AYAKASHI YOROZU. 參

 俺は無様にも掠れた悲鳴を漏らして数センチ跳び上がった。

 振り向くとすぐ真横に小人のように背の低い人間がいる。


「あ、いや、えっと……」


 肩を縮こまらせた俺は二歩ほど後退りしてその人を見遣った。


 黒地に蜻蛉柄のかすり着物。

 ほつれひとつなく結い上げた日本髪とその銀髪。

 そして皺深い顔と右頬に大きな黒子。


 この古風な婆さん、いつからここにいたのだろう。

 全然、気が付かなった。

 

 そして次第に落ち着きを取り戻してきた俺はさらに推察を重ねる。


 間違いなくそれまでここには誰の姿もなかった。

 ウナギの寝床のような狭い屋内、しかも死角もなさそうだ。

 いくら婆さんが小柄だといっても見落とすはずはない。

 とすればなにか用があって外出していて、帰ってきたら俺がいて声を掛けた。

 たぶんそんなところだろう。


 ひとまず俺はふうっと息を吐き、やおら自嘲の笑みを浮かべた。


 怒り以外の感情はこうしてちゃんとコントロールできるのにな。

 

 その間、老婆は口をへの字にしたまま真下から俺の顔をどこか値踏みでもするような目つきで覗き込んでいる。どうやら俺はずいぶんと警戒されているらしい。

 まあ、しかし考えてみればそれも当然のことだった。

 ここが店なのか倉庫なのか定かではないが深夜、突然に、しかも若い男が入ってくれば誰だってそうなるだろう。


「あ、いや、勝手に立ち入って悪かったね。すぐ出ていくからさ」


 けれどそう言い捨てて体の向きを変えたそのとき突然、老婆が呵呵と高らかに笑声を打ち上げた。


「ほうほう、こりゃあまた性悪なむしに憑かれとるのう。もうあらかた傀儡くぐつにされよるわい。そやけどまあ、まだギリギリ間に合うやろか。あんた、ちょっとこっち来なはれ。ヒヒッ、商い商い」


 続いて響き渡ったのはどこかホトトギスのそれに似た甲高く嗄れた声。

 鋭い恐怖感に頬を引き攣らせて振り返ったが、けれどそこにあるはずの人影は映らない。焦った俺の目線は咄嗟に土間路を辿った。すると奥の暗がりの手前で俺に手招きを向けている老婆を見つけて刹那、その不可解さに背筋に冷たいものが走る。


 どう考えても着物姿の年寄りがいまの一瞬であんなところまで移動できるはずがない。しかも足音ひとつ立てずに。


 ごくりと唾を飲み込むと老婆はその俺を嘲笑うようにキシシと薄気味悪い笑声を立て、フッと暗がりに姿を消した。

 

 俺はその場に立ち尽くすほかなかった。

 そして一度身震いした後、なんとか恐怖感を振るい落とそうと老婆の言葉を反芻して嘲ってみる。

 

 ムシ? 

 クグツ? 

 アキナイ?

 それとまだ間に合うとかなんとか。


 まったく意味不明だし、少しばかり気味が悪い。

 付き合う義理はないな。


 早く立ち去ってしまおうと柱に立て掛けた傘に目をやったそのとき、俺の視線は不可思議なものを捉えた。

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