第二十三話 話さなきゃいけないこと

 そこで冬陽が話を終わらせるためか手を叩いた。


「話はまた後でにしてくれ。とりあえず、今日はお前たちを宿舎に送って終了だ。気がついてないと思うが、戦場でお前たちの意識が途切れてから、すでに一日と十四時間ほど経っている。お前たちはなかなか意識を取り戻さなかったからな。今は独暦…いや、お前たちはこっちのほうがわかりやすいか。今は西暦二千四百四十年七月二十八日の午後五時位だ」


 冬陽に言われて、環夜は慌てて利き腕の液晶を見た。確かに五時四分と表示されている。日付は、液晶には表示されないので、教えてもらえるのは有り難かった。


 ――今、独暦で言いかけた。独暦は確か、今から二百年以上前に使われていた西暦に代わって作られた暦だと習った。貴族の手によって作られた暦。上層地域では当たり前に使っていたようだけど、反政府軍は西暦を使っているのか。貴族を否定するなら貴族の作った暦は使わない可能性が高い。それにしても、西暦も独暦も電子日捲りはないのは何故なんだろう。


 とりあえず移動すると冬陽は言い、二人を立たせると研究所から吹き抜けの場所まで戻った。彰は点滴の管を外してもらったようだが、環夜はまだ少し心配だった。

 吹き抜けの空間には、もう兵士たちは訓練していなかった。それどころか誰もいない。

 冬陽は空間を通り過ぎ、牢屋のある場所へ繋がる扉の横にある扉に、環夜が昇降機に乗ったときに使ったような金属板を翳してから外に出た。


「さっきの吹き抜けの空間は、訓練場兼集会場だ。俺たちは広場と呼んでいる。そして、様々な施設につながる扉がある場所でもある。施設についてはまた説明するから今回は省く。広場の出口は独房所のすぐ右隣にあるが、軍兵の証である金属板を翳さないと出入りができない。後で渡すがなくすなよ」


 冬陽は反政府軍の位置について説明しながら、広場を出て右にある舗装された道を進んだ。


「宿舎には五百人ほどの兵士が寝泊まりしている。階級や部隊によって部屋も変わるが…お前たちにはとりあえず訓練生用の部屋を使ってもらうことになる。まだ、どの部隊になるかが決まっていないからな。本来、男女別棟なんだが…今日は心細いだろうから二人同じ部屋にしてくれた。藤巻さんが上に掛け合ってくれてな。感謝しとけよ。まぁ、明日からは別々になると思うがな。本来は別々が当たり前なんだからな」


 冬陽についていくと、突き当りに高層の建物が立ち並んでいた。廃墟で見たような一昔前の高層住宅。此処は下層地域なのだろうか。高層住宅らしき建物の後ろにも、環夜達の後ろにも左右にも見上げるほど巨大な壁があって、その先は見えない。どうやら此処一体が反政府軍の基地なようだが。


 ――それにしても、藤巻さんが僕達のためにそこまでしてくれていたなんて。本当にいい人だ。


「はい。いつ会えるんですか」


 環夜はしっかりと返事をした。言われなくてもこれだけ親切にしていただけば礼の一つくらい言わなければと環夜でも流石に思う。

 冬陽は環夜の問いに対して難しい表情をしながら言った。


「…藤巻さんと同じ部隊になれば会えるかもしれないけど…確実ではないかな」


 環夜は肩を落とした。残念だ。藤巻のようないい人の下で戦えればいいと環夜は思った。

 冬陽とそんな事を話しながら、環夜と彰は一番右にある高層住宅に入る。冬陽は此処の入口でも金属板を翳していた。

 中に入ると、宿屋や広場のように吹き抜けの空間になっていて、ものすごい量の食卓と椅子が並べてあった。受付のような場所は食堂になっているようで、兵士たちが食事を取りながら会話をしていた。


「夕食は此処で摂ればいい。後で渡す軍兵証を見せれば食べられる。部屋はこっちだ」


 冬陽は食堂を通り過ぎ、突き当たりにある階段を上っていった。


「エレべ…いや、昇降機は軍兵証がないと使えないから、階段で我慢してくれ。そんなに上の階ではないから」


 階段を登るのは意外と大変だった。環夜も彰もすっかり息が上がってしまった。それに比べ冬陽は恐ろしいほど平然としている。


「訓練していればこんな運動些細なものだと感じるようになるよ」


 冬陽の言葉に環夜は身震いをする。階段を何百段も登ることを些細だと思えるほどの訓練とは一体どれほど過酷なものなのかと想像するだけで恐ろしくなったのだ。


「一体、どんな訓練をするんですか」


 そして、恐々と冬陽に訊いた。冬陽は立ち止まり、振り返ると、怖がる環夜を見て意地悪そうに笑った。


「それは、明日になってからのお楽しみだよ。まぁ、選ぶ武器によって訓練方法も多少違ったりするから、これだって断言はできないな。でも、過酷なのは確かだ。かく言う俺も、最初は音を上げたものだ」


 ――獅貴さんが音を上げてしまうほど過酷な訓練に、僕はついていけるのか。訓練で死んでしまうのでは?


 環夜の表情が曇ったので冬陽は慌てて言う。


「大丈夫だ。初心者にいきなり無理難題を押し付けたりはしない。徐々に訓練のやり方も変わっていくと思うぞ」


 環夜はその一言に胸を撫で下ろす。徐々にならば、環夜もついていけるかもしれない。いやそれよりも、女で環夜よりも体格が小さい彰がやっていけるかが心配だった。精神は強いが、彰は体力があまりない。


 ――彰を守りながら戦えるんだろうか。


 冬陽に続いて階段を上っていくと、四階と表示されたところの扉を開けて、一直線に伸びる通路に出た。通路を挟んで左右に一定の間隔で扉があり、部屋番号が書かれている。

 冬陽は廊下の突き当りまで歩くと、一番角にある部屋の前で立ち止まった。


「此処がお前達の部屋だ。四ノ八号部屋。俺の部屋からは一階分離れているが、まぁ、問題ないだろう」


 そう言うと冬陽は軍兵証を取り出して差し出した。環夜と彰はそれを受け取る。


「じゃあ、今日はもう休め。明日から訓練を始めていくぞ。早く前線に立てるようにな。…何回も言うが、飯は一階の食堂を使え。風呂は部屋についてる。屋上は隊員証があれば出入り自由だが、落ちるなよ。何か困ったことがあれば、三階の三ノ二号部屋まで来い。俺の部屋だ。一人部屋だから俺しかいない。気軽に聞きに来いよ」


 冬陽はそう言うと環夜たちと頭を軽く叩き、昇降機のところまで歩いていった。


「あ、宿舎内の放送には従えよ。行動は基本自由とはいえ軍事基地だからな。周りに合わせろ、いいな?」


 昇降機に乗ろうとして冬陽は立ち止まり、そう言うと下の階へ通りていった。

 環夜は扉の前に立ったまま動かない彰に声をかけた。


「とりあえず、入ろうか」


 彰は一瞬、強張った顔で環夜を見たが、小さく頷いた。

 環夜は軍兵証を扉についている取っ手の上に翳した。宿屋のときと同じように鍵の開く音がして取っ手が動くようになった。

 中に入ると、すぐに部屋があって、壁を切り取ったところに埋め込むような形で寝台が二つ置いてあった。他にも壁に収納できる机が二つ。風呂場や閉所、あとは軽い調理場まである。

 宿屋よりは狭かったが、無料だと考えれば十分な広さだった。


「兄さん…私、兄さんに話さなきゃいけないことがあるの」


 部屋の中に入り寛ごうとすると、彰が唐突に言った。環夜は思わず動きを止めて彰を見る。

 彰の顔は思い詰めたようで、強張っていた。視線を合わせられず俯いている。


「うん、わかった。とりあえず夕食にいこう。少し早いかもしれないけど、明日のことを考えると早く寝た方が良いしね」


 環夜は部屋の壁にかかっている時計を見て、そう言った。時刻は午後五時半を過ぎている。夕食をとってもおかしくない時間だ。


 ――それにしても、やっと一段落ついたというのに彰はどうしたんだろう。二人きりになった途端、前の彰に戻ってしまった。


 彰が変わってしまったと思っていた環夜は、もとに戻ったことを嬉しく思ったが、二人きりになって戻るのは何故かが気になった。

 環夜と彰は軍兵証を使って昇降機に乗った。一階につくまで一言も発さない。環夜は何か話題を振りたかったが、言葉が出なかった。

 一階につくと、環夜から声をかけた。


「じゃあ、受付…?みたいなところで注文しよう。何があるかわかないけど…」


 彰は首を縦に振ると注文をするため、窓口まで歩いていった。その後ろを環夜も急いでついていく。

 窓口にいる女軍人は環夜たちに気がつくと紙を取り出し何にするか訊ねた。


「君たちは…獅貴少将の言っていた新入隊員だね。今日のメニュー…献立は、蒸し鶏と夏野菜の和物定食と油淋鶏定食、単品だと饂飩とか蕎麦もあるよ」


 環夜と彰は女に軍兵証を渡すと、献立表を真剣に見つめた。どの料理も美味しそうだ。和物は早日家でも食べたことがあるが、油淋鶏は食べたことがない。


「僕は油淋鶏定食で」


 環夜は隊員証を受け取りながら、女に向かって言った。彰はまだ悩んでいるようで、献立表と睨み合っている。


「私は…蕎麦でお願いします」


 数十秒後、彰は献立表から目を離し、注文した。そう言えば、先程から彰と目が合わなかった。環夜のことを見ようともしない。意識的に顔を背けていた。

 注文をし終わると二人は番号札をもらい、席を探した。階段近くにある向かい合わせの席が空いていた。二人はその席に座り料理を待った。出来上がったら運んできてくれる体制のようだ。

 環夜は料理を待っている間、彰の話を聞こうと向き合ったが、彰は目を合わせようとしない。


「彰、さっき言ってた…話聞くけど」


 環夜が声をかけても、彰は俯いたまま何も喋らない。顔を覗き込むと視線を逸らす。


「彰…?」


 環夜は立ち上がり、彰の方に手を置いた。その瞬間、彰の方が揺れる。


「っ…あの、兄さん」


 彰は喉から絞り出すように声を出した。冬陽に会う前よりも、一層余所余所しい態度になっている。環夜はそんな彰を見て不安を覚えたが、これ以上彰が話しにくくならないようにとあえて追求しなかった。


「うん、なに?」

「その…あの…」


 彰はまた黙り込んでしまった。そんなに言いにくいことなのだろうか。


 ――あの時、獅貴さんと二人で何か話していたのか。獅貴さんには話せるのに僕には話せないのか。


 結局、大切な兄だと言いながら信用されていなかったのだと、環夜は心を落ち込ませた。彰が言いたいことは自分への不満なのかもしれないとも思う。だとしたら素直に聞いてあげるべきなのではないか。


「僕…不甲斐ないから苛立つよね。ごめん…守るって言いながら何もできてない。……僕への文句なら何でも聞くよ。もともとこうなったのは僕の所為だから…」


 環夜は席に座り、俯く彰を見つめながら言う。彰は慌てて顔を上げた。口を開き、環夜に向かって何かを言おうとしたが声に出ない。本当に言いたいことは、言わなきゃいけないことは、なかなか声に出ないものだと環夜は知っている。

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