【11 早退】

・【11 早退】


 詩の朗読会後、次の週の月曜日に私は熱を出して高校を早退することにした。

 多分母親はパートに行っているだろうから、と、私は一人で歩いて帰るつもりだったが、古池先生が車で送ってくれることになった。有難い。

 古池先生の車内は何の代り映えの無い、普通の軽自動車で、買った状態のまま使っているといった感じで、何のカスタマイズも無かった……と思ったら、後部座席にポケットを追加していた。あの、運転席の頭の部分に掛けるヤツ。古池先生って後部座席に誰か乗せることあるのかな? いやいや、何か熱っぽくて、意味無いこと朦朧と考えてしまうなぁ、と思ったところで、古池先生が、

「とらさん、今は大丈夫か?」

 そう、古池先生にはとらさんのことをしっかり話した。ホームルームの時に。

 一応部活の顧問だし(とは言え、部活動中に顔を出すことは一度も無かったけども)知っておいてもらったほうがいいかな、と。

 古池先生は続ける。

「とらさんな、詩の朗読会の話はノキアから聞いたが、アイツ、職員室でデカい声で、本当にお喋りだな」

 私は虚ろ虚ろとなりながらも、

「それは結局、とらさんの話ですか? ノキアの話ですか?」

「あぁ、悪い。ノキアの話はマジの愚痴だ。大人のマジ愚痴だから気にしないでくれ。とらさんは今、どういう状態だ?」

 カバンの中を見ると、スヤスヤと眠っていたので、

「何か、眠っています」

 と答えると、古池先生は、

「それならいいんだ、運転中に何か起きたら大変だからな」

「そうですねぇ……」

 と頷くと、古池先生が、

「まあなんだ、私も直接見たわけじゃないが、生徒たちから猿の話やノキアからのマッチョの話から察するに、なかなか面白いヤツだな」

 ホームルームの時に猿の話をそう言えばたっぷりしたなぁ、と、なんとなく思い出していると、

「でも他の生徒には基本ハイテク演劇とかハイテク朗読とかにしといたほうがいいかもな、あんま騒がれるのも面倒だろ?」

「そうですね、面倒ですね」

「今の時代は科学の進歩でハイテクと言ってしまえば結構信じるヤツが多くて助かるなぁ」

「意外とそうですよね」

「まあ何かいろいろ誤魔化しつつ楽しく生きてくれ、学生生活は楽しければ楽しいほどいいから。私もそういうことにして、面倒な教師から問われたらそういうことにするから」

「よろしくお願いします」

 そんな会話を脳内をボヤボヤさせながらして、家の前に着いた。

「荷物運ぼうか?」

 と古池先生は言ってくれたけども、さすがにそこまでは大丈夫なので、

「まだ熱だけなので大丈夫です」

 と答えると、古池先生は溜息をついてから、

「心配とかじゃない、私も高校をサボりたいんだ」

「そこは心配でいいじゃないですか、私は別にサボるわけじゃないですし」

「嘘つく人間にはなりたくないんだよな」

「とにかく古池先生を必要としている生徒もいっぱいいるので、戻ってください」

 と私が言うと、古池先生はへへっと笑ってから、

「そうする」

 と笑顔で言って戻っていった。

 何か私、失礼なこと言ってないかな、とぼんやりしながらアパートの階段をのぼり、自分の部屋の鍵を開けようとすると、なんと何か閉まった音がした。

 あれ? 私、鍵閉めずに高校へ行っちゃったかな? 熱ってもしかすると高校行く前から出ていたのかな? と思いながら、もう一回鍵を開けようとしたところで、中から声が聞こえた。

「霧子、何で、帰ってきたの……?」

 ママの声だった。あっ、ママが掃除しに来てくれていたんだ。じゃあ今日いたんじゃん。ママにスマホで電話すれば良かった。でも仕事中だとウザいだろうし、変に心配掛けることになるし。

「私は熱っぽいから帰ってきたんだ」

 と言いながらドアノブを回すと、既に開いていて、ママが何だかあわあわしながら玄関に立っていた。

 何でちょっと口元が歪んでいるんだろうと思いつつ、私はさっさと部屋へ行って、部屋着に着替えようとすると、ママが、

「トイレ、トイレ行かない?」

 と言ってきて、何でと思いつつ、

「あぁ、手洗いうがいするわ、これ大事」

 と私が洗面台へ行くと、ママが、

「そのままトイレなんて、どう?」

 と言ってきたので、もしかするとママはトイレでデカいウンコすると熱が下がると思っているのか? と思いつつ、

「トイレにそんな解熱作用無いでしょ」

 と言ってから手洗いうがいをして、すぐに部屋へ行こうとすると、ママが何故か額に汗を滲ませながら、

「まだ部屋の掃除終わっていないから、一旦トイレに入っていてよ……」

 と先細りの声でそう言ってきて、

「いや掃除がまだだとしても、トイレにこもらないよ。トイレ若干寒いから体温めたいよ」

「じゃあお風呂にでも入る?」

「温まるまで時間掛かるでしょ、もういい、私ベッドで寝るから。ママもありがとね、掃除してくれて」

 とママを振り切って部屋へ入り、まずは部屋着になろうと思って、クローゼットを開けたその時だった。

「「わぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」」

 ユニゾンした声。しかもママとじゃない。そう……そう! そうぅぅうううううううううううううううううううううう!

「毒素だぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 つい面と向かってハッキリ毒素と言ってしまったが、なんと私のクローゼットの中に毒素が入っていたんだ! キンモぉぉおおおおおお! 私の部屋に、クローゼットに毒素入れないでよぉぉおおおおおおおおおお!

「や、やぁ、霧子ちゃん……」

 そう言いながら、妙にまったりと出てきた毒素。

 というか!

「ママ! どういうこと!」

 と怒髪天の勢いでママへ私がそう言うと、

「いや、あの、一緒に、掃除しようと、思って……!」

「私が毒素のこと嫌いだって知ってるでしょ!」

「毒素……? えっ? 幸一(こういち)さんのこと毒素って呼んでるぅっ?」

「あ! いっけね! でも! でもでもでも! 幸一、さんのこぉとぉ! 家に入れないでよ!」

「いやいや! 霧子はあれでしょ! 私と幸一さんの結婚生活の邪魔になりたくないから一人暮らししているんでしょ! 幸一さんのこと嫌いなんて聞いていないわよ!」

 とママが叫んだその時だった。

 カバンの中から寝ていたはずのとらさんがズルリと出現してきて、また宙に浮かんで光り始めた。

 ヤバイ! 今こそあの時の、私の鬼になったら! 今三メートルになられたら天井ぶち破る!

 でもとらさんはもう止まらず、そのまま宙に霧散した、と思ったらそのままとらさんのまま床に四つ足で立った、否、模様が違う。

 縞模様からセパレートというか、中央でパックリ黒と黄色で別れている。センターで五分五分の陣取り合戦みたいな。

 さらにはとらさんの口からはなんと左右から一本ずつ牙が生えていて、足も鋭い爪が生えている。

 模様こそ違うものの、完全に獰猛なとらって感じな顔もしている。

「あらとらさん! これが幸一さんの言っていたヤツぅっ?」

 と何だか嬉しそうにそう言ったママ。

 いやいや、

「あんま嬉しいヤツじゃないから! 何が起きるか分からないヤツだから!」

 と私が言うと、ママがとらさんを抱き上げようと、胴体を持つと、スルリとママの手から抜け出して、とらさんは私の肩に乗った。

 ということは私が出したって感じ? いや爪がちょっと危ないな、首ぃ気を付けてよ、首ぃ。

 私とママが会話しているうちに、毒素がそろりそろりと玄関のほうへ向かっているのをとらさんが見たのだろう。

 とらさんはテーブルの上にジャンプして飛び乗り、テーブルの上で前足を器用に動かして『しっしっ』の動きをしながら、

《帰れ帰れ! 邪魔者は帰れ!》

 と言ったので、まんま私のとらさんだと思った。

 最初、直前に叫んだのはママだったから、ママなのかなと思ったけども、全然私だった。でもまあ私の気持ちのほうが全然強いかぁ。

 ママは振り向いて、

「幸一さんは先に帰っていてください。何だか今日のとらさんは怖いので」

 と言うと、毒素はそのままそそくさといなくなって、何かダサっと思った。こんなんのマジで何がいいんだろう、と思ったその時だった。

《とらさん疲れたよー、守護神はつらいねぇー》

 と言ってなんと牙も爪も半々の模様も無くなり、いつものとらさんに戻った。

 いや、早過ぎる、変わり身が早過ぎる、というかでもそうだ、私は毒素を追い出すことが目的なわけだから、もう達成されたというわけか。

 だからって、あの半々の謎解きとかしなくていいのか? いやそういう理屈じゃないんだよな、理屈じゃなくて本能でママとだけ一緒に居たいんだよな。

 とらさんはテーブルの上でそのままとろりと寝始めた。すごく幸せそうな顔をしている。

 私は何か、気まずくて俯いてしまうと、ママがこう言った。

「霧子、幸一さんのこと嫌いだったんだね」

「……うん……」

 と素直に言うと、ママが、

「まあ年頃の子にいきなりマッチョだもんねぇ」

 そう言ってソファーに座ったママ。

 私もソファーに座ろうとすると、

「部屋着に着替えてベッドで寝てて。夕食は私が作っておくから」

「ママ……」

 正直十六歳のくせに、まだまだ子供過ぎると自分で思った。

 でも私はママのことが大好きで。毒素のことは本当に好きになれなくて。フォルムも声も存在も。

 私がベッドの上に横になると、ママは台所へ行って、料理の音が聞こえ始めた。

 ずっとこうだったのに、ずっとずっとこういう生活だったのに、何で、何で、毒素のせいで。

 いつの間にか私は寝ていて、起きたらもうママはいなかった。

 玄関の鍵もちゃんと閉められていて、安全だからそっちのほうが断然いいんだけども、何だか断絶という言葉が頭に浮かんで泣けてきた。

 すると、とらさんは既に目を覚ましていたらしく、

《久しぶりにママに遊んでもらったとらぁ》

 と言い出して、何それうらやまっ、と思った。

 でもとらさんは私の友達だし、とらさんの幸せそうな表情を見ると、私も心が温かくなるなぁ、と思って、とらさんのことを優しく抱きしめた。

 すると、とらさんが、

《霧子はママと全部全部一緒とらぁ》 

 と言って、不意に涙がこぼれそうになったけども、それをとらさんに見られると、とらさんに心配されてしまうと思って、瞳が正常に戻るまで、とらさんのことを抱きしめていた。

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