第十話 彰、再来

 翌日の朝になると、環夜は必要最低限の荷物を鞄に詰めて部屋を出た。受付で鍵を預けた後、外に出ると、彰が立っていた。


「あ、彰?何の用だよ?」


 不意打ちを喰らい環夜は声が震えてしまったが、それでも強気を保った。彰は何か言いたそうに口を開くが声は出ず目は泳いでいた。


「用がないなら退いてくれないか?僕は母さんを探しに行かなきゃいけないんだ」


 環夜は彰を押しのけ通り過ぎようとするが、彰は環夜の洋服の裾を掴み、それを制した。


「ま、待って。お母さんを探しに行くなら…私にも手伝わせて。この間はごめんなさい」


 彰の言葉を環夜は訝しんだ。彰が何か企んでいるのではないかと思う。そうでなくてはあんなふうに拒絶された後に手伝わせてなど言わないだろう。


「何を企んでいるんだ?」


 環夜の言葉に彰は全力で首を横に振った。


「何も企んでなんかないよ。兄さんのことを手伝いたいだけだよ」


 真剣な表情。それだけでは真意は分からない。


 ――あの早日家の人間だ。また僕をだまそうとしているのではないか。


 環夜は彰を信じられなかった。


「信じられないよ。信じてほしいなら…なぜ上層地域に来たのか理由をはっきりさせてくれないか?」


 環夜の言葉に彰は黙り込む。やはり、何か企んでいるのかもしれないと環夜は思う。

 彰は少し沈黙した後、自信なさげに話し始めた。


「…兄さんの力になりたかったのは本当なんだよ。家でも仲良くしたかったけど…兄さんと血が繋がっていないことが分かってて…それで…兄さんにそれがわからないようにって…妹らしい態度をとっていたの…。でもそれが兄さんの苦しみに変わっていたなんて思ってなくて…私は兄さんのこと嫌いじゃないよ。むしろ…」


 環夜は理解できなかった。妹の言葉を疑わずにはいられなかった。


「悪いけど信じられないな。お前はどう転んでも、あの早日家の娘なんだよ。僕を騙した奴らの血を引いているんだ。僕はお前に同情するよ。お前も血の繋がらない男と兄妹にさせられて迷惑だっただろ?」


 環夜は嘲笑いながら言う。彰は悲しそうに眉を顰めた。


「迷惑なんかじゃないよ。兄さんのこと…私は大好きなんだよ」

「はぁ、…話はなんだよ。少しなら聞いてやってもいい」


 環夜はとりあえずそう言った。ひとまず話を聞いてやれば帰ってくれるのではないかと思い、話を聞くことにした。


 

 環夜はと彰は昨日いた公園まで移動する。彰は環夜の後ろを黙ってついてきていた。

 公園につくと噴水前の長椅子に座り彰は少し間を空けて座った。


「私が…兄さんの血が繋がっていないことを知ったのは初等学校五年生の時…十一歳の時だったの。兄さんも読んだと思う、あの手紙を偶然居間で見つけてしまった。私は興味本位でそれを読んで…それが父さんに見つかってしまったの。父さんは母さんを呼んで私にこの事を兄さんに秘密にするように言った。…理由は教えてくれなかった。何度聞いても、兄さんのためって。でも私…兄さんと普通に接する自信がなかった。だから…母さんの真似をして…自分の本当の気持ちを隠したの」


 環夜は彰を見た。彰は噴水を悲しそうに見ている。その横顔は苦しそうで環夜はとても痛々しく感じた。実の兄だと思っていた人が他人だということを知ることは、どんな気持ちか想像がつく。きっと、環夜が手紙を読んだ時に感じた気持ちと同じだろう。

 環夜は初めて彰に心から同情した。でも、まだあの両親からの手先でないとは言い切れない。


「僕のため…か。嘘ばっかり。……彰の気持ちは?早日家の…あの両親は関係ないんだよね?」


 環夜な言葉に彰は俯いた。


「違うの?」


 環夜は問い詰める。彰は言うか言わないか迷っていたようだが、覚悟を決めたように口を開いた。


「私が此処に来たのは…母さんや父さんの願いがあったから。だから、関係ないとは言えない。ごめんなさい。でも、私が兄さんの手伝いをしたいと言ったのは私個人の気持ち。母さんたちは関係ないよ」


 彰は気まずそうにしている。環夜は悩んだ。正直に言って、彰はあの人達の差し向けた者だ。だが、彰も苦労していることが先程の発言からわかる。一時は妹だった彰を簡単に見捨てていいものだろうか。


「兄さんを連れて帰ってこいって言われてるから…兄さんと一緒にいてもいい?」


 環夜は彰の頭を無意識に撫でていた。環夜が帰らないと彰も帰れない。それを知って彰に同情した。


「そうか…。悪かったよ。お前がそんなことになってるなんて知らなくて…あんな態度とって」


 正直に話してくれた彰に環夜も自然と心が開いた。これが彰の本心で、本当の性格なのだと思った。妹は少なくとも自分を思ってくれていた。それが分かっただけでも心が軽くなるのだった。


「ただ…ありぞねを侮辱したことは許せない」


 環夜はそれだけは譲れないと言う。彰は思い出したように申し訳なさそうな顔をした。


「あの…あれは…ごめんなさい。兄さんが上層地域で想像していたよりも楽しそうにしていたから…嫉妬して…。でも…本当に信じられる人なの?名前は?貴族の階級は?なんの仕事をしているの?…そういうこと全部知ってるの?」

「名前はありぞね・しゅばりえ。階級は…階級ってなんだ?…仕事はしているらしいけどないかは知らない」


 彰の言葉に環夜は自信なさそうに答えた。徐々に声が小さくなっていく。それを見て彰も不安そうな顔をする。


「名前以外、何も知らないんだね。…本当に大丈夫なの?」


 環夜は長椅子から立ち上がるとアリゾネを庇うように彰に言い返す。


「それはっ…僕が無知だから悪いのであって…。彰、階級ってなんだ?教えてくれ」


 彰は納得できなさそうな顔をしたが、環夜の真剣な顔を見て渋々教えてくれた。


「階級っていうのは、貴族の中の序列だよ。貴族の中にも上下関係があって、貴族街でもそれによって住む場所が違うの。まぁ、実際に私も見たことはないんだけど…」


 ――そんなこと知らなかった。ありぞねも何も言っていない。


 環夜は自分の無知さをより一層痛感した。年下の彰でさえ知っていることを自分は知らない。それはとても恥ずかしいことなのだった。


「その……階級ってやつは…全部で何個あるんだ?」

「階級は上から総統、副総統、将軍、鬼兵、親民の五つに分かれていて、総統、副総統は一人ずつ、将軍は五人、鬼兵は貴族の軍人のことを指して、残りの非戦闘民が親民と呼ばれているよ」


 ――じゃあ、ありぞねは親民だろうか。見たところ軍人には見えなかった。


「ありぞねは…親民か鬼兵だと思うけど…彼女は争いを…戦争を止めたがっていた。だから兵士じゃないと思う」

「じゃあ、親民だね」


 彰は環夜の言葉を聞いて安心したように言った。親民の階級貴族の中には平民と仲良くしてくれる人もたまにいるらしい。環夜はそんな貴族に気に入られたのだろうと彰は頷いた。


「なら、ありぞねさんはいい人だ。ごめんね、酷いこと言って」


 環夜は首を横に振る。


「謝るなら、ありぞねに会った時に直接謝ってよ。そのほうが気持ちも伝わるから」


 彰は納得したように頷いた。

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