老脳モコモコ
ファラ崎士元
老脳モコモコ
あのころは良かった、なんてひとは言う。そんなのは決まって気のせいだ。楽しかった日々にひたることだけが趣味の、無気力な年寄りのたわむれにすぎない。
私たちはそう思っていた。あのころ、は。
小さな手を取る。『君』にとっては初めての、夏休みという時間だった。
お盆休みで混む前に、と私たちは休暇を調節して取り、レンタカーで旅行にでかけた。その旅先に小さな水族館があったので、車を停め、家族三人そこで涼もう、と入館チケットを買ったのだった。
周囲にも家族連れが多かった。どの親も、みな一様に大変そうで、そして幸せそうだった。私たちもそんな家族の一組で、大きな魚を探しては指さす君を、本当に喜ばしい気持ちで見守っていたものだ。
君と歩く館内。その突き当りにある淡水魚の大水槽は美しかった。水面にただよう浮草の隙間から射しこむ、柔らかな軟水に磨かれた太陽。ガラスかアクリルで造られた、透明な屋根から降りそそぐ光が、日本的で素朴な、岩肌と砂利で再現された自然を照らし、また私たちが見ている館内の床にまで、その優しい輝きを落としていた。
「カ、ス、ミ……」
君は水族館のパネルに顔を近づけ、何やら熱心に読み上げようとしている。
「カスミサン、ショーオ」
「カスミサンショウウオだね。かわいいね。どこにいるのかな」
君が見ていた写真にいたような、きょとんとした顔の両生類を探す。しかし、見当たらない。広い水槽だ。岩場に隠れてしまっていたら、見つけるのは難しそうだ。
そうして、私たちが熱心にサンショウウオの姿を探している時だった。ふいに君は水槽から離れ、ひとりで順路の方へ歩いていく。君はもう飽きてしまったのかな。私たちは君についていく。その先には水族館の職員が、大きなモップでカワウソ水槽のアクリルを拭いている姿があった。
「カスミサンショーオ、どこにいますか」
眩しいくらい元気な声で、君は職員にそうたずねた。中年の女性職員は、小さな男の子に目線を合わせ、笑顔で教えてくれた。
「カスミサンショウウオはね、ちょっと怪我しちゃったから、しばらく裏で休んでいるの。ぼく、サンショウウオが好き?」
「すき」
君は言うけど、私たちにはそんなこと、初耳だった。意味も良くわからず、何となく好きと答えただけかもしれない、と私は少し笑ってしまいそうだった。しかし、
「そうなんだ。じゃあ、特別に裏へ案内してあげようか」
君の話を真剣に聞いて、職員は提案してくれた。それを聞いた途端、後ろ姿からでもわかるほど、君の表情がぱっと明るくなったのが伝わってきた。君は私たちの知らないうちに、いろんなものに興味を持っていたのだ。恥ずかしいと同時に、感慨深かった。
そして私たちは、関係者以外立ち入り禁止のドアの先へ案内してもらったのだった。
……そこはまるで、怪獣の心臓の中のようだった。たくさんの配管が海水、淡水、排水を循環させている。ヒーターやエアレーションを繋ぐケーブルも、壁や床を這いまわっている。館内からでは想像がつかないほどの、稼働音の合唱が鳴り響いていた。
「こちらですよ」
職員が案内する方には、寿司屋にある生簀のような、エアレーションだけが泡をたてる一抱えほどの大きさの水槽があった。
そこには確かにあのサンショウウオがいた。しかし、その尾は半ばほどでちぎれている。また、よく見ると柔らかそうな腹にも、何かに食われたと思しき、えぐられた痕があった。
「いたそう、大丈夫なの」
君は言う。職員はすぐに答える。
「サンショウウオはね、体を治す力がとても高いのよ。傷をよく見てごらん」
エアレーションのあぶくが少し邪魔をする、サンショウウオの姿を君と観察してみる。尾の断面はすでにふさがっていて、なまなましい、新しい肉が盛り上がろうとしている。食い破られた腹は、白い藻に似た粘液に覆われ、露出しそうな内臓を薄い膜でコーティングしているようだった。
「新しい肉がモコモコ成長してきているでしょう。この個体はけっこうお年寄りなんだけど、体の重要な部分はしっかり治る生命力が、サンショウウオの仲間にはあるの」
アクリル水槽に映る君の瞳が丸くなった。すごいねえ、と君は笑う。特別に見せてくれてありがとうございました、と私たちは職員に礼を言った。
君がこんな興味を、私たちの知らない間に持っていたなんて。これから君はだんだん外の世界を知っていく。そして私たちの知らない友だちと出会い、君自身の価値観を育てていく。いずれ私たちと衝突することもあるだろう。でもそれすら今から楽しみだ。
水族館を出てからも、レンタカーの後部座席で眠る君の将来に、私たちは思い馳せていた。奮発して泊まった宿で食べる夕食、岩造りの温泉、青々とした畳に敷かれた布団。これらのすべてに瑞々しく驚く君。いろいろな経験を吸収して、きみは大きくなっていくんだ。
二階から大きな足音が聞こえる。
私たちは時計を見た。夜の八時をわずかに三、四分ほど過ぎたところだった。
足音は止まない。近所にも響くからやめてくれ、と叱ったこともあった。だが『お前』は、そっちが約束を守れば済む話だ、と言って聞かなかった。
私たちが定年と呼ばれる歳を迎えてからは、二階に食事を運ぶ役割は私が引き受けていた。力の弱い妻ではいつか酷い目にあうのではないか、という懸念があったからだ。だが私も、とうに老いさらばえている。
米と、生姜焼きと、味噌汁。なめこと山芋の和え物。それらを乗せた盆を、私は二階にあるお前の部屋へと運ぶ。
私がノックすると、お前は私を睨みながらドアを開け、食事を受け取った。お前は毎晩八時を少しでも過ぎると、床を鳴らし、食事の催促をする。まるで心を病んでしまったかのような暮らしだ。だが医師に往診を頼んだ際には、何も病気は見つからなかった。それはそうだろう。
お前はストレスやトラウマで気力を失ってしまった、同情するべき引きこもりではない。たまには私たちから金を盗み、外で遊ぶこともする。体も丈夫で、友だちはいないが、そういった仕事に就く女性の名刺はたくさん持っている。よそでは明るく、人当たりがいいとのうわさも聞いていた。
私たちはもうすっかり理解している。お前は心の底から私たちを見くだしていることを。
お前は頭が良かった。十歳くらいのころにはもう、私たちよりずっと賢かった。お前の楽しみは、その柔軟な思考でクイズを作り、私たちに解かせることだったね。それらは単純な知識を試す問題だったり、算数の応用だったり、とんちだったりした。昔の私たちは、楽しくその遊びにつきあっていた。
しかし私たちは、お前の期待に添えるほど賢くなかった。お前の好きな学歴だってない。私は中学を出てすぐ父の肉屋で働くことにし、妻も高卒のまま資格を取って福祉の仕事についている。私たちはもちろん、選んだ道、仕事に誇りを持っていた。だからひとり息子の、未熟な価値観から出る罵倒など、当初は気になどしなかった。いつか私たちを理解してくれると思っていた。
お前は中学、高校と大きくなっていく。そのうちに、私たちが何かを間違えるたび、お前はことごとく嘲けるようになった。お前のあげ足取りはどんどんエスカレートし、それらは行動、人格にまで及んでいく。
私たちはゆっくりと、茹でカエルのように、持ち合わせていた自尊心を削られていった。
そうなるといつの間にか、お前の言うことが絶対、この世のすべて、というような認知のゆがみが生じてくる。お前はそれに乗じて、私たちを召使いとして扱い出した。
飯がまずいから作りなおせ、もっと小遣いをよこせ、などと言われるのはまだ楽だった。
「あんたらは薄鈍で、頭が悪いから、ぼくに充分な愛情もそそげなかった。だからぼくは苦しんでるんだ。それを償え」
「馬鹿な親に育てられて、ぼくは不幸だ。あんた達は責任を取れ。あんたらが愚鈍だから、いつもストレスが溜まってて、ぼくはずっと辛かった、不幸だった」
こんな抽象的な言葉で、私たちは追い詰められ、委縮させられる。
親ならば強く𠮟るべきだと思う。私たちもそうしようとした。だがお前は、私たちよりずっと口が回った。そしてどんな言葉をぶつければ、私たちが自罰的になり、思考能力を低下させるのか考えつく天才だった。
時にはどちらの育て方が悪かったのか、と妻と責めあうこともあった。その気力さえもやがて失い、私たちは淡々と……阿呆という罪の償いのため、何もかもを言うがまま与える、奴隷として支配された。いつか何かが変わるかもしれないという淡い期待はあったが、お前は抽象的な心の傷を訴え続け、大学へ行くこともせず、二十年は変わらずこの自由な生活を謳歌している。
そんな家庭での私たちは、生ける屍だった。仕事場から帰るのが嫌だった。しかし帰宅が遅れたなら、お前はたくさんの電話をかけてくる。仕事柄、電話線を抜くこともできず、また業務にも大きく差し障るので、私たちは唯一の人間的な居場所である職場を守るため、尊厳を許してくれない家庭へと毎日帰るのだった。きっとどこかでやりなおすタイミングはあったのだろう。だが最も近しい、守るべき存在からかけられる圧力は、私たちの判断を鈍らせた。
もう私たちがお前にできることは、身の回りの世話と、少しのお金を遺すだけだと思う。贖罪の人生を送り続けてきた。解放されたい、と希望を持つことさえ、もう烏滸がましいのかもしれない。今も妻は生活支援の仕事を続けているし、私は店を開けている。自営業の私に明確な定年はないが、ふたりとも、もう年金を受け取れる齢だが、働いている。贅沢も、もうずっとせずにいた。
申しわけない。不甲斐ない両親で、本当に申しわけない。私たちはお前の名義の通帳に、毎月貯金を続けている。その額はついに一億円を超えた。夫婦の貯金などはない。私たちはお前が少しでも生きやすくなるよう苦心してきた。もちろん本音では自立して、自由な、お前の選んだ人生を送って欲しかった。
そう言えば、昨日は私の誕生日だった。書類の年齢欄へ、間違わないよう書き記す。
70
もう、七十歳か。
私は愕然とした。同い年で、誕生日が先月の妻も七十歳。つまり息子は四十五歳。
晩年である。
私は書類が濡れるのも気にすることができなかった。数十年ぶりの涙だった。良かった思い出がないわけじゃない。肉の小売店として、良い商品を買った客の笑顔なんかは間違いなく生きがいだった。
だが私たちは、もっとも幸せにするべき責任のある、我が子を不幸にしてしまったのだ。それだけでたくさんの後悔が募った。人生のすべてがむなしく思えた。
その日私は久しぶりに、妻とふたりで話をした。あまり大きな声で知性の足りない会話をすると、お前は怒るだろう。だから食事のあと、小さな声で私は切りだした。
「ふたりとも、もう七十だな」
だから、どうという言葉でもない。麦茶のつがれたふたつのコップ。私たちはその茶色い水面を、時間が止まったかのように見つめていた。
「そうね」
妻もそう言うしかなかったのだろう。私は麦茶をそろそろと飲んだ。食事もしたのに、なぜか喉が妙に乾いていた。妻は私と同じく皺だらけで、表情のない顔をふと上げて、耳打ちくらいの小さな声でつぶやく。
「そろそろ、貯金を見ておかないと……」
私の、そしておそらく妻の頭にも、とある新語が浮かび上がる。
終活……。
その言葉に対して、財産の整理など事務的な処理のほか、死ぬまでにやりたいことを目いっぱい楽しむ、といった明るいイメージを持つ人もいると思う。もちろん縁起でもないと、ネガティブな印象しか感じない場合もあるだろう。
私たちは虚無だった。ただ淡々と、貯められるだけの貯金をお前の口座に入れておく。それだけだ。あとはお前に葬儀をさせるのも申しわけないので、遺書にその旨を記しておくくらいの手間しかない。
妻はそっと立ちあがる。そして箪笥の上の金庫を開けた。鍵は常に刺さっていて不用心であるが、六桁の暗証番号をそろえないと開かない作りのものだ。
そこからお前の通帳を出して、妻は再び座り、テーブルの上で私に見せるようにめくる。
「おや」
「あら」
馬鹿な私たちに、即座の理解は難しかった。
「六千万円しかないな」
「毎月、決まった額を積み立てていたのにね」
「一億円以上ないとおかしいぞ」
ふたりしてのんきに麦茶をすする。不思議と焦りや恐怖はなかった。いたって落ちついた様子で妻は言う。
「記帳をさかのぼって見よう」
そうするとすぐに理由はわかった。二年ほど前から、不定期にATMからの引き出しがある。十万円や二十万円を、少しずつ何度もおろしているのだが、それだけで四千万円もの金額が消えるのも考えにくい。しかし一年半くらい前から、見慣れない、しかも海外の会社からも引落としが頻繁に行われだしている。そこからみるみる残高が減って……直近ではなんと昨日も三八七八二円という、なんとも変な金額が抜かれていた。
「なんだろうねえ、これは」
「さあ、こんな引き落とし先、知らないね」
私は、あまりにぼんやりとしていた。
「警察に行かないと」
妻は言う。まるで他人事のように。私は、そんな妻に輪をかけてうわの空だった。
「まあ、この先何があるか、わからないからな……返ってくるに越したことはない」
贅沢もせず、一生かけて貯めた金額の四割を失った夫婦の会話らしくないなと、意識の片すみで私は思っていた。
翌日仕事が休みだった妻は、お前に外出の許可を取ってから警察署へ出向いた。行先は特に深い理由はないが、お前には伝えなかったようだ。役所へ行くと嘘をついたらしい。何十年ぶりもの、お前に対する嘘だった。
そして事件はすぐに解決した。
現金を引き出していたのも、海外のオンラインカジノに多額を投じていたのも、みんなお前だった。
「どうせぼくの金になるんだから、いつ使おうとぼくの勝手だろ」
これがお前の言い分。警察官の苦笑いが、やたら私の脳裏にこびりついていた。
そうだ。お前は正しい。どうせお前のものになる。相続税対策だ、とも言っていたな。
「お前の言う通りだ。賢いな、お前は……」
機嫌を損ねるお前をつれて、私たちは警察署を出た。私も妻も笑っていた。四十五歳の中年男性も、そうだそうだ、と笑っていた。
……家族間での横領には、刑事罰は適応されないらしい。民事で賠償請求することならできるが、私たちが生きているうちにお前が四千万円を補填するなんて不可能だろう。
笑い顔が、私たちの顔に貼りついて離れなかった。その時には理由がわからなかった。けれども家に帰り、一息ついてから……妻の、真っ黒で、つやのない眼、そこに映る私自身の、やはり……真っ黒な眼を見て気づく。
『君』に、『お前』に、『あの男』に支配された人生が、あまりにも滑稽で静かに笑っていたのだ。
委縮して、搾りかすしか残っていなかった自尊心に、わずかな恵みの水が滴ったような心地だった。私たちの人生に、ようやくひとつの選択肢が現れる。
「あいつを捨てよう。この家ごと」
「ええ。私たちにはもったいない子だしねぇ」
その日の夜八時三分も、大きな足音が家屋に響いた。
私はまず肉屋を畳んだ。得意先には体調の不安による閉店だと伝えた。惜しむ声もたくさんあって、嬉しかった。お疲れ様、という言葉のなんとありがたいことか。在庫は小売り、卸しと問わず、気前よく格安にして一掃した。それでも余ったこまごまとした商品は、思い切って広場を借り、良くしてくれた人々を誘い、バーベキューをして消費した。
「おたくがこんな集まりをしてくれるなんて、意外だなあ」
「でも嬉しいよ。孫もお肉がおいしかったと喜んでくれた」
みんなの喜ぶ顔を見て、私は不覚にも涙ぐんでしまった。みんな、楽しそうにからかってくれた。私は仕事を家庭の逃げ道としてばかり捉えていた。けれども本当に、素晴らしい仕事ができていたのだ。
店を閉めてからも、あの男にさとられないよう、毎日時間通りに家を出た。妻も仕事を辞め、ふたりで日中の時間を利用し、次の住まいの内検などを済ませた。
ある日、肉屋の仕事道具が思ったよりも良い値段で売れたので、私はとても久しぶりに、妻を誘って百貨店のレストランでコース料理を食べることにした。
「スープとパスタはおいしかったけど、この肉はいまいちだ。素材はいいが、断面がパサついていて仕事が粗い」
「あらあなた、そんなことまでわかるのね」
「そりゃあ肉屋だからな。節約ばかりして食べてたころには、話す機会がなかっただけだ」
プロとしてつい文句が出てしまったが、誰にも遠慮せず、リラックスして食べる料理はそれだけで考えられないほどおいしかった。私たちが交代で作っていた毎日の食事だって、味は悪くない。でも、実際口へと惰性で運んでいたその時間は、いつも浮かなく、暗かった。
レストランの柱時計は、いつしか夜の九時を指していた。私は心臓が縮こまるような心地を覚えた。サイレントにしていたスマートフォンを見る。五十件も着信があった。
「五十件だって?」
その画面をのぞき込んだ妻もまた、スマートフォンのロックを外す。やはり五十件を上回る数の不在着信が表示されている。無論、あの男からだ。
委縮した脳がざわめきだす。どうしよう、どうしようと。凡愚以下の分際で、時間を忘れて外出してしまうなんて。けれども妻の一言で、私は我に返る。
「こんなことしている暇があるなら、自分でお米でも炊けばいいのにね」
……その通りだ。妻は悲しそうな表情をしていた。私は思わず口にする。
「あのころは君を責めて、ごめん」
妻は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
「なによ、急に」
「君の育て方が良くなかったんだと、怒ったことがあっただろう。君は何も悪くなかった」
「あら、あはは」
「どうして笑うんだい」
「私だって、あなたの愛情が足りないとか、頭の悪いところが駄目だったのなんて、何度言ってしまったか忘れたわ。こっちこそ、今までごめんなさい」
「そうだったかな……私たちは今まで、お互いと自分を責めすぎていたね。だってさ、子どもの何もかもが親の影響だなんて、そんなわけないじゃないか。現に君は、のんびり屋の親兄弟の中でひとり、せっかちで、てきぱきと動ける性分だって、昔に教えてくれたよね」
「あなたはその逆だって言ってたわね。家族と違って、マイペースだって……。そうよね、生まれ持った性格なんて、人それぞれに違いないの。そりゃあ完璧な親だったって胸を張っては言えないけれど、カウンセラーさんにも、お医者さんにも、心理学の博士にも相談したじゃない。あの子はきっと、どんな家に生まれていても、今のように育っていたのよ」
私たちは追加でワインを注文した。ずっと夫婦でいたはずなのに、思ったよりも積もる話がたくさんあるみたいだった。たび重なる着信に、スマートフォンの充電は余計に減っていくようだったので、私たちはそっとその電源を切った。
あの男のずる賢さは変わらないので、私たちに暴力を振るうなど、家族間でも刑事罰が科せられる行為はしなかった。単に口先だけの威勢しかないのなのかも知れないが。
台所をめちゃくちゃにされても困るので、食事は提供していたが、私たちの都合に合わせた時間に居間へ来ないと食べさせないことにした。あの男は逐一文句を言ったが、腹は減るので、ぶつくさと居間へ来て、やがて食事をきれいに平らげるようになった。炊事だけではない。これからは掃除も、風呂も、洗濯も、私たちのタイミングで行っていいのだ。
初めてあの男のことを考えず、ディナーを楽しんで帰った夜。あの男は怒り心頭で、玄関にどっかりあぐらをかいていた。
「どういうことだ」
三十年ほど、私たちを苦しめてきた声だ。それは今思えば、言葉の暴力、またはモラルハラスメントという言葉にできるものだったのだろう。長年縛りつけてきた声に、委縮した私たちの脳はおびえ、体はこわばった。
「申し訳ありません」
私たちは声をほとんどそろえて、謝った。
「外で何を遊んできたか知らないが、どうやって償うつもりだ、痴れ者め」
「どのようにしたらよろしいですか。私たちは愚かなので、何も考えおよばす……」
「その程度もわからないのか、馬鹿! わからないなら、あるだろう、金が。もちろんぼくの名義の金ではない、貴様らの金が」
「わかりました。工面しておきます」
「クレジットカードをよこせ」
「……かしこまりました」
男は私の鞄をひったくり、中身を玄関へとぶちまけた。そして財布からこぼれ落ちたクレジットカードを拾い、部屋へ戻っていった。
妻は散らかった玄関を片づけながら、私にささやく。
「カードを止めておきましょ」
こんなの誰もが思いつく、一番簡単な対策だ。しかし私は何て素晴らしい発想だ、と目からうろこの落ちる思いだった。どんな報復があるかわからないが……その苦しみも、もうすぐ終わるのだ。
自分の思い通りに家事をしなくなった私たちへ、あの男は、
「虐待だ! 馬鹿どもに殺される!」
と度々まくし立てた。当初私たちは怯んでいたけれど、そのうちに妻が言い返す。
「ならば警察に相談してください!」
そう言われた瞬間の、あの男の顔は忘れられない。
「あう、あ、あ。あーうー!」
私たちが楯突くと思わなかった男は、顔を真っ赤にし、腕をふらふら、ぐるぐると回し、壁を叩き始めた。私は焦ったが、妻は動じず男に言い聞かせ続ける。
「賢いあなたなら、私たち老いぼれの痴人に頼らず生きて行けるでしょう。この家はもう、あなたにあげます。自由に生きてください」
男は息を切らせてこちらを向く。
「そ、その、その言葉忘れるなよ。こんな家、ぼくがどうしようと勝手ってこと、だからな」
はい、と妻は笑う。そして男が二階へ行ったのを見届けてから、おもむろに座布団に座って言った。
「預金もあなたの口座に移したし、業者さんの都合がつけば、少し前倒しで越しましょう」
「君は機転が利くな。私だけじゃ何もできなかった。やっぱり高校を出てないからか……」
「何を言ってるの。関係ないわ」
妻はもう、あの男に聞かれても良いや、という様子でからからと笑う。
「女はふっ切れると強いというが、それかな」
「それも関係ないわよ。私は三十年ずっと、いつでも逃げ出せるつもりでいたの。あなたはお義父さんの店があって身軽じゃないけど、私は全国どこでも潰しの利く仕事だったしね。結局、思い切れなくて洗脳されちゃったけど」
「せ、洗脳……」
「それからね、私はいろんな境遇の人の生活相談をしてたから。世間は広いというか、びっくりするような環境で生きてる人もいるの。中には私たちみたいに、家族のひとりがモラハラ気質なせいで、支配されちゃってる家庭もあったわ。そんな人たちにDVシェルターの案内とかやってたのよ。おかしいでしょう。私もね、おかしいなって、もうひとりの私が笑っているのを感じながら相談してた」
「そ、そうか……」
「私は理論的にわかってるから、あなたより少し切り替えが早いのかもね。ねえ、言葉の暴力って、受け続けていたら脳が傷ついて、しぼんでしまうのよ。でもね、解放されて認知のゆがみを正していけば、たとえば認知症になりかけていた人の脳だって、奇跡みたいに復活するケースがあるの」
つらつら語る妻の言葉は、私の、馬鹿の耳には入らない。脳がしぼむ? 私の脳なんて、どうなってようが大差ないと思うが……。
「これを言うのは新婚以来だけど……私ね、あなたのユーモラスなとこが好きだったのよ」
妻は私のはげ頭をなでる。その手が置かれた頭蓋骨の内側には、何もないと思っていた。しかし確かに、ずっしりとした脳の存在が、今になって感じられてきた。私も妻の、柔和な、心からの笑顔が好きだった。
私たちは家財のいっさいを置いて、着の身着のまま、通帳と少しの宝物――思い出のアクセサリーや、影響を受けた愛読書、学生のころ好きだった芸能人のサイン、妻と聴いたソノシートなど――を小さなキャリーケースに詰めて家を出た。
店のすべてを手放して得た金額は、素朴なマンションの一室を買うには充分だった。それは大都会のように便利ではないが、都市へも電車一本で行ける、なかなかいい立地にあった。
当面の衣類や日用品は、越したその日に商店街でそろえた。家具屋も電器屋もあったので、日々少しずつ買いそろえ、私たちは不自由ない生活を取り戻した……三十年ぶりに。
そうして妻とふたり、自由気ままに暮らしていると、七十歳の固くなった頭が内側からうごめくように、今まで抑えていた様々な意欲、興味、好奇心を噴き出してくる。
「ハワイへ行こう」
「ええ、私も一生に一度は行きたかったのよ」
唐突に口にした欲望なのに、妻は前から察していたかのように応えてくれた。
そして旅行と言えばハワイ、なんて世間知らずな考えで飛行機に乗った私たちは、見ず知らずの異国の歓迎、美しい海、馴染みのない料理を一週間楽しんだ。
「自由だなあ。今の私たちは、どこへ行ってもいいし、家でのんびりしてもいいんだ」
「ええ、そうよ。次はどこへ行こうかしら。私ね、実はヴェネチアに憧れがあるの」
「それもいいね。よし、行こうか」
……噂によると、あの男は今、ライフラインの支払い方法すらわからず役所に駆け込み、そこで思い通りにいかずに暴れ、警察のやっかいになったらしい。まあ、もうどうでもいい話である。
私たちは失った三十年を取り戻すように、国内外問わず、気になった場所を旅した。知らないものに触れていくと、委縮して損なわれてきた脳が、詰まれた葉芽を懸命に生やそうとしている感じがする。とても楽しかった。
そんな日々が続き、私たちは七十一歳になる。妻は秋葉原で買った、かわいらしい歌姫のフィギュアのほこりをはたきながら言う。
「次の旅行はどこにする? 体が動くうちに、たくさんの場所へ行きたいわ」
「それもそうだけど」
私は商店街の本屋でそろえた、中学生向けの参考書を机に広げる。
「私は勉強がしたい。高卒認定をとるんだ」
「……まあ、それはとっても面白いわ。私もずっと興味があった、美術を始めようかしら」
知ることの楽しみ、脳が潤う喜び。人生を豊かにするのは、いつからでも遅くない。脳が縮んでいたということは、伸びしろもあるということだ。……脳は、人間の体で一番大切な器官だ。しっかり水と栄養をやれば、きっと復活するのではないか。今からでも遅くない。脳の豊かな、本当の自分に会うために、私たちは余生という名の澄んだ水を泳ぎ続けるのだ。
老脳モコモコ ファラ崎士元 @pharaohmi_aru
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