第二十四話 覚悟

「彰、いいんだ別に。…彰は大丈夫って言ってくれるけど、僕には大丈夫なんて…慰める価値もない。僕は早日家を恨んだけど、恨む資格なんてなかったんだよ。勝手に恨んで、彰のことも…なのに、彰に慰められて、救われて。彰がいなかったら今、僕は此処にいるかわからない。勝手に家出しといて、勝手に嫌っておいて、彰の気持ちも考えず恨み言を吐いていた…そんな奴なんだ。だから、お前のことを責めたけど、もう忘れてほしい。そんな、余所余所しい態度取らないでくれよ。僕が悪かったから…お願いだから、前みたいに気が強くて、僕のことを考えてくれる…昔の彰に戻ってくれよ」


 環夜は再び俯いてしまった彰に言う。これは環夜の本心だ。早日家を嫌い、恨み、家出同然で上層地域に来て、彰に会って、恨んでいたのに結局心を許していて、彰に助けられてきたことを、ようやく理解したのだ。昔のように、少し強気で環夜のことを引っ張っていってくれる、そんな彰に戻って欲しかったのだ。

 環夜の言葉に彰は黙って首を横に振った。違うとでも言うように必死に首を振る。


「それ、は…違う。兄さん、は…悪くない」


 彰は途切れ途切れにそう言った。恐る恐るといった様子で顔を上げる。

 否定する彰に環夜は不快感を覚えた。なぜ、あれだけ酷いことを言われて、環夜を庇うのだろうか。


「違う?違わないだろ。僕が上層地域に来なければ、僕を追って彰が上層地域に来る必要もなかった。そうじゃないのか?」

「そうじゃなくて…その…私…あの…」


 彰は再び口籠る。環夜は何も言わない彰を見て、苛立つ。すぐ他人に苛立つのは環夜が短気なせいだ。自分のことは棚に上げて、他人が黙ってしまうと苛立ってしまう。

 そんなことをしている間に、料理が運ばれてきた。環夜は彰に話しかけることをやめ、運ばれてきた料理に手を伸ばした。


 油淋鶏を一口噛り、米と共に口に運ぶ。肉汁とたれの旨味が口の中に広がる。油淋鶏のそばにある生野菜も口に入れ、卵の汁物を飲む。

 環夜が半分以上食べ終わる間にも、彰は食事に手を付けずに俯いたままだった。蕎麦が汁を吸って伸びていく。


「彰、蕎麦来てるぞ。食えよ」


 環夜はなるべく優しく声をかけた。彰はゆっくりと箸を取り、蕎麦をすすり始めた。食べている間も、環夜の方へは一度も顔を向けない。


『就寝時間が迫っています。隊員は食事を終え、速やかに自室に戻りなさい』


 食べ始めてから、十五分ほど経っただろうか。食堂にある時計の針が六時半を指すと、壁にある拡声器から放送が流れた。冬陽の言っていた放送とはこのことだろう。


「放送だ。戻らなきゃ」


 環夜は彰が食べ終わるのを待つと、部屋に戻った。階段を上る彰の足取りは重い。


 ――そんなに僕と一緒にいるのが嫌なのか。


 部屋に戻ると、彰は寝台に横になった。今の彰と話ができないと思った環夜は、風呂に入ることにした。風呂は一つしかないので順番にはいるしかない。彰が入らないのなら先に入るほうが後々困らないだろう。

 包帯を巻いてある頭が濡れないように水を浴びる。

 環夜が風呂から上がり、体を拭いて着替えてから寝室に戻ると、彰は眠っていた。あんなに余所余所しい態度をとっていたのは、調子が悪かったからかもしれない。それを、環夜に言い出せなかったのかも。

 環夜は彰の頬を撫でた。今はもう、彰の考えも気持ちもわからない。でも、彰のことをもう嫌いではなかった。憎んではなかった。



 真夜中、環夜は目が覚めてしまった。寝台から起き上がり隣を見ると、彰はよく眠っていた。環夜が寝台から降りて動き回っていても起きる気配はない。

 環夜は上着を着て部屋を出た。冬陽の言っていた屋上へ行こうと考えたのだ。屋上は出入り自由と言っていた。夜中でも使えるだろうか。


 階段を登ると疲れてしまうので、環夜は昇降機に乗った。屋上を選択し、そのまま待つ。昇降機はゆっくりと動き出した。もうほとんど慣れたが、やはり昇降機を環夜は好きになれなかった。

 昇降機が止まり、扉が開くと目の前には上へと続く階段があった。環夜は昇降機から出て、その階段を上る。階段の上には扉があって、軍兵証を翳すと扉が開いた。夜の涼しい風が環夜の顔に吹き付ける。

 環夜は屋上の柵に寄りかかって星空を見た。人工映像なことはわかっていたが、それでも綺麗だと、環夜は目を細めた。


「眠れないのか、亜奏」


 星空を見ている環夜の肩を誰かが掴んだ。男の手、隊員服の袖が、環夜の目に映る。


「し、獅貴さん。どうしてここに?」


 環夜は慌てて振り向く。背後に立っていたのは冬陽だった。視線を合わせられない。環夜はこんな時間に屋上にいることを、どう言い訳すればいいかわからなかった。もしかしたら怒られるかもしれない。


「お前が、眠れないんじゃないかって思って…案の定、屋上に向かうお前がいた。早日はもう寝たのか?」


 冬陽は呆れたように環夜の頭に手を置いた。どうやら、屋上に向かう環夜のことを心配して追って来たらしい。


「なんか疲れていたみたいで…。その…獅貴さん、彰が変わってしまった理由を知っていますか。獅貴さんを責めるわけじゃないんですけど…戦場で獅貴さんと話をしてから、彰が今までの彰と少し違う気がして…。何か話したそうにはしてるんですけど、僕の前では話してくれなくて。何か知りませんか」


 環夜は彰のことを聞いてみた。冬陽と話していたということは、彰が変わってしまった理由を知っているかもしれない。

 冬陽は環夜の言葉に即答した。


「それは…本人に聞くべきだな。話そうとしていたなら早日を信じて待て。それが男だ。いいな?早日はちゃんと話してくれると思うよ。その時、お前がどういう反応をするかが重要だ。しっかり向き合ってやれ。何を言われても、目を逸らすなよ。言う方も言われる方も同じだけの覚悟が必要になるんだからな」


 冬陽の言葉は環夜の心に刺さった。彰が話しにくそうにしていたのは、心の準備ができていなかったからかもしれない。環夜が覚悟を持って接すれば話しやすくなるかもしれない。一度、彰に対して強く言ってしまったことがあるから言い出せない可能性もある。


「よく…わかりませんけど、きちんと彰の話を…聞いてみます。それで納得できなかったり、どうすればいいのかわからなくなったら…獅貴さんを頼ってもいいですか」


 環夜はそれでも不安で、冬陽に頼ることばかり考えている。彰がどんなことを打ち明けるのかは想像がつかないし、心の弱い自分がそれを受け止められるかもわからなかった。


「人に頼るより自分で頑張れと言いたいところだが…いいぞ、相談には乗ってやる。だから、今日はもう寝ろ。明日、万全の状態で早日と話せるように」


 冬陽は環夜を突き放したりしなかった。少し呆れているようには見えたが、それでも優しく環夜の頭を撫でて元気づけた。包帯の下の傷が痛んだが、環夜は安心して肩の力が抜けた。


 ――明日になったら、彰に聞いてみよう。どんなことを言われても、受け止められるようにしたい。


 環夜は冬陽に一言挨拶をして屋上を離れた。冬陽はまだ残って考え事をしたいそうだ。階段を下りて昇降機に乗っているときも、環夜は彰のことを考えていた。彰が自分に言いたいことが一体何かを。考えてもわからないのに、そればかり考えてしまう。

 部屋に戻った後もなかなか寝付けなかった。布団の中で何度も寝返りを打ち、時計を眺めているうちに環夜は眠りに落ちた。

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