白夜の抱擁 第三章 息のかかる距離で…
ツバキハウスで、すっかりみおさんの『弟分』となったきっかけは……二次会でのとある出来事だった。
その居酒屋で僕は、生まれて初めての『お化粧』をする。
正確には……されてしまった。
ド派手グラムロックンロールバンドのサイゴン・シェイクスが大好きなみおさんにとって、男のお化粧は全く違和感がないらしい。
隣の席になった僕の顔をじ~っと見つめて……
「な~んかいい感じだな~。ちょっと、じっとしててね」
と言いながら、鞄から化粧道具を取り出すと……楽しそうに僕の顔へと塗って行くのだった。
え? な……ちょっと待ってよ……。
心ではそう思っていても、基本的に女の人には逆らえない僕。
お化粧なんかする……否、されるのは勿論初めてだった。
その『初めて』を、自分が『好き』になりかけている……かもしれない女の人に、してもらうことになるなんて……
緊張と動揺が、無意識に表情筋へも伝わってしまったらしく……
「もぉ……じっとしててってば……フフッ!」
楽しそうな……嬉しそうなみおさんの顔が……
息がかかりそうな……否、時折りそれを感じてしまう、30センチ前後にある。
その時、僕の胸を高鳴らせていたのは『初めてのお化粧』よりも……みおさんとのこの『距離』だったことには、気付いていた。
数分後……
「ほらできた~! なんか女の子みた~い!」
どうやら完成したらしいが……みおさん、何をしてくれたんですか……。
「ホントだ~!」……「きれい~!」……と、周りのおねえさま方もエライ盛り上がりよう。
「完成した」とやらの顔を自分ではまだ見ていないので、何をそんなに盛り上がっているのか、なんとなく実感がない。
「ほら、見てごらん!」
女の人の鞄には何でも入っているんだな……と、思いたくなるほどの大きさの手鏡をみおさんから向けられ……
「あ……正直……悪くはないかな……」と、思ってしまった僕だった。
“ビジュアル系”なんてカテゴリーや言葉さえもなかった時代……あるとすれば“グラム・ロック”。
ただ、自分が『お化粧をしてステージに立つグラム・ロッカー』だなんて、微塵も思っていなかったし……
それまでのバンド活動でも、そうしたメイクアップでのステージ経験は皆無。
ただ……その時のみおさんの、僕に対する行為が……
弟分の僕を単なるオモチャにして、メイクをして楽しんでいるだけ……だとは、どうしても思えなかったんだ。
だから……その後のみおさんの行動には、もう何の抵抗も無かったのだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の週から……みおさんに、またお化粧をされてしまう。
それも二次会ではなく、ツバキハウスで開始前に。
ツバキの開始は19時から。18時半前くらいに入ると、みおさんに女子トイレへ連れて行かれる。
女子トイレに……入っていい男子と、そうでない男子が決まっていたらしい。
僕はその頃から……みおさんと同伴でなら、入っていい男子になっていたようだった。
「じっとしてなさ~い」
みおさんにお化粧をされている横で……僕以外にも、今で言うその“ビジュアル系”の男の子の何人かは、既に『自分で』お化粧をしていた。
「オッケー、完成! 食べたら口だけ塗りなおそうね!」
「食べたら」というのは、フロアーサイドに色々な食べ物がフリーで用意されている。
それらは、踊る前の腹ごしらえ兼、毎週日曜の夕ご飯のようなものだった。
文字通り『化粧室』から出たところで、みおさんの知り合いらしきおねえさん達と会ったが……まだ新入りの僕は、知らない人も多い。
みおさんは僕を、彼女達に紹介してくれるが……早く食べてしまいたいらしく、紹介はかなり省略された。
「あのね! このコ、れいっていうの。弟分だから、よろしくね! また後でね!」
この時のみおさんの台詞に拠り……僕がみおさんにとっては『弟分』扱いなのだということがハッキリしたのだが……
急ぐみおさんに手を引かれてフリー・フード・スペースへ引きずって行かれる僕にも……後ろから彼女たちの声は聞こえていた。
「弟さんて言うことは、今の……男の子でいいんだよねぇ?」
「や~ん、きれ~い!」
そうですか? ありがとうございます。でも……お化粧で、描いた顔ですからね。
と……それは女の人には失礼な反応だったのかもしれない。
オトナの女性なら基本的に、お化粧はしているのですから。
失礼しました。
そんなことを思いながら、みおさんに連れられてきたフードスペース。
ツバキハウスのカレーは、具がほとんど入っていない。
溶けてしまったのか最初からなのかは判らないが……でも、みおさんと一緒に食べるカレーライスは、それでも美味しかった。
迎える19時。
毎週、開始を知らせる“威風堂々”が流れ、続く……グリーンスリーブスがライヴのオープニングで毎回流すナンバーで始まる、ヘヴィメタルナイト。
その夜の一曲目は……ヘヴィメタルナイトにしては珍しく、サイゴン・シェイクスの……“百夜のトラジディ”だった。
そんな『弟分』な僕だったが……ある週みおさんと、二人きりになれる
白夜の抱擁 薄川 零 @reisusukigawa
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