逃げても……
「先生、今日はありがとうございました」
宴もお開きになり、店先では各自が恩師との別れを惜しんでいた。
「こちらこそ、みんなに会えて楽しかったよ」
深々と奈良崎に頭を下げられ、元生徒達は戸惑い、恐縮している。
「たまにはこうやって俺らと会ってくださいね、先生」
友弥の言葉に側にいた全員が賛同するよう拍手し、奈良崎も答えるように顔のシワを深く刻んだ。緩んだ懐かしい表情筋を見ると、那生は父のように頼っていた高校時代の自分を思い出してしまった。
「はは、こんな爺さんでもよければな」
そう言って奈良崎は変わらない笑顔で手を振り、背中を向けると家路へと去って行った。
「みんな二次会どうする?」
同級生達が次の店に向かう様子を眺めながら、那生達は顔を見合わせた。
「俺はパスだな。店でまだ仕事あるし」
「だよな。晃平は店長のくせに今日はずっとサボってたし」
「なーおー、お前は残って店手伝え」
無邪気に笑いながら、晃平の地雷を踏んだ那生は自ら標的となりながらも「無理無理、俺、明日朝早いし」と、悪ふざけのノリを堪能した。
「じゃ、那生は帰んのか」
急に真面目な声で神宮に聞かれ、鼓動がトクンと鳴った。
「……帰るよ。結構飲んだし、明日外来あるからなぁ」
骨の軋む音が聞こえそうな伸びをした那生は、その弾みで覚束ない足元をフラつかせてしまった。
「那生は神宮に送ってもらえよ。体が揺れてっぞ」
さっき聞いた友弥の話で多少酔いは醒めていた那生は、「平気。酔ってない、もう醒めた」と、胸を張って言い切った。
「いーや、お前は酔っている。酒弱いのにガンガン呑んでたんだからな。ほら、神宮こいつ連れて帰れ」
諭されるよう晃平に言われ、背中をグイッと押されると、重心の危うい体は神宮の側まで押し出された。
「ああ、ちゃんと送るよ」
「こーへーが飲ませたんだろ。それに子供じゃないんだし一人で平気だ。家も近いんだから。じゃお先──」
その場から逃げるように踵を返すと、「なおっ」と呼ばれ、同時に手首を掴まれてしまった。
自分の手首に絡まる神宮の指を見た途端、「は、離せよ」と、その手を振り解こうとした。
「ま、久々に会ったんだから、積もる話しでもしようか」
神宮お得意の飄々とした顔で、でも掴まれた手首には力が込められていた。その手を振り解こうともがいたけど力では敵わず、地団駄を踏む思いで神宮に従い、那生は晃平と友弥に別れを告げた。
二人のやり取りを見守りながら、晃平が「なあ、友弥」と発した。
「那生のやつ、なんで神宮のことを名前で呼んでないんだ」
「……そう言えば、高校んときは『環』って呼び捨てしてたよな」
「あの二人──いや、なんでもないな。それより二次会行かないなら店で飲みなおそうぜ」
晃平の言いかけた言葉に敢えて触れず、友弥が「いいね」と不敵な笑みを浮かべると、二人は店の中へと戻った。
屠所の羊(としょのひつじ) 久遠ユウ @kuon_yuh
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