスタイル。私の婚約者だった時には絶対に見せなかったその姿を凝視していれば、クレアは困ったように苦笑した。


「ラース様のお好みの格好では無いですよね。普段はドレスで誤魔化されているのですが、私……骨格からして華奢なタイプではないので」


 言われてみれば、ドレスの時とは印象が違う。街を駆け回っている平民の少女のような健康的な印象を受けた。

 

「クレアはクレアだ。私がずっと一緒に過ごしてきたクレアに違いはない」


 いくら痩せていても、いくら太っていても。私より遥かに長身であろうとも、仮に人外であろうとも……私の天使に変わりはない。骨格がどうであれ、私の好きなクレアだ。


「きっとリアム様は、クレアが体幹のしっかりした健康的な女性だと気がついていて、私の指導者として抜擢したのだな。本当に私の観察眼はまだまだだ。……さあ、筋トレとやらを始めようか。まずは何からすればいい?」

「……そう、ですね。まずは怪我をしないように、筋肉を伸ばすストレッチからしましょうか」


 初めのうちこそ少々困り顔だったクレアも体を動かすうちに、徐々にその表情には笑顔が戻ってくる。

 しかし反対に、私からは笑みと余裕は消え去った。


「……ッハ! もう無理だ、クレア……ちょっと休……」


 侯爵家の外周をランニングの時点で、私の体力はゼロだった。

 私の前を走るクレアの一つに結んだ髪の揺れを拝む余裕があったのは初めの三分だけ。

 その後腹筋をするために足の甲の上に座って私のふくらはぎを抱きかかえるクレアが可愛すぎて、上体を起こす度にドキドキと胸を高鳴らしたのも、初めの四回だけ。

 もはやクレアを愛でる余裕はない。このままでは本当に天使に導かれてしまう。

 私はバタンと背中を地面につけ、荒い息を整えた。


「……ラース様。私、分からないのです。どうしてラース様は筋肉をつけたいのですか? 学業以外にもリアム様の側近として毎日お忙しいラース様は、こんな事をしている時間的余裕はなかったはずです」

「時間なら、リアム様に交渉しておいた。学業の方は、卒業に必要な単位は一年生の時に既に取得しているから、本来ならばそこそこでいいんだ。それよりも今の私には、筋肉の方が大事だ」


 クレアにもう一度振り向いてもらうためならば、手段は選んでいられない。


「よく考えてみれば、リアム様の近くにいる私にそこそこの力があれば、いざというときに守る事だって可能になる。側近としても、筋肉は無駄にはならない」

「……ラース様の馬鹿」

 

 クレアはその頬をプクッと膨らませる。拗ねた顔なんて滅多に見たことのないレア中のレアな表情なので、私はクレアの発言内容を素通りしてその可愛さに悶絶した。


「ラース様。地面で転げ回ってないで、そろそろお昼にしましょう? 私が作ってきましたから」

「クレアの手料理……!?」


 そんな物、婚約者だった時にも食べたことがない!


 ベンチの上に置いてあったバスケットを広げるクレア。しかしそこからは3センチほどの分厚さのある肉が挟まったサンドイッチが出てきた。喫茶店で出てきた物とは似てもつかないそのサンドイッチに、思わず目が点になる。


「鶏胸肉はタンパク質が多く、筋トレにはぴったりのメニューなのですよ」

「す、少し分厚すぎやしないか? 一切れ食べ切れるだろうか……」

「それはラース様が少食だからです。これくらいペロリと食べなければ! ほら、サラダもありますから召し上がってください」


 ……これも筋肉のため。私は死ぬ気でクレアの用意したメニューを平らげた。

 しかし、さすがクレアといったところだろうか。無茶苦茶なメニューに見えても、その味付けはあっさりとしており、胃もたれしがちな私でも食後に不快感を抱えることはなかった。


 そんなこんなでクレアの指導を受け続け一ヶ月。私の体には早速変化が現れた。見事腹筋が薄らと割れ始めたのだ。

 体格は相変わらずひょろりとしているが、筋トレの効果を実感出来ただけでも大きい。やってやれないことなど無いのだと、自信へと繋がっていった。


「クレア、ありがとう。君のおかげでトレーニングの効果が目に見え始めた」

「……そうですか。それは良かったです」


 しかしクレアは私の報告を喜ばず、そっけない態度を見せた。理由が分からない。

 ……いいや。クレアはリアム様に命じられて私の筋トレに付き合っていただけ。内心は、フィルとの時間を削られて怒っていたのかもしれない。


 そんな事を考えて気がそぞろになり、周囲への警戒心を怠ってしまった私は……リアム様と共に、何者かに攫われてしまった。



「……リアム様、申し訳ない。せっかくつけた筋肉も無駄だったな」

「いや、腹筋が割れた程度で劇的に何か変わるわけじゃないから。俺はラースの筋肉には何も期待していないよ」


 夜会の最中に私達は襲われた。気を失っている最中に後ろ手に縛られ、二人一緒に大きな木箱の中に閉じ込められたらしい。狭くて碌に身動きも取れやしないが、僅かな板の隙間から周囲を確認すれば、どうやら貨物の倉庫のようであった。天井の蓋を押してみるが、びくともしない。


(微かに感じる磯の匂い……ここは港か? ならば私達を襲った敵は、海を渡った対岸にあるモルダン帝国の可能性が高いな。貿易問題で我が国と対立が深まっているから、人質にする気だろう)


「でもラースの頭脳には期待しているよ。それで、どうする?」

「船に乗せられてしまえば逃げられる可能性が低くなる。男二人が入った木箱なんて重くて運搬が大変だろうから、乗船時には歩かされるだろう。逃げるならそのタイミングだ」

「どうやって逃げる?」

「生きて連れ去ろうとしているのを考えれば……あえて水の中に飛び込んでみるとか。幸いリアム様は泳ぎも得意だし」

「動揺は誘えるだろうけど、王太子に向かって縛られたまま泳げって言うのラースくらいだよ」


 そうやって小声で話していれば、倉庫の扉が開く音がした。木箱の蓋が開けられて、屈強そうな男に歩いて木箱から出るように指示される。私とリアム様は頷きあって、指示に従う。

 倉庫から出れば想定通り、大型の輸送船が泊まっていた。

 しかし予想外のことが起こる。


「モルダン帝国に居る母の病状が悪いのです! お願いします、私も船に乗せてください」


(クレア……!?)


 私がクレアの声を聞き間違えるはずがない。周囲を見渡せば、旅路を行くご令嬢のような出立ちのクレアが、船の乗組員に話しかけていた。


「気持ちはわかるけどなぁ……」

「母の最後に間に合わないと、私……わぁぁん!」


 クレアの空のような瞳から雨が降る。豪雨とも言えるような嗚咽混じりの号泣に、その船員は困惑していた。そして私達を誘導していた屈強そうな男に、確認をしにやってくる。……嘘付きのクレアを伴って。


(クレア、どうしてこんな危ない場所に……!?)


 長年クレアを見てきた私には分かる。このクレアの涙は偽物で、心が伴ったものではない。

 それでもその顔からは覚悟を決めたような強い意志を感じた。


 最悪の場合、リアム様とクレア、どちらを守るように動けばいいのだろうか。予想外の展開に戸惑っていると──


「──ごめんなさい」


 クレアは身を低くして、私とリアム様を誘導していた屈強そうな男の足元へと滑り込み、膝の裏目掛けてタックルする。まさか可憐なご令嬢が攻撃してくるなんて思ってもいなかった屈強そうな男は簡単にひっくり返った。そしてクレアはもう一人、自分の嘘泣きを信じた船員の顔を拳で殴り飛ばす。そしてその男の服を掴んで背中から抱え投げ、ひっくり返っていた男に向かって叩きつける。……男達はカエルの鳴き声のような音を出して、気を失ってしまった。


「……は?」

 

 あまりに衝撃的な出来事に言葉を失う。


「うん。クレア嬢、予想以上に強かったね」

「クレア! あれ程先走るなと言ったのに!!」


 そこへ騎士たちを伴ったフィルが到着する。フィルは即座にこちらへ駆けてくると、まずリアム様の身の安全を確保。縄を解きながら、クレアを睨みつける。


「私がやった方が、相手も油断していますから簡単に事が済みます」

「そうかもしれないが、それは仲間が揃って準備が整ってから始めないと……!」

「だって、一刻も早くラース様を助けたかったんですもの」


 他の騎士たちが船の中へと突入していく中、クレアはなんでもないといった表情で、私の腕を縛る縄を解き始めた。


「クレア……?」

「バレちゃいましたね。ラース様のお好きだった、天使のような私は……幻なんです」



 私とクレアは、閉店後の誰もいない筋肉カフェで向かい合って話をした。


 リアム様と側近の私。私達はそれこそ婚約者と過ごすより長い時間を共にして、あらぬ物語の主人公らにされた事だってある。だから婚約者でありそのような物語本が好きだったクレアは……リアム様に嫉妬していたらしい。

 どうすればリアム様の側に寄り添う私の近くに居られるか。それを考えたクレアは……まさかの女騎士を目指した。


「将来王太子妃になるお方の護衛になれば、側近であるラース様の近くに居られると思ったのです。でもラース様は、守ってあげたくなるような可愛らしい子が好き。だからこそ私は、ラース様の前では体型が隠れるようなドレスで誤魔化しながら、女騎士を目指したのです。矛盾しているのは理解しています。でも、嫉妬心が抑えられなかったの……!」


 その結果、クレアは女性騎士団が出来るまでの間、第五騎士団に仮入隊することが決まった。しかし気まずさから徐々に私を直視できなくなり、その意図を勘違いした私によって婚約破棄されてしまう。

 そんな時、団長であるフィルから提案されたという。「女性に筋肉の良さを広める場所を作って、女性騎士団の仲間を自ら作ればどうか」と。


「それがこの筋肉カフェだったというわけか」


 だから筋肉増強メニューを置いてあったのだ。

 私は誰も居ない店内をぐるりと見渡してから、気まずそうに下を向いたままのクレアに話しかける。


「クレアは……私を嫌いになったのではなかったのだな」

「ラース様の欠点は筋肉が皆無な事。だから私は何年もかけてそれを補える立ち位置を目指したのに、突然筋肉をつけたいだなんて言い出して……! ラース様が筋肉ムキムキの完璧人間になったら、リアム様との間に割って入れないじゃないですか!」


 酷い……とこぼすクレアの瞳から流れるのは、本物の涙だった。

 長年彼女を見続けてきた私には、クレアの主張が何一つ偽りの無いものだと分かる。


「私は……空回りするほどに人のことを考え動く優しいラース様が、好きだったのに」

「私だって、それなのに意にそぐわない筋トレ指導までしてくれたクレアが好きだよ」

 

 私は彼女の両手を取って、握りしめる。


「クレアはてっきりフィルの事を好いているのかと思っていた」

「まさか。フィル様は私の兄の親友で、お互いに昔馴染みなだけです」


 フィルの抱く気持ちがクレアと同じかどうかは知らないが……それはもう、どうでもいい。

 

「もう一度婚約者になって欲しい。どんなクレアであっても、昔からずっと大好きな……クレアに違いないよ」


 天使の微笑みを携えたクレアが、私にタックルするかのように飛びついてきた。

 当然私達は一緒に床にひっくり返る。尻餅をついて、少々痛い。それでも、その晴れ渡った青空の瞳には、幸せそうに笑う私の姿が映った。

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愛しの元婚約者が「筋肉カフェ」とかいう、いかがわしい(?)店を開いた件について 雨露 みみ @amatuyumimi

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