第8話 対峙する『勇者』(前)



 貧民街の一角。


「廃棄場」と、そう呼ばれる場所。

 行き場のない事情を抱えた人物が辿り着く場所。

 エルナスはそんな者たちを貧民街へ招き、住居と食事を、そして仕事を与える。

 そうして、いつも通り「廃棄場」へと赴いたのだったが。


「なあババア。分かるだろ? その子供をよこしな。オレが慈愛の心を持って、その餓鬼の面倒を見るっていってんだ」


 まだ小さい、怯える子供を抱えるエルナス。

 相対するのは、赤髪の男――オーラム・ジュペインとその従者が数人。

 立場としては、明確だった。

 だがエルナスは、それには屈しない。


「駄目だね」


「こんな質素で汚え場所より、オレの方が絶対いいぜ?」


「そうさね。きちんと面倒を見るなら、あんたが正しい。けどもそうじゃないだろう? 目を見れば分かるさ」


 亜麻色の髪をくるくると巻いた少女は、エルナスの背にびっしりとひっついて怯えていた。

 少女はまだ幼く、自分の身に起きた事象を理解してはいなかった。


 けれど、オーラムを見て覚えたのは恐怖。

 子供ながらの直感が、本能で危険を訴えていた。



「はぁ……もういい。ここにも久々に来てみれば、なんだか活気に溢れてやがる。一丁前に薄汚え街の住人が目を輝かせやがって」


 オーラムは深いため息をつく。


「遅かれ早かれだ。その餓鬼にも役割を果たしてもらおうか」


 オーラムは拳を上げれば、空間から耳に障る擦過音が打ち鳴らされる。

 エルナスはそれを見て直感する。


 自分の身は、命はもう消え去るのだと。


 自分はただのしがない凡人だ、

 あの子なら、どうにかできたのかもしれないと。


 脳裏に、その少年の姿が浮かんだ。


 その時だった――


「そこまでよ……!」


 ふわりと、エルナスの体が浮いた。

 いや、腕の中に抱かれていた。


「なんだい、ラルカちゃんか」

「ごめんなさいね、私がしゃしゃりでちゃって」

「いいや、助かったよ。今ので居候の分は、きっちり返済してもらったね」

「それは良かった!!」


 ラルカはエルナスと少女を離れた場所へと置くと、オーラムに向き直る。


「ひさしぶり、でもないわね」

「おお、勇者のなりそこないじゃないかオイ! こんなところに隠れてやがったのか!!」


 打って変わって嬉しそうに、口角を上げる。

 ラルカはそれには取り合わず、侮蔑の眼差しを向ける。


「貴方は本当に救われない。これ以上、他人に手を出すな。貴方には懺悔することすら、許されていない」


 大事な人に手を出した以上、無事では帰らせないと。

 オーラムの方へと歩を進める。


 だが――


「貴方は……」



 騎士団長――レグルス・カインバードが割に入る。

 身の丈程の豪勢な大剣を構えながら、ラルカの前にそびえ立つ。


「オイオイ! 相変わらず向こう見ずなやつだな。あまり嫉妬してくれるなよ。この『勇者』様にな!」



 その背後で、ラルカを挑発するオーラム。

 だが湧くのは怒りでなく、目の前の人物に対する悲しみ。


「いいんですか? そんな男の言いなりで……」


「間違っているのは貴様だ!! この不届き者が……ッ!」


 瞬間、勃発する。

 男は大剣を大きく薙ぐ。


 それに対して、ラルカが選択するのは避けに徹すること。

 決して、抵抗はしない。


「貴方は立派な志を語っていたじゃないですか。かつて私を、鼓舞してくれたじゃないですか!」


「黙れ悪人が! 『勇者』様が正義だ! 貴様はもう、禁忌を犯した! これ以上は、許されん……!!」


「それで諦めるほど……私は賢くないんです」


 ラルカの目に宿るのは闘志。

 逆境の中にあって、ギラギラと燃ゆる瞳。

 レグルスはそれを見て、無性に腹が立っていた。


 自分よりも更に悲惨な、どうしようもない状況で、なぜこの女は諦めないのか。

 その身に起きた悲劇を、理解できていないのか。


 この女は『聖痕』に選ばれなかった。『勇者』にはなれなかった。


 それなのになぜ、希望に満ちた目をしているのかと。

 癪に障る。許しがたい感情が渦巻いていく。


 この女を否定したい。

 そう心から思い、体が動く。


「黙れ黙れ黙れええええええええ!」


 咄嗟に――。

 膂力に任せ、大剣を放り投げる。

 目の前の少女を確実に、粉々に打ち砕くために。


「嘘……」


 ラルカは呟く。


 その剣を避けた先にはエルナスが。

 腕に抱かれる、まだ小さい子供がいる。


 避けるのは不可能。

 ただ、受けたらどうなるのか想像もつかない。


 ――死ぬ、かもしれない。


 ラルカの戦闘スタイルは、避けに徹して隙を突くこと。

 掠り傷すら疎む刹那で生きるために、研いできたこの体。


(この期に及んでできうることが、ただ祈るだけなんてね)


 持てる限りの全力を以て、その瞬間を前に目を瞑る。

 だが、衝撃が襲うことはなかった。


「何がどうだかわからんが、お前は許さない」


 大剣はその場で、見るも無残な鉄塊へと変わり果てたのだから。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る