第二十六話 彰の嘘
二人の食事が終わる頃には、いつの間にか佐々木もいなくなっていた。隣で食べていたと言うのに、去ったことに環夜は気が付かなかった。猫のような人だと環夜は思う。
環夜たちは冬陽の言っていた通り部屋で待機することにした。九時半までは一時間以上ある。それまでやることはなにもない。
――やることはあるな。彰の話を聞かなきゃ。
一体どんな話をされるのかは、皆目見当もつかなかったが、冬陽にはきちんと話を聞いてやれと言われている。真剣に聞くべきだろう。
部屋に戻ると、環夜は彰を寝台に座らせた。そして自分は冷蔵庫からお茶を取り出して水呑に注いでから、その横に腰掛ける。
「彰、それで…話って?」
環夜はお茶で喉を潤した後、彰の顔を見つめながら真剣に訊いた。
――本当に、話って一体なんだろう。これからのことだろうか。そんなに話しにくいことがあったとは思えないけど。
彰は覚悟を決めたように口を開いた。
「ごめんなさい…私、ずっと兄さんを騙してた。首都【
彰は胸につかえていたものを取り払うように、一気に言葉を吐き出した。環夜はその内容を理解しきれない。彰の口から紡がれた言葉は、環夜の想像を遥かに超えていた。これからのことなんて、そんな生易しいものではなかった。彰はなぜ今、こんな大きな爆弾を環夜の前に投下したのだろうか。
信用しかけていた義妹に騙されていたことへの衝撃は、血の繋がりのなさを知った時よりも一層強く、環夜の心に傷を作った。
――嘘、だって?上層地域で見た、彰の騙していたことに悲しんでいた姿は嘘だったっていうのか。あれも全て演技だったと?
環夜は怒りよりも悲しみで胸が一杯になった。騙されていたことに気が付かなかった自分を虚しく感じた。いや、それよりも今まで嘘をついていたくせに彰が突然打ち明けたことに理解が追いつかなかった。
「なんで…それを今言うんだ?ずっと、黙っていればよかったのに。僕にそれを話す利点はないだろ」
騙されていたことを知るくらいなら、ずっと騙されていたほうがよかった。環夜は彰に少し心を許していた分、余計に苦しくなった。
「利点なんて…ないよ。だけど話さなきゃいけない状況になったから。私だって…話したくなかったんだよ」
彰は環夜から目を逸らさなかった。だが、環夜のほうが彰から目を逸らす。昨日とはまるで逆だ。
「そん…な、そんな理由で納得…できるかよ」
環夜は声を震わせた。まともに会話できる気がしない。いや、こんな事言われて話ができるわけがない。今すぐ彰の前から逃げたいという衝動が環夜を襲った。
――彰の顔を見るのが怖い。彰がどんな顔で僕を見つめているか知るのが怖い。彰は、もう僕の知る彰じゃない。本当に知らない人みたいだ。
「…私が上層地域に来たのは、兄さんを連れ戻すためだったよ。でも…今はもう連れ戻そうなんて思ってない。上層地域に来てから私の目的は…兄さんを革命自由軍に入れることになったの」
彰の声が遠く聞こえる。環夜は自分の呼吸が荒くなるのがわかった。体の奥底から熱が噴き出してくるようだ。
「…守るために」
彰の言葉を聞くたびに口元が震えた。そして、ついに耐えきれなくなった環夜は立ち上がり、彰の胸倉を掴み上げた。
「意味…分かんないよ。反政府軍に入れることが…僕を守ることにどうして繋がるんだ?それに…何で守られなきゃいけないんだ。上層地域に来て、どうして革命自由軍に入れるって心変わりしたんだよ。なんで…連れて帰ることが義母さんたちの願いじゃないのかよっ。どうして…騙したりなんかっ…何で…」
環夜は声を荒げる。彰は環夜を見据えたまま黙ってそれを聞いていた。それを見て環夜は言葉を詰まらせる。昨日屋上で冬陽の言っていた言葉が繰り返し頭の中で再生される。
『しっかり向き合ってやれ。何を言われても、目を逸らすなよ。言う方も言われる方も同じだけの覚悟が必要になるんだからな』
――獅貴さんは、このことを知っていたのか。だから、僕にあの時あんな事を言ったのか。
「…兄さんを守ることが私の使命だったから。兄さんを連れ戻せないってわかった時…革命自由軍に入れようって思ったの。そこなら兄さんを守りやすいから。それに…」
それでも、納得できるわけがなかった。冬陽に言われた言葉も関係ない。いくら打ち明けるのに覚悟が必要だったとはいえ、騙していたほうが悪い。環夜は声を絞り出し、やっとのことで呟いた声は掠れていた。
「は、あ?…わかんないよ。彰の考えも…性格も…どれが本当の彰なんだよ?」
彰はそこで初めて言いにくそうに目を伏せた。
「どれも私…だけど、どれも私じゃない。演じようと思えば…どんな役でも演じる。それが…私の特技」
演じていたという彰を環夜は信じられなかった。今まで共に過ごしてきた彰は全て嘘だというのだから。
「じゃあ、今までのは全部演技だったのか?上層地域で泣いていた時も、僕の母さん探しを手伝いたいといった真剣な表情も…下層地域で過ごしていた時の姿も…反政府軍で僕が尋問を受けていた時も…口裏を合わせていたのかよ?反政府軍に入れようとしてたってことは…僕が…お前をどうにかして巻き込まないようにって…悩んで…地べたに頭擦り付けて頼んでいた時も…全部、彰の思惑通りだったってことかよ…僕は…お前の掌の上で踊らされてたってことかよ」
彰は目を泳がせた。そして数秒経った後、頷く。環夜の瞳が揺れた。掴んでいた彰の胸倉を力なく離し、寝台に崩れ落ちるようにして座った。
――だから、あの時も、ずっと大丈夫って言っていたのか。本当のことを知っていたから、大丈夫だって言えたのか。
「ごめん、なさい。…私は…ずっと兄さんを誘導していた。わざと戦場に巻き込まれるようにして…わざと怪我をして足手まといを演じて…。ずっと昔から…そうだった。下層地域では家族らしい私に。上層地域では早日家を恨んでいた兄さんに信用して貰うための私に。今は革命自由軍としての私に。場所や時に合わせて私は自分を変えていた。兄さんに怪しまれないように。不快に思われるのは仕方がないと思ってる。ごめんなさい…内緒にしていなければいけなかったの。兄さんを守るために。でも、上層地域で…獅貴さんと出会って…話すことを命じられて…だけど、言いにくくて。獅貴さんはいつでもいいと言ってくれたから、覚悟ができるまで言わなかった…言えなかったの。…罵倒されることは覚悟の上。それを含めて任務だから…。でも、それでも…やっぱり兄さんに嫌われたくなくて…今まで言い出せなかった」
彰は次々と言葉を紡ぐが、環夜の心には響かなかった。それどころか、言い訳のようにも聞こえる。彰の言葉を聞くたびに環夜の心は冷え切っていった。
「許されるとか…任務とか…意味わかんない。獅貴さんとは知り合いだったのか…?だから…二人で何か話していたのか。彰は…最初から…反政府軍で…全部わかった状態で…戦場で何もわからなくて右往左往していた僕を…心の中では笑っていたのかよ」
環夜は力なく訊ねる。自分の太腿を見つめたまま、呟くように。視界の端に映る彰を環夜はなるべく見ないようにしながら。そうしないと、今にも彰に飛びかかってしまいそうだったからだ。
「…笑ってなんかないよ。…もともと、獅貴さんと私たち早日家は革命自由軍で繋がりを持っていたの。協力関係とも言える。母さんが上層地域に行って、何かあったら獅貴さんを頼りなさいって」
環夜は拳を太腿の上で握り締める。怒りは頂点に達していたが、それを必死で押さえつける。いや、押さえつけることでしか希望が見いだせない。もしかしたら彰にも事情があったのかもしれないと、だから怒らないで話を聞かなければと自分に言い聞かせることでしか。そして何よりも、ただただ騙されていたことが悔しくて、辛かった。
「じゃあ、最初から…僕の母さんが反政府軍の兵士だって知っていたのかよ」
「知ってたよ。本当は…ずっと秘密にしていたかった。でも、兄さんが赤星人と接触していたから…早急に革命自由軍に入れなければって…赤星人の考えに取り込まれる前に。利用される前にって」
――信用しかけてたのに。やっと、彰を早日家の人間としてではなく見始めていたのに。結局、彰も早日家なんだ。
環夜の心の中で負の感情が膨れ上がる。直ぐ悪い方に考えてしまうのは環夜の癖だった。どうにかそれを直そうと、いけないことだと思っていた。でも、もう関係ない。
「だったら何でっ、何でもっと早く…母さんが反政府軍だってことを教えてくれなかったんだよ…そうしたら僕は…」
環夜は立ち上がり拳を振り上げる。そしてそれを彰に向かって振り下ろそうとする。彰はそれをよけようとする素振りすらない。しっかりと拳を見据えている。彰の表情は悲しそうでも、苦しそうでも、怖がってもいなかった。かと言って、嬉しそうでも、楽しそうでもない。当たり前だが。つまり、表情はない。無表情で迫りくる拳を見つめている。
環夜はそんな彰の顔を見て、拳を振り上げたまま静止した。
どんなに怒りを覚えても、上層地域に来てからの彰の顔が頭の片隅で浮かんだ。もしかしたら、本当はこんなこと思っていないかもしれない。早日家の両親に強制されて仕方がなく話しているだけかもしれない。嘘かもしれない。
そんな思いが、環夜の怒りの気持ちを抑え込む。結局、環夜は苛立ちを彰にぶつけることもできず、崩れ落ちるように座り込み自分の太腿を拳で叩いた。鈍い痛みが広がる。声を荒げたせいで息が上がっていた。
彰はその場に座り込んで、俯く環夜の顔を覗き込んだ。環夜は目が合わないように顔を背ける。だから、彰の表情がわからない。わかりたくない。
「そうしてたら、兄さんは革命自由軍に入るって言ってたと思う。何度も言うけれど、私たちだって本当は兄さんを革命自由軍に入れたくなかった。兄さんのお母さんのことも、ずっと内緒にしていたかった。那智子さんに会ったら…全てを知ったら…兄さんは悲しむだろうからって。皆が…」
環夜はこれ以上話を聞きたくなくて、覗き込む彰を避けるようにして立ち上がると部屋の入口まで歩いた。扉の取手に手をかける。取手を捻ろうとした時、環夜の手の上に彰の手が置かれた。環夜は瞬間的にそれを振り払う。
「なんなんだよ…。もういいだろ?馬鹿馬鹿しくて…自分が馬鹿馬鹿しく思えて…もうお前の顔は見たくない。おかしいよな…僕が母さんにあったら…悲しむから…会わせたくなくて?…それで追ってきたって?馬鹿じゃないのか。僕が…母さんに会って何で悲しまなきゃいけない?最初から反政府軍だって教えていれば悲しむわけがないのにっ。それに…結局こうやって入ることになっただろ?だったら…最初から…」
――最初から、教えてくれてればよかったじゃないか。騙すぐらいなら、最初から話してほしかった。そうすれば、偽りの家族を演じる必要もなかったんじゃないのか。義理の家族としてじゃなくて、もっと別の形で良好な関係を築いていけたんじゃないのか。なのに、どうしてこんなやり方しかできなかったんだよ。
環夜の目頭が熱くなる。溢れる涙を零すまいと眼球に力を入れる。そして、それを彰に見られないようにと顔を背ける。
「教えていても…兄さんは悲しんだと思うよ」
彰はそう言い、環夜の手を掴む。振り払われても、その度に環夜を行かせないようにと手を掴む。
「そんなことわからないだろっ!それにっ…」
環夜は振り向いて彰を見た。それと当時に両手で彰を突き飛ばす。彰は床に、倒れ込んだ。
堪えていた涙が環夜の頰を伝って落ちた。
「に、兄さん…ごめんなさい。でも…話を聞いて。どうしても…知っていてほしいことが…」
彰は環夜の涙に動揺していたが、それでも話をしようと立ち上がり、環夜に近づいてくる。環夜は勢いよく扉を開け、外に出た。そのまま廊下を走り、階段を駆け上る。背後から彰の呼ぶ声がしたが、無視して走り続けた。
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