【02 赤鬼さん】

・【02 赤鬼さん】


「に! 逃げろ!」

 毒素(ママが再婚した相手でゴリマッチョのゴリラ顔)が叫んだ。

 ただ私もノキアも動けなかった。ただただ呆然と異形の存在を眺めていた。

 すると焦った毒素が私の視界にカットインしてきて、なんと赤鬼の両腕を掴んで動きを止めようとしたのだ。

「危なっ」

 ポツリと出てしまった私の言葉。本当は別に毒素が危ないとしても、どうでもいいのに。

 でも反射で言ってしまうのが人間だよね、と自分の中で何か納得させていた。

 赤鬼は下を向き、毒素のほうを見ると、急に鉛筆を振り上げたので、あっ、と思って見ていると、なんとただただ鉛筆でアスファルトの地面に何かをそのまま立ちながら書き始めたのだ。毒素を鉛筆で殴るんじゃないんだ。

 すると毒素が叫んだ。

「魔法陣を書こうとしているんだ! 早く逃げるんだよ! 霧子ちゃん! ノキアちゃん!」

 声が鼓膜に響いた。あまりの気迫に圧倒されていると、ノキアが私の手を掴んで、

「いこう! 霧子!」

 と言って走り出したので、私はそのままノキアについていくと、急に何かが私の顔にぶつかって、ボヨンと優しく押し返された。

 まるで柔らかい膜に当たって跳ね返ったような感覚。

 ノキアのほうを見ると、ノキアもそうなったらしい。

 ノキアは額のあたりを触りながら、

「何かっ? 付いてるっ?」

「ううん、何も付いていない」

「ボヨンとしたけども!」

「うん、私もした。私も何も付いていないよね」

「うん! 全然何も!」

 何だこの会話と思いつつ、よくよく周りを見渡すと、私たちがその透明な膜の中だとすると、その外側の人たちはまるで時間停止したように止まっていた。

 つまり今私たちは特殊な空間の中にいるということらしい。まあ特殊は特殊だよな。

 一応感覚が合っているかどうか、ノキアに言うことにした。

「何か、透明な膜だよね、膜があるよね、多分、半径……八メートルくらい?」

「ちょっと待って」

 そう言って手を前に突き出したノキアがゆっくり前に歩いてから、こう言った。

「あるある! 透明な膜あるよ! ボヨンボヨンしてる!」

「じゃあ私の感覚合ってるみたいだ。ということはあの赤鬼を倒さないと出られない特殊な空間ってこと?」

 そう言って赤鬼のほうをチラリと見た私。

 向こうでは毒素がなんとか赤鬼を抑え込もうとしているが、赤鬼は全く意に介さないといった感じで何かを書いていた。

 でも決して赤鬼は毒素のことを何か攻撃するわけではなく、黙々と書いている。

「何だか真面目!」

 そう言ったノキアにちょっと内心笑ってしまった。

 すると毒素がまたデカい声で、

「魔法陣じゃない! 呪いだ! コイツは呪いの言葉を書いているんだ! 早く遠くへ!」

 と叫んだ。

 それと同じくらい大きな声でノキアが、

「何か透明な膜が張ってあって逃げられませーん!」

 と答えた。それに毒素はビックリした表情をしていた。目が飛び出るほどの顔だ。

 いやまあそれくらい特殊なことが起きているんだからありえるだろ、と私は逆に冷静になってしまった。

 毒素はタンクトップが滲むくらいの汗を流しながら、

「えぇい! 俺だ! 呪い殺すなら俺にしてくれ!」

 と言って赤鬼から少し離れてから土下座をした。

 そういうの通用するのかな、と思って見ていると、なんと赤鬼の口が開いた。

《書いてるから、邪魔だから、ちょっとどいてください》

 少し会釈もした赤鬼。

 何だこのシュールな感じ……全然乱暴さを感じない……。

 というかそもそも本当に呪いの言葉を書いているのか?

 私は気になって、ゆっくり赤鬼に近付くと、すぐさま毒素が立ち上がり、私の肩を掴んで、

「近付いちゃダメだ!」

 と声を荒らげた。

 いやでも、と思っていると、毒素の腕の範囲外からノキアが回り込み、赤鬼の正面に立って、喋り始めた。

「私、に、は? かな、逆からだと読みづらいなぁ、えっと、言いた、い、ことが……ある?」

 それに対して私はノキアへ、

「えっ? 日本語?」

 と反射で聞くと、ノキアは頷きながらこっちを見て、

「そうそう! バリバリ日本語!」

「読めるの?」

「逆からだし、字も下手だから分かりづらいけども、読めるよ!」

 その瞬間、毒素がまた叫んだ。

「読んじゃダメだ! きっと呪いの言葉だから!」

 ノキアは毒素と書いている文字を交互に見ながら、

「でもっ! これっ! 何か呪いの言葉じゃないですよっ?」

「じゃあ何?」

 と私が返事をすると、ノキアが急に目を丸くしてから、私を呼ぶように手招きして、

「これこれ! 読んで読んで! 黙読でいいから!」

 そのノキアの明るい表情に毒素の力も緩み、私は毒素を振り切って、ノキアのほうへ行くと、ノキアが改めて手招いて一緒に読みやすいように、赤鬼の背中側へ移動してから、その文字を黙読すると、とあることに気付いた。

 私はノキアと顔を見合わせて、同時に叫んだ。

「「詩だ!」」

 この赤鬼! というか赤鬼さん! 間違いなく詩を書いている!

 と、最初は何かテンションが上がったんだけども、徐々に何だか気持ちが重くなってきた。

 だって、だって、この詩、明らかに”私”だったから。

「赤鬼さん、貴方は一体何者なの?」

 赤鬼さんは黙って詩を書いている。鉛筆がデカすぎてちょっと書きづらそうに。

 じゃあもうちょい小さいの用意して、しゃがみながら書けば良かったのに。

 でもそうか、この赤鬼の赤さも、このデカさも、私の感情なんだ。

 そのことが分かった。

 ちょっと経ったところで毒素がまた近付いてきて、

「やっぱり近付いちゃダメだ! 書き上げたらどうなるか分からないよ!」

 それに私は毒素のほうを向いてから声を荒らげた。

「うるさい! 赤鬼さんは詩を書いているんだよ! 私の詩を! だから邪魔するな!」

 ノキアは小首を傾げて、

「霧子の詩……かもしれない! そうだ! 今言ってた霧子の気持ちじゃないっ? この赤鬼さん! 霧子だ!」

 毒素は何が何だか分からず、オウム返しするように、

「赤鬼が、霧子ちゃん……?」

 と言った。

 オウム返しキモっ、と思って目線を別の方向にやると、赤鬼さんの虎柄のパンツが目に映り、その虎柄のパンツの黒い縞が灰色になっていることに気付いた。

「とらさんみたいに縞の色が変わってる!」

 と私が叫ぶと、赤鬼さんがこっくりと優しく頷いた。

 えっ、赤鬼さんは私? それともとらさん、どっち? というか、どっちも? どういうことっ?

 と思っていると、赤鬼さんは字を書き終えたようで、大きな一息をつくと、自分がいた中央のスペースを空けて手招きしてくれた。

 だから私とノキアはより読みやすいそちらへ行き、この詩を音読することにした。

●●●

私には言いたいことがある

ポエムって言って、何でバカにするの

人が好きでやっていることに陰口を叩かないで

人を好きになることを悪く言われたら悲しいでしょ

何で詩はサンドバッグなの

何で詩は認定されたの

何で詩は「小学生並み」「いや小学生に失礼(笑)」扱いなの

一生懸命喋っている人を「ポエム(笑)」と笑うの

ポエムじゃないし、詩でもない

そもそも空想だけが詩じゃない

空を想い、海に泣き、大地に笑うだけが詩じゃない

勝手に空想だけで喋らないでほしい

だから私は空を切り裂くんだ

汚物が漏れるほどに空を粉々にして

自分の言葉で浄化する

言葉が出なければそれらを吸って吐く

体内でろ過して私にする

呼吸するように詩を書く

私にとっての当たり前

もういいよ

別にポエムでいいよ、一緒だもん

別に嫁でいいよ、一緒だもん

愛してとも言わないけどバカにしないで

もっと言えば、偏見無しにちゃんと読め

詩は寄り添ってくれるパートナーだから

タイトル『ポエム(笑)』

●●●

 すると赤鬼さんはニッコリと微笑んで、大きな鉛筆をその場に置いた。

 その時、私は咄嗟に叫んでいた。

「詩を書くの! やめないで! 赤鬼さん!」

 赤鬼さんは私がそう言うと、また鉛筆を持とうと屈んだと思ったら、やっぱり持たずに立ち上がり、私に”どうぞ”のジェスチャーをしてきた。

 いや、

「持てないよ、そんなデカい鉛筆は。私は普通サイズの鉛筆を持つよ」

 と私が答えると、急に鉛筆が光り出し、長さはそのままに細くて持ちやすいサイズで、書くペン先だけ太いままの歪な鉛筆になった。

 試しに私が拾って持ってみると、とても軽くて書きやすい感じだ。

 そうか、赤鬼さんは私なんだ、私だから私が書かないとダメなんだ。

 ならば、

「まずこの最初の”私には言いたいことがある”がいらないね」

 そう言って私が最初の一文にバッテンを付けると、その文章は消しゴムで消されたようにスゥーっと消えた。

 赤鬼さんも納得しているようにうんうん頷いている。

 それを見ていたノキアが、

「この調子で添削していくんだね! 本当の霧子の詩にするために!」

「そういうこと」

 次に手を付けたところは”何で詩は”のところだ。

「ここ三連発だけども、もっと続けてもいいかな。だから”何で詩はサンドバッグなの”の後に二文追加しようかな。何で詩は傷つけていいの、何で詩は殺していいの、を追加して、もうちょっと言葉を強くしようかな」

 それに赤鬼さんはなるほどといった感じに手を叩いた。

「あとはそうだね、空を想いからの空想の流れにしたほうがいいから”そもそも空想だけが詩じゃない”の時はまだ空想という言葉を使わず、ロマンチックだけが詩じゃないに変更しようかな」

 赤鬼さんはおぉと感嘆の息を漏らした。

「まあ空を想い、海に泣き、大地に笑うくらいはこのままでいいかな」

 すると赤鬼さんはホッと一息ついた。

 いちいちリアクションが可愛い。

 やっぱりこの赤鬼さんって私じゃなくて、とらさんかも。

 少なくても虎柄のパンツはとらさんだ、と思って虎柄のパンツを見たら縞が灰色から優しい橙色に変化していた。

 この変化するというところが本当にとらさんかもしれない。

 まあそれより今は詩の添削だ。

「汚物以降の後半は及第点かな、嫁と読めで駄洒落にしているところはまあ遊び心ということでOK出してあげる。まあ意外と悪くないんじゃないかな? とらさん」

 そう言って私は赤鬼さんのほうを見ると、ニッコリと、とらさんのように口角を上げて笑った。

 さて、まあ赤鬼さんに言うのはこれくらいにして、と、思ってから私は毒素のほうを向いた。

 どうやら私は思ったよりも真剣な表情をしていたみたいで、毒素の表情からは緊張が伝わった。

 私はハッキリとした声で、毒素へ向かって語り掛けた。

「ポエムだなんてバカにしないでほしかった」

 それに対して毒素は肩をビクつかせてから、恐る恐る喋り出した。

「バカにした気は、無かったんだよ、なんというか、ポエムというか詩だなんて、本当に可愛らしいなって」

「詩は可愛いモノじゃないんです」

 そう私が力強く言うと、毒素は落ち込むように肩を落としてから、

「でも、でも、心の奥底で何だか恥ずかしいモノなんだと思っていたのかもしれない。だってそういうものだと、なんというか扱ってきたから。ずっと、その、ずっと……」

 口ごもるように俯いた毒素。

 まあそうだろう。一般の人はきっと大体そうだと思う。

 詩のこと(ポエムのこと)をバカにして生きているんだと思う。

 ちょっと分かりづらく、自分の気持ちを言うと、サッカーの監督でさえポエムと揶揄されてしまう。

 監督というポジションンの人へでも、平気で外の人間は悪く言えてしまうんだ。

 一体どうしてだろうと思っていると、最後に毒素が大きく頭を下げてから、

「本当にすまない! 人の一生懸命をバカにしていたかもしれない! そんなの絶対やったらダメなはずなのに! それも我が子に……」

 我が子、というところがちょっとキモかったけども、まあいいかと思っていると、赤鬼さんが何だか徐々に橙色、いや黄色くなっていっているような気がした。いや、黄色くなってるし、何かサイズがどんどん小さくなっている。

 私の心が収まってきたことと比例するように、小さくなり、何だか形もとらさんにモーフィングしていった。

 完全に目の前でとらさんになった赤鬼さん、いやとらさんは、

《おいとまっ》

 と言ってからジャンプして、私のエコバッグの中に入ってきた。

 その時だった。

 周りの、多分膜があるあたりがキラキラと光ると、私たちの周りにいた人たちがまた何事も無かったように歩き出した。

 空間が元に戻ったんだ、そう思っていると、ノキアが、

「とらさんは大丈夫っ?」

 と聞いてきたので、エコバッグの中のとらさんを見ると、すやすや眠るような表情で休んでいた。目も大きくて丸いビーズから八の字の線になっている。いや、これは完全に寝ているな。

 毒素は一息ついてから、

「今のは一体何だったんだ……というか、その、とら? そのとらは危険じゃないのか?」

「別に、とらさんは全然危険じゃないよ。むしろ私にとっては詩やポエムをバカにする風潮のほうが危険です」

 そう言って私は毒素がいる逆側にエコバッグを持ち直すと、

「それならいいんだ、本当にそれなら……じゃあうん、お泊まり会、楽しく過ごすといいね」

 毒素はその場を去った。

 毒素がいなくなることを確認しているのか、ノキアがずっと毒素を目で追っていて、目に完全に映らなくなったタイミングで、

「ゴメンなさい! 私が詩作をしていることを安易に言ったせいで!」

「いいよ、別に。もう済んだことだし」

「でもでもでもぉ!」

「ノキアがおしゃべりなこと別に知ってるし……じゃあ、コンビニでデッカイスイーツおごってよ。それで許す」

「デッカイの三個買ってあげる!」

「別に一個でいい」

 そんな会話をしながら、コンビニへ行き、家へ帰ってきて、ご飯を広げて食べている時にノキアがこんなことを言い出した。

「やっぱり詩をバカにしていい風潮というものが良くないよね!」

「それはそうだけども」

「だからさ! アタシたちが変えようよ! 一緒に高校に詩の部活を作らないっ?」

「アタシたちが変えるって、そんなことできるかな?」

「やってみないと分からないでしょ!」

 ノキアはやけに真剣な瞳だが、私はちょっと引いていた。

 だってそういうことは分かり合えることなんてないと思っているから。

 一般の人は相変わらず詩をバカにしていると思うし。

 そんなことを考えていると、エコバッグで寝ていたとらさんが起きたらしく、急に飛び出してからこう言った。

《とらさんはノキアを応援するとらー! とらさんもたくさん詩を聞きたいでしょー!》

「あっ、起きたんだ。起きたなら言うけど、とらさん、さっきのは何?」

 問い詰めるように言うと、とらさんは笑いながらこう言った。

《ウフウフウフ、とらさんもよく覚えていないとらー、でも可愛かったからいいでしょー、ほほほほーっ》

「いや赤鬼は結構マジの赤鬼だったよ」

《だってああなっちゃったんだからしょうがないでしょー、とらさんは何も悪くないでしょー、ほほほほーっ》

 結局とらさんはまたこの調子で真相は闇の中といった感じ。

 いやそもそも何でとらさんは動いているのか? 分からないことだらけだ。

《ほほほほーっ、とらさんのこと愛でて愛でてー》

 でもまあ可愛いからいいか。

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