第二十八話 違和感の世界

 翌朝、環夜は気持ちよく目覚めた。時計を見ると時刻は七時。

 環夜は寝台から降りて背伸びをし、窓掛けを開けた。朝日を浴びながら此処が早日家の自室であることを確認すると、笑みをこぼす。


 ――夢じゃなかった。やっぱり、こっちが現実なんだ。


 今までのことが悪夢であったと再確認したところで、環夜は上機嫌のまま、寝巻きから私服へ着替え、居間に降りる。

 居間では智美と彰が朝食を作っており、環夜は二人に挨拶をしてから、その横に立って朝食作りを手伝った。そんな環夜を見て智美は微笑む。


『そういえばね、彰。昨日から環夜が変なのよ。いきなり料理を手伝ったりして。前は学校から帰ってきた後も、部屋に籠もりっきりで手伝いなんてしたことなかったのにね』


 智美の言葉を聞いて彰は驚き、同時に笑みを零した。


『ふふ、兄さん何かあったの?もしかして…彼女ができたからいい顔がしたいとかかな?』


 環夜をからかう彰。環夜は恥ずかしさで顔を赤くしてながら逃げるようにして食卓に皿を並べに行った。


 ――まったく、母さんも彰も僕に彼女なんてできるわけないって分かってるだろうに。それに、手伝い始めたのは、あの悪夢のお陰で家族の大切さを知ったからだ。


 環夜は皿を並べ終わると、二階に上がると父親の真章まさふみの部屋まで行き、部屋の外から呼んだ。


「父さん、朝ごはんだよ」


 真章は環夜に中に入れと言う。環夜は扉を開け、真章の部屋に入った。真章は机に座り、事務仕事をしていた。

 こんな朝早く、しかも休日だというのに。環夜は心配になったが、何もしていない自分が口を出せるわけもなく、黙って真章の横に立っていた。

 真章は昇降機の職員として働いている。公務員であるため、そこまで忙しい印象はなかったが、そうでもないらしい。


 ――あれ?おかしい。父さんは、昇降機の職員をしている。そのはずなのに、なぜか引っかかりを感じる。いや、別におかしくはないか。


 環夜は引っかかりを感じて首を傾げる。


「父さんは昇降機の職員を…いやでも、食品会社の社員だった気も…」


 環夜は独り言を呟いた。昇降機の職員なことは分かっている。でも、食品会社の社員である真章の姿も想像できる。いや、寧ろ昇降機の職員である真章の姿の方が想像できないのだ。わかっているのに現実味がない。


 ――確か、悪夢の中で父さんは食品会社の社員をしてたっけ。悪夢の印象が強すぎて変な感じがするだけかな。


 環夜は頭を押さえた。目の前の真章よりも、悪夢の真章のほうが鮮明に思い出せるのはなぜだろうか。いや、悪夢の真章はそもそも印象がない。仕事位はさすがに思い出せるが。


『環夜、すまないが私は…仕事が忙しいんだ。最近、昇降機を利用する人が増えていてね。だから、朝食は一緒に取れそうにない。そう、母さんにも伝えてくれないか?』


 真章は書類から目を離しもせずに、そう言った。

 環夜はまだ頭が混乱していた。でも、真章本人が昇降機の職員であると言っているのなら、そうなのだろう。

 真章の言葉に頷くと環夜は蹌踉めきながら居間に向かった。

 居間では、すでに朝食が完成していて食卓に並べ終わっている。智美は環夜が降りてきたことに気がつくと、真章がいないのを見て溜息をついた。


『また…仕事が忙しいのね。仕方がないわ。三人だけで食べましょう』


 智美と彰、そして環夜の三人は食卓についた。

 環夜は眼の前に広げられた朝食を見る。唐辛子と大蒜の効いた熱々の北北乱散好儂ペペロンチーノ。美味しいそうだ。でも、どこか違う気がする。


 ――あれ?母さん、こんな料理作るっけ。なんだろう。変な感じがする。この違和感は、さっきも感じた。


「母さん、料理の種類増えた?見たことない食べ物だね」


 環夜はそこまで言って言葉を止めた。


 ――そう言えば、これは悪夢の中で貴族アリゾネと食べたものだ。下層地域にはない食べ物なはず。


『何言ってるの兄さん?いつも母さんが作るペペロンチーノじゃん』

『環夜、大丈夫?本当に学校で何かあったわけじゃないわよね?昨日から様子がおかしいし…』


 環夜の言葉に二人は首を傾げる。本気で困惑しているようだ。


「あ…れ?ぼ、僕の勘違いだったかも…」


 環夜は二人の反応を見て、慌てて誤魔化した。それでも心の中にある違和感は消えない。

 北北乱散好儂ペペロンチーノを食べていても、違和感は続く。食べたことないはずなのに、知っている味で美味しいと感じる。でも、智美の作る料理には感じない。悪夢では下層地域では一般的ではない料理だった。だから、環夜も知らなかった。なのに、今は普通に食卓に出ている。悪夢のほうがおかしいのだろうか。


『兄さん…大丈夫?』


 横に座って食べていた彰が心配そうに環夜に向かって手を伸ばす。環夜はその手を反射的に払ってしまった。

 彰の驚いた表情を見て、環夜は青ざめる。


「ご、ごめん。だ…大丈夫だから」

『そっ、か。ならいいんだ』


 慌てて謝ったが、彰とは気まずい雰囲気になってしまった。それにしても、なぜ手を払ってしまったのかが環夜には分からなかった。


 ――驚いたからかもしれない。でも、心配してくれた彰にあんな態度はないだろう。酷いことをしたな。でも、前にもこんなことがあった気がする。思い出せない。なんだろう。悪夢を見てから、何かがおかしい。あれは本当に悪夢だったのか。いや、此処は現実なんだ。現実じゃなきゃおかしい。

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