第十八話 双眼鏡から見えるもの

 街は此処から見てもわかるほどに酷い有様だった。環夜たちが黒煙の中を歩いていた時よりも、その惨状は酷くなっていて街の半分は更地と化していた。美しい硝子張りの建物は跡形もなくなり、炎だけが人工の空を食い尽くさんばかりに燃え盛っている。


 ――この焼け焦げた街の何処かに母さんがいるというのか。いや、でも逃げているかもしれない。逃げていて欲しい。


 環夜は冬陽に貰った双眼鏡を覗いた。人一人生きていられそうにもない惨状の街で実母ははたして生きているのだろうか。


 不安を振り払いながら、環夜は皇国立国際病院に視線を向けた。病院の駐車場には先程と同じように貴族が立っている。そしてその視線が、まだ黒煙の残る街中へと向けられていることに環夜は気がついた。

 急いで視線を街方向に向けると黒煙の立ち昇った街から、冬陽や藤巻と同じ反政府軍の服を着た兵士たちが飛び出してきた。手には光を帯びた半透明の盾や剣、槍、その他にも珠が使っていたものと同じ形の拳銃など、様々な武器を持っている。


 環夜は双眼鏡で反政府軍を拡大した。

 迫りくる反政府軍。その形相は必死さを感じ取れた。いや、それ以上に貴族に対して恐怖を抱いていることも感じた。


 ――何が彼らに恐怖を示すのか。なんで反政府軍は貴族を恐れるのだろう。


 環夜は疑問を浮かべる。自分にとってはアリゾネが、貴族という存在の代表だったからだ。だから貴族の印象がアリゾネの印象と直結してしまっているのだ。

 必死に武器を振り上げる反政府軍を貴族は冷ややかに見下ろしていた。そして懸命に振り回される武器を軽い足取りで避け、いつもよりも巨大化した手のような爪のようなもので返り討ちにした。血しぶきが宙に舞う。

 反政府軍の刃も貴族にとどいていた。だが、不思議なことに貴族はなんともないかのように戦いを続けている。

 環夜は今度は貴族に視線を向けた。拡大して見た貴族の体は切られた傷も瞬時に塞がっている。傷ついたところから皮膚が逆再生の如く元に戻っていく。

 環夜は思わず双眼鏡から目を離し、呆然としてしまった。


 ――貴族は僕達と同じような人間じゃなかったのか?あれは、本当に貴族なのか。


 自分の知っている貴族と掛け離れた姿を、環夜は信じられなかった。とても現実だとは思えない。


「どうだ?俺たち反政府軍と貴族の戦いは」


 振り返ると冬陽が彰を連れて立っていた。何をしていたのか、何を話していたのかはわからないが戻ってきたようだ。彰は数分前と顔つきが違い、なぜだか環夜はとても不安になった。


「あの、彰は…彰とは一体何を話していたんですか」


 環夜は冬陽に尋ねるが、冬陽は呆れたように環夜を一瞥し、その横を通り過ぎた。


「…自分で彼女に聞け。それと、君は彼女たち・・・・に助けられてきたんだよ」


 冬陽の言葉の意味も理解できぬまま、環夜は気まずそうに立ち尽くした。目の前には彰がいる。だが話しかけられない。自分がとった態度を考えると何も言えない。


「兄さん、私…まだ兄さんに話してないことたくさんあるの。この戦いを抜けて…落ち着いたら絶対に話すから。信じられないかもしれないけど、私を信じて」


 環夜は彰の言葉に驚いた。環夜を騙していたことに負い目を感じ、はっきりものを言わなくなった彰が、環夜に対して自分から言葉を発するなんて。一体、冬陽と何を話していたのか。何を話せば短時間でここまで変われるのか。

 そして、環夜は彰の信じてという言葉にアリゾネを思い出させた。


 ――アリゾネのことも、最初は信じられなかった。信じてと言われても信じれない気持ちが強かった。でも、今は信じてる。彰ともそんな関係になれるだろうか。


 環夜は頷けなかった。頷かなかったというべきかもしれない。それは環夜の負の感情が彰を信じてみたいという心を邪魔しているのだ。


「し…信じ…たい」


 環夜はそれしか言えなかった。それは自分の中の負の感情に対しての抵抗でもあり、彰に対しての気持ちでもあった。



 全てが解決したとは言えないが、ひとまず話に区切りをつけた環夜と彰は、双眼鏡で街を眺めている冬陽のもとに向かった。


「話は終わったのか」


 冬陽は背中を向けていたにも関わらず環夜と彰の気配に気がついたようで、双眼鏡から顔を離し、振り向いた。何も言い返せないで立ち尽くす二人を見て冬陽は溜息を吐く。そして、二人の頭をかき混ぜるように撫でた。


「まぁ、人間すぐには変われない。でも、大切なものだけは失わないようにしろよ」


 そう言った冬陽の表情はどことなく悲しそうだった。環夜と彰は黙って首を縦に振った。 

 そんな二人を見て冬陽は安心したようで、気を取り直したように戦場を見ていたが、突然環夜の手を掴み、彰を背負い、その場を離れた。高台を通り過ぎ、街の外縁部を沿うようにして走る。


「し、獅貴さんっ、何を…」


 環夜は獅貴の行動に戸惑いながらも足を必死に動かす。 


 ――何かに気がついたようだった。戦場を見ていたし、何かあったのか。


 走り出す直前、戦場を見ていた冬陽の表情が強張ったのを環夜は見過ごさなかった。もしかしたら政府軍に見つかってしまったのではと環夜は推測する。


 ――あまり移動しすぎるとアリゾネは僕を見つけられない。


 焦る環夜だったが、立ち止まるわけにもいかない。

 環夜と冬陽は走り続け、高台から数百メートル離れたところで冬陽が立ち止まり、ほとんど瓦礫と化した建物の残骸に身を潜めた。まだ、背中から彰を降ろさない。


「獅貴さんっ、どうしたん…」

「静かにしろっ」


 状況を尋ねようとした環夜の口を冬陽は手早く押さえる。その顔をは環夜が見た、戦場にいた反政府軍の兵士たちと同じ顔をしていた。


「すみません…何があったんですか」


 環夜は冬陽の手を退けると、出来るだけ小さな声で訊いた。冬陽は彰と環夜の肩を掴み引き寄せた。


「赤星人と目があった。あそこにいたら殺される可能性が高くなるから移動したんだ。…所詮気休めだがな。奴らが本気で追いかけてきたら…俺はまだしも、お前たちは追いつかれて殺されてしまう」


 要するに、冬陽は環夜と彰の安全を確保するためあの場を離れたということだった。二人を死なせないために。


 ――そうか、一般人の僕たちは獅貴さんにとって足手まといでしかないのか。でも、僕らを人質に取れば貴族なんて怖くないとは思わないのか。


 環夜は冬陽が自分たちを盾にする気がないことに疑問符を浮かべる。普通なら生き残るためには犠牲は問わない。ましてや反政府軍なんて、政府にあだ名す逆賊だ。政府に所属し、貴族のもとで生きる皇国民は敵の仲間、敵陣の人間だ。助けるのはおかしい。あくまで環夜の考えだが。


「僕らの…ためですか」


 環夜は冬陽に訊く。冬陽は呆れたというような顔をして環夜の頭を軽く叩く。


「…別にお前たちのためじゃない。藤巻中将のためだよ。あの人は、お人好しでね。お前たちのことを気にかけてたから、死なせたくないんだよ。お前たちが死ぬと藤巻さんが悲しむからな」


 ――なるほど、獅貴さんは藤巻さんを慕っているから、尊敬する上官を悲しませたくなくて僕らを助けてくれるのか。


 確かに、藤巻は最初から環夜たちに親切だった。戦場に向かうときも冬陽に対して二人のことを頼んでいたのだ。


「だとしても…ありがとうございます。守ってくれて」


 環夜の隣で彰が冬陽に頭を下げた。環夜もそれに倣って礼を言う。


「礼は言うな。お前たちのためじゃないし、まだ助かったわけじゃない。此処は戦場だぞ、気を抜くなよ」


 冬陽はそう言うと環夜と彰に合図し、建物の残骸から飛び出ると、やはり街の外縁部を沿うようにどこかに向かっていた。


「どこに向かうんですか。獅貴さん?」


 環夜は先を走る冬陽に尋ねるが、応答はない。ただ無言で進み続けている。それを見て、環夜は不安になる。


 ――獅貴さんは僕達を助けてくれると言った。でも、本当にそうなのか。目的地も教えてくれなく、ひたすら走るだけ。本当について行っていいのだろうか。


 環夜の不安は募るばかりだ。すぐに悪い方向に考えてしまうのが環夜の悪いところだと言うのに、相変わらず治らない。隣にいる彰を横目で見ると、なんの迷いもない表情で前だけを見て走っていた。それを見て、環夜は冬陽を疑う言葉など口に出せなくなってしまう。彰は冬陽を信じているのだ。今となっては自分のことのほうが信じてくれていないかもしれない。環夜の負の感情は留まることを知らずに溢れ出していく。


 ――いっそのこと政府軍に冬陽を売って、アリゾネに助けてもらったほうがいいのではないのか。冬陽よりもアリゾネのほうが信用できる。でも、どうやって時間を稼ごうか。


 環夜は冬陽を信じることができなかった。それどころか、命の恩人である冬陽を政府に売ろうとまで考えてしまっていた。環夜は冬陽を恩人だとは思えず、自分を助けたのも何か裏があるのではないかと考えているのだ。


「あ、彰…」


 環夜が覚悟を決めて彰に声をかけようとしたときだった。再び冬陽が二人の腕を掴み引き寄せ、崩壊した建物の隙間に隠れたのだ。


「えっ、なん…」

「静かにっ」


 獅貴の言葉に環夜も思わず口をつぐむ。彰は不安なのか冬陽が着ている軍服の袖に摑まって震えていた。環夜はそれを見て自分が少し苛立ったことに驚いていた。

 

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