第二十一話 新入隊員

「子供だからわかりやすくしているんだ。拷問をして政府の間者でないことを証明してもいいんだぞ?それを死か生かの二択にしてやっているのだから早く選べ」


 男は選ばないなら拷問するという。環夜たちを政府の間者だと疑っているのだ。

 環夜は何もできない。今まで通りに。逃げることも戦うことも何もできない。唯一できるのは言葉で抵抗することだけだ。


「…僕にとっては…あなたがた反政府軍も…国民を見殺しにした政府軍も一緒に見えますよ…」


 環夜は皮肉を込めていったつもりだった。だが、男は微動だにしない。子供の我儘を聞いてるかのごとく、余裕の表情だ。男は分かっているのだ。環夜に抵抗する力などないことを。


「理解しろとは言っていない。早く選べ」


 ただただ冷たく言う。それでもう環夜は何も言えなくなってしまう。


 ――僕は殺されても、彰は逃さないと。彰は僕の実母探しに付き合ってくれていただけで、巻き込まれただけなんだ。アリゾネとも接触してないし、彰だけなら助けられるかもしれない。


「…彰もですか。まだ、義妹は幼いんです。見逃してはもらえませんか。お願いします」


 環夜は男に向かって懇願した。地べたに額を押し付け、環夜にとって最大限の礼儀を持って言う。

 だが、男の返事は環夜の必死の願いを簡単に叩き崩すものだった。


「無理だ。我々と出会ったことを運の尽きと思え。それに…お前が上層地域に来なければ妹も巻き込まれなかったのではないか。全てはお前の責任だよ」


 図星だった。分かりきっていることだった。言われずともわかっていると、この身に沁みていることだと、環夜は床に額をついたまま拳を握りしめた。


「…どうしても無理なんですか。十三歳の子どもに…戦争をしろとあなたは言えるんですかっ」


 床を睨みつけながら環夜は、再度男に訊ねる。どうしても彰を逃がしたい。妹でなくても、妹でないと思っていても、嫌おうとしても、結局環夜は彰が大切なのだ。 


「私は十二歳から戦っていたっ。他にも幼い兵士は山ほどいるっ。赤星人に親を殺された者…帰るところがない者…お前たちだけ不幸だとは思うなよ。お前なんか自分から望んで上層地域に来たんじゃないか。母親を探すためとはいえ自分で望んだ道だろう。落とし前も自分でつけろっ。戦場では義妹を守りながら戦えばいいだろうがっ」


 男は環夜の言葉に激昂した。床に土下座する環夜を蹴り飛ばし怒鳴りつける。

 環夜は痛みに悶えながら、恐る恐る男を見た。男は眉間に青筋を浮かべて環夜のことを睨みつけている。

 環夜の手足は震えていた。いや、体全体が男に対して恐怖を示していた。


 ――戦えだって?僕には無理だ。


「そんなの…無理だ。僕は運動とかそういうの苦手なんですよ…戦うなんて無理だ」


 環夜は力なく答える。男は溜息をついて環夜の眼の前に座り、その肩に手を置いた。環夜は驚き身を引いてしまうが、掴む力が強くて逃げられない。


「何も丸腰で行けとは言っていない。当然訓練はして貰う。それに…今お前達を解放しても政府軍に殺されない可能性は低いぞ」


 男は環夜を脅すように環夜に言う。環夜は恐怖で何も言えない。ただでさえ反政府軍と間違えられて捕らえられたことがあるのだ。本当に接触したことが露見すれば殺されてしまうかもしれない。完全な盲点だった。反政府軍の基地から逃げたいがため忘れていたのだ。


「選べ。でなければ殺すだけだ。我々もできれば殺したくはない。早く選べ」


 環夜の選択肢は一つしかなかった。この男の言う通り、義妹である彰を守りながら、アリゾネに反政府軍であることを隠し通し、政府軍と戦う。それしかない。

 アリゾネの同志だと、勝手に意気込んでおいて、結局こうなってしまう。何が同志だ。環夜はアリゾネに迷惑しかかけていない。


「…戦います。そうしたら母さんに会わせてくれるんですか」


 選ぶ道のない環夜にとって、反政府軍になることで実母出会える可能性があることだけが唯一の希望だった。たとえアリゾネを裏切ることになったとしても。

 環夜は消え入りそうな声で男に訊ねる。男はぶっきらぼうに答えた。先程のように怒りを込めた声ではない。


「そんなことは知らん。戦えば母親に会えるなどと無責任な発言はできない。だが功績を挙げれば、褒美として会うことも可能になるかもしれないな」


 環夜に同情したのだろうか。また嘘かもしれない。だが、男の言葉は環夜の心に少しの希望を作り出した。

 どちらにしろ、もう後戻りはできない。

 覚悟を決める。彰を絶対に守ると。

 そしてこうも思う。アリゾネを裏切ることになってしまうけれど、アリゾネなら説明すればわかってくれるはずだ、と。同志という言葉をいいように解釈して。


「僕…やります。妹も…殺さないでください。僕が守ります」


 環夜は震える足を気張り、立ち上がると男に向き合った。男は納得したようで、鉄格子を開け、牢屋部屋の扉も開けた。

 部屋の外には冬陽が立っていた。環夜たちの話を聞いていたのか事情はわかっているようだった。黙って環夜の方を見た後、男に向き合って何やら話をしていた。


「じゃあ、後のことは頼んだぞ獅貴」


 男は冬陽にそう言うと、牢屋部屋を出ていった。


「了解しましたよ」


 冬陽もそう言うと牢屋部屋の扉を閉めてから、環夜に近づくる。何を言われるのかと環夜は身構えたが、冬陽は環夜の頭を撫でた。とても優しい表情をしている。


「よく、頑張ったな。……辛いことはなくならないが、これから頑張っていこう。困ったことがあったら俺を頼れ。革命自由軍の中では顔が利くほうだ」


 環夜は一気に力が抜けて、床に座り込んでしまった。安心感か、分からない。それでも、名前の知らない男ではなく、名前の知っている人物が目の前にいることが、安心できるということを強く感じた。戦場で環夜たちに向けていた、あの哀れむような目は、こうなることを知っていたからだ。環夜たちの未来を思って、同情してくれていたのだ。


「獅貴さん、ありがとうございます」


 環夜は本心からお礼を言った。ほとんど自然に口から零れ出た。冬陽は頷くと、もっと頭を撫でる。


「…亜奏、礼を言うのは後でもできる。彰を起こせ。今から身体検査にいかないといけない」

「検査…?」


 環夜は疑問符を浮かべる。反政府軍に入るのに検査が必要なのだろうか。

 ひとまず冬陽の言う通りに彰を起こす。横たわる彰の肩を掴み揺らしながら声を掛ける。彰はゆっくりと目を開き、まだぼんやりした表情のまま起き上がった。


「あれ…兄さん?獅貴さん?」


 目を擦りながら辺りを見渡す彰。寝起きで状況がうまく把握できていないようだ。


「彰、ここは反政府軍の基地なみたいだ。僕たちは…ごめん、反政府軍として戦わなくちゃいけなくなった。僕の所為だ。本当にごめん」


 環夜は彰に嫌われることも、罵倒されることも覚悟して、事実を伝えた。が、彰は何故か驚いていない。それどころか、環夜を抱きしめて言う。


「大丈夫。兄さんが悪いわけじゃないから…大丈夫だよ」


 環夜は彰の落ち着き具合を見て、怖くなった。どうして落ち着いていられるのかが分からなかった。


 ――目が覚めて知らないところにいたのに、どうして平然としてられるんだ?戦場で獅貴さんと話をしてから…彰はどこか変だ。


「とりあえず行くぞ。ついてきてくれ」


 冬陽がそう言い、牢屋部屋の外に出た。慌てて環夜と彰はその後をついていく。

 部屋の外は長い廊下が続いていて、あちらこちらに牢屋部屋と同じ扉がある。灯りは天井に疎らにしかなく、窓は一つもなかった。そういえば、独房内にも窓はなかったと環夜は気がつく。

 冬陽は突き当りの扉まで進むと中にはいった。環夜と彰も続く。いや、入ったと言うより出たと言うべきか。


 扉の先には吹き抜けの空間が広がっていて、牢屋の床と同じ材質でできた床では反政府軍の軍服を着た人々が何やら訓練をしている。正面や左右の壁には、今しがた環夜たちが出てきたような扉がついており、その上には部屋名が書かれていた。此処にも窓はない。

 冬陽は訓練している兵士の間を通り、北東の扉に向かった。環夜と彰は兵士たちの邪魔にならぬよう小走りでついて行く。


 北東の扉の上には『研究所ラナ』と書かれていた。

ラナ・・』が何を意味するのかわからなかったが、研究所・・・であることはわかる。此処で検査とやらをするのだろうか。

 扉を開けた先は再び細い通路が続いていて、右前方の壁は切り取られたように空間が空いており、『受付』と書かれた場所で、兵士とは服装の違う人たちが事務仕事らしいことをしていた。ここからでは内容は見えない。

 冬陽は受付に向かうと、事務仕事をしている男の一人に話しかけた。


「新入隊員だ。…身体検査をしなければならない。通っていいな?」


 男は冬陽の顔を一瞬見たが、すぐに視線を落とし、事務仕事を続けた。


「名前は…?引率隊員と新入隊員のだ」


 男は下を向いたまま、冬陽に問う。


「引率隊員は獅貴 冬陽。新入隊員は亜奏 環夜と早日 彰だ」


 男はそこで顔を上げ、何か書かれた紙を冬陽に渡した。


「検査官に渡せ。終わった後は受付に提出しろ」


 冬陽は頷くと奥へと進んだ。環夜と彰は慌ててついていく。冬陽は左奥の扉に入った。環夜と彰が入ったことを確認すると、冬陽は扉を閉める。

 部屋の中は病院のようだった。何に使うかわからない機械がたくさん置かれており、白衣を着た人々が仕事をしている。正面奥には鉄の扉があり『施術室』と書かれている。


「新入隊員の身体検査を受けに来た」


 冬陽がそう言うと、白衣を着た女の一人が近づいてきて検査書を受け取った。真っ赤な髪が腰辺りまで伸びている。瞳も髪と同じくらい赤かった。


「…なるほど、施術ね。いいわ、ついてきなさい。獅貴くんは此処で待っていて。いいわね?」


 女はそう言うと、正面奥の扉に入っていった。施術室だ。

 冬陽は環夜と彰に向かって、女についていくように言った。どうやら冬陽とは一旦此処でお別れらしい。

 環夜はそれが少し不安だった。いきなり知らない人についていくことが。でも、仕方がない。これからはそんなこと言っていられないのだ。

 環夜は彰は女の後に続いた。鉄の扉の向こうは牢屋と同じ雰囲気を持った部屋だった。椅子と寝台が置かれている。その奥にはさらに扉があった。


「座りなさい。椅子にね」


 女は二人に向かって言う。環夜と彰は、中央に置かれた金属製の椅子に座った。これから何が始まるのかと動悸が早くなる。環夜は体を硬くして身構えていた。不安は消えない。

 彰は環夜に比べて落ち着いていた。先程からずっと黙って指示に従っている。

 環夜は何でもいいから話をしたかったが、言葉は出なかった。大丈夫と言われたとはいえ、環夜が原因で彰も反政府軍に入ることになってしまったのだ。声をかけられるわけがない。


「問診を始めるわ。質問に答えて。いいわね?」


 女はそう言うと、環夜たちの返事を待たずに話し始めた。質問は三つだけだった。身長、体重、そして血液型。

 問診と言うには、あまりにも手早く終わってしまったので環夜は拍子抜けした。身構えた自分を馬鹿らしく感じた。


「じゃあ、これを飲んでベッドに横になってね」


 女は環夜と彰に水呑を渡し、寝台を指さして言った。ベッドというのは寝台のことだろう。水呑の中には透明な液体が入っている。


 ――これは一体何なのだろう。飲んでも大丈夫なものなのだろうか。


 環夜は不安で口をつけることができない。毒かもしれないという、疑いの心は晴れない。

 隣では彰が躊躇わずにそれを飲んでいた。環夜は驚きと不安で彰に声を掛ける。気まずいなどとは言っていられない。


「彰、大丈夫か」


 環夜の言葉に彰は驚いたような顔をした。


「え…なんで?兄さんは飲まないの?大丈夫だよ。毒とかじゃないと思うよ」


 ――彰は信じ切っている。何故だろうか。どうして信じられるんだ。仲間に入れると見せかけて僕らを殺すつもりかもしれないのに。


 環夜はまだ決心できない。水呑を持つ手が震える。このまま水呑を床に叩きつけてしまいたい衝動に駆られた。だが、それもできない。目の前では反政府軍の女が環夜を見ているのだ。そんなことをすれば殺されてしまうかもしれない。


「早く飲みなさい」


 環夜が口をつけていないことに気が付き、女は環夜を急かす。環夜は飲めない。

 そんなことをしているうちに彰は寝台に横たわり、寝息を立て始めた。こんな状況で眠れることに環夜は驚き苛立ちを感じた。

 だが、それはすぐに反政府軍への警戒に変わった。彰は水呑に入った何かを飲んで眠ってしまった。これは睡眠剤か何かなのではないか。


「彰に…何をしたんですか」


 環夜は女に尋ねる。飲んでいれば環夜も意識をなくしていただろう。そうなっていたら、二人揃って殺されていたかもしれない。

 女は警戒する環夜を見て、溜息をついた。額を押さえ首を横に振る。


「何を勘違いしているかわからないけど…あなたたちの為に飲ませているのよ?」


 ――意味がわからない。睡眠剤を飲ませることの何が僕たちの為になるというのだろうか。


 それでも飲まない環夜を見て、女も苛立っていた。ついには環夜の手を掴み、無理やり飲ませようとする。


「早く飲みなさいっ」


 環夜の口に水呑が押し付けられる。閉じた口に無理やり睡眠剤が入り込む。環夜は飲み込むまいと抵抗するが、それも虚しく睡眠剤は環夜の喉を通り胃袋にまで到達した。

 環夜は女を突き飛ばす。慌てて吐き出そうとするが全てが手遅れだった。すでに眠気が迫ってきている。瞼が重い。体の力が抜けるようだ。

 環夜は太腿の肉を指で抓り上げた。痛みで叫び声を出しそうになるほど。だが、意味はなかった。その痛みも、だんだん鈍く、感じなくなってきたのだ。


 ――眠っちゃ駄目だ。殺されてしまう。駄目なのに、眠気に抗えない。駄目だ、寝てしまう。くそ、此処で殺されてしまうのか。


 環夜はとうとう体を起こしていることもできなくなり、床に倒れ込んだ。体の力が入らない。

 瞼が閉じていく。自然に夢の中に引き込まれていくようだった。

 薄れゆく意識の中、最後に見たのは、複数の人に運ばれる彰だった。奥の扉へと運び込まれていく。一体どこに連れて行かれるのだろうか。

 限界だった。運ばれていく彰を見つめながら、環夜の意識は、そこで途切れた。 

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