第10話 正社員と主任の証
取り合えず、ファイルの中から書類を取り出して内容を確認する。
取り出した書類の角を摘んで擦ってみたが、重なってはおらず、一枚だけの雇用契約書だ。社名部分も、責任者としての社長の名前も会社の現住所も一通りはきちんと揃って書かれている。
おや、表記されている文字列には専務の名前も入っているな。なんだか懐かしいような胡散臭いような、不思議な気分が心の内側に広がって行く。
専務とは、私が五年前にパートタイマーとしての入社面接を受けに来た時と入社初期の頃に数回会話を交わしただけで、ここ数年は顔も見ていない。
以前に社長から聞いた話では、専務は営業や交渉に集中している為、現場には殆ど出ずに国内のみならず世界中を巡るようにして仕事を取って来る役割に注力しているらしい。それが本当ならば、今はどこにいるのだろうか。
うちの会社では、時々専務がスカウトしたと思われる海外出身者の方がうちの会社にパートタイマーやアルバイトとして入って来て、すぐに辞めたり稀に残ったりするのを繰り返している。ちなみに、すぐ辞めてもその辞めた方からの個人的紹介でまた新しい人が入って来たりするのが日常だから、社長は基本的に去る者は追わず、な姿勢で働く人を受け入れている。以前辞めた人がしれっとまたアルバイトで戻って来るとか、繫盛期に短期契約で数週間だけ働きにやって来るとかいうのもよくある事だ。
逆に日本人には募集をかけてもあまり人が来ないという話も内輪では聞いている。そんな訳もあって、うちの会社は日本国籍保有者が割合として少ないのだ。
そんなことを考えながら、一読した契約書をもう一度ゆっくりと読み直す。
僅かに視線を上げてみると、向かいのソファに座っている社長は、いつもの顔で静かに待ってくれている。過去に資格試験を私に勧めた後で、毎回社長なりの解釈による大まかな資格の特徴と私に合った勉強方法や試験対策の注意点を教えてくれている時の表情に少し似ているようにも思えた。
就業時間や休憩時間なども必要なことは常識的な形で記述されている。
雇用形態の欄は「正社員」だ。
だが、しかし。
一番下にある署名・捺印の欄。
既に私の名前が書き込まれ、私の姓で捺印がなされているのは一体どういうことなのか。
私は、先ずこの部分から社長に問い質した。
「あの、色々細かい所を確認したいのですけれど、私、サインも捺印もした覚えはありませんよ。何で私のサインが入っていてハンコが既に押されているんですか」
詐欺とか文書の偽造とかそういうのに問われてしまう可能性が大きい事ではないのか。これでは。
しかし社長はむしろ嬉しそうな顔をして、さっきファイルと一緒に持ってきた小さな封筒の方を私に突き出す。
「そうだぞ、ハジメぇ、良いねぇ良いねえ、やっぱりお前は俺が見込んだ男だよ。それでこいつさ。受け取りな!!」
何が何だか訳が分からないのだが、普通なら不正やミスを問い詰められる状態に有る筈の社長が普段以上に自信満々で胸を張り、嬉しそうな顔と声で封筒をぐいぐいとこちらへ近づけて来る。もう、どう反応を返したら良いのか分からないまま、私は封筒を受け取った。
「開けてみな、ハジメ。良いものが入っているぜ」
社長の口調から伝わって来る自信は揺るぎない。
言われるままに封筒を開けて中を見ると、奥の方に黒くて長細い何かが入っている。そんなに重さも感じられないものだったから、取り出すために封筒の口を下にしてひっくり返し、その中身をもう一方の手の平の上に取り出した。
黒くて細長いケースだった。
「開けてみな、開けてみな。そのケースも開けてみな」
と社長が急かすので、空になった封筒の方はテーブルに置いて、ケースの側面についているシンプルな留め金を外して開いてみる。
中に入っていたのは、黒いシンプルな印鑑だった。
ケースの方には外出時にも使用するのに便利な小型朱肉部分も付いている。
印鑑を目に近付けて印面を確認すると、私の姓が刻まれている。
私が一通りその印鑑を確認して印鑑ケースに戻すと同時に社長は、どうだ嬉しいだろう、とでも言わんばかりの顔をして、
「あらためて、正社員化おめでとう。それが君の、主任の証だ」
と言い切った。
いや、社長、私の名義の印鑑を作って、勝手に私の契約書類に押したんですか。
企業と私の間で行われる契約を私が認めたという意味になる印鑑を。
それって明確に違法行為なのではないのですか、社長?
社長の正気を保証できるものなど、この世には何も無いのかも知れない。
【現時点のパラメータ】
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性別:おとこ
職業:商人(専務・営業)・たびびと
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caution!
・[設定されたパラメータ表記閲覧対象者の中心点から位置座標:圏外]
異世界転生?お断りします。当方は仏教徒ですので。 きのはん @kinohan
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