第2話
梓と駅前で別れたあと、マンションのポストを開けると手紙が届いていた。白い、シンプルなデザインの、何も着飾っていない手紙。裏返さなくても誰からかは分かった。手紙を手にしたまま私の部屋の扉を開けると、廊下の奥から明かりが漏れていた。何を言っているのかは分からないが早口でまくし立てるような英語と銃声も聞こえてくる。
私はなるべく足音を立てないようにとリビングへと通じる扉をそっと開き、ソファに横になったまま映画をみている
「ねぇ、なんで?」
問い掛けると、颯太は顔だけをこちらに向けてきて目を丸くする。部屋の中はテレビから漏れたひかりだけが満ちており暗かったが、颯太の眼鏡の奥にみえる目は大きく、くりくりとした瞳がよくみえた。すっと伸びた鼻筋の上に乗っかる眼鏡を指先で持ち上げてから、身体を起こしながら「なにが?」と呟いた。
「なんでいつも私が帰ってきたことが分かるの?」
颯太は人の気配に敏感だ。特に、私の気配に。どれだけそっと扉を閉めようとも、足音を消して忍びよっても、必ず私の気配に気付く。今も私が帰ってからずっとガラス製のテーブルを挟んだソファの向かいにあるテレビに視線を貼り付けていて、私が帰ったことに気付いた素振りを一切みせていなかったのだ。
「美桜の気配は独特だからたぶん目隠しされて耳栓してても、どこにいるか分かるよ」
超能力者みたいなことを言う。颯太の人の気配に対する研ぎ澄ませされた感性を知らなければ、一体この人は何を言ってるんだ、と笑い飛ばすことも出来るのだろうけど、私は颯太のそれがどれだけ凄いかを知っている。とても冗談だとは思えない。もしかしたら本当に出来るのではないだろうか。今度試してやろう。
「なにみてんの」
手紙と手にしていた鞄をソファの傍に置き、颯太の隣に腰を下ろしながら言った。
「ミッションインポッシブル」
「なんだっけそれ」
「スパイの映画」
「あー走り回って撃つやつだ」
画面をみながら言うと、「アバウトだなー」と颯太はふっと笑みを溢した。高くもなく、低すぎることもない。丁度いい音域の笑い声。颯太の笑顔とその声を傍で感じているだけで私の心はいつも凪いでいく。無性に肩に頭をのせたくなってちょこんと乗せた。耳のあたりから、ふわりとシャンプーの甘い香りがした。照明の落ちた部屋の中で、二人横並びになってぼんやりと映画をみる。
「どうだった」
主人公のトム・クルーズが、ちょうどビルの側面をワイヤーを使い駆け下りている時だった。私の胸の奥に、颯太の声が優しく舞い落ちてきた。
「え?」
「今日。楽しかった?」
「うん。やっぱり梓といると時間の感覚が狂うっていうかさ、ずっと話してた。あと、二人でずっと笑ってた」
「そっか。あいつは元気がない時の方が珍しいしな」
颯太と梓と私は、高校の同級生だった。私達三人は何をするにも一緒で、学校への登下校から休み時間、体育祭や文化祭といったイベント事など、ほとんどの時間を一緒に過ごした記憶がある。そして、私と颯太は高校二年の時から付き合い始め、大学時代は遠距離になったけれど卒業したのと同時に同棲を始めた。
「俺の話とかした?」
言いながら、ガラス製のテーブルに手を伸ばし、缶ビールを口元に運んでいる。
「最初だけね。そっから先はずっと私のお母さんの話」
そこまで言って、あっ、と思う。
「手紙! お母さんから返事が来てたんだった」
瞬間、「えっ、まじ?」と颯太が手にしていた缶を置くのと同時に風のような速さで立ち上がり、照明のリモコンを押した。頭上にある円形の照明から煌々とした明かりが放たれる。光の
「読んでよ」
颯太は母の手紙の大ファンだ。私の目の前で、身長182センチもある細く長い身体の生き物が、まるで子供のように目を輝かせている。
「やだよ。恥ずかしい」
「俺の唯一の生きがいを奪わないで」
分かりやすく項垂れる颯太をみながら、他に生きがいはないのかと口から溢しそうになったが、それは胸の奥へと忍ばせ、代わりに「シャワー浴びてくる」と告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます