第十三話 反逆者
環夜は彰を連れて皇国民会館の中に入った。入口で身分証明のため引き留められる。
「身分証明をします。この機械の上に乗ってください」
環夜と彰は大人しく従う。体重計に囲いがついたような機械に乗ると、環夜の乗る機械だけ不快音が流れ赤く光った。
「なっ、貴様、反政府軍の奴だなっ!」
その音を聞き、近くにいた男が環夜に向かって怒鳴った。黒髪黒目で体格のしっかりした男だ。環夜はいきなり押さえつけられると目隠しをつけられて連行されていった。体格差がありすぎて抵抗しようにもできない。慌てて環夜の後をついてこようとする彰を、職員が止める声が聞こえる。
「貴方は別室で…お連れの容疑が晴れるまでになりますが…悪いようには致しません」
環夜と彰は引き離されてしまった。環夜はなんとか逃げようと藻掻くが両腕をしっかり掴まれているので脱出は不可能だった。
――どうして。僕は反政府軍じゃないのに。
環夜は理解ができなかった。此処は皇国民なら誰でも利用できる施設のはずだ。入れないのはおかしい。そもそも、環夜は反政府軍ではない。どうしたらそのような間違いが起こるのだろうか。突然のことで頭がおかしくなりそうだ。それに、彰は大丈夫だった。環夜だけ身分が証明できないなど普通はおかしい。
奥へ奥へと環夜は連行されていく。やがて目隠しを取られると、そこは窓のない真っ暗な部屋だった。環夜は照明が一台だけ置かれているところの椅子に座らされた。
「あの…ここは?」
「黙れ。反逆者の屑共に発言権はない。連れの女を騙して何をしようとしていた?」
環夜の言葉は、正面に座った強面の男に遮られてしまった。男は環夜の一回りも大きな体で筋肉がすごい。格闘家のような肉体は環夜を恐怖に陥れるのに十分なものだった。響き渡る太い声も、環夜の恐怖を煽る。
「質問をする。貴様の名前は?貴様は個人情報が一切ない。情報がない。全ての国民は個人情報が特定できるようになっているはずだ。だが、貴様はその情報がまったくない。読み取れないのだ。つまり…貴様は国民登録されていない。戸籍がない。日本国民ではないのだ」
流れるような男の言葉を環夜は信じられなかった。
――国民じゃないだって?登録されていない?どういうことだ。だって、昇降機にも乗れたし、アリゾネにも何も言われてない。今更そんな事あるはずがないのに。
「何かの間違いですよ。僕には亜奏 那智子っていう母親もいますし…上層地域で働いているんです。僕はその母を探しに来ただけで…。きっと何かの間違いですよ」
環夜は額から汗が流れる。予想外のことに対処しきれない。あろうことか国民でないだと言われ、戸籍がないと言われたのだ。納得できるわけがない。
――やっと此処まで来たのに。
「発言は許可していない。……それと、亜奏 那智子という女は存在しない。嘘をでっち上げたところで罪は免れない」
男は環夜の言葉に耳を傾ける気もない。ただ冷酷に事務的に、環夜の尋問をする気なのだ。
環夜はそこで、頭の中にふと考えが浮かんだ。
――アリゾネを頼ろう。こんな時に頼るべきだ。何かあったら助けてくれると言っていたじゃないか。
環夜は利き手の液晶を触ろうと手を動かすが男がそれに気が付き、環夜の手を捻り上げた。
「動くな。仲間と連絡を取ろうとしたな?」
「ま、待ってください。僕…貴族に友人がいて…」
環夜は説明しようとするが、余計に怪しまれるだけだった。男は環夜を黙らせようとして、頰を平手打ちした。あまりの痛みに環夜は意識が飛びかける。
その時だった。環夜の利き手の液晶画面が震え始めたのだ。震えは手を伝い体全体にまで伝わる。そしてそれに男も気がついた。
「なんだ…?見せろ」
男は環夜の腕を無理やり掴んで液晶を見た。
「…名が表示されていないな。仲間からの電話か。音を出して電話にでろ」
環夜は震える手で男の指示に従った。しかし、液晶画面を耳に当てた瞬間、心が躍った。
――アリゾネだ。
『もしもし…?環夜、急にごめんね。今どこにいるの?街の案内して上げようと思ったんだけど…』
環夜は震える声のまま返事をする。
「あ、アリゾネ…。今は…」
だが、その言葉を男は遮った。環夜を再び殴り飛ばし、環夜は椅子から転げ落ちる。
その派手な音を聞いたのか、電話の向こうでアリゾネが慌てて叫んだ。
『環夜っ?どうしたのっ、何があったのっ!返事して!』
アリゾネの言葉を聞いて、男は薄ら笑みを浮かべた。
「おい、反政府軍。貴様らの仲間は我々が預かった。返して欲しければ、皇国民会館まで来い」
電話越しに沈黙が走る。環夜は不安だった。もしアリゾネが助けてくれなかったらと、悪い想像だけが頭の中を行き来していた。
――もしアリゾネが助けてくれなかったら、彰も僕も終わりだ。
しばらくして電話越しから、アリゾネとは考えられないような低くて押し殺したような声が聞こえた。アリゾネは怒っていた。
『君たちは何をしているのか分かっているのか?彼は私の友人だよ。同志なんだよ。それを君たちは…捕まえて…傷付けて…。この私を反政府軍だと?最悪だよ。君たちみたいな屑が政府関係の職種にいるなんてね』
環夜はこんなに怒ったアリゾネの声を訊いたことがなかった。男は信じられないような表情をしている。
「何を言っていると言いたいのはこちらの方だ。貴族が一般市民と知り合いなわけがないだろうが。友人ともなればなおさら信じられないぞ!」
男は負けじとばかりに言い返すが、アリゾネはその声をかき消すように怒鳴り散らした。
『ふざけているのは貴様だっ!私の友人を解放しろっ!アリゾネ・シュバリエの名において貴様らを処罰するぞっ!』
男はアリゾネの名前を聞いてやっと状況を理解した。環夜は初め分からなかったが、政府関連の職種に就いているものは貴族の名前の特徴を知っているだろう。外界の物の名に使われてる古語は名前となると貴族しかない。いや、貴族の名前は絶対に古語なのだ。それを知っていれば聞いただけで、その者が貴族かどうかが判別つくのだ。
男は自分が犯した過ちに気がついた。貴族を反政府軍という犯罪組織の一員に間違え、その友人を殴り飛ばしたのだ。重刑は免れない。男の手足は震えていた。
男は環夜を解放した。そして、彰も解放すると言った後は、蹌踉めきながら何処かに行ってしまった。
其後、環夜はアリゾネに事情を説明し一言礼を言った。アリゾネは安心したように、よかったと言って電話を切った。環夜は地図を開き、出口を探した。幸い出口はすぐに見つかり、皇国民会館の入口についた。入口では彰が外を見ながら待っていた。
「に、兄さんっ!」
彰は環夜に気がつくと、走って傍まで寄ってきた。目には涙を浮かべている。環夜は彰に申し訳なく思い、彰の頭を撫でた。
「ごめん…。なんか僕にもよくわからないんだけど…。僕…戸籍がないんだって。だから反政府軍に間違えられたんじゃないかな。何でかよくわかんないけど…」
「戸籍がない?そんなわけないよ!皆生まれた時に登録してるはず…兄さんだって。それに何でそれが反政府軍に間違えられることになるの?」
彰は環夜の言葉を聞いてそう言うが、環夜はもしかしたらとも思っていた。
――もしかしたら、母さんは僕がいらなくて、僕を子どもとして登録したくなかったのかもしれない。でもそうだとしたら何で上層地域に来るように書いてあったのだろうか。
環夜は考えたが、それはほとんど意味をなさなかった。知識もなにもない環夜は今自分が考えていることが正しいかすらわからない。だから不可能なのだ。
「僕も信じたくない。それに、真実はわからない。今わかるのは、僕に戸籍がないという事実だけだ。それがなぜかは…早く母さんを探して訊くしかないんだ」
環夜は半分自分に言い聞かせるように言う。実母を捜したいという心の中の気持ちが薄れてしまわぬように何度も言い聞かせるのだ。
環夜は彰を連れて皇国民会館の奥に入ろうとした。
「何か…変な音がしない?」
彰が立ち止まり耳を澄ませながら言った。環夜も集中し、聞き耳を立てるが、よくわからない。
「空耳じゃない?早く奥に入って調べよう」
環夜は彰の手を取って進もうとするが、彰は立ち止まったまま動こうとしない。
「なんか…遠くで破裂音というかなんか…本当に聞こえない?」
環夜は彰の言葉でもう一度耳を澄ませるが、わからない。彰の不安そうな顔が心配だが聞こえないものは仕方がない。環夜は半強制的に彰を連れて進み始めた。
だがその瞬間、外でとてつもない轟音がして地面が揺れた。窓硝子が割れ二人の上に降り注ぎ、熱風が建物の中まで吹き付ける。空中を砂埃と硝子の破片が舞っている。彰は悲鳴を上げて蹲った。環夜は上着を脱ぎ、それを破ったあと半分を彰に渡した。
「何が起きたんだっ?と、とりあえず、これで顔を守るんだ。破片が目に入ると危ないから」
環夜の言葉に彰も頷き、その指示に従う。
――それにしても、今の爆発はなんだろうか。まさか、アリゾネの言っていた反政府軍の起こす事件なのか。だから先程の男も強く警戒していたのか。
先程、彰が聞こえていたという音も前兆だったのかもしれない。だが、なぜ首都でない此処が狙われたのか。政府機関があるからだろうか。
考えてもわかることではない。だが、一つ言えることは、此処は安全ではないということ。此処はすでに戦場都市と成り果ててしまったのかもしれない。だとしたら安全なところへ避難するべきだ。此処は身を守るものがなにもない。
「駅に戻ろう。アリゾネも、あそこは警備が厚いって言ってたから」
環夜は彰の手を引いて皇国民会館を飛び出した。爆煙の中、駅を目指して走り続ける。
走りながらも環夜はなぜこんな事になってしまったのかと小さく呟く。もうこれでは実母探しどころではない。
環夜は心の中でアリゾネの名を呼んだ。そしてあわよくば彼女が助けに来てくれないかと願った。
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