第十七話 負の感情

 藤巻たちが高台を降りていった後、獅貴は立ち上がり二人と向き合った。


「じゃあ、俺たちは此処にいよう。よく見ておけ。これが戦場だ。お前たちも…もう他人事じゃないんだからな」


 獅貴は二人に同情するような顔をした。環夜はその顔の意味がわからないでいた。彰は獅貴のことを見つめている。


「じゃあ、まず初めに自己紹介をしようか。俺は獅貴 冬陽ふゆひ。齢は十八歳。革命自由軍特殊身体強化班キロプテーラの隊員だ。階級は中佐。武器は電子大刀。…俺の情報は言った。お前らも自己紹介しろよ」


 冬陽はそう言うと環夜を指差す。環夜は迷ったが、仕方がなく言うことにした。逆らえば、大刀で殺されるかもしれない。それに、名前を言ったところで身元はわからない。環夜には戸籍がないのだから。


「僕は…早…いえ、亜奏 環夜…です。齢は十五」

「…私は早日 彰と言います。齢は十三歳です。下層地域から来ました」


 環夜と彰も名乗る。冬陽は下層地域という言葉を聞いて驚いていた。


「お前たち…下層地域から来たのか?あそこの住人は滅多に上層地域には来ないのに…なんせ、金がかかるからな。上層地域は物価が高い。金の価値が違う。上がってきて嫌でも痛感しただろ?下層地域で普通に生活できる金額でも、上層地域じゃあ生活できない。よく金があったな」


 冬陽の言葉は驚きと疑いが入り混じっている。環夜と彰を疑っているのだ。でも、それは当然で、下層地域の者たちが上層地域で暮らすのは実際のところ難しい。職を得ているならまだしも二人はまだ学生、働いているわけがない。環夜もアリゾネに金を貸してもらっていなければ、今頃浮浪者の仲間入りだ。下手したら上層地域から追い出されていたかもしれない。


「上層地域では最低でも十八歳にならないと職に就けない。あるにはあるが、ろくな職ではない。低賃金で長時間労働の闇労働だけだ。…まさか闇労働に手を出してないだろうな?違法だぞ」


 環夜は全力で首を横に振る。彰も同じだった。闇労働など初めて聞く言葉だ。それに、十八歳にならないと、まともな職に就けないことも環夜は初めて知った。道理で職が見つからないはずだ。


 ――アリゾネには悪いことをしたな。十五歳の僕が就ける職を探すのはとても大変だったんだろうな。


「…わ、私は母さんにお金を貰って…」

「随分お金持ちなんだね、闇金とかじゃなくて?」


 冬陽は随分と疑り深かった。彰は言葉が出ない。子供の彰にそんなこと分かるはずがない。環夜は助け舟を出そうとしたが、今度は環夜に矛先が向いた。


「お前はどうやって此処まで?」


 ――言えない。言えるわけがない。


 貴族を、政府を敵対視している人々に貴族と知り合い、しかも同志という関係だと分かれば、ただではすまないだろう。


「どうした、何で黙っているんだ?疚しいことはないんだろう?」


 環夜は口を開閉するが言葉は出ない。冬陽の威圧に耐えきれない。冬陽が恐ろしい。でも、これ以上アリゾネに迷惑はかけられない。二つの選択が心の中で葛藤する。


「…僕の貯金から出したんです。誕生日に毎年貰っていた…お金を」


 環夜は結局決断できず嘘をついた。だが、その嘘は彰の驚いた表情により一瞬でわかってしまった。


「今の…嘘だな。お前ら…亜奏とか言った奴、お前も下層地域から来たんだろう?…お前らは多分兄妹だ。苗字が違うが、顔は似ていないのに仲が良い。なのに恋人とは何か違う雰囲気だ。それに、さっき自己紹介の時、男のお前、苗字を間違えそうになったな?早日と言おうとしただろう?…要するに結論はこうだ。元々、お前たちは兄妹で親の事情か、何かは知らないが苗字が変わった。でも、何か事情があって二人で上層地域に来た。そうだろう?」


 冬陽の視線が環夜に突き刺さる。当たらずとも遠からずだ。これだけの情報でそこまで分かってしまうことに環夜は恐怖した。本当のことが露見すれば間違いなく殺される。


 ――もう言い逃れはできない。でも言えない。


「ごめんなさい、私たちは…確かに兄妹です。義理の…。でも今はもう…違います。でも大切な兄さんなんです。…許してください」


 黙り込む環夜を助けるように彰が言うが、冬陽の疑いは深まるばかりだ。彰の言葉は若干矛盾しているからだ。今は兄妹ではないと言いながら、大切な兄だというのは明らかにおかしい。


「彰は関係ない…もう家族じゃないんだっ。…僕の…僕は…」


 環夜は慌てて否定するが、その言葉を聞いて彰が悲しそうにしたので言葉を詰まらせた。

 環夜たちが話しているうちに街の方ではまた爆発が起こり始めた。高台の上までその振動は伝わる。冬陽が手で環夜の言葉を制した。静かにするようにと指示を出す。


「始まったな…戦争が」


 冬陽の顔は険しく、だが希望に満ちていた。懐から双眼鏡らしき物を取り出し遠くを見ている。環夜も高台の窓から街の方を見た。肉眼では破壊される建物しか見えない。


「話は後だ。…来たぞ。赤星人だ」


 冬陽は皇国立国際病院周辺を指さして言う。環夜と彰が目を凝らして見ると、病院入口の辺りに貴族が数人集まっていた。アリゾネが着ているような貴族として動きにくそうな服ではなく上下繋がって入るが、下は裳ではなく袴の形になっていた。袖の長さや形は変わらなかったが、貴族の手、いや爪か、何かわからないが大きな手のようなものが袖から出ているのだ。


「赤星人?あれは…貴族ですよね。手がいつもと違うっていうか…ちょっと変ですが」


 環夜は冬陽の言葉に首を傾げる。


 ――この間も言っていた。赤星人とは一体何だ?


 貴族を指して赤星人と呼んでいる。でも、環夜は赤星人を知らない。彰も知らない。赤星人とは何かの暗号か。

 それにしてもあまりに遠すぎる。ここからではあれほど大きな体を持つ貴族も豆粒のようだ。


「もう少し…近づいてみるか」


 冬陽がそう言い、高台の階段を降りていく。環夜と彰は顔を見合わせて、ついていくかを迷った。地面を通じて建物まで伝わる振動。先程よりも爆発音は激しくなっているように思える。


 ――どこに行くつもりだろうか。ついていくべきか。でも、藤巻さんは此処が一番安全だと言っていた。彰も怪我をしているし。離れるべきではない気がする。


「兄さん…どうする?」


 彰が環夜の顔を見て判断を仰ぐ。環夜は判断できない。むしろ自分が他の人に判断してほしい状況だ。


「わからない。彰は、どうしたい?」

「私は…兄さんの判断に任せるよ」


 彰は先程の方があったからか少しぎこちない。環夜の顔を見ず、わざと視線を避けているようにも思えた。


 ――任せるよだって?任せるなよ。僕に全てを委ねないでくれよ。勝手について来て、勝手に迷惑かけて、僕にどうしろっていうんだよ。


 環夜は今まで抑え込んでいた負の感情が一気に放出しそうになった。


「…勝手だな」


 環夜はそこで気がついて口を噤む。彰の顔を見たからだ。一瞬だけ見えた悲しい表情は環夜の心を抉る。


 ――どうして、こんな気持ちになるんだ。彰のことは嫌いだったはず。いつの間にか心を許していて、仲良くしていたくせに今更苛立っている。


「ごめん、獅貴さんについて行こう」


 環夜は気まずそうに謝りながら階段に向かう。彰の前を通り過ぎる時も、その顔を見られなかった。

 罪悪感と気まずい気持ちで環夜は彰から逃げるように階段を駆け下りた。


 「獅貴さんっ、待ってくださいっ。そちらは、危険ではっ?」


 環夜は息を切らしながら冬陽の傍まで駆け寄ると引き止めるようにして言った。怪我をしている彰が一人では階段を降りることはできないことを知りながら、彰を助けなかった。

 戦いは激しくなっているようで、街からくる爆風の熱は高台付近にいても感じるほどだった。


「…安全なところなんてないよ。比較的安全ってだけ。それに…お前たちは、もう知らないなんて言えないよ。もう、普通の生活には戻らせない・・・・・


 環夜はその言葉が理解できなかった。冬陽の険しい表情の理由がわからない。

 ――戻らせない・・・・・戻れない・・・・じゃなくて、戻らせない・・・・・?獅貴さんは僕たちをどうしたいんだろう。


「今は理解できていなくてもいい。それよりも…この戦場を見ろ。きっと…今まで知ることのできなかった真実が…少し見えてくると思うよ」


 冬陽はそう言って環夜の肩を叩いた。環夜に双眼鏡を渡す。そして、高台へと戻っていった。環夜は彰を迎えに行ったのだと気がついた。そして、彰をおいて降りた自分を恥じた。

 環夜は追いかけることはしなかった。それよりも、目の前の戦場を見てみることにした。そうすれば、冬陽が先程言っていた言葉の意味も自分たちのこれからもわかる気がしたのだ。

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