第十五話 絶体絶命

 一階にも人々の死体は複数あり、直ぐ側にある服屋の硝子窓が細かく散っていた。天井の電灯は切れ、非常灯も機能していない。


「彰…大丈夫か?いきなりごめん」

「仕方がないよ」


 環夜の言葉に彰は微笑むが、どこか力ない。傷が悪化しているのか。環夜は彰の額に手を当てると顔を顰めた。掌に正常じゃない熱さを感じたからだ。

 彰をその場に座らせ、何か冷やすものはないかと探している環夜の首を誰かが掴んだ。


「見つけた。動くなよ?」


 おそらく女の声だ。首に感じる痛みと、先ほどとは違う声に環夜は振り返った。が、首元には拳銃が当てられていて、動くとそれを強く首に押し付けてきた。彰が地面に座ったまま蒼白になっている。天井からは化学物質で作られたであろう透明の綱が垂らされており、そこから降りてきたようだ。環夜も彰はそのことに少しも気が付いていなかったのだ。


「おっと、顔も動かすな。お前が動いたり喋ったりしたら、そこの女の子諸共撃ち殺すからな?…藤巻中将!見つけましたよっ」


 女は環夜に拳銃を突きつけたまま叫ぶ。

 環夜は自分に拳銃を向けている女の顔を見た。彰よりも一層艷やかな黒髪を毛先でしっかりと揃えていて、金の瞳は黒煙の中でも輝いていた。目は猫のように吊り上がっている。

 女は目を光らせながら、より一層強く環夜の喉元に拳銃を押し付ける。女の口元が避けるように笑みを浮かべた。環夜の額に汗が滲む。彰の呼吸が荒くなる。目には涙を浮かべていた。


「わ、私たち…反政府軍じゃないです。だから…殺さないで」


 彰は勇気を振り絞り女に言ったが、女は声を出して嘲笑った。金の瞳を三日月形に歪めながら、彰を舐め回すように見つめる。環夜の喉元には、それでも拳銃がしっかりと突きつけられていた。


「っふふ、馬鹿じゃん。え、君たち政府軍と私達を間違えてんの?あは、阿呆だね」


 そう言って女は楽しそうに彰を小馬鹿にした。彰は困惑し震えだす。

 環夜はそこで女の服装を見て気がついた。よく考えると政府軍は白い軍服だが、女は黒い軍服のようなものを着ていた。政府軍ではない。黒い前開きの外套は太腿まであって、調帯ベルトでしっかりと腰のあたりを締めている。外套と同じ素材で作られたであろう袴の裾は真っ黒の皮でできた長靴の中にしまわれていた。右上腕には蝙蝠の刺繍があしらわれていて、その下には『CHIROPTERA』と書かれている。読めないのに、アリゾネが教えてくれた古語ともどこか違う。まったく見たことない文字だ。


 ――服装なんて気にしてなかった。政府軍のことも警戒していたから軍服を見るだけで危険認定していた弊害がこんなところに出るなんて。もし反政府軍なら僕達なんてすぐ殺されてしまう。


「せ、政府軍じゃないんですか…。じゃあ、もしかして…反政府軍…」


 女の笑みが答えだった。環夜は息を呑んだ。彰は恐怖のあまり言葉を詰まらせ声を出せずに口を開閉していた。


 ――先程、反政府軍だと間違えられてそう思い込んでいた。僕らを殺そうとするのは政府軍だと。


「呑み込み早いじゃん。そういう奴、嫌いじゃないよ。…私は反政府軍…いや、革命自由軍の兵士だよ。君たちは?」


 女は環夜を拳銃を突きつけたまま引き摺り、彰に近づきながら言う。彰はゆっくりと震える手足で後退しながら助けを求めるように環夜の方を見た。だが、環夜が動けないのを見ると、もう一度勇気を振り絞って答えた。


「い、言いません。貴方が…騙している可能性もあるんじゃないですか。ほ、本当に反政府軍…だという証拠はないでしょう」


 そんな彰を見て、環夜は拳銃を突きつけられながらも抵抗した。そんな環夜を力強く抑えて、女は満面の笑みを浮かべ答える。


「君たちが政府軍の回し者でない証拠もないけどね」


 環夜は必死に平常を装った。額には汗が滲み、心拍数は上がる。彰は視線を泳がせ、挙動不審になっている。


 ――なんとしても動揺してはいけない。相手の思う壺だ。この女は何も知らない。鎌を掛けてきているだけだ。アリゾネが来るまで、できるだけ冷静に会話して時間を稼がなくては。


「へぇ…そんな態度とっていいんだ」


 だが、女もそんなことでは動じない。余裕の表情で彰から視線を外し環夜を見る。むしろ先程よりも楽しそうに。

 すると、その女が持っていた拳銃を誰かが掴み、環夜の喉元から離した。環夜は拳銃が離れたことで急いで彰の手を掴み、女と距離をとった。


「佐々木、一般人に乱暴はやめろ」


 それは先程、環夜と彰を追いかけてきていた男だった。男は佐々木と呼ばれた女の手から拳銃をもぎ取ると、それを懐にしまった。


「藤巻中将…もう来たんですか。一般人に関わるなというのは軍規ですよ。上司のあなたが守らずしてどうするんです。こいつらは殺すべきですよ」


 佐々木は笑みを消し不機嫌そうに男を、藤巻を見た。藤巻は佐々木の頭を叩き罵声を浴びせた。


「馬鹿っ!私たちがなんのために戦っているか忘れたのかっ?一般人を赤星人から守るためだろうがっ!殺してどうする!」


 環夜は藤巻の言葉に首を傾げた。本当は早くこの場から逃げなければならないのに、何故か足が動かない。


 ――赤星人?僕たちを守るために戦っている?どういうことなのか。


 赤星人という謎の単語が出てきて環夜はそれに興味をそそられてしまった。彰の方を見ると怯えた表情で環夜の上着の裾を掴んでいる。

 環夜はそれを見てすぐさま、彰を連れてその場を離れようとしたが藤巻に見つかり、引き止められてしまった。


「待ってくれ。このまま外に出たら君たちは…」


 その言葉に環夜は足が止まったのだ。藤巻の顔を見ながら環夜はその言葉に返す。


「…どう…なるんです?脅しですか。僕たちを殺そうと…」

「殺すのは私たちではない!政府に殺されるんだっ!」


 環夜の言葉が終わるのを待たず、藤巻は鬼気迫った表情で言う。それに環夜は何も言えなくなってしまう。


 ――確かに政府に反政府軍と勘違いされたけど、だからって殺されるとは思えない。でも、こんなに鬼気迫った様子で赤の他人の僕にどうして。これも反政府軍の作戦のうちなのだろうか。


 環夜はますますわからなくなる。でも、もう逃げられない。本気で藤巻たちが追ってきたら環夜は逃げ切れないだろう。一人ならいざ知らず、彰も連れて逃げるとすると現実的ではない。出口はすぐそこだが、とても遠く感じた。


「殺されるとは、どういうことですか」


 環夜はひとまず落ち着きを取り戻して、冷静に質問することにした。相手の気持ちを逆撫でぬよう、この状況がどういうものかをよく確認するのだ。先ほどの爆発も反政府軍の仕業なのかということも。


「この戦場を見た君たちを政府が生かしておくわけがない、と言うことだよ」

「政府が…?どうして…」


 環夜はいまいち理解できなかった。環夜の中では、あくまで反政府軍が悪で政府軍が正義なのだ。それを覆すことは容易ではない。環夜を反政府軍と間違えるほどに、政府軍は反政府軍を危険視している。国民を守ることが政府軍の役割なのに国民である環夜たちを殺すのは辻褄が合わない。

 そこで環夜は、この間環夜を捕まえて尋問した政府軍の男が言った言葉を思い出した。


『貴様は国民登録されていない。戸籍がない。日本国民ではないのだ』


 あの男は環夜に戸籍がないと言っていた。だから日本国民ではないのだと。

 だから狙うのではないか。戸籍を持たない怪しい存在は抹殺するべきだとされているとしたら、環夜は真っ先に狙われるだろう。当の本人は戸籍がない理由も実母が存在しないと言われた理由もわからないが、それ以外に理由は思いつかない。


「僕が…戸籍がないから追われるんですか」


 環夜は認めたくないことだが、今聞かずに誰に訊くと自分を奮い立たせ、藤巻に尋ねた。政府軍に追われる身だとしたら、案外その敵は味方かもしれない。

 てっきり肯定されると思った環夜は、藤巻の驚いた表情を見て意味がわからなくなった。


「戸籍が…ない?そんなことないはず。それに追われてる理由は…」


 藤巻の表情は険しくなり眉間に皺を寄せ、信じられないといった様子で環夜に言う。佐々木はつまらなさそうにして、降りてきたときに使った縄を手で弄っていた。


「……もしかして…政府軍は今回の事件で一般人に何か知られたくないことでもあったのかな…?」


 環夜と藤巻が困惑している中で、彰が独り言のように言った。足の痛みに耐えながらも環夜たちの会話を聞いていたのだ。

 すると先程までつまらなさそうにしていた佐々木が突然、楽しそうに声を上げて彰の背中を強く叩いた。


「すごいね君、本当にすごいよ。隣にいる兄貴とは大違いで頭いいし、呑み込みも早いねっ」


 佐々木は環夜を見て意地悪そうに笑った。環夜は恥ずかしさと悔しさで顔を真っ赤にする。彰より知能が劣っているのは事実だが、赤の他人に言われたくはない。それに、佐々木の言い方にはどこか棘があった。


「…彼女がすごいことは確かだ。…だが佐々木、お前は言い方に気をつけろ。…君、悪かったな」


 藤巻は礼儀のいい男だった。環夜に向かって頭を下げる。どうやら佐々木は藤巻の部下で命令には逆らえないようだ。藤巻に言われたあとは不貞腐れたように縄を手で弄んでいた。


「知られたくないことってなんなんですかっ」


 環夜は馬鹿にされた怒りを込めて、少し乱暴に訊いた。


「それは…」


 藤巻の言葉を遮るように突然、環夜の液晶画面が震えた。藤巻や彰、佐々木まで一斉に環夜を注目する。


 ――まさか、アリゾネからだ。


 環夜は硬直した。どうすればいいのかと考え委ねる。これまでの会話の内容が一瞬にして吹き飛ぶ。どうにかして誤魔化さねばと模索する。だが思いつかない。ここで貴族と通話し始めたら環夜は一瞬で反政府軍の敵と認定されるだろう。もちろん、共に行動している彰も。

 でも、出ないと不自然かもしれない。それでも出られない。環夜は液晶画面に触れられずにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る