出発
夏休みに入って三日目。家でごろごろしていると、スーツにサングラスという如何にも特殊な仕事をしていそうな雰囲気の外国人二人組が家にやって来た。
一人は角刈りの黒髪。
もう一人は金髪のオールバック。
どちらもがっしりとした体型で、一目で只者じゃないとわかった。
年齢的には、オールバックの方が若そうだった。
彼らは交互にこう言った。
まずは黒髪。
「おめでとうございます。お宅のお子さん、有間春信(ありまはるのぶ)くんが学力強化合宿のメンバーに選ばれました」
次に金髪。
「つきましては、これより一週間、そこのハルノブくんを私共の施設でお預かりさせて頂きます」
「合宿に掛かる費用は全てこちらでお支払いいたします。更に、ご両親にもそれなりの謝礼をお支払いいたします」
「そういうわけです。そういうわけだから、出発するぞ。シャーペンとか消しゴムとか、そーいう筆記用具をそのダサいスウェットのポケットに突っ込んだら、それでオーケーだ。行くぞ、ハルノブ」
何がオーケーなのかまるでわからなかったし、オールバックの方のあまりにもフランク過ぎる口調に驚いていたのだけど、僕は言われるままダサいスウェットに手近にあったシャーペンと消しゴムを突っ込んでいたし、そのまま人攫いに使われそうな大きなボックスカーの後部座席に乗り込んで「行ってきま〜す」と呑気に手を振っていたし、両親も両親で「勉強頑張るのよ〜」などとのんびりとこちらに手を振っていた。
角刈りが運転席に乗り込んだ。
オールバックが助手席に座った。
車が発進した。
僕も両親もにこやかに手を振り続けていた。
その間、運転席と助手席の男二人はずっと話をしていた。
「おい、A。お前、さっきのは何だ? いくら記憶をどうとでも出来ると言ってもあれはよくない対応だ」
「魔法で記憶をどうとでも出来るんですから、俺がどういう態度でいても問題ないでしょ」
大の大人、それも見るからにファンタジックな要素とは無縁そうな彼らの口からいきなり魔法という単語が出てきて驚いたが、僕はまだ手を振っていた。
両親の姿が遠ざかっていく。
「それはそうだが、ここは礼儀の国だ」
「それが何だって言うんですか?」
「郷に入れば郷に従え。TPOに合わせた振る舞いをしろ。お前は高級レストランに後ろの少年が着ているようなスウェットで入るか? あんなみっともない格好で入らないだろう?」
「俺は高級レストランに行ったことがなくてですね」
「例えの話しだ」
「逆に聞きますけど、シモンさんは高級レストランとかに行くんですか?」
「偶にな」
「どういう理由で?」
「妻との記念日とか、そういう理由でだ」
「ふぅん……そうですか。なるほど。あんたやっぱりちゃんとした人なんですね」
「お前よりはちゃんとしている。それは間違いない」
「それは俺もそう思いますよ。……しかしまあ、それならちょっと謝っておきましょうかね」
「誰にだ?」
「後ろですよ。……おい! ハルノブくん! 今日は君にとって特別な日になると言うのに、そんなみっともない格好のまま出発させてしまってすまない! 後で適当に何か見繕っておくから、とりあえず今日のところはそのダサい服で我慢してくれ!」
「え? あ、はい」
反射的に返事をしたものの、僕はまだ手を振っている。
両親の姿はとても小さくなっていた。
「こんな誘拐じみた事を行った相手に対して敬語で返事をするとは……この国の道徳教育の水準はやはり高いな。素晴らしい。いつか私もこんな国に住みたいものだ」
運転席の男が感嘆のため息を漏らすのが聞こえた。
助手席の男の低い笑い声がした。
それからきっかり三秒後に不意に運転席の男が真剣味を帯びた声を発した。
「トンネルに入る」
「了解」
右か左か、後ろを向いている僕にはわからなかったが、ウィンカーを出す音がして、するといきなり辺りが真っ暗になった。
家族の姿が消えた。当然だ。角を曲がったのだから。しかしこの暗さはおかしい。夜の闇でもここまで暗くはならない。光がない。何も見えない。
こんなところにこんな真っ暗なトンネルなんてなかったと思うのだが……などと内心不思議に思っていると、光が戻ってきた。
「トンネル通過」
「トンネル通過確認」
やや安堵した空気感が流れた。
出し抜けに、運転席の男が口を開いた。
「自己紹介が遅くなって申し訳ない。私はシモンという者だ」
「え、あ……はい……? 初めまして……?」
「こっちはAという」
「エー?」
「アルファベットの最初の文字さ。A、B、C、のAだ」
「はぁ……アルファベットの……? そうですか……?」
そう言われても、僕はどう反応すればいいのやら。
困っていると運転席の方、シモンと名乗った男が言った。
「どちらもコードネームだ。我々の組織は、所謂秘密組織なんだ。映画によく出てくるような謎の組織だ。君くらいの若者ならコミックブックなど読んでそうだが……そういうのには詳しいのではないかな?」
「ええ、まあ……あ、いや、どうかな……最近は正体を隠さない組織とかも多いですし……」
「何にしても、君のやる事は一つだ。これから行くところで、女の子とお話しをしてくれたらいい」
「お話し?」
「女の子が君に色々と質問をする。君はそれに答える。簡単なお話しだ」
「……あの、勉強合宿というのは……」
「申し訳ないが、嘘だ。とはいえ、それなりの謝礼はさせてもらう。約束しよう」
「頭が良くなるお薬を注射するんだぜ。注射一本でそこそこの頭脳になれるんだから、悪くはないよな? 年齢制限がなかったら俺も一本打ちたいくらいだぜ」
Aと名乗った男の軽快な笑い声が車内に響いた。
僕は笑うべきかどうかわからず沈黙していた。
Aさん(依然として謎の二人組なのだが、年上なので呼び捨ては失礼だと思い、敬称で呼ぶ事にした。それが僕の住んでいる国の流儀だ)はそんな僕の反応を気にせずに喋り続ける。
「ちなみにだが、その女の子は……そうだな、君くらいの子供が好む言葉で言うなら、巨大人型ロボットのパイロットなんだぜ」
「え? ロボット?」
「お、目の色が変わったな。いいぞ、それでこそだ。男の子ってのはこうでなくちゃぁなぁ。ねぇ、シモンさん」
「そうでなければならないという事もないと思うが……春信君。今の話は真実で、我々はそのロボットでとある敵と戦っている」
「て、敵……?」
敵……そんな言葉は現実で初めて聞いたかもしれない。
この国は平和で、誰もが笑顔で暮らしている。
犯罪率は他の国に比べて驚くほど低く、貧困とも苦しみとも無縁で、他の国の戦争にも関わったりしていない。
徹底して不干渉を貫いていて、だから争いとは無縁だ。
君子危に近寄らず。そういう国だ。
敵なんていない。……この国には。
「敵と言われてもピンとこないだろうから、説明しよう。その敵というのは……わかりやすく言えば、地球侵略を目論む悪い宇宙人だ」
「は?」
なんだって?
悪い宇宙人?
「だからこれから君が見る光景、体験する出来事は全て地球防衛の為に任務の一環だと思ってくれていい」
「ち、地球の……防衛……?」
「スケールがデカすぎるよなぁ」
Aさんの笑い声を耳にしながら、酷く前時代的な言葉だな、と僕は思った。
確かとてつもなく古い映画とか漫画には、そういう……地球侵略を目論む悪い宇宙人との戦いをテーマにしたものがあるとそういうのに詳しい友達から聞いたことがあるけども……。
今となっては古い時代のエンタメでしかない。
嘘でも笑えない。
信じられないし、つまらない。これがそういう作品だとしたら、きっと今の時代に流行ることもないだろう。
唖然とする僕を置き去りにして、二人は会話を続けた。
「ほら、あの反応を見てくださいよ、シモンさん。いきなり地球防衛とか言ったら誰だってあんな顔になりますよ。思考停止寸前って顔ですよ、あれは。だから俺はロボットってところをアピールした方がいいって言ったんですよ」
「しかし、彼に与えられた任務についてはどこかで話さなければならない。私はそのどこかがここだと思っている。情報は出来るだけ早い段階で開示するべきだと考えているからだ。だからいつもこのタイミングで話している」
「これまでの相手はどういう反応をしてましたか?」
「後ろの彼と同じだ」
「ですよねぇ……それなのにあんたはここって思ってるわけだ」
「そうだ。この段階から、自らの役目に責任感を持つべきだと私は思っている」
「そうですか……まあとにかくそーいうことだから、地球の為によろしく頼むわ。ハルノブくん」
僕は頷けなかった。
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