私のいじわるで、離れ難い先輩。

めの。

第1話


「先輩、言いましたよね」


 もう、どうでもいい。降りしきる雨も、ずぶ濡れになってしまった自分も、私の、どうしようもない、どうにもできない感情も。感傷も。



「……わすれさせて、くれるって」



 責めるように、泣きながら言う私に。先輩は。



「そうね」



 慣れているような手つきで、私の頬を撫でて、冷たいキスをした。



「家、行こうか」




 どうして、こんなことになったんだろう。




 どうして、こんな。




 どうして。




 ◇ ◇ ◇



「告白されたぁ!?」

「みーちゃん! こえっ、声大きい」


 こよりのいきなりの言葉につい声を荒げてしまった。できるだけ平静を装いつつ話の続きを促して聞けば、幼馴染の北橋からついに告白されたとのことだった。北橋の好意はこより以外にはバレバレだったから、いつかはそうなる、とは。思ってはいたけど。



「りんちゃんが次の日曜日にデートした時に、返事が欲しいって、言ってて」

「なるほどねー。で、どうするの?」

「まだ……分かんない」


 ああ、でも。きっと付き合うんだろうな。


 側から見てもお似合いの二人で、二人は男と女で、付き合うのに何の障壁もないだろう。



 私とは違って。



「まあ、付き合ってきてから見えるものもあるかもしれないしね。とりあえず付き合ってみたらいいんじゃない? 北橋、ヘタレだけど悪い奴じゃないし」

「ヘタレって……」

「いや、告白するならもっと早くするべきだったっしょ。なんでこの中途半端な時期に」



 いつもの私の言葉で、伝えられただろうか。

 泣きそうなこの気持ちを、悟られてはいないだろうか。無理やりテンションを上げて、もっと良い告白のシチュエーション等を語っているうちに昼休みは終わってくれた。


「みーちゃん、今日一緒に帰れそう?」

「ごめん、今日当番なんだよね。先帰っててー」

「そっか。じゃあねー」


 嘘をついて、こよりと別れる。こよりはこれから文芸部。少し遅く帰れば、時間が合うことはないだろう。

 全然身が入らなくて注意が次第に心配に変わる中で部活を終えて、ノロノロと着替えて帰ろうとしていたら、本当の当番の人に呼び止められた。



「ちょっと、手伝ってくれない?」



 小百合先輩。いつもにこやかで優しい雰囲気なのに、飄々としていてどこか掴めない。人をからかうようなところもあって、フォローも上手いけれど、正直に言えば、何を考えているか分からない、少し苦手な人だ。


「えっと……今日、少し調子が悪いみたいで」

「うん、だから呼んだの」


 微笑みを崩さず、先輩は向かいの席へ座るよう促す。部室には二人きり。あとは日誌を書くだけだから、特に手伝いなんていらないだろうに。とは思うものの、先輩の雰囲気に気圧されて座るしかなくなる。



「何があったの……なんて、聞くつもりはないけれど」


 先輩はこちらを見ずに、サラサラと日誌を書き込んでいく。やっぱり、手伝いなんて必要なかった。


「先輩には、全部お見通しってことですか?」

「ええ」

「流石の小百合先輩でも、多分当てられませんよー。だって、今日のドラマの」


 適当に嘘をついて終わらせようとしたところで。



「こよりちゃんが告白でもされた?」



 いきなり、真実を見抜かれた。



「やっぱり」



 こちらに視線を向けることなく、小百合先輩は日誌を書く手を止めることもない。


「ど、して……」


 怯むな。絶対、分からないはず。私の気持ちは、表に出ることがないように蓋をし続けてきた。絶対に、絶対に誰も気づいてなんて。



「だ、誰かから聞いたんですかー? 実は……そうなんです! 友達が告白されて、取られたような気になっちゃって……」

「気になるわよね。あなたはこよりちゃんが好きだから」



 倒れた椅子が大きな音を立てる。咄嗟に立ち上がって、でもどうにもできなくて。なんで、先輩はそのことを当たり前のように知っているんだろう。


「誰にも気づかれていないとは思うわ。私が知っていただけで」

「せ、んぱいは……」


 どうして。と口を開こうとしたところで、ようやく先輩は私を見た。



「そのくらい分かるわよ。ずっと見てきたんだから」



 帰りましょう。涼やかな声で続けて、先輩は日誌を閉じた。




◇ ◇ ◇




 帰り道。何を言っていいのか、先輩に何を伝えたらいいのかもわからないまま、ただ先輩の隣を歩く。



「伝えないの?」



 そんな私の胸を刺すようなことを、先輩は言う。


「あなたの気持ち。こよりちゃんに」

「そんなことっ……言えるわけ」

「どうして?」


 遮られた言葉の先は、決まっているのに。


「どうしてって……私とこよりは親友で、女同士で、私がそんなふうに思っていたなんて、分かったら」

「嫌われちゃう?」


 先輩は先回りして、私の気持ちを簡単に口に出していく。


「そんな……それよりも、迷惑がかかるしっ! 困らせるようなことなんて、私は……」


 できない。そんなことはできないから、だから想いを伝えることはなく、いつか北橋と付き合ったとしても、ちゃんと祝福しようって。



「優しいんだね」



 言いながら、先輩の手は私の頬を撫でる。



「忘れさせて、あげようか」



 先輩のその言葉に頭が熱くなり、衝動的に手を払いのける。



「結構ですっ!」



 からかわれたのか、何なのかも分からず。そのままその場から走って逃げ出した。

 熱いものが頬を伝う。拭っても拭っても溢れて。何かされたわけでもないのに、私の心に土足で踏み込まれたような気がして、悔しくて、苦しくて。



『みーちゃん』



 煮え切らない気持ちでようやく見た夢の中で、こよりだけが微笑んでいた。



◇ ◇ ◇



 次の日。泣き腫らした顔は寝不足も相まって酷い顔になっていた。それでも、ファンデーションとコンシーラーで無理やり誤魔化して、いつものように学校に行くと。


「……なーんか、もうすぐ彼氏ができる人には見えないんですけど」

「みーちゃん……」


 こよりの方が落ち込んでいた。たまらず声をかけて、日が経つとともにどんどん落ち込んでいくものだから、何度も、何度も聞いて、声をかけて。それでも元気がないので、ある日の放課後、高台まで連れ出した。

 もしかしたら、北橋とうまくいかなかったのか。北橋がこよりを苦しめるような真似をしていたら許さないけれど、でもあの北橋に限ってそれもないだろう。


 もしか、したら。


 小百合先輩のように、私の気持ちに気づいて……?


 そんな淡い期待は、すぐに打ち砕かれた。



「りんちゃんは、何も悪くないのに。頭から……離れない人がいるの……っ」



 そんな人、いなかった。

 こよりにそんな人、いなかったのに。


 話を聞いていくと、北橋に告白された日に文芸部の先輩からキスをされて、そのことが頭から離れなくて、先輩のことが好きになって。その先輩は、私と同じ女の人で。



 私で、いいじゃん。



 なんで。女の人が好きだなんて、ただの一度も言ってなかったのに。キスひとつで変わるのなら、もし私がしていたら、私が、あの日気持ちを伝えていたら。



 それは、もう絶対に有り得ないもしもの話だ。



 その先輩は、行動して。

 私は、何もしなかった。



 ただ、それだけの差だ。



「恋、しちゃったのかぁ」



 それで、こよりは恋に落ちた。

 私でも良かったのかもしれない、私では、やっぱりダメだったのかもしれない。


 困らせるかもしれない。振られるかもしれない。嫌われるかもしれない。そんな不安を跳ね除けてこよりの気持ちを手に入れた先輩と、何もできなかった私。


 可能性にすら蓋をして、逃げてしまった私には、何も伝えることはできなかった。



「ねぇ、好きな人にフラれたらどうする?」



 泣きじゃくるこよりを抱きしめて、頭を撫でて、ああ。これを恋人としてできたらよかったのに、なんて。叶わない願いを押し隠して、私は続ける。



「好きな人に好きな人ができてさ、そっかーって思って。やっぱり自分じゃなかったかーって。悲しいよ。すごく、悲しい。でも、私は。私だったら、好きな人がしあわせなのが、一番かなって思うよ」



 物分かりのいいフリを、続ける。



「すっごい悔しいけどね! でも、北橋もそんな感じじゃないかな。間違ってもフラれたからって、お前を殺して自分も死ぬー、みたいなタイプじゃないと思うよ」



 冗談混じりに、伝える。



「アンタは、どうするの? フラれたら、怖いけど。悲しいけど。それでも、気持ち伝えてみる?」



 こよりを焚き付けて、走り出したこよりが視界から消えたところで、うずくまる。

 次第に降り出した雨は私の涙と混じって、私の泣き声をかき消すほどに大粒のものへと変わっていく。いつまでも良い子で、物分かりの良い、優しいフリをし続けた私への罰のように、激しく、激しく私に打ち付ける。



「こんなところにいた」



 見つけて欲しいのは、この人じゃないのに。



「風邪ひくわよ」



 差し出された傘を、押し返して私は言う。



「先輩、言いましたよね」



 びしょ濡れで、涙でぐちゃぐちゃの酷い顔で、



「……わすれさせて、くれるって」



 都合良く、先輩を利用しようとする。



「そうね」



 良い子のフリをやめた私に、先輩はこの前と同じように慣れているような手つきで、私の頬を撫でる。

 そして、そのまま顔を近づけ、唇を重ねた。

 離れると、体温で少し熱くなった雫が唇から流れた。キスをする時に置いたのか、先輩も雨に濡れて、長い金色の髪からは雫が滴っていた。



「家、行こうか」



 お互い冷たいはずなのに、抱きしめられるとひどく安心するような温もりがあって、私はその言葉に静かに頷いた。




◇ ◇ ◇




「んっ……」



 息ができなくなるほど、求められるキスも。体を優しく撫でる手も、焦らすように這う舌も。



「こ、より…………」



 本当は、あなたとしたかった。



「いいよ」



 頭を撫でられ、そのまま頬を包み込んで、口付けられる。



「全部吐き出して、いいから」



 その言葉に、呼応するように。



「こよ、り……こよりぃ……っ! ぁ、やぁ、ああ、ぁ……っ!」



 涙は舌で拭われ、重ねた唇に割り込んできたその塩辛さに溺れて。



 忘れることなんてできないまま。



 ただ、何も考えたくなくて、先輩の首に手を回した。



◇ ◇ ◇




 そうして、先輩と私の関係は始まった。部活帰りに先輩の家へ寄って、少し遅い時間に家へ帰る生活。

 こよりから彼女達の恋愛が進展していく様子を聞いては、先輩にそれを慰めてもらう生活が、しばらく続いた。



「あ、こより……」



 ある日、こよりの姿を見かけて声をかけようとしたところで、急いで口を噤んだ。彼女達がキスをしていたからだ。

 急いでその場を離れて、気持ちを落ち着かせる。



「みーちゃん」



 気がつくと、小百合先輩が目の前にいた。



「先輩……どうして」

「ここ三階。三年教室だけど」



 私の様子がおかしいことに気づいてか、先輩はすぐに私の手を引いて、人気のない屋上前まで連れてきてくれた。ただ。



「……っ!? ゃ、先輩……んっ! ここ、学校っ……」



 抵抗しようとしても、舌で歯列をなぞられるとすぐに力が入らなくなってしまう。そのあとは、ただ身を任せて、服越しでも先輩の体に身を擦り付けるようにして、ただその感覚を貪っていた。



「忘れられた?」



 昼休みが終わるチャイムと共に先輩は離れる。それが名残惜しくて、つい袖を掴んでしまった。それを見て先輩ははにかむように笑って、軽く一回口付ける。


「授業が終わってからね」


 唇の感触が忘れられないまま授業を受けて、盗み見るようにこよりを見ては、あの二人の姿が思い出されて胸が痛んで。


 それを理由に、人がいなくなった後の部室でも、その後も。私は、先輩の熱を感じていた。




◇ ◇ ◇




 先輩はクスリだ。

 副作用の強い、悪い、クスリ。



 クスリが好きなわけじゃないのに、一度飲み始めたら、それがないと不安で仕方なくなって。

 何かあると飲まずにはいられない。

 間隔があけば、飲みたくて仕方なくなってしまう。



 手放すことのできない、悪い、クスリ。




◇ ◇ ◇



「みーちゃんと小百合先輩って、最近仲良いよね」


 思わず箸を落とした。昼休みのお弁当中に、こよりがいきなりそんなことを言ってくるものだから。



「そ、そう? あの人誰にでもあんな感じだから」

「うん、そうなんだけど……。この前手をつないで歩いてたから、仲良くなったのかなって」


 見られてたんだ。

 体が一瞬にして冷たくなる。どうしよう。先輩とのことがバレたら。私、私は。



「何話してるの?」



 と、いきなり肩に重みがのしかかった。小百合先輩だ。


「あ、小百合先輩。今、小百合先輩の話してたんです。最近、みーちゃんと仲が良いなぁって」

「あら。そうね。可愛い後輩だもの」


 言いながら、私の肩からするりと離れて、その手はこよりへ向いた。


「でも、それを言うならこよりちゃんだって同じよ。よく部活、見にきてくれるでしょう?」


 なんてことのないように、同じようにこよりへ伸ばされた手に、なんだかひどくモヤモヤして。



「ま、待って!」



 私のその言葉に、先輩は動きを止めた。

 先輩は、ただ私を庇おうとこよりも私も同じような存在だと言おうとしていただけなのに。それが分かっていたはずなのに。



「わ、私達、付き合って、る、から……」



 先輩を伺うように。私の口からは、それを否定する言葉が飛び出した。



「え、え、そ。そうなのっ!?」



 驚くこよりに、珍しく目を丸くする先輩。

 私はいたたまれなくなって、目を逸らしてしまう。そのあと、こよりが何か言っていたのに、何も聞こえなくて。ただ、最後の言葉だけが耳に届いた。



「じゃあ、ダブルデートしませんかっ?」



 こよりのその言葉につられて先輩を見ると、呆れた顔でため息をひとつつかれた。



「なんであんなこと言ったの?」



 夜、行為を終えた後で先輩に責められた。


「私がこよりちゃんに触るのが嫌だった?」

「ちがっ……んっ!」


 軽く首筋を噛まれた。怒っているのかもしれない。


「ダブルデートなんて……自分で自分の首を絞めてどうするの」

「やっ……だって」


 太ももを撫でる手は肝心なところは触ってくれないのでもどかしい。一度終えたばかりの体はいつも以上に敏感になっているから、余計に。



「やきもち焼きなのに。知らないわよ」



 耳を甘く噛まれて体が跳ねる。

 私はあの時。やきもちを誰に焼いたんだろう。




 考える暇もないまま、夜が更けていく。




◇ ◇ ◇




 ダブルデートはお決まりのように遊園地で、昨日そのまま先輩の家に泊まってここへ来た私達とは裏腹に、ここを待ち合わせ場所にしていた彼女達は非常に初々しい姿を見せていた。



「さ、行きましょうか」



 それを遮るように、先輩は私の手を繋いで歩き出す。指を絡ませて、指の腹で私の手を撫でて、時に強く握って。

 私の意識がそちらへ向くようにしておいてくれたおかげか。私は、胸の痛みを感じることなく、二人と一緒に笑顔で遊園地を回ることができた。



「あ……」



 最後に乗り込んだ観覧車で、前に乗り込んだ二人が唇を重ねていることに気づいた。でも、それでも不思議と心は落ち着いている。



「先輩、私ーー」

「だから言ったでしょう」



 同じようにキスをしているはずなのに、こちらの方が激しい。



「み、られちゃ……」

「付き合っているなら、問題ないでしょう?」



 抱き寄せられて、先輩のことしか考えられなくなる。そうして、景色を全く楽しむこともないまま観覧車は周り終わり、ダブルデートは終了した。




◇ ◇ ◇




 それからしばらく経ったある日。



「もう、終わりにしましょうか」



 先輩の口から、唐突に終わりが告げられた。


「な、んで……」

「そろそろ私達も自由登校になるでしょう? そうしたら、もうあの二人を学校で見かけることもなくなるじゃない」


 小百合先輩も、こよりの彼女さんも受験生。もうすぐ受験で、学校にあまり来なくなって、そのまま卒業して、会えなくなる。



「だから、もう必要ないでしょう」



 そんな飄々と、なんてことのないように言わないでほしい。私はもう、とっくに。



「私も県外の大学を受ける予定だし、これからは……みーちゃん?」



 先輩の背中に、初めて自分から抱きついた。



「やだ……」

「みーちゃん」

「嫌……嫌なんですっ! 先輩が離れられなくしたくせに!」



 こんな時でも、私は先輩のせいにする。



「もう、こんなに……こんなに先輩のこと好きなのにっ! 離れるなんて……やだぁ……」



 初めて、小百合先輩が好きだと口にした。

 こよりへの想いとは違う。純粋な始まりでもない。だけど、私にはもう、小百合先輩のいない生活は考えられない。



「責任とってください……」

「責任って……そうね」



 あの日と同じように泣く私の頬に手をあて、涙を拭って優しく口付ける。あの日とは違う。温かなキス。



「じゃあ、今度こそ本当に。ちゃんと、付き合いましょうか」



 その言葉に、笑顔で頷いて。

 今度は自分から唇を重ねた。




 私の初恋は叶わなくて。


 だけど、それでも私を受け止めてくれる人がいた。



「うそつき」

「嘘なんてついていないけれど」



 滑り止めに県外の大学を受けて、第一志望の近くの大学へ無事に合格した先輩はからかうように言う。



「じゃあ、これをあげる」



 差し出されたのは、この部屋の合鍵だった。



「寂しくなったらいつでも来ていいから」



 抱きしめられてそんなことを言われたら、怒ることなんてできなくなってしまう。



 私は、これからも。

 このいじわるで、離れ難い先輩に振り回されながら過ごしていくのだろう。



「先輩」

「なぁに?」

「いじわる」



 でも、好き。




 この気持ちは、きっと変わらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私のいじわるで、離れ難い先輩。 めの。 @menoshimane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画