図書室にて

柑橘

図書室にて


「目次から書けばいいんじゃって思うわけ」

「何の話です?」

「物語の書き方の話」

「先輩、私が思うに方法論から入って成功した人っていませんよ」

「うるっさいな! どうにもなんないから言ってんでしょうが」

「もうやっつけの酷い出来でもいいからとにかく書いちゃいましょうよ。最終〆切まであと1週間しかないんですよ」

「やっつけで書こうとしても書けないから困ってるの!」

「いやでもマジで急がないとヤバいですって。一次〆切も二次〆切も超過してるの先輩だけですからね」

「分かってるけど……」

「編集担当のななっちゃん、青筋立ててブチ切れてましたよ」

「えっ」

「もう、ほんとに無表情で。一言『まだ?』ってだけ言って」

「うっそ」

「こんなことで嘘つきませんって。美人って怒ると怖いんすね」

「うわ、うわうわ、どうしよう」

「どうもこうもクソも、さっさと早く書き上げましょうよ。先輩書評書くときはめちゃ筆速いんですから、いけますって」

「そりゃ書評は読み取ったことそのまま書くだけだし……」

「架空の本の書評形式のお話にしたらどうです?」

「そのフォーマットはもう有名作が出てるじゃない」

「別にいいじゃないっすか。学生がプロの作家と張り合おうと思うなんておこがましすぎますよ。おこがまデス・ペナルティですよ」

「うるさ」

「いやでもほんとに妥協も大事ですって。そもそも文字数の上限も下限もないんですから、最悪俳句1句だけ詠んでもいいわけですし」

「あんたは何字くらい書いたの」

「私は6000字ちょっとっすね」

「裏切り者!」

「別に特段何かの約束を先輩とした記憶はありませんが……」

「あぁもう、どうしよう」

「そもそも先輩の作品って、いやもちろん、もちろん面白いんですけど」

「何」

「毎回毎回作風一緒すぎませんか」

「うっ」

「いやもちろん、もちろん私は好きっすよ! 好きなんですけど、こう、なんて言うのかなぁ、だいたいいつも論理こねくり回すみたいな話書くじゃないですか」

「うっ」

「たまにはハートフルな感じのお話とか、現実っぽい、地続きの、的な? そういう話も書けばいいんじゃって思うんですよ」

「……」

「黙り込んじゃった」

「……」

「あれっ先輩、死んだ? おーい、息してます?」

「ない」

「即答じゃん」

「書けない」

「書けないことないですって! それこそなんだ、ファンタジー寄りのお話でもいいですし、ラブコメでもいいですし。かっちり論理組むのってやっぱり時間かかりますし、その点でも作風変えちゃうのはアリだと思いますよ」

「とっ」

「徒?」

「とっ、友達が! 友達がいないからそういうのは書けないの!」

「えっ」

「学校生活の話って言っても私に友達がいないから想像できないの! 分からないの! 何も!」

「えぇ……」

「書評だと『人間関係の機微を繊細に描き出した』なんて小賢しい表現使ってるけど、現実だと機微が生じるほど密接な人間関係が発生してないの!」

「えぇ……」

「はぁ、はぁ」

「先輩が息切らしてんの初めて見ますね……あれっ、そもそも私は友達判定されてないんすか」

「あんたは後輩だから仕方なしに私の話聞いてくれてるだけでしょ」

「うわっ、そんなわけ、まぁ先輩の悲しすぎる現状と低すぎる自己肯定感は今は置いといて。さぁさぁセンチメンタルになってないで。原稿やりますよ。原稿原稿!」

「誰かに代行してほしい……私の学校生活ごと……」

「人権を他人に譲渡しないでください。アドバイスとかもできますよ」

「じゃあして。3000字分くらい」

「そのままパクる気満々じゃん」

「どうやったら日常生活っぽくなるの」

「そうですね、えっと、まずは1人称視点にしましょう。3人称で面白い日常系のお話もあるんですけど、先輩の場合はいつも3人称使ってる影響で書き分けにくいと思うんで、人称から変えちゃうのが手っ取り早いと思います」

「なるほど」

「あとキャラクターが何人かいた方がそれっぽいんですけど、先程の先輩の話を鑑みると多分人間関係が~みたいなのって苦手ですよね」

「苦手というか、不可能ね」

「そんな力強い口調で言われても」

「じゃあキャラクターの代わりに何を出せばいいの」

「そうですね、ええっと、あれ、ペット! ペットとかどうっすか」

「犬とか」

「別に猫でもいいですけど」

「一人称視点で、犬が出ればいい。なるほど」

「あと超ベタなんですけど、最後で語り手が変わるみたいなことすると締めやすいかも」

「確かにそういうのって、凄くそれっぽい」

「でしょ? 案外こういう小手先でどうにかなったりするんですって」

「ありがとう。頑張る」

「マジで頑張ってくださいよ。多分先輩が原稿落っことした日には私ごと連座でななっちゃんにシバかれるんで! 目次なんて変なこと言ってないでさっさと書いちゃってください」

「そういえば目次の話だったわね」

「いや、どちらかと言えば原稿のはな」

「目次って縮約の一形態じゃない」

「食い気味に被せないでくださいよ。しゅくやく?」

「縮めるに約数の約で、縮約」

「あれですか、要約の親戚みたいな」

「ほぼほぼ同義語だったと思う」

「はぁ。でそれが何なんです」

「あるお話の縮約があったとして、縮約から私たちはそれなりの確度で本文を復元できるじゃない」

「まぁある程度ですけどね」

「で、目次って縮約の一形態じゃない」

「えっ、うーん、まぁ新書とかを想定しているならそうっすね」

「ということは、私たちは目次からある程度本文を想起できるってことになるわよね」

「本文に合致したものを思い浮かべられるとは限らないんじゃ」

「別に一致してる必要はないの。想起、想像できるってことが大事」

「はぁ」

「ここで目次の目次を導入しましょう」

「雲行き怪しくないっすか」

「例えば長いお話に対しては、やはり目次の数も膨大になるから、目次何個かをまとめたグループに対して目次の目次が付けられるって事態も珍しくない」

「確かに新書でも、まずはざっくりと章題が付けられて、それぞれの章の中に細切れの目次が付いてるって体裁が多い気がします」

「ところで縮約とは文字通り本文よりも縮んでいる必要があるところ、本文の文字数よりも縮約の文字数は明らかに短い」

「そりゃそうでしょ。本文より長い目次って意味分かりませんし」

「ということは、目次の文字数は文章の文字数より少なく、目次の目次の文字数は目次の文字数より少ない」

「……だから何?」

「そして、さっきの主張から、私たちは目次の目次から目次を、目次から本文を想起できる」

「はぁ」

「文字数は0以上の整数値を取るから、目次の目次の目次、目次の目次の目次の目次、と延々と上位の目次を作り続けた場合、いつかは文字数0の目次が現れるわよね」

「文字数0の目次って何すか」

「私たちは文字数0の目次から下位の目次へと遡っていくことで、下位の目次を想起し続けることで、遡及的に本文全体を想像することができる」

「……ん?」

「あるいは、『想起する』という動詞がしばしば『想起される』という受動態で用いられることも考慮すれば、このようにも言える。私たちが文字数0の目次を見たとき、私たちの脳内に下位の目次群が全て自動的に想起され、自動的に展開される」

「今明らかにおかしい論理展開しましたよね!? というか文字数0の目次って白紙だし、白紙からはどんな物語も想起しうるって自明の結論じゃ、何、なんすか急にパソコンの画面こっちに向けてきて」

「……」

「無言で白紙のwordファイル見せられても」

「……」

「えっ、何、もしかして『ここに本文が見えるだろ』的な話? 見えませんって」

「……」

「無言貫かないでくださいよ。いや見えないから。そこにないものはないから」

「……」

「うわぁ目がバキバキ」



『散歩/逸』


 犬を見つけたのは、じめっとした夜のことだった。

 駅の自販機でカートリッジを買って、私は自宅までの道をとぼとぼと歩いていた。昼夜ロボットによって清掃され、間断なく立ち並ぶ街灯に煌々と照らされた夜道。磨き上げられた道にまで照らされるような気分がして、少し居心地が悪い。清潔が、明瞭が苦手だと思うのは、自分の心にやましいところがあるからなのだろうか。逃げ込むようにして、私は角を曲がって細い路地へと飛び込む。途端に視界は奪われ、そこにはただ雑然とした闇だけが広がっている。

 ロボットの筐体が入れないほど細く、街灯が設置されないほどには利用者のいないうす汚れた路地。家に帰るとき、私はいつも好んでここを通っている。監視カメラも設置されていないことから投げ捨てられたゴミがあちこちに散らかっていて、決してこころよくはない匂いを放っている。蝿かなにか、正体の分からない虫の羽音が耳元で聞こえるときもある。それなのに、ここを通ると不思議と心が落ち着く。淀んだ空気を口いっぱいに吸い込んで、爪先になにか、やわらかいものの感触を覚えた。

 ようやく闇に慣れた目で足元を見ると、箱があった。段ボールの、湿気を吸ってやわらかくなった、みすぼらしい箱。どうせ中身は腐った食べ物か、あるいは何も入っていないかのいずれかだろう。そう思っていたのに、なぜか私の手は箱を開いていた。指先に温度を感じるような気がして、箱を覗き込む。少しだけ、後ずさる。中には、光源があった。

 ぴかりと光る点が2つ。おそるおそる近づいて、息遣いのような音が聞こえた。おぼろげながら、中にいるものの輪郭が見えてくる。動物だ、と思う。本物だ、とも思う。埃や毛にアレルギー反応のある子供だったから、幼少期の頃、両親は徹底的に私を動物から遠ざけた。道端で散歩中の動物とすれ違いそうになると、まるで危険な人物からかばうみたいに私を背中へと隠し、遠足先の動物園へは私だけ自宅からARで参加した。大人になってアレルギー体質は治ったが、今度は動物に触れる機会の方がなくなってしまった。箱の中へ指を伸ばすと、向こうの方からも身を寄せてきて、鼻だろうか、あたたかく湿ったものが指先へと押し付けられる。

 箱の中に閉じ込められていては誰かに拾ってもらうこともできないだろう。私は箱をかたむけて、それを箱の中から出してやる。箱の中の闇から、少しだけ薄い路地の闇の中へと転がり出て、それはぶるぶるっと体躯を震わせた。元気そうな様子を見届けて、私は路地をあとにした。誰かいい人に拾われたらいいなと思う。この時代、いい人はどこにだっているだろう。路地を抜けて家へと向かい、不意に後ろから視線を感じた。振り返ると、犬がいた。シルエットからして、それはどうやらさっきの動物のようだった。

 私の方から近づくと、犬の方も私へと駆け寄ってくる。そのままそれは私の靴先に前脚をひたりと乗せた。見上げてくるそれと視線があった。

 そのまま私は家へと向かい、犬は変わらず私についてきた。家の鍵を開けて、私は犬を家の中へと迎え入れた。犬はまるで元よりここが我が家であったのだという表情で扉をするりとくぐった。


 犬は驚くほどなめらかに私の生活に馴染んだ。トイレは一度で覚え、家の中を散らかすということはなく、動物にしてはやけに泰然という形容が似合った。餌は私の食事と一緒にプリンタで刷れるようで、何か特別なカートリッジを追加で買う必要もなかった。犬と言えば遠吠えのイメージがあるが、この犬に関しては吠えるどころかうるさくするということが一切なく、何か事情があるときにだけ遠慮がちに低く吠えた。

 仕事柄、静かにしてくれているのはとても助かる。動物相手にそんなことを思う私は酷い人間なのだろうか。とりとめもない考えを頭に留め置きつつ、私は「では次に、出席番号26番の人、第11段落から読み上げてください」と平板な声で生徒に呼びかける。VR教室の中、均一でデフォルメされたアバター達のうちのひとつの頭上にマイクの記号が浮かび、一拍置いて流暢な朗読が聞こえてくる。

 時代が進んでも現代文の授業の形式は変わらない。段落番号を振らせて、朗読をさせ、重要単語の意味を解説して、テーマに関連する文章について読解を進める。変わったのは解答の精度で、現在、現代文の問題解答作成は全て論理解釈プログラムによって行われている。

 論理解釈プログラムは、相互の文章間の相互関係から自明に導かれる結論のみを提示する。「PならばQ」と「QならばR」という2文を読み込んで、「PならばR」という文を吐き出す代物に近い。当然「SのときはRかもしれない」なんて文は出力されない。したがって、論理解釈プログラムは問題文のうち客観的に読んで論理的に解が導出される部分にのみ下線を引き、問題文中から読み取れる情報だけをもとに同値変形のみを繰り返して解答を作成する。手に負えない量を優に超過した情報を浴びせられる世代の子供たち。彼らに私が教えるのは、読み取れることだけ読み取って、読み取れないことは読み取らないようにしましょうということだ。可読部のみが選られ、他は捨てられていく情報たち。可食部のみが選られ、可食部の中でも必要な栄養だけが選られ、カートリッジに液状に詰め込まれた食物。正しく、清潔で、猥雑さがない。機械のように論理を扱える生徒を育てることと、機械そのものを作ることの違いは何か。答えは文中に書かれていない以上「解なし」となって、私の不毛な思索は犬の低い鳴き声で破られる。午後5時を表示した腕時計から「散歩の時間です」と音声が流れる。

 犬と暮らし始めて早1週間。この散歩だけが、唯一の私の生活における変更点だった。

 

 犬は毎日2回の散歩を私に要求した。朝に1回、夕に1回。週に1回だけカートリッジを買いに外に出ていた私にとって、毎日の外出は新鮮だった。習慣だけが新鮮で、犬に引かれて見て回る道々に何も新鮮なものはなかった。規格化された街並みと綺麗に剪定された木々。どこに行っても風景は変わらず、ただただ歩数だけが積み上がった。そうして30分から1時間くらい経った頃、気づけば自分の家の前に立っている。犬が私の方をもの言いたげに向いて、私は鍵を取り出して家の鍵を開ける。玄関で犬の足裏の汚れを拭きながら、ふと「こんなので面白いのか」と聞いてみた。「面白いと思うか」と低い声が返ってきた。思わず顔を上げると、犬は何の感慨も浮かべていないような表情でただ一声、「ばう」と唸った。

 犬の名前はなかなか決まらなかった。家には私と犬しかいないのだから、当然呼びかける相手は犬しかいない。名づけの必要性がない以上は動機も生じず、日々に十分な空き時間を有していながらも、私は犬の名前を決められずにいた。なぁなぁで放置したまま時間ばかりが流れ、とうとう犬が勝手に自分の名前を決めた。ある日、いつも通りに「散歩の時間です」と音声が流れると、犬が何故か癇高い鳴き声を上げる。この頃は通知が鳴るとすぐに散歩に連れていくのが習慣になっていて、犬も私を急かして吠えることはなくなっていた。手早くリードを付けてもなぜかその場で動かず、どこか痛いのか全身を触ってみても、特段どこかに異状があるというわけでもない。「どうしたんだ」と声をかけると、ぺろりと私の腕時計を舐めた。

「これがどうかしたのか」

 時計の画面を切り替えたり、通知の一覧を見せたりしてみる。音に関心があるのかと思い毎朝目覚ましに鳴らしている曲を流すが、やはり反応はない。「食事」と語尾を上げて聞いてみるが、やはり違う。「ほら、もう散歩に行こう」と呼びかけると、さっきのような鳴き声を上げた。もしやと思い、「散歩」と口に出す。犬が首を縦に振る。「散歩、と呼べばいいのか」と問う。犬はもう一度首を縦に振り、「ばう」と鳴く。

 こうして犬の名前は「散歩」に決まり、腕時計のリマインダー通知音声は「散歩の散歩の時間です」に改められた。

 この話には続きがあり、現在犬の名前は「散歩の散歩の散歩の散歩」になっている。

 

 犬は定期的にあの癇高い鳴き声を上げ、それが名前変更の合図だった。何故犬が自分の名前を変えたがるのか、そもそも変えたがっているのではなく単なる勘違いなのか、意図はあるのか、ないのか。不明で、薄気味悪い意味不明さが心地よかった。

 N個の散歩から構成される「散歩の散歩の……の散歩」が名称として採用されている場合、N-1個以下の散歩から構成される文字列は一切意味を持たない。犬の名前を更新するたびに無駄なものが積もっていくようで楽しい。「そうだけれど」と犬は喋り「それだけじゃないだろう」と喋る。「えっ」と私の上げた間の抜けた声はVR教室内に薄く拡散し、「どうされましたか」と生徒の一人が遠慮がちに、不思議そうな声で私に問う。

 何となく犬と一緒のときは通らないようにしていたあの細い路地は、いつの間にか清掃が入ったらしく、小綺麗になった上で通行禁止になっていた。通行禁止にされるまでもなく、もう通りたいとは思わなかった。街路樹のつつじが一斉につぼみをつけていた。丁寧に管理されて剪定された植物は、端から端まで等間隔に、等質に全く同じピンク色のつぼみを膨らませている。犬がつぼみのひとつに鼻を近づけて、私はそれを手で制する。人あるいは人が飼育する動物が公共物を傷つけると、自動的にその人に紐づけられた口座から罰金が引き落とされる。それでも罰金は私の蓄えに比べたら気にならないほどの金額なはずで、私は犬を制した自分の手をじっと見つめる。損得ではなく、一般に正しいとされている行動を出力するだけの装置。気づけば私は手を搔きむしっている。犬が低く唸っている。

 その晩、夢を見た。床の板一枚一枚に「散歩」「散歩の散歩」「散歩の散歩の散歩」「散歩の散歩の散歩の散歩」「散歩の散歩の散歩の散歩の散歩」「散歩の散歩の散歩の散歩の散歩の散歩」「散歩の散歩の散歩の散歩の散歩の散歩の散歩」とどこまでも書きつけられている。一面が「散歩」の文字で埋め尽くされている中で、何も書かれていない床に犬が座り込んでいる。ふと、なぜ「散歩」なんだ、と思う。私の生活の中で聞く頻度の高い単語を犬が自分の名前だと思い込んだのなら、なにも「散歩」が狙い撃ちされる道理はないだろう。「食事」でもいいし、「出席番号」とか「教科書」とかだっていいはずだ。何も書かれていない無地の床の上で、犬は黙って尻尾を振る。

 散歩を名前の末尾に付け足していく操作の逆操作を考えるまでもなく、元来これに名前はなかったはずだ。

 目覚ましが鳴って夢から覚めた。ベッドの下で眠っている犬に、「おい」と呼びかけてみる。犬はそっぽをむいたままだ。「おいいぬ」と呼んでみる。犬はこっちを向いて、無言で頷く。

わんわんわん散歩に行くか

 と私は言い、

もちろんわんわん

 と犬は返す。


 朝焼けに目を細めながら、私は「整ったものが嫌いなんだ」と話し始める。

「整った文章。整った栄養。整った街並み。根底にあるのは全部他者の視線で、だから嫌いなんだと思ってた」

 犬は「違うのかわんわん?」と律儀に相槌を打ってくれる。私は苦笑いを浮かべる。

「違うんだ。私は、他者の視線を意識させられることが嫌だったんだ。意識させられて、自分の行動が変わることが嫌だった。本当は、正しい解答を読み取らなくても、健康でいなくても、家を整頓しなくても、いい人でいなくても良かったはずなのに」

他者の視線なんて気にしなわんわんわんわんわんわんくってよかったはずなのにわんわんわんわんわんわん

わんわん本当にね

 広い道に出て、道の脇にはつつじが満開の花を咲かせている。犬はそこに近寄って、花をひとつ齧り取る。警告音が鳴るのにも構わず、私も花をちぎって、ピンクのそれを丸めて口に放り込む。

わんわんわんわんどの道他人の勝手わんわんわんわんわんな解釈を受けるのならわんわんわんわん俺は何をやってもわんわんわんわんわん何を喋ってもいい筈だ

 犬は牙を剝き出しにして、「違いないわんわん」と笑う。

 口の中にはえぐみのある甘さが広がって、無性に爽快な味だと思った。


---


 端末を立ち上げ、VR教室にアクセスする。今日の一限は現代文だった。少し気持ちが軽くなる。現代文の教員のことは結構好きだ。教員によってはVRなのに対面で向き合っているような、物理的にも精神的にも距離感を吐き違えた暑苦しさをぶつけられることも少なくない。その点現代文の教員は、ただただ穏やかでゆれのない声で授業を進行してくれて、こっちとむこうにちゃんと距離があるっていう安心感がある。

 教室に教員のアバターが入ってきて、皆が教科書ファイルを手元で開く。教員の「わんわんわんわんわん」という声が聞こえて。え?

 全員が固まっている中、現代文の教員はいつも通りの平たい声で「わんわんわんわんわんわんわんわん」と言い続ける。壊れた機械みたいに。止まらない。皆がミュートをオフにして、教室がざわめきに満たされる。ねぇ今これってどうなって。ヤバくない。わんわん。ちょっと先生どうしたんですか。いたずらかも。わんわんわんわんわんわん。マジでなんなのこれ。怖い。わんわんわんわん。

 収拾の付かなくなった教室の中、かすかに動物の低い唸り声を聞いた気がした。



「あっ、無事に〆切に間に合わせた先輩だ」

「もう〆切って言葉は聞きたくない」

「トラウマ負った人みたくふるまってますけど、先輩の自業自得ですからね」

「うっ」

「いやぁ、にしてもどこがハートフルなんですかこれ」

「聞かない」

「はい?」

「原稿の感想は、聞かない」

「提出しておいてそれはないでしょ。すんごいルビ振りましたね」

「七瀬さん怒ってた……?」

「『もっと早く出して欲しかった』とは言ってましたね」

「ひぃ」

「いやでもこれ、悪くないんじゃないですか。なんで私の日常生活お話フォーマットがホラーに転用されてるかは不明っすけど」

「悪いわよ。主人公の錯乱の動機をもっと説得力あるものにしたかったのに、最終的に思春期のガキみたいなこと言い出しちゃったし」

「まぁ私ら思春期のガキですからね」

「うっ」

「いやそこでそんなショック受けられても」

「繊細なの」

「自認が繊細でほんとに繊細な人って存在しないらしいっすよ」

「うるさ」

「とはいえ、この前の目次の話もそうですけど、先輩って無からなにかを読みだすってテーマが好きですよね。原稿のお話も、どうせ他人から何かを読み取られるのなら、情報量として無の内容を話してもよかろうみたいな感じでしたし」

「悪い?」

「わるかないですけど……なんかコミュニケーションに対する不信をひしひしと感じるっていうか……」

「えっ」

「だって『無からでも何かを読み出しうる』って極論『全ての文章はどのような意味にも解釈されうる』って話になるじゃないですか。私の話はあなたに真の意味で伝わってるのか、みたいな」

「……」

「先輩ってもしかして、他人のこと全部人間版の『中国語の部屋』だと思ってません?」

「……」

「先輩、しましょう。人と。コミュニケーション」

「何よ。急に」

「とりあえず今日の帰り、私とどっか行きましょう。ドトールでもいいですし、本屋でもいいですし」

「今日は用事が」

「友達がいないのに?」

「うっ」

「先輩。無から何かを読み出すのもいいですけど、先輩想いの私の気持ちだって読み出してくれてもいいんじゃないですか」

「……おごらせようと、している?」

「はい不正解。カス。カスです。連行」

「ちょ、ちょっと」

「今度の文芸部部誌完成打ち上げにも顔出してもらいますから」

「えっ、ねぇちょっと、引っ張らないでって」

「私が先輩を真人間にします」

「真人間じゃないみたいに言うな!」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

図書室にて 柑橘 @sudachi_1106

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画