1-3 血の誓約

「おォ! いっちゃん、今日はやけに元気よのォ」

 先輩漁師の一人がイツキに声を掛ける。

 皆で和気あいあいと仕事しながら、雑談程度に今朝観た夢を話すイツキ。


 すると先輩漁師は、彼の語りに感嘆しながらも最後にひと言

「お前そりゃア、魅入られとるな!」と零した。


「何にですか?」

「へへェ、知りたいかァ?」

 先輩漁師の毛むくじゃらなニヤけ顔に、イツキは目を燦々と輝かせ食いつく。

「ぜひ!」


 すると、年配者達は地元に古くから伝わる御伽噺を聞かせてくれた。



「そりャ、まだニッポンがニッポンで無かった頃……偉いヒトが腰に刀ァ下げてる

様な時代よな。

 大きな地鳴りがあって、荒れ狂う海から大波が攻めてきたンだと。

 今で言う地震と津波だな。

 ンで村の衆は山の高台に逃げ込んだが、今度は雨で緩んだ山が崩れちまったのサ。


 このままじゃみんな死んじまうゥ! つってある男が立ち上がった。

 ヤツは自分とこの嫁と赤ん坊の為、我先にと大波に飛び込ンだ。


 多分、命に代えても、助けたかったんだろうなァ……」



 そこまで話して、声が詰まる。

 イツキが彼の顔を見ると、皺くちゃな目元がうるんでいた。

 呆気に取られて手を止めるイツキ。

 すると別の漁師が

「泣いてんじゃねーよ! キモイわオッサンの涙とか‼」とヤジを飛ばした。

「オッサンにオッサン言われたかァねェわ‼」

 彼はゴシゴシと涙を拭うと、再びイツキへ語り始めた。



「そんでな、大波の奥深くにバケモンを見たンだと。

 ワニ頭三つにイカの足を持つでっかいバケモンらしい。


 男はバケモンに願ったンよ。

『望むモノ全て捧げん! どうか静まり給え』って。


 するとバケモンはこう言った。

『生きた者どもを我が都に捧げよ』」

 そこで再度声を詰まらせた。

 彼は咳払いをして襟元を緩めると、徐に口を開く。



「その、バカでけェ声は……陸の連中も、ハッキリ聞いたらしい。


 そンで、こっからが不気味でなァ……

 声を聞いた連中は、どういうワケかみーんな自分で海に飛び込ンだんだとよ。


 大波を恐れたヤツ、カナヅチで有名なヤツ、泣きじゃくってた子どもまで……

 どいつもコイツも身投げしちまって、陸には一人も残らンかったとサ。


 そンでもって海は穏やかになり、地鳴りも収まり……

『世にも奇妙な集団自殺』でめでたしめでたし……

 とはならなかった、ウン。


 なンと次の日だ、ほぼ全員が海から帰ってきたと‼

 身投げした連中み~んな、シレ~と帰ってきたらしいぜ。


 ただ、いっちばん最初に飛びこんだ男だけは戻らんかったそうだ。

 それ以来、この村を大波が襲う事は無くなったんだとサ」



 先輩漁師はそこまで話し終えてやっと閉口した。

「他にも曰く付きではあるが、まぁこんなとこ……」

「うん、長いです‼」

「ダヨね! ごめんネ!」


 この話、実に興味深い言い伝えではある。

 しかし『魅入られる』要素は一体どこにあるのか。


 しいて言うなら、ワニと言うのはサメも含めた呼び名であり、つまりイツキは

『トリプルヘッド・シャークラーケン』に魅入られたという話になる。



 ――そんなの、サメ映画もびっくりだよ……。



「ちょっと~、意味……わかんないっすね」

「だァから、まだ続くンだってば!

 大波を収めてな、そしたら海から嫁や婿が嫁いで来る様になったンだ。

 そんで驚いた事に、連中は人間じゃなかった……」


 突然飛び出した『嫁ぐ』というワードに、思わず前のめりになるイツキ。

 先輩漁師はニヤリと口角を上げ、こう続けた。



「人魚……――――しかもかなりベッビンな! 人魚だったンだヨ‼」



 ――思ってたんと違う……。

 イツキはげんなりとうなだれた。

 その傍ら、中年オヤジどもはまるで男子高校生の様に鼻の頭を真っ赤に膨らませていた。



「いいよなぁ、ホタテビキニの人魚姫……」

「生足魅惑の紐水着ヴィーナスちゃん……!」

「お耽美極めし魚乙女マーメイド‼」


 鼻息荒くいきり勃つ男たちのなんと気色悪いことか。

 歳を取ってもこうはなるまい……と心に誓うイツキだった。



 先ほどまでのほの暗いムードが一転して猥談一色へ変わり、イツキは話半分に頷きながら辺りを見回した。


 その日は悪天候で、魚もあまり獲れない日だった。

 しばらく海を眺めて呆けるイツキだったが、ふと遠くの波間に真っ白な背ビレを見た。

 しかも大型魚にしては奇妙な魚影で、背ビレの後ろに無数の触腕が見えた気がしたのだ。


「――……?」



 イツキは霞む目を擦り、腰に下げたポーチから単眼鏡を取り出す。

 再度ソレを見てみると、今度は赤い尾ビレが見えた。(どうやら気のせいだったらしい)

 扇の様な形はクジラのそれだろうか。

 周りに幾つかの小さい黒い尾ビレも確認できた。


 ――妙だぞ。あの赤いクジラ、かなり…………大きい‼


 彼は声を張り上げ周囲に呼びかける。

 この辺りでクジラが回遊するなんて聞いた事が無い。

 ましてやあんな巨体を持つ真っ赤なクジラなど――

 騒ぎを聞きつけた祖父が現れると、双眼鏡を手にを見た。


「……――――あぁ」


 祖父の顔から血の気が引き、双眼鏡を持つ手がワナワナと震える。

 普段の厳格な姿からは想像できない程ひ弱な声で何かを呟いた。


「なんだよ?」

 イツキが尋ねるも彼は答えない。

 祖父の表情に、場の空気がプレッシャー一色に塗り替えられる。

 イツキは彼の肩を揺すり「おい!」と呼びかけた。


「りく……陸へ帰るぞ、陸へ!」

 祖父は恐怖に耐えかね思わず叫んだ。

 あの祖父が怖気づくとは……余程の事態だ。

「アレは何なんだ、爺さん!」

「あの赤い奴はダメだ。はもう何隻も沈めてる――……!」

 そう言うと、祖父はドタドタと船内へ引っ込んでしまった。



 イツキは他の漁師と協力し、声を張り上げ撤収作業に勤しんだ。

 その場の誰一人としての正体を知らなかったが、海の男の第六感が

『アレは危険だ』と告げていた。

 そして誰もが、生還する事だけを考えて動いた。


 そうしてせわしなく働く漁師達だったが……

「あ……」

 ふと、誰かが気の抜けた声を出す。

 すかさず別の漁師が喝を入れるが、彼もまた海に目をやりその手を止めてしまう。


 ベテランの漁師が、あろうことかこの緊急事態に呆けているのだ。

 イツキは作業の手を止める事なく海の方をチラ見する。



 するとどうだろう。

 既にあの赤黒のクジラ共が船を取り囲んでいるではないか。



 そのエンジンは今にも爆ぜそうな唸りを上げ、誰も彼もが陸を目指していたのに……だ。

 その様子を目の当たりにしたある者は呆気に取られ立ち尽くし、またある者は眩暈に見舞われ戦意喪失する。


 海の男の第六感が『ここから逃げろ』と叫ぶ。

 しかし状況的に、それだけはどうあがいても無理だった。

 沖合のど真ん中。周囲には何処までも広がる海。

 皆、この世が終わる張りつめた空気を吸っては吐くばかりになった。


 やがてひと際大きな水飛沫が上がると、あの赤い尾ビレが徐に沈んでいく。

 真っ赤な巨体が垂直に、船の真下へ潜っていくのが分かった。


 その場の誰もが息を止め、聞こえもしない海中の音に聞き入った。



 次の瞬間、船体が強く揺れる。

 甲板がまるでシーソーの様に大きく傾く。

 下から突き上がる圧倒的重量に船体が悲鳴を上げ、漁師達はぼたぼたと海へ投げ

出された。


 船縁にしがみつき何とか堪えたイツキの顔面に、ソレの大きな影が落ちる。


 血の様に鮮やかな赤色の、大きなヒゲクジラだった。


 海面からそそり立つ巨体が、徐にこちらへと傾いてくる。

 奴は船を見据え、これを押しつぶさんとしていた。


 イツキは咄嗟に甲板を蹴飛ばし、船から離れようと試みる。

 彼が着水する間際、木材と鋼が軋む音が辺りに響き渡った。

 そして漁師たちの阿鼻叫喚を全て塗りつぶす様に、あの真紅の巨体が海面へ叩き

つけられたのだった。



 クジラが沈むのに合わせて海水が渦を巻き、イツキは海へ引き込まれる。

 息もできない、見渡すばかりの碧い海。

 イツキは不幸にも、船の瓦礫で左肩に怪我をした。

 右手で傷を抑えるも、ジワリと赤い血が滲み出て海流に巻き込まれていく。


 しかし彼自身もまた、この現実世界リアルで呼吸無しの潜水には限度があった。

 彼は船だった瓦礫と共に、ただ海の底へと沈んでいった。

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