第3話 式神の館

 中納言邸から楓子は三条のはずれにある賀茂利憲の屋敷に連れて来られた。

 無人かと思うほど真っ暗で静まり返っていた屋敷は、牛車が着いたとたんに灯りがパッと明るく灯され、楓子は何事が起こったのかと驚いた。

 利憲の屋敷は家人がおらず、全て式神によって保たれていると聞き更に驚く。

 

「利憲様以外、誰も住んでいないのですか?」

「人間は色々と面倒なのでな。ほとんどの事は式神で事足りる」

「まあ……」

「あの者ら、主人の帰宅を予期していなかったな」

 

 利憲のあきれたような声の向こうで、屋敷の奥では何やらドタバタ走り回るような音がしている。あれは式神達のたてる物音だろうか。

 その式神を使うのにも相当な呪力が必要だろうに。どれだけ人嫌いなのか。しかし、その人嫌いの男が自分を連れて帰る気になったのはどうしてだろう。楓子は彼の整った横顔を眺めながら不思議に思う。

 

 利憲は自分を陰陽寮の学生として連れていくつもりらしい。髪を切り、男の格好をさせると言う。弟子として内裏を連れ歩くにはそれが必要だと。

 しかし、それは利憲にとっても危険な事なのではないだろうか。もし自分の正体が明るみに出た時、連れてきた彼もまた裁かれるのではなかろうか。彼にそこまでする利はあるのか?


 女御の呪詛を解くだけならば、この屋敷を式神で満たす力を持つ利憲一人でも可能なのではないだろうか。ただの酔狂とは考えにくい。

 哀れな小娘と情けをかけたのか。

 利憲は楓子をよもや中納言の姫とは思ってはおらぬようだ。無理もない。母亡き後、中納言にも北の方にも捨て置かれた楓子の姿は女房よりもみすぼらしい。恩ある主人のために忠義を尽くそうとする婢女くらいに思われているのだろう。

 

 

 利憲は戸惑う楓子に全く気付いていないようで、ふわあっとあくびを一つすると彼女の肩をぽんと軽く叩いた。

 

「楓の世話を頼む」

 

 利憲はそう飛燕に告げて屋敷の奥へと消える。

 飛燕は道中ずっと楓子の肩に乗っていたが、主人にそう命じられるとくるりと舞って、また姿を変えた。

 

「わっ」

 

 瞬きをする間もなく、目の前に美しい女が立っている。

 青い着物の女房の姿に変化した飛燕は、その紅い唇に笑みをたたえて楓子の手をとった。

 

「楓様、こちらへ」

 

 呼ばれるがままに屋敷へ上がり、部屋に通される。塗籠ぬりごめに準備された真新しい八重畳やえだたみふすまを見て楓子は少し戸惑った。中納言邸での寝所よりもずいぶんと綺麗だ。そばに灯された油は芯も長くしてあるのか、部屋の中は明るい。

 

「もう夜もふけました。明日、お召し物も御髪も整えましょう」

 

 飛燕はそう言って入り口で立ちすくんでいた楓子の背を、やんわりと押して中へ入れた。

 

「ありがとう……、ええと、飛燕?」

「はい、楓様」

「飛燕は利憲様の式神なの?」

「そうです。西の対屋の奥方様がお亡くなりになられてからずっと、楓様をあの寂しいお屋敷から救い出しとうございました。わたくしに見覚えはございませんか? 楓様」

「見覚え?」

 

 射干玉ぬばたまの様に黒い飛燕の眼が、笑うように細められる。

 

「わたくし、以前に楓様にお会いしているのです。中納言家に迷い込んだ時、楓の葉の撫物なでもので妖につけられた傷を治していただきました」

「撫物?」

 

 撫物とは人形に切った紙などを形代にして、病などをそれに移して祓うまじないだ。雛流しなどがそれにあたる。

 

「あら、知らずに使っておられましたのですか? その懐にある楓の葉、楓様はそれを形代かたしろにして治療しておられます」

「え……」

 

 おまじない、そう思っていたこの楓の葉に、そんな力があったとは。

 懐紙に包んだ楓の葉を着物の上から押さえる楓子に、飛燕は口元に指を当てふふふと笑う。

 

「楓様にお仕え出来て嬉しいです。お館様は楓様が姫君だとは気付いておられぬ様子。面白いのでこのまま内緒にしてしまいましょう」

 

 式神が主人に内緒事とは良いのだろうか。

 何が面白いのかもよくわからないが、戸惑う楓子に向けて飛燕は楽しそうに片目をつぶった。

 

「気付かれた時が見ものですわ」

「いいのかしら」

「こんな可愛らしい姫君を相手に何も感じない朴念仁など、後で慌てれば良いのです」

 

 主人に対してどうかと思うが、飛燕は利憲に対しては姉のように思っているようだ。

 

「楓様は飛び抜けた呪術の才があります。きっと、全て上手くいきますわ。わたくしがついておりますからね」

 

 飛燕はそう言って楓子に袿を掛けて、そっと灯りを消した。

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