お父さんになれなかった僕へ

 今から十五年前、えりちゃんの妊娠を聞いた時が、人生で一番喜んだ瞬間だった。

 こんな内気でかっこ悪い僕でも父親になれるんだと思った。なれた気でいた。


 「一番が二人になるなぁ。お父さんっ子になってほしいな」

 「絶対ママっ子だから。でも、安定期までは気をつけなきゃ。ちょっと怖いなぁ」

 「大丈夫。絶対健康に産まれるよ」


 

 妊娠と同じタイミングで、三年生の担任を任された。えりちゃんは四月から休職することになったから、近くに住んでいる姉が時々家に来てくれた。


 「今日りなちゃんと名前考えてたんだけどさー。りなちゃんキラキラネームしか出さないんだよねぇ」

 「お姉ちゃん、めっちゃ楽しみにしてるよね」

 「裕也くんは、付けたい名前とかないの?」

 「うーん、考えたことなかったな」

 「まぁ、ゆっくり考えよ!」

 「うん!あ、ごめん電話だ。はいもしもし、」


 きっともうこの時には名前辞典も買ってあったし、ベビー用品も揃えていたんだろう。それに気づかず、仕事に明け暮れていた僕は、一ミリも父親になんてなれていなかった。



 安定期に入った七月、学校の生徒たちに報告した。理由を言わずに休職していたから、生徒たちは驚いて、みんなおめでとうと言ってくれた。

 八月に入り、受験勉強が本格的になった。その日は松田くんに勉強を教えてほしいと言われていたから、土曜日だったけど特別に出勤していた。


 「今日、えり先生は?」

 「ん?家にいるよ」

 「一人で大丈夫なんですか?」

 「うん、安定期入ったしね。何かあったら帰るけどね」

 「俺も将来子供欲しいです」

 「一年前だっけ?付き合い始めたの」

 「え。なんで知ってるんですか」

 「あはは。噂でね。松田くんはいいお父さんになるよ」

 「先生もね」


 携帯電話が鳴ったのは、そんな話を交わしながら物理を教えてる時だった。お姉ちゃんから電話がかかってきた。


 「もしもし、どうしたの?」

 「裕也早く病院来て!えりちゃん、出血したの!!」


 状況が飲み込めなかった。朝まで普通に過ごしていたのに、急にそんなこと起こるのか。松田くんと先生たちに一言報告して、タクシーで向かった。


 病院に着くと、車椅子に乗ったえりちゃんがお姉ちゃんに押されてきた。憔悴した顔だった。


 「裕也くん、ごめん。流産だった。赤ちゃんいなくなっちゃった。」


 えりちゃんが苦しそうに笑いながら言った。


 「えりちゃんは謝る必要一ミリもないじゃん!何も悪くない!」


 そう言ったお姉ちゃんは、鬼の形相で僕の方を向き直した。


 「あんたさ、妊婦さん毎日十一時まで家に一人で残して仕事するとか狂ってんの!?土曜まで仕事行くとか狂ってんの!?なんで私が病院連れていってるの!?父親でしょ!?本当にふざけないで!!」


 今まで聞いたことない声量で言われて、言葉がなにも出なかった。


 「りなちゃん!裕也くんも悪くないよ。これは誰も悪くない」


 真剣な顔で話すえりちゃんを見て、


 「ごめんね」


 としか言えなかった。



 処置が終わって、タクシーで家に帰った。タクシーでも、一言も話せなかった。

 家に着いて玄関に入った瞬間、えりちゃんが靴も脱がずに座り込んでしまった。


 「えりちゃん大丈夫?辛いよね」


 えりちゃんのは、大粒の涙に負けないように必死に口角を上げようとしていた。


 「血が出た時、怖くってさぁ。会いたかったなぁ。もう会えないんだぁ。」


 口角も、声も、溢れ出る感情と涙に負けてしまった。その時のえりちゃんの顔と空気感は今でも忘れられない。僕はただ抱き寄せて、


 「そばにいなくてごめん」


 としか言えなかった。本当はもっと言わなきゃいけないことが残ってたのに、目からしか出なくて、口から出せなかった。




 三日間休みをもらって、その日は午前中だけ出勤することになった。みんなに妊娠したことを報告していたので、流産してしまったことも報告した。みんなえりちゃんのことを心配してくれて、元気になったら会いに来て欲しいと言ってくれた。


 四時間目の授業が終わって帰る準備をしていた時に、松田くんが話しかけてくれた。


 「先生、今日時間あったら、二十時ごろに空を見てみてください」

 「ん?なんで?」

 「今日はよく星が見えるみたいなんです。赤ちゃん、星になって見てくれてると思うから、二人の笑顔見せて欲しいなって」


 涙が出てくるのを必死でこらえた。この松田くんの言葉に、すごく救われた。




 夜十九時半。ベビー用品の整理が終わった後、えりちゃんに話しかけた。


 「一緒に見たいものがあるから、今から車乗ってくれる?」


 あの日から元気がなくてあまり喋れてなかったけど、ちいさな声で


 「いいよ」


 と答えてくれた。


 車に乗って二十分、星がよく見える丘まで来た。

 えりちゃんが、


 「すごい綺麗」


 と、小さな声で囁いた。


 「あのさ、」


 妊娠中も、病院でも、タクシーでも、玄関でも言えなかったこと。でも、これは、言わなくちゃいけない。えりちゃんに、そして星になった君に届けなきゃいけない。


 「えりちゃんも、赤ちゃんも大好きだよ。赤ちゃんはきっと、ママのこと傷つけた僕に怒ってると思うけど、僕も会いたかった。僕も育てたかった」


 二人とも涙を流さずにはいられなかった。


 「本当に後悔してる。そばにいなくてごめんね。言葉でしか言えないけど、ずっとそばにいるからね」


 えりちゃんは涙を流しながらも、笑ってくれた。そして、空に向かって大きな声で、


 「お父さん、全然いなくて寂しかったよねー!でもね!これからはいてくれるんだってさー!これからは三人だよー!」


 と叫んだ。そして、こっちをむいて星より輝く笑顔で


 「私も、裕也くんと赤ちゃん大好き!」


 と言った。




 「ただいまー」

 「おかえりー、、って!目ぱんぱんじゃん!」

 「いやー。昔の生徒に会うと、やっぱ泣いちゃうよね」


 家の中はクーラーが効いてて、少し寒かった。


 「松田くん、元気だった?」

 「うん。春に子供が産まれるんだって」

 「え!松田くんのお嫁ちゃんって、小西ねねちゃんだよね!?久々会いたいなぁ」

 「産まれたら写真送ってくれるってさ」

 「二人の子供絶対可愛いよなぁ」


 キラキラした目がとても可愛かった。あ!そうだ。来週の結婚記念日のために、ケーキの予約をしないと。えりちゃんの好きなチーズケーキを買おう。



 完



 


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星になった君に 遠藤弘也 @tatadandan

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