第二十話 死か戦いか
目を開ければ真っ暗な視界。見渡す限り黒い空間。すぐに理解する。ここは夢の中だと。
裸に裸足のまま、環夜は歩き出す。もうわかっているのだ目覚めるまでは何をしても意味がない。夢の中でさえ環夜は何もできない。
『…い。……い………て…や…て…。い…たい…いたい…や…めて…やめて。…痛い…助けて…やめて』
その声に気が付き環夜は声の主を探そうとする。その時、足元に嫌な感触を感じた。柔らかくて温かいものが環夜の足の下にある。生暖かくて濡れた何かが。
環夜は機械人形のように首を動かし下を向いた。そしてその何かと目が合う。それは死体だった。胴体から切り離された頭部、生首。飛び出した眼球が環夜を見つめる。
環夜は悲鳴を上げた。いや、上げたつもりだったが、それは声にならなかった。足は震え、口からは嘔吐物を吐き散らす。生首は環夜に向かって言う。助けてくれと。
環夜は目を背けた。息苦しさと頭痛が環夜を襲う。耳を塞いでいても声は聞こえてくる。
――やめろ。僕は悪くない。悪いのは貴族だ。反政府軍だ。僕じゃない。僕じゃ、ない。
環夜は涙を零しながら、そう唱える。声は止むことはなく環夜の心を抉り続ける。
――やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめてくれっ。
瞼の上から差し込む光が眩しい。環夜は涙を流しながら目覚めた。横たわっている場所は固く、冷たい。
「目覚めたか」
頭上から男の声がする。冬陽でも藤巻でもない声だ。環夜の知人でないことは確かだ。
環夜は体を起こした。目の周りについた水滴を袖で拭う。
「お前たちの荷物はすべて処分させてもらった。なぜか貴族用の昇降機搭乗券が入っていたが、事情は後で説明して貰うとしよう。それと位置情報を特定できる機器も入っていた。すぐに処分したとはいえ明らかにお前たちは政府側の間者と疑われる要素を持っている。わかっているな?お前たちには選択肢を与える。それによりお前たちが政府側の間者かどうかがわかるだろう」
目の前には藤巻のように筋肉質な、赤毛茶瞳の男が立っていた。環夜を見下ろしている。男は一息でそう言った。声は聞き取りにくいほど低い。
環夜はいまいち状況を飲み込めなかった。戦場にいたときを最後に記憶が途切れている。
「あの、ここは…?」
周りを見渡すと、ここはどこか建物の中なことがわかった。頑丈そうな壁に、鉄格子。牢屋だろうか。部屋には男の後ろに金属の扉が一つあるだけで他に出口はない。そもそも、鉄格子の扉すら開きそうになかった。場所はわからないが、自分たちが気絶しているときに連れてこられたのだろう。鉄格子を挟んで向かい側に男は立っていた。
「此処は革命自由軍基地の独房内だ」
男は淡々と環夜の質問に答える。
環夜は近くに彰が横たわっているのを見て、ひとまず安心した。離れ離れにはされなかったようだ。彰はまだ目覚めていない。怪我していた足も戦場にいた時より、しっかりと処置されていて、彰の寝顔はとても安らかだ。
ひとまずわかることは環夜たちは反政府軍の基地に連れてこられていた。それも独房に。
――やはり、助けてくれるというのは嘘で僕達を殺すつもりなんじゃないのか。いや、でも殺すつもりなら意識がないうちに殺せばよかった。それをしていないということは殺すことが目的ではないのか。先ほど、選択肢を与えると言っていたような気もする。
「僕達を…つれてきて、いったいどうするつもりですか」
環夜は恐々尋ねる。男は何を今更と言った様子で答えた。
「…お前たちは戦場を見たんだろう?貴族の本当の姿も」
その言葉を聞いて、環夜は自分たちが何故連れてこられたのか唐突に理解した。戦場で見た残酷さと恐ろしさと真実を思い出したのだ。貴族が目の前で国民を殺したこと。
――貴族の残虐さを見せることで僕達を反政府軍に入れようとしていたのか。
環夜はそう思ったとき、再び自分の馬鹿さを恥じた。本当に恥じてばかりの毎日だ。
――僕は馬鹿だ。反政府軍の言葉に踊らされて、見せられた真実の一部を鵜呑みにして政府を悪にしようとしていた。なんのためにアリゾネの同志になったんだ。ああいう貴族や、反政府軍を変えていくためだろう。アリゾネは貴族たちを内側から変えていきたいと言ってた。少なくとも、ああいうことがいけないと思える善良な貴族もいるんだ。なら、僕が信じなくてどうするんだ。
「そ、それが何だって言うんですか。貴族にはいい人もいます。あなたがたの先入観で決めないで欲しい。そ、それに、元といえば、あなたがた反政府軍が戦いを始めたから国民が巻き込まれたんじゃないですか」
環夜はできるだけ落ち着いて言い返す。震える声を一生懸命押さえつける。抵抗しなくてはいけないと自分を奮い立たす。確かに、残虐な貴族もいることを環夜は知った。でも、アリゾネのように優しい貴族がいることも環夜は知って欲しかった。そうすれば、反政府軍も政府軍と正面から争うなどしなくなるのではないかと考えたのだ。浅はかな考えだが。
「否定はできないが、奴らがそもそも人間を支配しているんだ。だから国を解放しようとしている。それに、国民はすでに洗脳されている。助けようとしても我々に歯向かう者がほとんどだ。だから助けられない。貴族は自分たちを慕ってくれている国民を見殺しにしているんだぞ」
環夜は頭の中で情報を整理する。男は環夜の事情など考えない。あくまで自分たちの考えが正しいと、環夜たちの方が異端者なのだとでも言うかのようだ。
――確かに、そういう貴族もいる。目の前で見せられたのだ分かっている。でも、極端すぎるんだ。嫌いなものを全て始末していたら何も残らない。何もできない。後先考えぬ行動は身を滅ぼすんだと、数日前の自分に言い聞かせてやりたいほど身に沁みていることだ。
「…僕には、なぜそんなに貴族を嫌うのかが理解できません」
環夜は覚悟を決めた。この男の言葉に対向する意思を。自分が、自分だけが此処で貴族の優しさを伝えられる人間なのだと、そう心のなかで何回も何回も言う。挫けるなと。アリゾネに恥じぬ意思を見せろと。あんな悪夢を見なくなるほどに強くなれと。
「お前たちは…貴族の本当の姿を知らないからな…あの異星人の恐るべき本性を」
男は何度も繰り返すように、貴族を悪だという。環夜は負けずに言い返した。
「確かに…あなたがたの考えは間違ってはいないかもしれませんけど、だからといって正しくもないと思います。残虐な貴族がいるからって、貴族全員を悪と決めつけてはいけないんじゃないですか」
男は環夜の言葉を聞いて、説得を諦めたように目を伏せ、溜息を吐いた後、立ち上がった。
「とりあえず…我々を知ってしまったお前たちをもう解放することはできない」
そう言いながら、再び環夜に向き合う。その顔は無表情で環夜は恐怖を覚えた。
――開放することができない、か。そう言えば獅貴さんも戻らせないと言っていたっけ。
環夜はあのときの意味が今わかった。
「じ、自分たちで連れてきて…勝手じゃないですか」
それでも、納得はできない。それはそうだ。環夜たちは望んでついてきたわけじゃない。連れてこられてしまったのだ、強制的に。
男は必死に抵抗する環夜を見て言う。その声調は先程よりも低くて、怒りを感じる。
「強情だな…。一つ言っておくが…亜奏 環夜、お前の母親は革命自由軍の兵士だぞ」
瞬間、環夜の思考は停止した。頭の中が真っ白になる。環夜は男の言葉を理解できなかった。
それは環夜にとって信じがたいことでしかなかった。捜していた実母が反政府軍だと言われ黙っていることなどできない。
止まってしまった思考を必死に動かし、やっとのことで絞り出した声は震えていた。
「な、何を…言っているのか、わ、分からないです」
――だって、母さんは上層地域に働きに行ったんだ。手紙にもそうやって書いてあった。兵士になるなんて、軍人になるなんて書いてなかった。
「理解できないのか。亜奏 那智子は我々の仲間だと言っているんだ」
男の言葉に迷いはない。これは環夜を説得するにあたっての奥の手だったのだろう。確実に環夜を仲間に引き入れるための言葉。惑わされてはいけない。
「そ、そんなこと…僕が、騙されると、お、思いましたか」
環夜は動揺を隠せずに、這いずりながら後ずさる。信じたくはないのに嘘だとも思えない。
――心の何処かで薄々わかってはいた。政府の人間に、亜奏 那智子と言う存在はないと言われたときから、少しずつ嫌な予感はしていたんだ。でも、そんなの信じられるわけないじゃないか。
「我々はそんなことで嘘はつかない。真実だ全て」
環夜は男から目を逸らした。もうどうすればいいのかわからない。ずっと探していた実母が反政府軍だというのだ。
――反政府軍だというなら、今までのこと全て辻褄が合う。貴族であるアリゾネが母さんを見つけられなかったことも。
「か、母さんに会わせてください。嘘でないならできるでしょう?母に直接問い詰めますから」
環夜は諦めなかった。そう、納得できないなら直接実母に問い詰めればいい。すべて確認すればいい。それに、やっと会えるのだ。環夜自身が望んだことではないか。
男は無表情で環夜を見て、言った。
「残念ながら…お前と亜奏少将を会わせることはできない」
「な、なんで…やっぱり嘘だったんですねっ」
男は顔を顰めたまま何も言わない。嘘だったのだろうか。わからない。環夜は男の表情から何も読み取れなかった。
男は疲れたとでも言うように床に腰を下ろし環夜を見て言った。
「子どもには何を言っても理解できないだろう。まぁ、いい。此処で死ぬか、我々の仲間として政府と戦うか」
男は環夜に二択を迫った。反政府軍として政府と、アリゾネと戦う道を選ぶか。アリゾネの同志のまま、此処で死ぬか。
どちらを選ぶことも環夜には出来なかった。死にたくはない。でも、アリゾネを裏切ってしまえばどうなるかわからない。裏切らないと、戦うと誓った矢先に、迷っている。それに、意識のない彰の分まで環夜は選択しなければならないのだ。その責任は重かった。
「大人なのにっ…どうして。僕が子どもだと言うなら、なぜそんな残酷なことが言えるんだっ」
環夜は子供だからと、実母に会えない理由を話してくれないことに怒りを覚えていた。子供扱いするならば、何故残酷な選択肢を出すのか。何故逃がしてはくれないのか。
いや、環夜は逃げたいとも思えなかった。実母が反政府軍の仲間ならば、このまま政府に戻ってしまえば敵に回ることになってしまう。最悪、もう会うことができなくなるかもしれない。でも、アリゾネも裏切れない。環夜にはどうすることも出来ない。
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