第十四話 黒煙の中で

 駅に向かって走る二人を黒煙が追う。熱風と轟音が止まらない。環夜の望みであるアリゾネは現れない。

 駅前の交差点まで環夜と彰が到着したときだった。先ほどとは違う、何かが落ちたような音がして、近くにある高層の建物が倒れた。あまりの衝撃に環夜と彰は吹き飛ばされたが、幸運なことに近くにあった溜池に落ちた。


「彰…、大丈夫か?」


 彰はかろうじて返事をする。環夜は彰を連れて溜池から這い上がった。近くには看板が立っており、『生活用水溜池ダム』と書かれていた。なんとか這い上がり地面に辿り着くと、横にいる彰を見た。左足を押さえている。どうやら怪我をしたようだった。血が滲み、靴下が真っ赤に染まっている。

 環夜は慌てて鞄の中を漁るが手当できそうなものはなかった。


「兄さん…私の…鞄、中に救急袋が、あるから」


 彰が絞り出すように言った後、気絶した。それだけの痛みだったのだろう。環夜は急いで彰の鞄を漁り、中から救急袋を取り出した。袋を開けると、綿紗と傷口を洗う水、包帯と止血剤を取り出す。


「彰、手当するからね」


 環夜は手早く水をつけた綿紗で傷口をやさしく拭くと止血剤を塗って包帯を巻いた。彰の傷口は深く裂けたようになっている。おそらく先ほどの爆発で飛んできた破片が足に触れたのだろう。

 ただ、このまま此処にいるわけには行かない。いつ次の爆発が来るかわからないからだ。早急に駅に向かわねばならない。

 環夜は歩けない彰を背負うと二人分の荷物を持ち、駅に向かって歩き始めた。



 十五分くらい大通りを歩き、やっとのことで駅に到着する。道路には乗り捨てられた車たちが無残に転がっていて、硝子張りの建物の破片がそこら中に落ちていた。此処に来る間、何度も爆発を確認したが、不思議と人の気配がない。政府の管理場タオベ兎たちの巣穴ヴィルトシュヴァインより少し小さいだけで人口は四万人を超えるほどいる。それがなぜ此処まで静かなのか。四万人の人々はどこへ行ったのか。

 駅構内にも人影はなかった。電車も運行していない。警備員らしき姿も見当たらなかった。


 ――どういうことだ?アリゾネは僕に嘘をついたのか。


 環夜の不安はますます強くなった。背中には負傷して意識のない彰、なのに十分に休めるはずの場所には人がいない。


「誰かっ!誰かいませんかっ。怪我人がいるんですっ」


 環夜は声を張り上げたが返事はない。声だけが駅構内に響く。それにしても恐ろしいほど静かだった。

 一先ず、硝子のない場所に身を隠すが、彰の蒼白な顔を見て環夜はこのままではいけないと思い、アリゾネに電話をかけることにした。

 液晶画面を開き電話をかけるが、アリゾネは出ない。


『こちら、留守番電話です。伝言をどうぞ』


 留守番電話の音声が流れるのみで応答はない。環夜は一応、留守番電話に伝言をした。


「アリゾネ、爆発に巻き込まれて、今駅にいるんだけど…アリゾネの言ってた警備員とかいなくて…彰も怪我してて…頼むよ、助けに来てくれ」


 環夜は仕方がなく電話を切った。身勝手だが、この伝言がアリゾネに届くことを願った。不安は消えることがないが、今彰を助けられるのは環夜しかいない。

 とりあえず、地図を開いて近くに病院がないかを確認する。此処からは徒歩二十分の距離に皇国立国際病院があるようだ。政府の管理場タオベの端にあるらしい。


 ――この黒煙の中に傷ついた彰を連れて、本当に辿り着けるだろうか。


 だが、このままでは彰の傷は酷くなるばかりだ。応急手当では限界がある。

 環夜は再び彰を背負い、地図を見ながら駅を出た。目指すは皇国立国際病院。なるべく早く連れて行かなくては。

 駅の外は先程よりも酷い姿で、人工の空はところどころ穴が空いている。朝だというのに街は暗く、高層の建物が折り重なるように倒れていて、地獄のような炎が街を焼き尽くしている。そしてその街を黒い雲が覆い尽くすように黒煙が包みこんでいるのだ。

 そして皇国立国際病院に行くには、その街を通らねばいけない。この黒煙の中を。


 環夜は覚悟を決めた。黒煙の中に突っ込んでいく。前が見えない。目が痛い。喉も痛み、呼吸は苦しい。だが止まれない。

 薄っすらと見える先は、燃え盛る炎と壊れた建物、地面に転がる死体。

 環夜は視線を逸らす。逃げられなかった人だろう。血まみれで体の欠けた人もいる。これが未来の姿にならなければいいのだが。


 すで何時間も進んだ気がする。なのに一向に着かない。永遠に此処を抜け出せない。そんなことを思ってしまう。

 途中、立ち止まり水を飲む。もう水はほとんどない。でも、追加できるところもない。先ほどの溜池から拝借しておけばよかったと環夜は思った。

 立ち止まったついでに地図を見ると、街の中心ほどまで来ていた。あと少しだ。環夜は歩みを進めるが、ふと何かの気配に気がついた。


 ――何だ?誰かいる。反政府軍?


 環夜は慌てて建物の影に隠れた。硝子張りの建物の崩れた一部だったが、硝子張りの部分ではなく台座となっていた混凝土コンクリート部分なので外から環夜たちは見えない。

 環夜たちの隠れる瓦礫の右側を数人の軍人らしき人々が通り過ぎていく。もしかしたら政府軍だったかもしれないと環夜は思ったが、反政府軍だった場合は殺されてしまう。迂闊に声はかけられない。


「に、兄さん?ここはどこ?」


 そこで彰が気がつく。環夜は彰を地面に下ろした。彰は辺りを見渡して不安そうな顔をしている。当然だ目覚めたら急に戦場にいたのだから。

 環夜はなるべく優しく現状を説明した。彰は混乱していたが、素直に環夜の言うことを信じる。


「私…まだ一人では歩けないと思う。ごめんなさい、肩を貸してくれれば歩けるから」


 彰はそう言うと自分の荷物を環夜から受け取り肩から掛けた。そして申し訳なさそうにして、俯きながら言う。環夜は彰の頭を撫でた。


「無理するなよ。さっき軍人らしき人がいた。しばらくは此処にいよう。何かあったら、また僕が背負うからさ」


 彰は涙ぐみながら頷いた。いくら知識があって聡明でもまだ十三歳、幼い。だからこそ、環夜が助けなければならない。


 ――たとえ血が繋がらなくても。一緒に行くと決めたんだ。最後まで見捨てない。


「おいっ、君たちは一般人か?」


 環夜が彰を慰めながら周囲を警戒していると、突然頭上から声がした。声が太い。おそらく男だろう。

 先ほどのことがあってか、右側ばかり確認していて、上は見ていなかったのだ。慌てて見上げると、やはり体格のいい男の軍人が瓦礫の上から環夜と彰を見下ろしていた。金色の長い髪を後ろで結んでおり、瞳は暗く灰色に濁っている。そう、環夜と同じように。


「あっ…彰っ、逃げるぞっ」


 環夜は突然のことに身が竦んでしまったが、なんとか足を動かして彰を抱き上げ、走り出した。


「あ、待てっ!動くなっ」


 男の慌てた声が聞こえたが、環夜は無視して走り続ける。彰を抱き上げている重みが腕にかかり、息が上がるが立ち止まってはいられない。

 かといっても、体力が続かないと環夜は判断し、男から隠れるため、まだ比較的壊れていない頑丈そうな建物の中に逃げ込む。すぐに逃げられるように一階に留まった。背後に男の影は見えない。

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