第9話 おんぶ

 俺、ハリーことハリソンは、静かな夜道をゆっくりと歩いている。背中には女性の温かな体温を感じる。

 バーで悲しい顔をしていた女性が気になって、なんとなく声をかけてみたらすっかりと意気投合してしまったな。


「しかし、酔い潰すつもりはまったくなかったんだけどな……」


 バーで意気投合したクルリーナという名前の女性、完全に酔い潰れて熟睡してしまった。ほっておくのは無責任だと思ったので、俺がおんぶして運んでいるところだ。


「先に酔い潰れたのが俺じゃなくてよかったな」

 ギリギリだったけど、いちおう年上男性としてのプライドは守れたと思う。


「ぐー……、すやー……、ぴー……」

「よく眠っているなぁ」


 意気投合してから俺はクルリーナにどんな悲しいことがあったのかを聞いてみた。先に俺が悩みを打ち明けていたのがよかったのか、クルリーナはためこんでいたものを全て吐き出すように最近のできごとを包み隠さず教えてくれた。


「大変だったんだな……」


 婚約破棄……か。

 俺が同じ目にあったとしたら、たとえ慰謝料をもらったとしても納得できないと思う。クルリーナは今日までずっと、一人で悲しみや苦しみを我慢していたんだろう。それを俺に打ち明けることで、少しでも楽になってくれたらいいなと思う。


「しかし、相手の……なんだっけ、ニトロって男はこの女性の何が気に入らなかったのだろうか」

 背中のクルリーナがピクッと反応した。何かと思えば唐突に大変なことを言い出した。


「はっ、吐きますわっ」

「えっ」

「我慢できませんっ。うっ――。オロロロロロロロロロロロロロロ」

「ちょっ」


 ぎゃああああああああああああああああああああああああああっ!

 人におんぶされながらなんてことを……。なんてことをー……。はあ……まあいいけどさ。今日はもうこのまま帰るだけだし。


 ニトロって男がクルリーナを気に入らなかったのは、こういうところだろうか。なんとなく理解できる気はするけど……。俺としては隙がある方が素敵な人間なんじゃないかって思うよ。


「すやあ……、くぅ……、くぅ……」


 すっきりしたのか、クルリーナはそのまま熟睡モードに戻ったようだ。

 ゆっくりゆっくり歩いて行く。


 不思議な感覚だ。家族以外の女性をおんぶするのは初めての経験だからだろうか。なんだか自分がとても誇らしく思えたし、俺はこのぬくもりをなぜだかこの先の人生で何度も何度も今と同じように感じている気がする。


 もしかしたら、こういう女性がいつか俺の家族になるのかもしれないな。

 ははは……、なんてな。俺はいったい何を考えているんだろうな。かなり酔っているんだろうな。


 あれ、知らない家の塀の上に猫がいる。その猫が呆れたように俺を見ていた。

 そんな目で俺を見るなよな。恥ずかしいじゃないか。あ、のんびり散歩をしている別の猫とすれ違ったぞ。その猫もなんだか呆れたような目をして俺を見ていた。


 やたら猫を見かける夜だな。でも、人とはすれ違わなかったな。クルリーナにとってはよかったんじゃないんだろうか。婚約破棄をされて酔い潰れている姿を誰かに見られたりしたら、貴族女性としては踏んだり蹴ったりだろうからね。


 30分くらい歩いて家に帰ってきた。

 俺はこの国のトップクラスの侯爵家の生まれだ。だから家がちょっとした城のように大きい。

 重たいドアをどうにか肩で開けて家の中へと入る。するとぷんぷんに怒っている俺の家族が待っていた。


「ちょっとお兄様! いったい何時だと思っているんですか!」


 俺の妹のライラ・チューリップ・スノーグローブだ。27歳の俺とはだいぶ年が離れていて、今は17歳だ。

 夜の遅い時間だし、ライラはもうネグリジェ姿だった。


 ちなみにだけど、ライラの長い髪は俺と同じ銀色だ。クセっ毛なのがチャームポイントだと思う。瞳の色も俺と同じだけど、顔は兄妹であんまり似ていないと思う。兄が言うのもなんだけど、かなり可愛い妹だと俺は思っているよ。


「ただいま、ライラ。よい子はもう眠る時間だぞ?」

「私はそんな小さな子供ではありませんよ」

「それもそうか。ライラ、ちょっと手が空かなくてさ。客室の用意をしてくれないか?」

「客室? って、私のお兄様が知らない女性をおんぶしていますーっ」


 まるでこの世界が終わったみたいな反応を見せられてしまった。ライラは俺への愛があまりにも強すぎる妹だ。きっと俺の状況を見て何か変な勘違いをしているんだろう。


「この女性、婚約破棄をされたばかりの可哀想な女性なんだ」

「そんな可哀想な女性を、お兄様は眠らせて家に連れ帰ったんですか?」

「ライラは俺をそんな酷い男だと思っていたのか……」


 うふふっ、と笑ってごまかされてしまった。


「彼女とはたまたまバーで出会って、一緒に飲んでいたら意気投合しただけだよ。ただ、うっかり酔い潰してしまってね……。ほっとくのは申し訳ないから義務感で連れ帰ったんだ」

「優しいお兄様らしいエピソードですわね……。って、婚約破棄って、まさかあのロールドーナツ子爵家の女性ですか?」


「ロールドーナツ子爵家? 有名なのかい?」

「新聞に載って話題になっていた女性です。夫になる男性が若い女性に浮気して……、それで残酷にも結婚当日に婚約破棄をされてしまったらしいです。それでロールドーナツ家の女性が怒ってしまって、夫になるはずだった男性に20億ゴールドの慰謝料を請求したんです。それで裁判にしっかり勝ったらしいですよ」


「ああ、バーで彼女からそのエピソードを聞いたよ。そうか、新聞に取り上げられるほどだったんだ……」

「びっくりするくらいにぐっすり眠っていますね……」

「いろいろと吐いてすっきりしたんだろうね」


 婚約破棄をされてしまった愚痴とか、飲み過ぎたアルコールとかを遠慮なく吐き出していたよね。


「はあ……、お兄様はお人好しが過ぎます。客室を用意しますから、ついてきてください」

「感謝するよ、ライラ」


 広すぎる家をライラの後について歩いて行く。うちにはメイドがいっぱいいるし、全ての部屋は掃除が行き届いているはず。だから、ちょっと整えればきっとすぐに使えるようになるだろう。


 クルリーナのご実家の方には朝一で連絡を入れておくことにする。じゃないとご家族は心配するだろうからね。

 ふあーあ……。なんだか俺も眠くなってきた。今夜はぐっすり眠れる気がする。なんとなくだけど、今夜はとても良い夢を見られそうな気がするよ。

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令嬢はくるくるするのが可愛いです! ~婚約破棄されましたので魔法道具づくりを始めようと思います~ 天坂つばさ @Tsubasa_Amasaka

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