第3話 出発
夕食をいつも以上にゆっくり、時間をかけて済ませると、湯浴みも済ませ夜着ではなく簡素な服を着る。それから荷物を窓から屋敷の外に放り、ファリアに運ばせる。それからすぐに、散歩に出ると言って屋敷から去る。……もう戻らない私を、屋敷の者たちは心配するだろうか。全て打ち明けてしまいたいが、そうしたところで混乱を徒に大きくするだけだ。
「門番は全て緊急の集まりがあるということで、門を離れているようです」
ファリアもメイド服からシンプルな庶民着に着替えていた。麻と木綿の混ぜて織られた服は安価だがそれなりの着心地だ。お忍びで街を歩くのに私も重宝していたが、まさかこんなことになろうとは。
無人の門を抜けると、少し湿り気を帯びた夜風が髪をなびかせる。ふと、ファリアが一本のナイフをよこした。護身用だろうか。
「セレーナ様、髪を切ってください。……あ、違うんです! 物語みたいで美しいだろうなとか、そういうことじゃなくて、この先、きっと湯浴みなんて滅多に出来ないでしょうから、その美しい御髪が……その、不潔になってしまうのは……嫌なんです……」
最初は思わず眉根をひそめてしまったが、ファリアなりの優しさなのだと分かった。確かに、得てして髪の長い女性が物語に出ると、決意の表れとして断髪する。ならば私も、そういった慣習に倣うのも悪くない。首もとで髪を左手で束ね、右手に持ったナイフでざくりと切る。温い夜風に闇色の髪が舞う。聖女の血筋は遡ると異世界より来訪した者たちに行き着くという。三百年前にもあったように、この世界とは異なる世界からやってくる者が時折現われる。そうした人びとの特徴が黒髪だという。
「黒髪が目立たなければいいのだけれど……」
「私の村にはやや茶みがかってはいましたが、黒っぽい髪の者もおりましたから。それと……」
「読めているぞ。偽名だろう? ルーン。ルーンと呼べ」
どのみち、名前を隠さねば遅かれ早かれ聖女であることがバレる。聖女追放がエフェタリアの意志ということなら、もうセレーナの名前を出したところで得られるものもないだろう。……どうしてこの国は、豊かさと引き替えに信心を失ってしまったのだろうか。
「ルーンちゃんかぁ。村の友達にも同じ名前の女の子がいました。初代聖女さまにあやかった名前ですからね」
そう、ルーンの名前は初代聖女のルナーラに由来する。後にルナーラは異世界からやってきた勇者と結ばれ、子をなし……そうして聖女の血筋の祖になったとされている。ルーンやラクスといった聖女由来の名前が定着するほど、聖女への畏敬の念が強かったはずのエフェタリア国民が、聖女を疎むなんて……。時というのは止まってはくれないのだなぁ。
「行きましょうルーンちゃん。街道沿いに南下して、まずはサダリスの街まで行きましょう」
髪を切って名前を変えて、そうまでして覚悟を決めるくらいなら……屋敷を燃やしてしまいたかった。他の人間に使われるくらいなら……けれど、過ごした日々や想い出、それから支えてくれる人たちのことを思うと、そんなことは出来ない。それに、私は一方的に追い出される身なのだから、罪を犯すわけにはいかない。
「聖女がいないこの国の将来は暗いね」
「……どう、なってしまうのですか?」
自分でも思った以上に恨みっぽい声が出てしまった。聖女らしさを欠いた発言に、ファリアが恐る恐るといった声色で真意を尋ねてくる。それに私は首を振るだけで答えず、南へ向けて歩き出した。
叶うことなら、南は南でも帝国領まで南下してしまいたいくらいだ。祈りの加護を失ったエフェタリアは……亡者に包まれてしまうのだから。
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祖国を追放された聖女の私を拾ったのは敵国の皇帝陛下!? ~裏切られ聖女の復讐譚~ 楠富 つかさ @tomitsukasa
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