第八話 慣れない食器

 宿を出て大通りを五分ほど歩くと、行きに見た飲食店の一つに入った。看板には『海外料理店』と書かれている。名前の通り異国料理の店だ。


「朝食を此処で摂ろう。私も食べてきてないから一緒に食べるよ」


 アリゾネが店内に入ると、店内を賑わせていた客の話し声が気持ち悪いほど一瞬で止んだ。給仕人の一人が店の奥に入っていき、店主らしき人を呼んできた。


「き、貴族様…こんな貧乏料理店に何の御用でしょうか」


 怯ているというよりは恐れ多いといった感じだ。まさか店主も貴族が庶民の料理を食べに来たとは思わないだろう。


「そりゃあ、食べに来たんだけど…」


 アリゾネは店主の態度が少し気に食わなさそうだった。店主はというとアリゾネの言葉が信じられないといった様子で呆然としている。店の中は水を打ったように静かだった。全員の視線がこちらに向いているので、環夜はなんとなく気まずくなってアリゾネの後ろに隠れた。


「とにかく席に案内してよ」


 沈黙を破りアリゾネが言う。給仕人の一人がアリゾネを席へと案内した。アリゾネは環夜の腕を引き、給仕人について行った。


 二人が席に座ると、給仕人は初めて環夜の存在に気がついたようだった。驚き、金魚のように口を開閉している。貴族と平民が一緒にいることを脳が理解しきれていないのだろう。

 アリゾネは料理の献立表を開くと環夜の前に広げた。


「何食べたい?私はイタリア料理のフォカッチャとミネストローネにしようかな」


 環夜は献立表を見渡すが何が何だかわからなかった。全て漢字で書かれているので一応読めるが読んだところでそれが何かはわからない。北北乱散好儂ペペロンチーノ香流朴菜新カルボナーラ。何が美味しくて何が不味いかさえも区別がつかない。そんな環夜を見て、アリゾネが不安そうな顔をした。


「お金のことは気にしなくてもいいよ。私が払うから」


 環夜は慌てて首を横に振る。


「そ、そんなこと気にしてないよっ。昨日貰ったお金はまだあるし…」


 環夜はだんだん小声になっていく。貴族からお金を借りたなんて大声で言えない。

 それに比べてアリゾネの声はとても大きかった。先程から、周りの客がこちらを見てくる。環夜は恥ずかしくて俯いた。


「…じゃあ、どうしたの?何にするか迷ってるの?たしかに全部美味しそうだよね」


 アリゾネは俯く環夜を気にかけて、献立表に書かれた料理名を指さしながら言った。


「えっとね…ジェノヴェーゼはパスタっていう…その…細長い…汁無しのうどんみたいな…なんて言うか…食べたことない?それにバジルって言う…えっとね…葉っぱのソース?あ、ソースっていうのはね…」


 アリゾネは説明が下手だった。環夜は全然わからなくて笑ってしまった。自分の知識不足のせいだが、一生懸命話してくれるアリゾネの説明がわかりにくすぎて可笑しくなってしまったのだ。


「あ、笑わないでよっ」


 アリゾネは拗ねたようにして献立表を閉じた。環夜は慌ててアリゾネに言う。


「ごめん。じゃあ、ありぞねのお勧めは?」


 アリゾネはまだ不貞腐れていたが、献立表を開き指さしながら教えてくれた。


「私は…ペペロンチーノとかお勧めかな。少し辛いオイルパスタだよ。言ってもわかんないだろうけど…。唐辛子とにんにくを使っているよ」


 やはりアリゾネの説明は全くわからなかった。だが、環夜はアリゾネのお勧め料理を頼んでみることにした。


「辛い食べ物は…下層地域にはあまりなかったから…少し気になるかも。それにするよ」


 アリゾネは環夜がお勧めしたのを頼むと言ったので、笑顔で定員を呼び注文した。先ほどの機嫌の悪さはもうない。

 十五分ほど経つと料理が運ばれてきた。


「たいへん遅くなり申し訳ありません。今店内が混んでいまして…」


 給仕人はそう言うと頭を下げた。アリゾネはそんな給仕人の態度が気に食わないようで、少し強めに言い返した。


「私がそんなこともわからないほど馬鹿だと言うの?貴族だからって優遇する必要はない。早く持ってきてくれたのはありがたいけど、謝る必要はないんだよ」


 その言葉を聞いても給仕人は恐れ多いといった様子で料理を急いでおくと、店の奥に消えていった。


 アリゾネの機嫌は再び悪くなった。一言も発さず、食卓の上にあった長方形の木箱から銀色の先が丸い金属の棒を取り出すと未根酢鳥盧穂恵ミネストローネとかいう汁物を飲み始めた。

 血のように赤い汁物、見たことのない形の麵麭、うどんよりも細長い汁無しの麺。未知の料理だった。

 環夜は気まずいながらも木箱を開けるが、いつも使っている箸がない。これでは食べられないと環夜はアリゾネに助けを求める。


 アリゾネは木箱に入っている先が三つに分かれた金属の棒を指さして言った。


「フォークを使って食べるんだよ」


 ――木箱に入っている棒がほぉーく・・・・ということは分かったが…こんなもので食べるというのか。


 環夜はほぉーく・・・・という名の棒を二本取り出すと、箸のときと同じ要領で食べ始めた。うまく麺を掴めず、こぼしながら食べてしまう。必死に麺と格闘する環夜の前方から、押し殺したような笑いが聞こえてきた。


「わ、環夜…何で二本っ…使ってるのっ…」


 必死に口を押さえているが爆笑しているのがまる分かりだ。それにしても、なぜ二本使ってはいけないのかと環夜は首を傾げる。


「フォークだよ…?箸じゃないんだよ…?その、三つに分かれた先でパスタを絡めて食べるんだよ」


 ――三つに分かれたここで?一本しか使わないのか?


 環夜は意味がわからなかった。そんな棒一本で麺が食べられるわけない。それに、絡めるということも意味がわからなかった。環夜にとって麺といえば掴んですするものという認識だった。

 ともかく、今の会話でアリゾネの機嫌は戻ったようだった。代わりに環夜が不貞腐れることとなった。



 なんとか食べ終わり、店を出た二人だったが環夜はアリゾネよりも先を、アリゾネから逃げるように歩いていく。早足で歩いているが、倍の身長を持つアリゾネはあっという間に追いついてしまう。


「ごめんっ、馬鹿にしてごめんっ。そりゃあ知らないもんね。言わなかった私が悪いよ。ごめんね」


 アリゾネが必死に謝って、やっと環夜は速度を緩めた。

 いつの間にか知らない場所まで来ていた。前方には街中にある、どの高層建築物よりも大きな塀が立っていた。そして塀の下部には金属造りの頑丈そうな門がついていた。


「その先は貴族街だよ。残念ながら今はまだ平民では入れない」


 アリゾネは目を細めて、塀を見つめながら言う。塀の先はアリゾネたちの暮らす貴族街。外からは何も見えず、平民にとっては未知の領域だ。確か、侵入したら処刑ものだとか。

 環夜は身震いした。早くこの場から逃げたいとも思った。そんな恐ろしいところ、間違ってでも入りたくはない。

 環夜とアリゾネが門から離れようとすると、アリゾネの懐から電子音がした。


「電話だ…」


 アリゾネは懐から電話機器を取り出すと耳に当てた。よく考えたら貴族も、どちらの腕にも液晶画面がない。なぜだろうか。


「…うん、わかった。…うん、今帰るよ」


 アリゾネは早口でそう言うと電話を切った。そして、環夜の方を向いて目の前で手を合わせ、申し訳なさそうに言った。


「ごめん…呼び出されちゃった。ちょっと…仕事を手伝ってほしいって…。本当にごめんね。案内する約束だったのに」


 環夜は慌てて首を横に振る。仕事ならば仕方がない。そもそも、アリゾネの善意で付き合ってくれていたのだ。無理強いできるわけがない。


「全然いいよ。また今度一緒に周ろうね」


 アリゾネは名残惜しそうにしていたが、塀の門を通って貴族街の方へと消えていった。

 環夜はそれよりもアリゾネの仕事が気になった。貴族の仕事なんて想像もつかなかった。

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