第4話 陰毛

 心臓が胸の辺りからドキーンドキーンと飛び出しているトムとジェリーのことを思い出す。

 誰が考えたかわかんないけど、あの表現は天才的である。なんの説明も無しに、映像だけで緊張しているのがわかる。

 今のぼくもトムとジェリーのように心臓が飛び出しそうだった。飛び出した心臓が床に落ちないように胸を抑えて、とりあえず床に座った。


 緊張を和らげるために思いっきり、息を吸う。アイリの部屋の匂いを吸ってるんだ、と思ったら、なんかエッチなことをしているような気がして、深呼吸をやめた。


 床に手を付けた。

 ナニカが手に絡むような感触がして、手を見ると人差し指と中指の間に毛が絡まっていた。

 毛か、と思って床に捨てようと思ったけど、よく見ると縮れていて、これはどこの毛なんだよ? と疑問に思ったら、エッチな妄想をして、捨てるに捨てれなくなってしまった。


 毛を見つめているとガチャと扉が開く音がして、慌てて毛をポケットに入れてしまった。

 罪悪感と、秘宝を盗んだ高揚感があった。


 彼女はお盆を持って、コップのお茶を溢さないように慎重に入って来た。

 ぼくは立ち上がり、彼女のお盆を持つ。

 慎重になるほどお茶がなみなみに注がれていて、お盆には小袋に入ったチョコやクッキーも置かれていた。


 盆を受け取った後、ぼくも慎重に移動した。

「机に置いたらいい?」

 とぼくは尋ねた。


 うん、と彼女が言う。

「慌ててお茶を入れたら、入れすぎちゃって」

 とアイリが言った。

「慌てる?」とぼくは尋ねた。

「ツトムが変なモノ触ってたらイヤだな、って思ったら慌てちゃって」とアイリが言った。


 ぼくのポケットにはアイリの陰毛が入っている。

 ぼくはコップのお茶を少しだけ溢してしまった。小袋に入ったお菓子にお茶がかかった。


「ごめん、少しだけお茶こぼしちゃった」

 とぼくが言う。


「変なモノ、触った?」

 とアイリが尋ねた。


 ぼくは盆を机に置く。

「変なモノって?」

 とぼくは震える声で尋ねて、ポケットを触れた。


「なんか取ったの?」

 とアイリが尋ねた。


 陰毛、陰毛、陰毛と頭で音頭が鳴り響く。


「なんも」

 とぼくは言った。


「コラ、返しなさい」

 とアイリが言って、ぼくのポケットに手を突っ込んだ。


 陰毛をポケットに入れたことがバレてしまう。

 ポケットの中に手を突っ込まれて、感じたことがないぐらいザワっとした。


「なんも入ってないじゃん」

 と彼女は言って、別のポケットにも手を突っ込んだ。

 盗んだ秘宝は毛だからバレなかったけど、後ろから両ポケットを両手でツッコまれている。


「やっぱり、なんか隠してるじゃん」


「あっ、……」

 とぼくはしゃがみ込んだ。

 アイリはぼくの後ろにしゃがんだ。

「それ、違う」


 彼女はポケットの中のモノを取ろうとする。実際には、それはポケットには入っていなくて、さらに下の生地、そのさらにパンツの下にある、ぼくのイチモツだった。しかもポケットに手を突っ込まれて、ザワっとして硬くなっていた。


「……ごめん」

 と彼女が言って、ポケットから手を離す。


 恥ずかしい、死ぬ。恥ずかしい。なに触られたの? 死ぬ。もうお嫁に行けない。いや、男だからお婿か? そんなことはどうでもいい。恥ずかしくて死んでしまう。 


「ツトムが変な行動するから」とアイリが言った。「しかも勃ってるし」


 恥ずかしくて頭の中心からマグマが飛び出しそうだった。

 

「……帰る」とぼくは言って立ち上がった。


「ちょっと待って」

 と彼女が言って、ぼくの足首を掴んだ。


 それでもココから早く逃げたくて、足首を掴まれているのに、アイリを引きずって扉に向かって行く。でも重たくて立ち止まった。


「待って」

 とアイリが言う。

「その、変なモノを触ったことは謝るから」


「もうお嫁に行けない」

 とぼくは熱い顔を両手で隠して言った。


「そんなことでお嫁に行けなくならないよ。ちょっと座って」

 とアイリが言う。


 彼女が平然としているから、イチモツを触られた事件は意外と普遍的なことなのかもしれない、とぼくは思い直す。

 座るように促されて、ぼくはアイリの隣に座った。ベッドを背もたれにする。


 座ったのはいいものの、何を喋っていいかわからず少しの沈黙。彼女はあぐらをかいて、盆に乗っていたチョコの小袋を取って、開けた。

「チョコ食べる?」

 とアイリが尋ねた。

「いらない」

 とぼくは言った。


 彼女はチョコをモグモグと食べ始めた。

「お母さん夜勤じゃないの」

 とアイリが言う。

「もう帰って来るの?」

 とぼくは尋ねた。

 母親が帰って来るんだったら、それを理由にぼくも帰ろう。アレを触られて恥ずかしくて逃走したい。だけどアイリと一緒にいたい。ぼくの乙女心は複雑で、何か理由があれば帰るし、ココにいる理由があればココにいたい。


「もう長いこと帰って来てな〜い」

 と彼女が笑いながら言った。

 その笑い方は、少し泣きそうな感じだった。

「あのババァ、離婚してから彼氏作って、今は別のところに住んでる」

 と彼女が言って、また笑った。

「いいでしょ? この家はアイリの帝国なの」

「いつから?」

 とぼくは尋ねた。

「中1の時だから、3年ぐらい」

「大丈夫?」

 とぼくは尋ねた。


 1人ぼっちでブランコを漕いでいたアイリを思い出す。

 両親が離婚してほしくなくて、彼女は1人でブランコを漕いでいたのだ。


「大丈夫なわけないじゃん」

 と彼女が言った。

「ツトムがアイリを遠くまで連れて行ってくれなかったから、1人ぼっちになったじゃん」

「……ごめん」

「今のは言いがかりだよ」

 とアイリは言って笑う。

「ツトムはアイリのことが嫌いなんでしょ?」

「そんなことないけど」

「喋ってくんないじゃん」

「恥ずかしくて喋れなかっただけだよ」

「なにそれ。キモい」とアイリが言った。

 彼女は机に置いていたチョコの小袋を取って開けて、モグモグと食べた。

「初めて人に言った」とアイリが言う。「1人ぼっちになったこと」

「先輩には?」

 とぼくはつまらないことを尋ねてしまった。

 今は先輩のことはどうでもいいのに、ずっと彼女が誰かの恋人であることを意識してしまう。


「先輩には言えるわけないじゃん」

「どうして?」

「……言いたくないもん」

「先輩、どんな人?」

「カッコ良くて、サッカー部のエースで、女子から人気があって、すごいモテモテで……」

 と彼女が言う。

 ぼくには敵わない。

「そっか」とぼくは言った。


 そしてぼく達はしばらく黙ったまま、床を見つめたり、手を見たり、髪をかいたりした。彼女の方を見ると視線があって、ぼくだけが目を逸らす。

 彼女は指でツンツンとぼくを触ってきたけど、やめろとか言えなくて、されるがままに指ツンツンされた。


「自転車乗りに行こう?」

 と彼女が唐突に言い出した。

「なんで?」

「いいじゃん」

 とアイリが言う。

「次は遠くまで連れて行ってよ」

 とアイリが言った。

 うん、とぼくは頷いた。


 自転車になった。

 彼女はぼくの後ろに乗って、次こそは遠くに行こうと思って一生懸命に自転車を漕いだけど、外は暗くなって、思っていたよりも寒くて、ブラザーを着ていない彼女に、ぼくのブラザーを着せてあげたけど、次はぼくが寒くなって、「やっぱり帰ろう」とアイリが言い出して結局遠くに行けずに帰って来てしまった。


 その次の日には、またぼくは彼女に話しかけれなくて距離をとってしまう。この距離はぼくが作っているもんだろうか? アイリと喋りたい、と思うのに、なかなか喋りかけることはできなかった。

 そして期末試験があって、短縮授業になって、アイリが先輩と一緒に帰っているのを目撃してしまった。ぼくの胸が悪魔に踏みつけられたみたいにギューっと痛くなる。

 先輩は背が高くて、女子から人気が高いだけあってイケメンで、ぼくがいくら頑張っても敵う相手じゃなかった。

 だけどアイリはぼくに気づいて、先輩から一歩だけ離れて、彼氏にバレないように小さくぼくに手を振った。






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読んでいただきありがとうございました。

カクヨムコンテスト10の短編部門に投稿した作品でござます。

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短編だったり、長編も連載を開始する予定です。もしよろしければ読んでみてください。



『しずかちゃんが入浴中にお風呂場にワープしてきたんだが』

https://kakuyomu.jp/works/16818093090066734183

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天野アイリは寝取られたい お小遣い月3万 @kikakutujimoto

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