第3話
ジークは、公爵令嬢とはいえ継承権など皆無に等しい私のただひとりの侍従だ。代々貴族の側役を輩出する名門スコルハティ家の血筋で、こんな小娘の侍従としては過ぎた人だ。だというのに、出会って以来私によく尽くしてくれている。
だからこそ、この件を真っ先に相談するなら彼だと決めていた。彼ほどに疑う余地もなく信用できるひとなど、私の周りにはいないのだから。
「……事情はわかりました」
とはいえ、私自身わからないことだらけの話だ。拙い説明は要領を得ず聞きにくかっただろうに、ジークは最後まで真剣に聞いてくれた。そして私が話を終えると、彼は難しいかおで、考え込むように手袋に包まれた指を口元に添える。
「つまりお嬢様はこの国を救うために、未来を変える方法を探したいということでよろしいですか?」
「そう、だけど——信じてくれるの? 私、ゲームだとか転生だとか、ありえないことばかり言ったのに」
「信じますよ。貴女の言葉ですから」
拍子抜け、というか。あんまりにもあっさり信じてくれたものだから、私のほうが驚いてしまう。するとジークは目元をゆるませて、いつの間にか空になっていた私のカップに、食後の紅茶のお代わりを注いだ。
「わたし……いえ、“おれ”には『げーむ』がなにかはよくわかりませんが、とにかくこの世界は作り物だというお話でしょう? そしてかつての貴女は世界の外側に生きていて、だからこの先起こり得ることを知っている。しかしなにかの拍子にこちらで生まれなおしてしまった、と」
「うん……正直そのあたりのことはいまもはっきり思い出せないけれど、たぶん死んじゃったんだと思う。特に病気とかは思ってなかったから、事故かなにかで」
「死んで、……」
「あ、気にしないで。そもそも覚えていないから実感もないし、未練がないとは言えないけど、過ぎちゃったことは仕方がないもの」
紅茶の水面に、角砂糖を二つ落としてかき混ぜる。ジークが淹れてくれる紅茶は絶品だけれど、子供舌の私には少し渋みが強いのだ。吐息で表面の湯気を散らして口に含めば、体がほんのりと温まって気持ちが落ち着いていく。おかげで少し冷静になれた。
話を戻すべく、私はまっすぐにジークを見つめた。
「それより、信じてくれてありがとう。……ジークなら信じてくれるだろうなって思ってはいたけれど、内容が内容でしょ? もしかしたら、って気持ちは消えなくて」
「相談相手に選んでいただけて光栄です。——そのうえで、お聞きしたいことがいくつかあるのですが」
「うん、何でも聞いて」
背筋を伸ばして座りなおした私に、ジークはばっと手のひらを見せた。そして2本の指を伸ばしたまま、残りを折り曲げる。
「まずひとつ。貴女の言う『げーむ』に、おれは登場するのですか?」
私は小さくうなづいて、口を開いた。
「でも、あなたは攻略対象……ヒロインと恋愛関係になる役どころではないの」
「では、いまと同じくお嬢様の侍徒になれていると?」
「いいえ、シナリオ上は私と接点はなかったはず。貴方は騎士団に所属していて、そこで剣術の腕を認められて騎士団長の副官に任じられていたわ」
そう、この部分はゲームと異なるところだった。私がただのクラウディアではなく、現代日本で生きた前世の記憶をもっているように。否、もしかしたらそのことが作用した結果、ジークの立場も原作から“ズレた“のか。
この相違をどう解釈すべきなのか。悩む私に反して、一方のジークはまるで他人事みたいにあっさりとそれを肯定した。
「ふむ、……たしかに。あの日嬢様と出会えていなければ、魔法の才を持たないおれは家を追われて、それなりの年齢になったら騎士団に放り込まれていたでしょう。しかしそこから団長の副官にまで成り上がったというなら、そちらのおれはなかなかに努力したようですね」
――素直に喜びにくいですが、ひとまずは良かったです。
ぽつりと呟かれたその言葉に私は首をかしげる。彼にとって何が良かったことで、何を喜びにくいのか、さっぱり思い当たらなかったのだ。そんな私に、ジークは得意げな表情で小首を傾げた。
「貴女に出会えていないことと貴女の侍徒になれなかったことは、おれにとって間違いなく不幸です。けれど接点がなかったというなら、敵対していたということでもないのでしょう。違う自分とはいえ貴女を傷つけでもしていたら……ましてわけのわからぬ娘に惚れたりしていたら、どうしたものかと思っていましたから。その点だけは、安心できました」
「『わけのわからぬ娘』って、貴方ねえ。ヒロインはすごいんだよ?神の加護を受けた聖なる乙女で、いずれ魔王だって倒しちゃうんだから」
「そうかもしれませんが、貴女じゃないならそれ以上の意味はないですよ」
これはまたずいぶんと、情熱的に言いきるものだ。
私は思わず視線を逸らす。成人女性だったころの記憶を思い出したからって、クラウディアとしての私は10歳の女の子なのだ。年頃の近い美少年にそれっぽいことを言われて、うっかり恥ずかしくなるのはおかしいことじゃないと思う。私が勘違いで本気になってしまったら困るのは自分なのに、彼はどこまで自覚的にやっているのだろうか。
閑話休題。私がこほんとわざとらしく咳ばらいをすると、ジークは素直に伸ばしていた指を一本曲げてから話題を変えた。
「それと、ふたつめに。げーむの貴女は王太子殿下から婚約を破棄されて、辺境に追放されて、そこで命を落とされるそうですけれど」
「そうだね。追放っていうほど大仰なものでもないかもしれないけど——」
「……ではなぜ、そんな国を救おうなどと思うのですか」
吐き捨てるようにそう言って、ジークは複雑な表情を浮べていた。彼の声音は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
「具体的になにが起こったのかは存じ上げませんが……それでも、貴女との婚約を一方的に破談にする王族がいる国で、そんな貴女を恥として辺境に追いやる家でしょう。自分だけでも生き残れる未来を創りたいというのならともかく、貴女は先ほどから、まるでそうすることが当然のように、国を救う方法ばかりを考えている。それは貴女に貴族としての義務があるからですか」
ジークに問われて、私は初めて、国を救わないという選択肢があると気が付いた。
彼の言う通りだ。未来を知っているからって、誰もかれも救わなきゃいけない訳じゃない。
というかこの話を知っているのは私とジークのふたりだけなのだから、私が何もしないことを選んだって誰も気づかないし、誰も私を責めたりしない。国そのものを救うなんて大それたことを考えるから、今の状況はどうしようもなく詰んでいるように思えるけれど、本当に大切なひとを数人だけ救うことくらいは、必死に頑張れば叶うかもしれないし。
魔物が襲ってくる時も被害を受ける範囲も、私は知っている。それを避ける方法は今の時点でもいくつか思いついた。魔王は主人公たちが倒してくれるのだから、私はただ逃げればいい。
そんなことを少しだけ考えて、けれど私は結局、静かに首を横に振った。
「民を守ることこそ貴族の務めだって、父様達は言うかもね。でも私は、それだけを理由に死ねないわ。だって死ぬのは怖いし、痛いのも苦しいのも嫌いだもの」
「では、何故」
「理由はふたつよ」
私はジークの真似をして、2本指を立てた。そうして己に言い聞かせるように、指折り数えていく。
「第一に、自分だけ助かったとして、失われた他の命を背負って生きていけるほど私は強くないの。私を憎む人や責める人がだれ一人いなかったとしても、きっと私が私を嘲笑するわ。この卑怯者、恥知らずって。そんな日々に私はきっと耐えられない」
「……卑怯とは違いますよ。生きたいと願って行動することは誰に恥じるようなことでもない」
「そうかもしれない。でも、私は貴方ほど『私』にやさしくないの。それに、重要なのはふたつめの方」
ぎゅっと力を込めて拳を握る。武器を握ったこともない頼りない手だ。たったこれだけでできることなんてたかが知れている。
それでも、何かせずにはいられない。
だって私は。
「私ね、昔からハッピーエンドが好きなの。全部がご都合主義に進まなくったって構わないし、その在り方は一つじゃなくたっていいけれど、大好きなゲームの大好きなキャラクターたちは幸せになってほしいって思う。クラウディアに生まれ変わって、貴方たちはもう私にとって『ゲームのキャラクター』ではなくなったけれど、だからこそ余計にそう思うわ。どんなに辛く苦しいストーリーでも、その先で大団円を迎えてほしい。つまり、そう——早い話、これは私の嗜好の問題だってこと」
「はっぴーえんど……」
「いろいろあったけど解決してよかったねって笑いあえる結末のことよ。ただのプレイヤ一、第三者としてなら公式が用意したストーリーに異を唱えたりしないけれど、今の私は当事者だもの。足掻く権利があるでしょう?」
口に出して言葉にした。ただそれだけなのに、自分の気持ちが明確になっていく。
迷わない。私は椅子から立ち上がり、テーブルに両手をついて宣言する。
「私は、クラウディア・フレッグバアルは、ひとりでも多く救ってみせるわ。そのためならなんだってする。でも、私ひとりにできることなんてたかが知れているわ、だからジーク、貴方の力を貸して!」
私の言葉にジークは小さく目を見開いた。けれどやがて肩を竦めると、力を入れすぎて震える私の右手をそっと掬い上げる。この世界において主人の指の背を自分の額に押し当てるのは忠誠を誓う仕草だ。彼は私の手を使ってそれを示した後、静かに目を伏せて言った。
「貴女の望むままに、わが主」
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転生脇役令嬢レディ・ブラックは従者と共に世界を救えるか? アフターノーツ @After_Notes
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