第十六話 決断

「…内容は聞かない。俺たちのことを言わなければ誰と話したっていい。でなければ変に思われるからな。家族か…?」


 藤巻が環夜に言った。環夜は家族と聞かれた時に首を縦に振った。内容が聞かれないなら家族と偽っても問題ないはずだ。藤巻の親切心に感謝しながら環夜は電話の液晶画面を触る。


「その…従姉妹で…すぐ済ませます」


 だが、問題はどうやってこの状況をアリゾネに伝えるかだった。アリゾネの声は聞こえないとはいえ、アリゾネに話しかけている環夜の声は聞こえるのだ。迂闊にはものを言えない。


「もしもし…?里愛りあ?何の用?」


 環夜は咄嗟にアリゾネの名前を里愛と偽って呼んだ。前に政府軍がアリゾネという名を聞いて一発で貴族だと分かっていた点、本名は良くないと考えたのだ。だから、昔同じ初等学校だった同級生の名でとっさに思いついたものを使った。もしかしたら少し違う名前だったかもしれないが、どちらにせよ実在しないのだから問題ない。

 ただ、これをアリゾネが理解して対応してくれるかはわからない。此処は演じるしかない。


『もしもし、環夜?えっと…大丈夫?私の名前はアリゾネだよ。間違えたの?』


 当たり前だが案の定、予想通りの返事が返ってきた。アリゾネの困惑する声を聞きながら、環夜は思う。問題はこれにどうやって返すか。


「へぇ、子供が生まれたんだ。おめでとう!今度…連れてきてよ。あ、僕は今は会いに行けなさそうなんだ。里愛の方はいつ来られそう?」


 とりあえず、おめでたい事があったようなふりをして、アリゾネに助けに来てほしいことを伝える。


『…何かあったんだね。…今そっち、反政府軍が攻めてきてるはずで…助けが必要なんだね?』


 環夜の意味不明な言葉にアリゾネは理解を示した。貴族なら今、政府の管理場タオベが戦場になっていることは知っているだろう。だからこそ出た賭けだ。


「わかったよ。訊きたいことも、話したいこともいっぱいあるけど…とりあえず、来られる日を教えてね」

『分かったよ環夜。助けに行くから絶対にそこを動かないでね。今はどこにいるの?』


 環夜はアリゾネの理解力を心の中で感謝しながら、演技を続ける。今のところ佐々木や藤巻が環夜の演技に気がついた様子はない。環夜は藤巻と佐々木の目を盗んで辺りを確認した。建物内の洋服屋が目に留まる。


「子供服は買ったの?今度、服を贈るよっ。あ、でももう買っちゃったかな?」

『…政府の管理場タオベね。確かあそこには、洋服屋が数店舗あったはず…そこのどこかにいるんだね?』


 環夜はアリゾネに感謝した。こんなに分かりにくい会話から状況を把握してくれている。これから助けに来てくれる。それまで環夜が時間を稼げればだが。


「うん、じゃあまたね。会える日を楽しみにしているよ」


 環夜は最後にそう言って電話を切った。子供が生まれるは少々苦しいかと思ったが、藤巻も佐々木も特に怪しんでいる様子はない。


「終わったか?子供が生まれるのか。よかったな」


 藤巻なんて本当に喜んでくれている。環夜は少し申し訳なくなった。騙している罪悪感がある。だが自分たちが生き残るためだ。


「…もういいですか。妹を病院に連れていきたいんです」


 環夜は話を切り上げ、立ち去ろうとしたが、藤巻は首を横に振る。


「…外に出てみるか?出たらわかる。今なぜ出てはいけないかが。それに…私たちの姿を見た一般人は始末しなければならないという軍規があってな…。いや、君たちを始末したくはない。どうか、一緒に来てはくれまいか。もちろん、妹さんの手当もする」


 藤巻はそう環夜に提案した。環夜は口籠る。此処にいればアリゾネがいずれ迎えに来て助かるだろう。でも、その前に戦争に巻き込まれて死んでしまったら元も子もない。この人たちに殺される可能性もあるのだ。でも、助けに来てくれるアリゾネを裏切ることもできない。

 環夜は決断できなかった。こうしているうちにも彰の怪我は悪化していく。痛みに耐える彰を見ながらも環夜は行動できないでいた。


「兄さん、この人達の…言うことを聞こう?…死ぬ、よりは全然、いいよ」


 環夜が決断できないことを見かねて彰が言った。彰はアリゾネとの会話を知らない。きっと従姉妹なんかと電話していることを不思議に思っているだろう。従姉妹も子供のことも嘘なのだから。そもそも、環夜は親戚の連絡先など一つも知らない。それでもなんとなくは察している、そんな顔をしていた。彰は環夜がどんな決断をしてもそれに従うだろう。いや、従う以外に選択肢がない。此処で一人彰が残されたとして、負傷している彼女はろくに歩くこともできない。反政府軍はどんな残虐な仕打ちをするかわかったものではないのだから。


 ――このまま彰をおいて逃げることもできる。その他がきっと助かる確率は上がるかもしれない。

 だが、環夜は痛みに耐えながら言う彰を見て、覚悟を決めた。

「…わかり、ました。一緒に行きます」

 環夜の返事に藤巻は安心したように息を吐いて佐々木と顔を見合わせた。佐々木は少し不満そうだったが、何も言わなかった。

 環夜は彰を背負って藤巻の後をついて行った。


 ――アリゾネが助けに来るまで動かないつもりだったが、仕方がない。アリゾネには後で謝るか、見つけてもらえれば助けてもらえる。この人たちに逆らうのは良くない。


 環夜は後先を何も考えていなかった。助けに来てくれるアリゾネが、指定した場所に環夜がいないのを見てどう思うかも。

 藤巻は黒煙の中を迷わずに進んでいく。なるべく細道を選んでいるようで、今にも崩れそうな建物の隙間を素早く歩いていく。まるで黒煙など見えていないかのようだ。それは佐々木も同じで鼻歌を歌いながら瓦礫を避けて歩いている。環夜は彰を背負いながら追いつくので精一杯だ。何度も瓦礫に足を取られ転びかける。

 そんな環夜を見て、藤巻は道の瓦礫をどけながら歩いてくれた。 


「あ、ありがとう…ございます」


 環夜はお礼を言った。佐々木は不親切で環夜を馬鹿にしているが、藤巻は反政府軍とは思えないほど親切な人だ。

 黒煙の中を藤巻たちに続き進み、大通りに出た環夜と彰だったが、先程とは違い、爆発音が聞こえない。それどころか黒煙も少し薄くなってきている。政府軍の姿も、何もない。だが、国民の気配もない。


「もう…戦闘は思わったのかな」


 環夜の背中で彰が不安そうに呟く。


「違う。これから奴らが来るんだ。早く撤退しないと殺されるぞ」


 彰の呟きに藤巻は小声で答えた。そう言う藤巻の姿は、後ろからでも焦っているように見えた。


 ――あいつらって一体誰のことだろう。


 環夜は藤巻の言っていることがよくわからない。政府軍のことだろうか。こんなにも静かなのに、なぜそんなに怯ているんだろうか。


「奴らって一体…」

「しっ、静かにっ」


 藤巻は環夜の口を慌てて塞いだ。そして、彰と環夜を連れて、崩壊した建物の影に隠れた。いつの間にか佐々木も隠れている。

 その直後、環夜たちのいる建物の傍を貴族が駆け抜けていった。


「あれは…貴族が反政府軍を倒しに来たんですか?」


 環夜の問いに藤巻は首を横に振る。そして、外に出るぞと合図をした。さっきはあんなに怯ていたのに外に出るなんて意味がわからない。それでもついていくしかない。環夜は彰をしっかり背負うと二人の後を追った。


「お前たちには…きちんとこの国の現状を…現実を見てほしい。反政府軍と呼ばれる我々の本当の姿を」


 藤巻は前を走りながら環夜に言う。その声は、どこか真剣さを感じるが、どこか信じられない。

 環夜は当然、納得がいかなかった。本当の姿も何も、国に仇なす逆賊であることは間違いない。それに、環夜や彰に弁明したところで反政府軍の印象が良くなるわけもない。だが、ついていかないわけにも行かないので、少し後ろを駆け足で歩いていく。佐々木が何度も振り返って環夜を見た。その目は何かを言いたそうに感じる。


「なんですか…?」


 環夜は、その視線に我慢できなくなり、佐々木に向かって言った。佐々木は一瞬、言うか言うまいか迷った表情をしたが、環夜に向かって口を開いた。


「…君も見ておけよ。誰が正しくて、本当に悪なのは誰か。打ち倒すべきは何なのかを」


 佐々木の言葉は今までと違って、環夜を馬鹿にしたものではなかった。どこか真剣で本心を言っているように思えた。

 環夜は素直に頷いた。何を見せられるのかわからなかったが、なぜか見ておいたほうがいいと思ってしまうのだ。藤巻の言葉は信じられる、そう思うのだ。正直に言えば、環夜は反政府軍のことなどほとんど知らない。憶測でなんとなく反政府・・・という言葉が悪に聞こえるだけだ。自分の目で見た結果ではなく、想像の中の考えでしかないのだ。


「ここなら比較的、安全だ」


 五分程歩くと、政府の管理場タオベの端にある高台が見えてきた。近くに当初の目的地である皇国立国際病院を確認できたが、藤巻はその前を通り過ぎその高台に向かった。環夜は一瞬迷ったが、手当してくれると言った藤巻の言葉を信じて後に続いた。

 藤巻は高台につくと何やら操作を行っているようだったが、鉄の扉を開け目の前に現れた階段に進んでいく。佐々木は藤巻を追い越し、駆け足で階段を上っていった。藤巻が振り返ったので、環夜は慌てて歩を進めた。高台の小型昇降機は機能していなく、階段で昇っているので、環夜は呼吸が荒くなる。背中にかかる彰の重みが環夜に負担をかける。


「ごめんね…兄さん」


 彰の謝罪を彼女の足を軽く叩くことで問題ないと返す。傷が悪化しているせいで彰も不安になっているのだ。環夜はそんな彰の不安を解消しようとするが自分自身も不安にかられていた。


 ――こんな高台目立たないだろうか。


 藤巻についた来たことが正しかったか否かがわからなくなり、環夜の歩みは止まりかけるが彰のことを思うと、一刻も早く治療しなければと思い、自分を奮い立たせた。

 


 長い階段を上り高台の最上階に着くと、そこには反政府軍らしき男が二人いた。藤巻や佐々木と同じような服を着ている。一人は窓辺に座り街を見下ろしている。一人は床に座り、大きな刀らしきものを磨いていた。


「任務が始まるぞ」


 藤巻が唐突に言うと、男二人は慌てて立ち上がり敬礼をした。


「はっ、我々の出番ですね。今回はどれくらい現れるのですか」


 窓辺に座っていた柿色の髪の毛をした男が、藤巻に向かって訊いた。


「進軍の中には五人だったと報告が来ている。だが、予想よりも多い可能性はある。厳重に警戒するんだ。油断するなよ」

「はいっ」

「まもなく作戦が始まる。一般人はここにおいていく」


 男二人はそこで環夜と彰を見た。一般人がいることに何か言いたそうだったが、何も言わずに頷いた。


「あの、この…人たちは?」


 彰は途切れ途切れで問う。荒い呼吸の合間に言葉を紡ぐ。男の一人が目を細めた。先程、大きな刀らしきものを磨いていた銀の髪を三つ編みにして後ろに下げている青い瞳の男だ。男は糸目で少し睨んでいるようにも見える。


「…お前、怪我してるな。その背中の奴。手当してあるようだが…包帯を直してやるからこっちに来い」


 男は手招きをする。低くて掠れた声で環夜たちを呼ぶ。

 環夜は大人しく従った。藤巻の前を通り過ぎ銀髪男の前で彰を下ろす。彰の足から包帯を取り、懐から取り出した薬を塗ると再び包帯を巻き直す。


獅貴しき…お前は今回、この子達を守りなさい。前線に出る必要はない。私が代わりに指揮官として出る」


 銀髪男は包帯を巻きながら藤巻な言葉に頷いた。


「…わかりましたよ。でも、何かあったら優先するのは仲間ですからね。その時はこいつらを捨てますよ。それは当たり前なこと貴方なら分かりますよね」


 獅貴と呼ばれた男は藤巻に釘を差すように言った。藤巻は一瞬たじろいだがなんとも言えない顔で渋々頷いた。

 藤巻は佐々木ともう一人の男を集めると何やら作戦会議を始めた。環夜たちに聞こえぬようにか高台の隅の方で小声で会話している。

 五分ほど話し終わると藤巻は装備を整えて環夜と彰を見て言った。


「ではまた後で会おう。獅貴、この子達のことを頼んだぞ」


 藤巻と佐々木、そして獅貴といたもう一人の男は高台を降りていく。残された環夜と彰は獅貴に包帯の直しをしてもらいながら、それを見送った。

 

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