1-4 魔女と禊の決闘

 その少し前。

 まだ日の出前の海底都市に、夢から覚めたサメが一匹。

 名をマリーナと言って、たった今から裁かれる運命にある女だ。


 場所は都市中枢、コロッセオ。

 罪状は『夢遊術による陸の民との逢会』で、

王家の伝統に則り海王七騎士との決闘で罪の重さを図る。

 平たく言えば『罪人には死を、そうでなくても罰を』という話だ。

 王族の特権である魔術の私的利用に加え、陸の民との接触ともなれば民衆が

黙る筈もなく……しかして黙ってやられては一族サメの名が廃る。

 何より彼女には生きねばならない理由があった。

 何があっても生き抜く理由が。


 疑似月光が沈みゆくコロッセオ、海王ヴァン・カトゥロスの御前へとマリーナは参上する。


「これより我が末端マリーナ・カルカロドンに裁きを下す」


 カトゥロスの念話が深き都に響き渡った。

 その衝撃波に似た力強い声に、観客席の民草は拍手する。

 次にカトゥロスの陣営から、武装した不死の七騎士が現れた。

 それぞれが美しい装飾の甲冑を纏い、手には鉾や弓や水中銃を持っている。

 彼らの絵に描いた様な勇ましさに、観客の期待が更に高まった。


 その高揚を伴う拍手とは裏腹に、マリーナの腰は重い。

 ――呆れた。あれだけ陸の民を見下す癖に、自分の兵には人の武器を持たせるのね。

 飛び道具相手は被弾のリスクが高まり、面倒なことこの上ない。

 だが手を抜いては己の命まで奪われかねないのだ。

 彼女は気を引き締めようと陣営内を軽く泳ぎ、勢い付けてから場内へと入った。



 マリーナ・カルカロドンは体長六メートル弱のホオジロザメである。

 歳はヒト基準で二〇代前半、類稀なる魔術の才能を持ち『カルカロドンの魔女』と恐れ

敬われている。


 その魚類の頂点に相応しき流線形に、観客たちは歓声を上げる。

 カトゥロス陣営の付近から僅かにブーイングが出たが、それすらもかき消す程の歓喜で場内は満たされた。


「沈まれ」


 轟音が響いた。

 カトゥロスの一言で場内は暗闇に包まれ、地面がひび割れる。

 その隙間からは煮えたぎるマグマが顔を覗かせ、決闘場を相応しい姿に変貌させた。

 足元からの熱気にたじろぐ騎士もいたが、マリーナは微動だにせずカトゥロスを見上げる。


 七騎士の構成は……鉾両手持ちが三名、剣と盾持ちが二名、弓と銃が一名ずつ。

 ――舐められたモノね! 腹立たしいわ。

 マリーナは顎のストレッチに口を開閉し、身体を軽く揺すってほぐした。


「――ではこれにて。

 始め‼」



 カトゥロスの衝撃波こえは強い海流となり、七騎士の追い風となる。

 ――そんな小細工、効くものですか!

 鉾を構えた若手二名と盾持ちのベテラン一名が追い風に乗って突進する。

 そして彼らの刃はマリーナを貫くも、そこには既に陽炎が揺れるのみ。

 見事背後に回り込んだ彼女が尾ビレを振り抜くと、その波が魔術的破壊を伴って飛ぶ。

 囮に気を取られ逃げ遅れた若手が背中にソレを喰らうと、実にあっけなく昏倒してしまった。


 その鱗の生えた堅牢な表皮は衝撃を中和できず、肉体の中枢に多大なダメージを負ったのだ。見た目ばかりの鎧も無残に砕け散り、後にはカエル足の半魚人二名が漂うばかりである。

 ――あと五人!


 マリーナはすかさず身を翻し急速に場を離れる。銃声が響くも掠りやしない。

 そのまま場内の円周に沿い、目にも留まらぬ豪速で泳ぐマリーナ。

 壁際の地面スレスレに陣取ったベテラン弓兵は運悪くこの体当たりを喰らい、そのまま地割れ奥の溶岩流へ弾き飛ばされてしまった。

――まだまだ!


 装備もろとも灼熱に焼かれる断末魔を背に、マリーナは高速水泳を続けた。

 時に客席上空まではみ出す不規則な円はやがて円陣となり、場内中央に海流の渦が出来る。

 それはコロッセオに満ちた暗闇を吸い上げながら、兵士たちをも取り込んでその統制を乱した。

 闇が消え去ると、打ちあげたばかりの疑似太陽が黄緑色に輝く様が地平線上に見える。

 荒れ狂う竜巻と神聖な疑似太陽が重なる光景に、客席は拍手喝采で溢れかえった。


 一方渦に取り込まれた騎士は、鉾持ちと盾持ちのベテラン三名で背中合わせに迎撃の陣を組んだ。

 彼らは残る銃兵の気配を探り合流を試みるが、叶う事は無い。

 突然闇が晴れて混乱する中、背後から忍び寄るマリーナのひと咬みで退場したからだ。

 ――残り三人!


 マリーナの嗅覚に掛かれば騎士達の位置など手に取る様に分かる。

 咄嗟の対応で陣形が甘く、足元も頭上もがら空きだった。

 マリーナは真下から忍び寄り、尾ビレで直に殴りつける。

 うち二人の下半身が砕け散り、そのままホームランよろしく場外へ吹っ飛んでいった。


 最後に残った盾持ちの刃に彼女は身を躱すが、尾ビレの側面を剣先が掠り軽微な痛みを覚える。

 しかしタイマンに持ち込んだ以上、マリーナに止まる理由などある訳が無い。

 盾持ちは彼女の流血を辿り闇の渦を出ようとするが、魔力で組まれた海流から逃げる事

叶わず。

 直後に強い殺気を感じ、騎士は一方向へ剣を構えた。

 そこへマリーナの巨体が全身全霊で突進する。


 ――マリーナの鼻先へ剣が刺さる。

 彼女は止まる事も出来ず、刃はソレを串刺しにした。



「……手ごたえが無い」

 その通り。ソレは蜃気楼の揺らぎを持って消えてしまった。

 直後、彼は振り向き盾を構える。

 暗闇から粘膜色の大きな円が現れたと思うと、その縁に生えた鋭い歯が盾に食い込む。

 騎士はすかさず剣を振り上げるも、振り下ろす前に彼女の顎が盾を粉砕した。


 腕を噛み切られる痛みに苦悶の表情を浮かべ、騎士はあろうことか剣を落としてしまう。

 対して獲物を捕らえたマリーナは、暗闇から急浮上しそれを捩じ切らんと身体を捻った。

 客席から見たその光景は、まるで海面の獲物を狙って飛び上がる様を連想する力強いものだった。

 黒い渦の直上にて、マリーナは最後の騎士の腕を噛み千切る。

 そしてマウントを取ると、電光石火の一撃で海底へと叩き落とした。

 黒い渦が瞬く間に四散し、騎士がめり込んだ海底には大きなクレーターが出来上がる。


 ――……マリーナへ向けて、爆発的な称賛の嵐が降り注いだ。


 彼女は決闘に勝ち、その高潔さを見事証明してみせたのだ。

 三〇年間の鍛錬は伊達じゃない。


 彼女はマリーナ・カルカロドン。

 大いなる三つ頭の海王ヴァン・カトゥロスの血を継ぐ、誇り高き海の民である。




 決闘を終え、マリーナは無事自室へと戻る。

 人払いをして、ドレッサーを前に彼女はある術を使った。

 すると眩い光が全身を包み、その流線形が縦に細長く変化する。

 胸ビレは腕に、その頭部は長い髪を持つ女の顔に……

 光が収まると、そこには美しい女の人魚がいた。


 人魚マリーナはドレッサーへと腰かけ、肌のキメつやと頭髪の絡まりをチェックする。

 そのハッキリとした目鼻立ちと意思の強い眼差しは、高貴な血を感じる知的な美を

内包していた。


「いや~お疲れさん! 良かったよぉキミ」

 何の断りも無く部屋へ入った男の声に驚く事も無く、マリーナは淡々と

「ノックぐらいして下さいまし」とだけ返した。


 するとドレッサーを覗き込む様にサメのぬいぐるみが映りこむ。

 否、どうやら式神や使い魔の類らしく、見た目は二頭身にデフォルメされたホオジロザメだった。

 愛くるしい見た目に反して成人男性の声で喋るのが胡散臭く感じる上、堂々とした態度が

却って詐欺師じみていた。


 しかし彼をそんな風に呼んではバチが当たるだろう。

 何を隠そう、このはかの三つ頭の海王ヴァン・カトゥロスなのだから……。


「ハハハ気を付けるよ。それはそうと、君が夢遊術でデートしたニンゲンの件ね」

 笑みを引っ込め、カトゥロスは冷めた声で言った。

「アレが最後のだよ。他は食べたか死んだっぽい。

 この意味が解るかい?」


 その言葉にマリーナは手を止め、カトゥロスの方へ身体ごと振り向く。

 口の両端を硬く結び、その目は微かにうるんでいた。

「あの男も――また、食べるのですか?」


「い~やぁ? もう食い飽きた。

 五〇〇年も同じモン食べ続けるとか、我ながら正気を疑うっつーか。まぁ……」

 カトゥロスはその小さな身体で彼女の周りをふわふわと泳ぐ。

「俺の下の連中はどうだろね?

 『王を魅了した魂を味わいたい!』とか、馬鹿抜かす奴も出たり?」

「そんな不届き者は私が蹴散らします。絶対に許しません、だから……」

 マリーナは口元を抑えて俯いた。

 目じりから溢れた薄水色の透明な宝玉がふわふわと水中へ零れる。


「同感だよ。そこで俺から提案があるんだけどさ、〈キミが食べればいい〉んだ」

「――そんな、それ……なんと悍ましいこと……――――」

「食べるのが無理なら殺すだけで構わない。

 どうにも、俺の持ち物が陸にあるってのが落ち着かなくてさ……さっさと処分したいワケよ。

 だから今日、片付けちゃおうと思ってね。

 もしも取りこぼした時は――「今、何て?」


「あと五分で出発だよ。じゃーね~」


 そう告げると、役目を終えたソレは只のぬいぐるみへと戻ってしまった。

 ふよふよと力なく漂流するぬいぐるみに、マリーナは思わず叫んだ。


「それを早く仰ってよ‼」


 彼女はクロークの奥から輝く鉾を一本引っ張り出すと、バタバタと自室を後にした。

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狂気を呑む者とカルカロドンの魔女 岡田リョウリュウ @RyoRyu_MG

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