黒い花火
朝尾羯羊
本稿
娯楽と云うものは、自分で生み出したほうが可いのではないか、などと云うことがしきりに思われる。もっとも効率的に自分に息抜きさせる方法を、自分で熟知して、それからそれを自作し、物足りなくなったらなったで、その都度補ってゆけば可いのではないか。しかし、特に近現代では娯楽はさかんな売買の対象であり、主目的があるところからの息抜きとしてではなしに、それが主たる目的と目され、何者かが営利目的でこしらえた娯楽に或る人の生活は牛耳られ、また或る人はありえたかもしれない独創的な生き方を台なしにされて了う。おのれの生き方の独創性がはなから娯楽の開発者の独創性によって凌駕されて了っていることは、とても屈辱的なことであるし、そう感じられなくてはなるまい。
少年たちは六月の午後を、自転車に乗ってはしゃいでいた。あてにしていた友人の宅から追い出され、彼らは
黒松の砂防林が、彼らを容易に海へとは至らせなかった。もちろんここには
中学でできた新しい友だちにつれられて、
彼らは自然を
広場の後ろに控えている公民館は、バリ風の
四阿の屋根の下には影がこまやかに落ちている。
四阿の下には悪事の影、犯罪性が影を落しがちであるが、こんな明朗な小さな鄙びた港では、四阿といえど、潮風に一種消毒された
勉は新たな友人に自分に似た気質を見出だしてよろこんだ。勉学のなかには、自分の値打の遠い反映を本能的にみる一方、おのおの取り組んでいるスポーツがあった。しかもそれらすべてを、降りかかるであろう禍福を、左右にわかれて道をひらきつづけるあの自然たらしめようとする予防的な意志が支えていた。彼らはすべてを過去にする
彼らはカードの夢みるような図柄に陶酔していただろうか? ともすればそれは衛生的な護符の一枚にすぎなかったのではないか? 勉はこの性質をわかっていた。それは友人同士を安全に関係づけるが、度をすごすと、それじたいに唯一にして最後の友人として関係せざるをえなくする、危険な媒介者であった。この媒介者に関係するしかたにもまして、彼らが巧みに関係するものはなかった。
あかるい室内燈の下にみるカードの図柄はいたずらに蠱惑的である。上から
友人たちはさっそく
遠くで自転車のブレーキがきしれる音がした。それほどに海は今、凪いでいる。カードに
右奥の
公民館の後ろからまわりこんで、鍵の手なりに四阿のすぐ下に通ずる道を、斜めに突っ切って歩いてくる女の影は、やがて頭身の少なさゆえに少女らしさをまし加えた。すべてが右へ傾いているので、水平であるべきもののあとには段差がつづいた。段差と、それに沿うた側溝をも、危なげなく飛びこえた女の足取りは、散歩と云うにしては、あんまり確信にみちて運ばれてきすぎる。勉には最初、それが誰だかわからなかった。見なれたクロスバイクが白い広場のかなたに白いフレームを光らせているのを見つけて、はじめてその持主に思い当たった彼は、とっさに身を屈めたが、間に合わなかった。
「ねえ、ちょっと!」
女は賽銭を御堂に投入れるように言い放った。友人たちはぎょっとして向き直り、この女を海のように感じた。凪いでいる海の精髄のように感じた。この時代、唯一気を置かねばならないのは人間だと言わんばかりに、彼らは両の手の指さきに
「そこに勉君、いないかしら?」
女は追及してくる。二人がかりで肩車をしても手が
「……いや。いないけど」
「ほんとう? じゃあ、どこに行ったか、知らない?」
「さあ……。今日は僕ら、会う約束してないからな」
「ふうん……。そう」
友人たちのあいだに動揺が走った。ただでさえ伸びきった四肢に、肉の憂いがつきまといはじめる季節で、他の場合ではさもないのに、この女の――朝比奈の穿いているスコートだけは丈がいやにみじかく感じられる。すんなりとした腿から下へ、花粉によごれた
勉は友人たちの反応に満足した。かたや性的に大胆になることに熱心な連中とは距離をおいた。朝比奈のことが性的な話題に上るたんびに、虚栄心が勉に軽口を叩かせたが、生理的な嫌悪がこれにつづいた。プラトニックであることは、たがいの肉体的な差異を衣服でおおうことの上にあるからである。
沈黙があたりを押包んだ。
膠着状態をようやく解かれて、友人たちは顔を見合わせた。カードの図柄のかがやきは、日が
「何だったんだ?」
「あれ、三組の朝比奈さんだろ?」
「最初は俺らがなんかまずいことしたのかと思ったよ」
「何かやらかしたのか、勉?」
「いや……」
と、勉はあの堤防までがすっかり高台のかなたに沈むよう、しゃがみ込んだままだったが、
「ね、どう? まだそこにいる?」
と、おそるおそるたずねると、
「ん? なんで、もうとっくに行っちゃったよ」
「え?」
彼女がそこにまだいそうな声のひそめ方に勉は騙されていた。あわてて立ち上って、広場の全景を視野に収めたものの、彼女の姿はあとかたもなかった。勉ははじめて狼狽した。追われる立場を享楽していたことに気がつき、しかもこれをかぎりに、追われなくなるかもしれない。追及が思いのほか足早にしりぞいたことを、波と戯れる心で、物足りなく思ういとまもなかった。
木の欄干につらまって身を乗り出した。灯台のあかりがゆるゆると
葡萄酒いろの堤防には
把手までがまばゆい白さに塗られたフラットハンドルに手がかかり、片脚のスタンドが撥ね上がった。ほとんど十割の力で走っている勉のふところから、カードをおさめた箱がまろび出て、敷石の上を彼について二三尺ずって了ったのを、取りもあえせず、
「ちょっ……ちょっ!」
と、漕ぎだしている朝比奈に向ってなのか、傷ついたカードケースを
朝比奈は漕ぐのをやめない。
「おいっ……おいったら……ちょ、待てって!」
全身にみなぎる快い負荷を得て、彼の心ははじめて声を荒げる資格をも得た。甲高いブレーキの軋り音のあとしばらくして、朝比奈はようやくこちらを顧みて、
「ふん……やっぱりいるんじゃない」
と言った。兇暴な目つきは猛禽類のそれを思わせて、顎を反らすとおくれて
「何か用?」
と、ぶしつけに問うたのは朝比奈のほうだった。
「え……いや……いやいや。用があるのはそっちでしょ」
「私の用はもう終わったの、あなたが隠れてる間に」
「そんな」
「わざわざ走ってくる位だから、よほどのことがあるんでしょ……で何?」
憮然とすべきを、わざと問いには問いを返して、
「いや……だって今日、女子テニス、一年どうしで試合するって話じゃないっけか。なんでいるのかなって思って」
と言うと、そこからさがる
「あなた。自分部活にも入らんで、中間試験で一番とれなかったくせに、こんなところで遊んでて、よくそんな口がきけるわね」
と言ったのは、彼女が
「だ……だめなのかよ、遊んでちゃ」
「だめじゃないなら、なんで堂々としてらんないのよ?」
勉がこの叱責を海嘯のように浴びたるは、彼が心待ちにしていたものからか? 渚に
「ねえ……ちょっ、とりあえず取りに戻ってもいいかな。大事なもの、落として来ちゃったんだ」
「何やってたのか、教えてくれるんなら、いいわよ」
言うなり、朝比奈は勉の返事も待たずに、サドルから降りてその
「……わかったよ」
と言った。彼女が降りたあとのベージュのサドルの色艶は、さらでだに彼女のお
自転車のチェーンが、巻き戻せない時間を巻き戻すぜんまいのような音をむなしく響かせている。二人は
人一人いない寂しい砂浜は、年配の教職員の、額の禿げあがり方を思わせた。生き残った後ろ髪のように、
初夏の日に
何事もほどほどにしか取組まない要領のよい人たちのことを、彼女は嫌っていたから、勉を彼らから引き離したい気がされた。とは云え、ここまでが彼女なりの自己診断の結果である。
勉はそれを言われるのが厭だった。習い事のピアノが継続になってどこの部活動にも属せなくなった。あとは単純に登下校でこなす距離が誰よりも長いと云うだけの理由で鍛えられた足の速さくらいなものだ。勉強に励もうにも、今どこか均衡を失している彼には根本的に動機が欠けていた。
人間同士の日常的な関係の組み直しと云う試技なのだ。互いが互いの中に相手の既成秩序からの解放を認め合おうと欲するために、相手を必要としている。互いの関係を組み直すのではなく、個人の世界に対する関係を組み直すために、相手を必要としているにすぎなかった。
夢幻的な図柄がここで果たす役割は、世界の過去化だ。めぐり合わせの信仰は、来たるべき日における先験的なものの引き当てを模倣している。毎度のごとく
ところが、ここで勉が不満なのは、手札の公平な引き直しがおこなわれても、めぐってくるのは又しても、所与のものだと云うことだった。
白い石敷の広場に自転車が乗り入れられた。片脚で立たせると、朝比奈はあいた両の手を
「……言っとくけど、今日は一回も、中から出して使わなかったんだ」
と、罪を
「いちおう持って来たってだけで……皆ながやってるのをただ見てたんだ、だから」
「ふうん……。どうしてやんなかったの」
「……さあ。なんでだろ、よくわかんない」
ずいぶん遊びのある箱から取出したとき、しかしながらカードの四隅はしっかりと
「これ知ってるわ、私」
と、空になった箱を勉に持たせて、自分はその几帳面に
「こうやって持って……たしかこんな感じでしょ?」
「シュッ、シュッ、シュッ」
と
勉にはじめて怒りが湧いた。
「何するんだよ!」
彼女の背中をどんと搏つと、乳房のなかに詰まっている虚しさがあでやかに揺れて、太鼓の
「おい……」
「どうして……?」
「……え」
「……どうして……そんなに、つめたいの?」
「……なに」
聞きとれなくて、勉もしゃがみこんだ。すると、朝比奈の汗が香った。彼女の赤みがかった髪がおおいかぶさって
「私最近……太ったから」
「ふとっ……え……?」
勉はスコートの裾外れに光りを弾いている
「……誰か、そんなこと言ったの?」
朝比奈がかぶりを振った。
「からだが重いの、最近……思ったように、動かないし」
「だからって……」
朝比奈が近ごろことに投げやりな感じを、身の
「とにかく、立と。ね……」
勉が彼女の肩に手を廻そうとすると、
「……もう……私のこと、厭になっちゃったんでしょ?」
と言った。勉は
「……もういいから、放せっ……て」
勉は無意識に右の手で朝比奈の右の
黒い花火 朝尾羯羊 @fareasternheterodox
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