別れの雪

神代ちづか

第1話

最初から叶うわけのない恋だった。


彼……ハロルドは、この地域を治める領主の次男だ。

王家とも繋がりのある貴族だ。

生まれた時から、今の第三王女への婿入りが決まっている。


だから平民である私には、望みがない。



でもルミアだって平民なのだ。

お金持ちの商家のお嬢様。

せいぜい中の下くらいの鍛治屋をやっている、私の家とは格が違うが、それでも平民だ。


ルミアは綺麗な金髪の女の子。

茶色の癖っ毛で、まとまりの悪い私の髪とは違う。

よくボーッとしてると言われる私と違い、明るくはつらつとした女の子。


彼とルミアが惹かれ合っているのは、多分みんなが気付いていた。

彼の髪は、ルミアよりもっと明るい白に近い金髪で、二人は並ぶと本当にお似合いだった。

二人が平民同士だったら、周りから祝福される夫婦になっただろう。


でも彼は、第三王女の許嫁。

どうにもならない。



私が彼と話した事があるのは、たった一度だけだ。

去年の年末の、冬至祭のマーケット。


この季節は、朝9時過ぎにようやく日が昇る。

マーケットは、冬至をはさんで前後10日間。

まだ暗い、朝8時くらいから準備を始める。


周囲には雪が積もっていて、空からはふわふわと雪が舞っていた。


私はあの日、マーケットで店番をしていた。

我が家では、毎年あまった材料でアクセサリーなどを作ってマーケットに出すのが恒例だった。

私と弟も、ちょっとした物を作り、交代で店番をして、ちょっとした小遣い稼ぎをした。



彼は、ルミアや他に仲のいい男女数人でマーケットを回っていた。

彼とルミアは、人前では決して二人切りにはならない。


日が一番高く昇るお昼頃、彼のグループが、私が1人で店番している所にやってきた。

この季節は、昼でもぼんやり薄暗い。



「カチアちゃん」

最初に話しかけてきてくれたのは、ルミアだった。


私とルミアは、特別仲がいいわけでもなかったけど、ルミアは明るい子だから、こうやって気さくに声を掛けてくれる。


「店番してるんだ。大変だね?」

ルミアと女子数人が寄ってくる。

「かわいいね。一つ買おっかな?」

ルミアがそう言うと、他の女子も「私も、私も」と言い出し、いくつか売れた。



「カチアさん」

彼が言った。

名前を呼ばれたのも初めてだった。

彼は周りに合わせただけで、私の名前なんか覚えてもいなかったと思う。


「僕にも一つもらえるかな?」

彼が手に取ったのは、私が作ったアクセサリーだった。

余った材料で作った銀色のシンプルなブローチ。


私が作ったものを選んでくれたのは彼だけ。


でも、そんな事言えなかった。

ただ「ありがとう」とだけ返した。

お代を受けとる時に、指先がほんの少しだけ触れた。


「ハル、 それ誰かにあげるの?」

ルミアが彼を覗き込んで言った。


ルミアは、いつも彼を愛称で呼ぶ。

私はもちろん、名前を呼んだ事すらない。


「妹にね」

彼は笑ってルミア言うと、アクセサリーを大事そうにハンカチに包んだ。

その仕草がなんだか、上品で綺麗だと思った。


彼が去っていく後ろ姿を見ながら、冷たい空気を吸ったら、胸が酷く痛んだ。


たった一度の会話すらも、ルミアがきっかけだったのが、なんだか虚しかった。


今年、第三王女が15歳になり、彼も王都に行く事が決まった。

新年の祝賀会に合わせて、婚約者として御披露目するらしい。


雪が深くなる前の、11月の初めには行ってしまう。

今年の冬至祭のマーケットに彼は来ない。

ここより遥かに南にある、遠い王都に行ったら、もう会う事もない。




彼が旅立つその日、学校では冬休みの前の大掃除が行われた。

雪深いこの地方は、冬休みが長い。


彼は隣のクラスだが、情報は私の耳にも入ってくる。

彼は午後に立つらしいが、準備があるのか学校には来なかった。

彼と仲のいい男子達は、昼休みを利用して、彼に会いに行くらしい。


私と同じクラスのルミアは、彼の事は何も話していなかったし、周りの人も、彼の話題は振らなかったようだ。


ルミアはいつもと変わらないように見えた。

明るくテキパキと掃除をして、友達と楽しそうに談笑している。


私ときたら、苦手な級長に「カチア、ボーッとしないで!」って言われるし、

友達からも「今日元気ないね。どうしたの?」とか「顔色悪いよ。寝不足?」とか言われてしまった。


確かに昨夜は眠れなかった。

でも私は、そんなに気持ちが顔に出るんだろうか?


ルミアは全然、顔に出ていない。


つらいのはルミアの方のはずだ。

私は完全に蚊帳の外。

恋を失ったのはルミアのはず。

私なんて、失恋というのもおこがましい。


こんな時に、つらさを押し殺して普通にしてられるから、

彼はルミアに惹かれたんだろう。

彼が平民だったとしても、私じゃダメだったんだ。


昼休みの終わり頃、ハロルドに会いに行った男子たちが帰って来た。

ハロルドは昼過ぎには旅立つらしい。

そろそろ雪が積もり始める峠を避けて、下の道を行くそうだ。

馬車で行くなら、そうなるだろう。


山の上の道を通っていけば馬車に追い付けるかも、なんて何となく考える。

しかし追い付いたところで、私には何も出来ない。


ルミアなら何か出来るかもしれないけど。


男子たちの会話を、素知らぬ振りして聞きながら、目でルミアの姿を探した。


ルミアは、教室にはいなかった。

男子たちの話を聞きたくなかったのかもしれない。




学校は、その日は三時までで、今にも雪が降りそうな空の下、ため息をつきながら、家路に着く。

一歩踏み出す度に、胸が痛んで仕方がない。

この地方の冬の夕方は早い。

もうすぐ日が暮れてくるだろう。



「おかえりカチア」

家に着くと、お母さんが、声をかけてきた。

「そういえばさっき、ハロルド様の乗った馬車、通って言ったよ」


母の何気ない言葉に、一瞬、心臓が跳ねた。

お母さんが、私の気持ちなんか知るわけないのに。


「今頃?昼過ぎには出るって聞いたけど」

私は、わざと顔を上げずに聞いた。

「旅立つ時に色々と形式的な儀式をやって、手間取ったらしいのよ。王女様への婿入りも大変よねぇ」

母は、のんびりした口調で言う。

「豪華な馬車だったよ。護衛もたくさんいたし」


暖炉には、暖かな火が燃えている。

豪華な馬車に乗り込む、彼の姿が脳裏に浮かぶ。

様になってるんだろうな。

少し緊張した顔で、明るい金髪を揺らして、新しい人生に踏み出していく。


暖炉の前の椅子に腰掛けて火を見つめると、なんだか妙に神秘的に見えた。

胸の奥に、重い塊が落ちていく。


王都なんて遠いし、多分私は行く事もない。

行ったとしても、王族になった彼になんか会えないだろう。


もう顔を見る事もできないんだと思うと、苦しさが押し寄せる。



さっき通ったばかりなら、まだ追い付けるかもしれない。

一度、あきらめた希望が頭をもたげた。


何も出来なくても顔だけは見られる。

山の中腹の崖の上からなら、馬車の邪魔をする事なく、彼の顔を見られるだろう。

ただの自己満足でしかないけど、でも。


もう一度、顔が見たい。




「お母さん、私ちょっと出てくる」

防寒着を着直しながら、母に言った。

「え?どこに?もうすぐ日暮れだよ」

母は不思議そうに聞き返してくる。

「薪取ってくるよ!」

私は、そう言って無理に笑った。

「薪?まだあると思うけど……」

不思議そうな母の声をバッグに、家を飛び出した。




家の横の厩舎で、馬を一頭連れ出した。

この辺りの人は馬に乗れて当たり前だ。

私だって乗れる。

正直あんまり手綱さばきが上手いわけではないけど。


それから松明に炎を灯した。

もうすぐ日暮れだ。

灯りなしには馬は走らせられない。


それから馬に跨がり、松明を掲げて駆け出した。



痛いくらいに冷えた空気。

吐いた息が白くなる。

夜空は澄んで、星が綺麗に見えた。


森の中を走り、湖の周りを駆ける。

夜空を切り取ったように、水面に月が映っていた。



松明の明かりに、影が飛ぶ。

松脂の匂いが、鼻の奥についた。


山道を登り始める。

この地方は平地が多く、山といっても、それほど高くない。

10分もあれば目的の崖に出るはずだ。


山の上は、少しだけどもう、雪が積もっている。

雪を避けるように、馬を操った。



私がハロルドをきちんと知ったのは、中等学校に上がってからだ。

もちろん領主の息子なので、名前と顔くらいは知っていた。

でも幼年学校は別だったし、割りと綺麗な顔の大人しそうなお坊っちゃまという印象しかなかった。


中等学校に入ってからも、彼とはクラスが違い、ほぼ私が一方的に知っているという関係性だった。


彼は、顔はまぁ綺麗な方だけど、特別華やかなわけでもなくて、雰囲気は地味目な方だと思う。

それでも不思議と友達は多かった。

もちろん『領主の息子だから』と近づく人もいたけど、そういう人はうまく避けられ、すぐ離れていった。


大人しそうなのに、人付き合いをそつなくこなす姿に、なんとなく好感を持った。


中等学校に入学して一月程にあった五月祭。

彼は、いつもの地味目で無難な服装ではなく、領主の息子らしい、明るい青色の正装だった。


なんだか、すごく様になっていた。


そこで「ああ好きなんだ」と気付いた。


それからというもの私は、彼の事を忘れた事は一秒もない。


学年が変わって隣のクラスになって、週に2度の合同授業があったけど、

それでも口をきく機会はこなかった。


何故か私と同じクラスのルミアといい感じになっていくのを、ただ見ているしかなかった。



彼が第三王女の婚約者じゃなかったら、よくある初恋でしかないんだろう。

きっとルミアとのお似合いカップルを見ながら、普通の失恋の痛みに涙して、

やがて青春の思い出になったんだろう。


二人の悲恋を、微妙な距離から見つめて、失恋と言っていいのかもわからない痛みに、喘ぐ必要もなかったんだろう。





崖に着いた。

ここからなら木立の間から、馬車が通過するのが見えるはずだ。

冷たい風が、下から吹き上がってくる。


まだ馬車は通り過ぎてはいないはず……!



程なくして遠くに馬車が見えた。

母の言った通り、本当に豪華な馬車だった。

青をベースに、黄金の縁取り、金の飾りがたくさん付いている。

月明かりに金の飾りがキラキラと映えた。


ランプの明かりで、馬車の中は明るい。

ハロルドの横顔がはっきり見えてきた。

五月祭の時と似た、青色の正装をしていた。



松明の明かりが、目に入ったんだろうか?

彼は不思議そうな顔でこちらを見上げていた。

私だって気づいたかな?


ごめんね、ごめんねハロルド。

もしここに立っているのがルミアだったら、あなたにとって一生忘れられない思い出になっただろうに。

死ぬまで胸刻み込む大事な思い出になっただろうに。


そこにいたのは、ほとんど話した事もない同級生で、「あの子、あんなとこで何してんだろ」くらいで、

きっとすぐに忘れるね。


私には一生忘れられない思い出だけど。



馬車の灯りが遠ざかって行く。

もう二度と彼に会う事はないだろう。


冷たい大気に、目頭が熱い。

それが頬を伝って流れてくる。

雪がちらちらと舞ってきて、松明の灯りに、やけに幻想的に映った。


なんで私は彼にとって、ただのよく知らない同級生なんだろう。


答えはわかっている。

何もしなかったからだ。

よく考えたら私自身も、彼の事を詳しく知っているわけじゃない。


でも、私には何も出来ない。

ルミアみたいにはなれない。

そんな勇気ない。

でも、それでも……。



せめて悲恋の相手になりたかった。




カチアは、この年30歳になった。


カチアは、中等学校を卒業した後、地元の高等学校に進学した。

そこも卒業した後、父の鍛冶屋の仕事を手伝うようになった。

やりたかった仕事というよりは、他に出来る事もなかったから、という消極的理由だった。


弟は結婚が早く、妻と子供と近所に住んで、実家に通ってくる。


父の跡継ぎは弟。

性差というより普通に能力差で、皆がそう認識している。

カチアは、本当にただの手伝いだ。




季節は11月に入り、外には雪がちらついていた。



カチアがいつものように工房の掃除をしていると、

「カチアさん」

カチアより少し年上に見える大柄な男が、入ってきた。

「あ、サクさん」

カチアは、軽く頭を下げた。

「荷物、あちらに置いときましたから」

「いつも、ありがとうございます」


サクは、世話になっている炭焼き職人だ。

カチアは、サクが親の跡を継いで工房に来るようになってから、ひそかに彼が好きだった。

サクとカチアは、今は世間話をするくらいの関係性だった。


今日も「寒くなってきましたねー」といったような、当たり障りのない話をする。



「サクさん」

サクが顔を上げた。


「奥さん、具合どうですか?」

サクの妻は、もうすぐ2人目の子供を出産する。


「おかげさまで。おそらく今週中には産まれそうです」

サクは、はにかんで答えた。

「よかった。元気な赤ちゃんが産まれるといいですね」

カチアも笑顔で答えた。



カチアは帰っていくサクを、外に出て見送った。

ちらつく雪を見上げる。


この季節になるとハロルドを思い出す。



カチアはサクの妻の顔を知らない。

カチアより1つ下で、デザイン関係の仕事をしているらしい。

仕事の出来る立派な女性のようだ。


奥さんの顔を知らないから、あまり罪悪感もなく、彼を好きでいられた。


サクはなんとなくカチアの気持ちに気付いているような気がする。

それでいて、スルーしてくれているのだろう。

取引先だから、優しくしてくれているのだろう。


奥さんがいるから、カチアの気持ちに答えてくれる事はないし、

多分、奥さんがいなくても私は選ばれない。


少しだけ辛い。

でも、ある意味楽だった。


これ以上何も変わらないし、傷つく心配もないから。



カチアは、大人になったら人生の伴侶が見つかるものだと思っていた。

そして、頼りになる旦那様と子供に恵まれながら、ハロルドへの初恋を懐かしく思い出すのだと思っていた。

どこかで読んだ、少女小説みたいに。


でも、カチアにそんな存在はいない。

恋人すら出来た事はない。


当たり前のように、大人になるまでに何人か恋人が変わって、

最後には素敵な伴侶に出会えると思っていた。


でも、ただの一人も現れなかった。

というより、見つけ方がわからなかったのかもしれない。

悩みを乗り越えてまで、見つけたいとも思えなかった。


ボーッとした性格は何も変わらなくて、ずっとあの頃のままだ。

ハロルドの事もサクさんの事も、ずっと今現在という感覚で、何も変わっていない気がする。


ルミアは、カチアとは別の高等学校に進んで、結婚してこの町を出た。

今は州都にいるらしい。

一人っ子なのに、家を継がなかったのだ。


カチアは、悪く言えば流されて生きている。

よく言えば、穏やかでもある。


もっと若い頃は、これでいいのか真剣に考えたけど、

今はこれでもいいんだろうと思う。


最善ではないけど、たぶん身の丈にあっている。

無理せず生きる事は大切だ。


私は、ルミアでも第三王女でも、サクさんの奥さんでもないんだから。





ハロルドは妻と2人の子供と共に、実家への道を馬車で進んでいた。


空からは雪がちらついている。


今回の帰郷は休暇という事になっているので、お供は最小限だし格式ばった式典もない。

馬車も、飾りも付いていない一般的な物だ。

公式な帰郷と比べて、気楽な旅だった。


馬車が、ルミアの家の前を過ぎた。

この辺では、大きな商家だ。

ここを過ぎれば実家まで、もうすぐだ。


ルミアの家は、昔より少し寂れて見えた。

ルミアは結婚して州都に出たと聞いた。

相手はどんな人か、よく知らないが、家なんか気にしないのが彼女らしい。


やはり彼女が好きだった。

もう遠い思い出で、朧気にしか思い出せないのだけど。



その時、茶色の髪を一つにまとめた女性とすれ違った。


「あれ?あの子……」

ハロルドは、目を見開く。

「知り合い?」

子供の相手をしていた妻が、顔を上げて聞いてきた。

「昔の同級生。あんまり話した事なかったんだけど……」

ハロルドは、女性を目で追いながら答えた。


なんかあの子全然変わってないな。

学生時代からそのまんま来たみたいだ。



自惚れみたいだから口に出した事は一度もないけれど。


あの子多分、僕の事好きだったんだよな。

この町から出る時も、見送りに来てくれたし。


そういえばこの町を出たのも、このくらいの季節だった。


「名前はなんだっけ……ああそう、カチアさん」


空からは、雪が舞っていた。


fin

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