牙禅と集会所2
牙禅はもう1度壁に耳を当てた。
「あいつらはどうします?牙禅も斗喜も腕は確かですが」
「牙禅はどうとでもなる」
「ほ?というと?」
「あいつは情に甘いのだ。いくらでも脅して使うことはできる。それにまだあの力は逃したくない」
「力……?」
「んん……そのうち話す」
「そうですか?……では斗喜はどうしましょう。最近は我々にかなり反感を抱いているようです。子ども達にも悪影響が出ているかと」
「斗喜はもう問題ない」
「えっ?」
一瞬の沈黙が流れる。
「八十神が来ている」
「「っっ?!?!」」
ガタッと音を立てて2人が立ち上がったのが分かった。
八十神……?初めて聞く名前だ。
「い、いつ、いつどこに来たと?」
右治が声を震わせながら聞く。
「時間的に一刻ほど前ではないか?裏の森に来ていたぞ。本当に来るとは思わなかったがね」
「そんななななな、ち、近くにっ……」
分かりやすいほど動揺する右治。
「そう焦ることもないだろう。現に我々は皆無事ではないか」
「落長、勝手にもほどがありますぞ……!」
班目が怒りを込めた声で言う。
裏の森はさっきまで牙禅と斗喜が居た場所だった。
「もうっ、もう、帰られたか?!」
「さぁ、どうだろう」
くくっ、と笑いながら落長は返事をした。こんな意地の悪い声を出す落長は初めてだった。
「贄を!誰でもいい、贄を出さねば!」
「だから落ち着きなさい。今無事だと言っただろう」
「えっ……」
「贄が居なかったら今頃我々は無事ではいられないだろう。しかし実際にほら、身体に傷ひとつありはしない」
「はっ……もしや……」
「斗喜にな。裏の森に行くように伝えておいたよ」
息が止まりそうだった。
牙禅は目を見開き奥歯を噛み締める。
ざわざわと胸の内が荒れて黒い感情が揺らめく。
「もう何刻経った?しばらく帰ってこないな……おや、どういうことだろう?」
「落長!斗喜は私の後を継がせようと……」
「右治よ。反乱の芽は積んでおかねば。いつか芽吹き大樹となる可能性がある限りは、な」
「っ……斗喜のような人材は貴重なのですぞ。また見つけ育てるには時間がない……」
「そもそも狩人として稼ぐより繁殖の方がよほど稼げるのに何が問題だ?」
もう。
もういい。
牙禅は気配を殺すことを止め、裏口の前へと移動する。
中は五月蠅い。まだお互いに話をしているようだった。
牙禅はそのまま裏口の扉を思い切り蹴りつける。
――バキバキッ――
老朽化した扉は一蹴りで簡単に破壊された。埃が白く舞い中の様子があまり見えない。
それは室内からも同様なのだろう。急に裏口が壊れたことにより、はっと息を飲む気配がした。
一瞬の静寂。
埃が薄くなり、落長や班目の前に牙禅の姿が現れる。牙禅は俯いており、よく顔が見えない。
「んなっ……」
「牙禅?!」
「……なぜここにいる?」
それぞれが咄嗟に口を開く。牙禅はゆっくりと顔を上げて乱れた髪の隙間から3人の様子を見る。
班目はいつでも逃げられるように足を後ろに引いている。右治は驚きと焦りで右側の表情が潰れたような醜い顔をしていた。
そして落長。いつもと変わらない表情と姿勢。違うのは眉間に皺を寄せているくらいか。
「落長」
口を開く牙禅。
「弁明は必要ないな」
右手に刀を握りしめ話しかける。
血管が浮き出るほど強く握りしめていることに気付き、少し力を弱めた。
「牙禅……いつから聞いていた?」
「話しているのは俺だ」
「そ、それは何なのだ……」
右治がぼそっと呟いた。肘を曲げた状態で牙禅の右腕を指している。指先はがたがたと震えていた。
牙禅はゆっくり改めて自身の右腕を見る。牙禅の右腕は斗喜に掴まれた部分から黒く変色していた。黒は肩先まで侵食している。
「……」
この黒いのが首元に届く前に飛散した。今動かせているから特に問題はない。
牙禅は冷静に考える。そして目線を右治に向けた。
「ひぃっ!」
右治の震えは指先から全身に移り、身体全体を小刻みに動かしながら尻もちをついた。
牙禅の瞳は翡翠色に変わっており、見るものを引き付けるような輝きを感じさせた。
「ほぉ、翡翠の瞳とは」
落長は感心した声で言う。
牙禅は耳を貸さずに刀の切先を落長に向けた。
「あの世で斗喜に詫びろ」
「気が早いな……狩りの基本を忘れたか?」
落長は言うなり足元の床板を踏み下ろす。床板の逆側が勢いよく上へと上がり、牙禅の握る刀を弾いた。牙禅は目線を素早く移動し状況を把握する。
落長は後方に素早く飛び退き、集会所の壁に立て掛けられていた短弓を握り矢を素早く引く。
床板が再度床に触れる前に矢が放たれる。身体を素早く捩らせて避ける牙禅。
休む間もなく至近距離から矢が次々に飛んできたが、牙禅は全て身体を捻じり捻りかわす。
矢を引く一瞬の隙に弾かれた刀を素早く握り、後ろ脚で地面を押し蹴り落長に速攻で近付いた。
刀で弾くわけでもなく驚異的な身体能力で避け続ける牙禅を前に、落長は驚愕した表情でこちらを見ていたが、牙禅が近づく刹那眉をきゅっと結び、身体の影から小刀――隠し持っていたらしい――を取り出し顔の前に構えた。
牙禅の眼光がきらりと輝く。
『
最期を迎える落長の表情はにやりと笑っていた。
「ぐっ……」
心臓に一突き。肉に突き刺さる感触が伝わってくる。そのまま刀を真横に振り、骨ごと肉を絶った。
落長の左腕が回転しながら宙を舞う。
飛んだ腕から吹き出る血飛沫は流星の如く。牙禅の顔に降りかかった。
落長はその場で前のめりに倒れ込み、後から飛んだ左腕が鈍い音を立てて落ちる。
「ひいいぃぃ!」
班目が情けない声を上げて脚をもつれさせながら集会所から出ていく。
右治は腰が抜けたのか身体中を震わせながら、両手を上げていた。
「わた、私は斗喜を殺す気など、なかった……」
目線を床に向け、冷や汗を垂らしながらぼそぼそと呟いている。
牙禅は刀に付いた血を布で拭い、血を払うように振り下ろす。
「失せろ」
右治は顔を蒼白にさせながら、手と足先を動かし少しずつ移動し出口へ向かう。そして気が付けば集会所の中には落長の死体が残っているだけとなった。
「……聞けば地獄……」
聞かぬも地獄、か。
聞かなければ何が変わったのだろう。
もう今は誰も知るよしもない。
「禅兄ちゃん……?」
班目と右治の声が聞こえたからか、子ども達が起きたらしい。
集会所の入口から鉄の声がした。
「こんな時間にどうしたの……?」
起きたばかりなのか目を擦りながら問いかけてくる。
一瞬迷う。集会所の中は血の臭いで満たされてゆき、飛び散った血痕と切り離された腕に落長の死体。子どもに見せられるものじゃない。
けれどもう、何も知らないままでは過ごせないだろう。
「え……」
鉄は目の前の状況を理解しようとしているようだ。
「落長が……え……?」
床に突っ伏した落長と、牙禅を交互に見る。
牙禅は無言のまま刀を鞘に納める。
「禅兄ちゃんがしたの……?」
牙禅は鉄の方に顔を向けた。鉄の表情は強張り恐怖に満たされているのが見て分かる。瞳は大きく開き、なんとか自分を納得させようとしているように感じた。
「鉄。よく聞くんだ」
鉄に歩み寄る牙禅。鉄は身体を硬直させている。鉄の目線と同じになるよう膝を折り曲げ、言葉を続ける。
「今から言うことは真実だ。現実から目を逸らすんじゃねぇぞ」
「……うん……」
「斗喜は落長に嵌められて死んだ」
目の前の鉄の様子は変わらない。
「俺の目の前で得体のしれない化け物にやられた」
鉄の瞳に涙が溢れている。
「落長は俺も、お前も、斗喜も。みんなを利用しようとしてた」
溢れた涙が床にぽたりと落ちた。
「死んだほうがましだと思う人生を歩みたくない。だから俺は落長を……」
殺した、とは言えなかった。
「禅にーちゃん、らっくおさは、悪いやつ、だったの?」
鉄は鼻を啜り言葉を詰まらせながらも問いかけてきた。
「……そうだ。俺達のことなんざ何とも思っちゃいねぇよ」
鉄は孤児だ。鉄だけじゃない。この集落にいる子どもは皆捨てられたか孤児として引き取られたものばかり。幼い頃から世話になった落長を父親のような存在として感じていたのかもしれない。
でも泣き言ばかりを言っても意味がないんだ。この世界ではそんな甘い事を言っていると淘汰されていく。鉄も狩人として育てられていた以上、それを理解しているはずだった。
「おれ、たちっ……これからどうなるの?」
鉄は顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら聞いてきた。
「ここには居られない。班目と右治が一緒にいたが逃げた……恐らく俺に報復しに来る」
「残るとお前達は慰み物や奴隷として売られちまう。間もなく夜が明けるから早朝には出発するんだ」
「禅兄と一緒に行く」
「……無理だ」
「え、なん、で?」
本当は子ども達だけでなんて厳しいことを言いたくない。
「俺は確実に追われる。獣じゃない、大の大人にな。もし一緒に来たら死ぬ可能性が高い」
「そんな、俺、禅兄ちゃんがいないと、無理だよっ」
見捨てられる。そんな感情が浮かんだのだろう、鉄はひどく動揺しながら言う。
牙禅は鉄の両肩を掴んだ。
「鉄、よく聞け。俺はお前を見捨てない」
「俺のせいでこうなった。本当にすまねぇ……けど生きててほしいんだ」
赤く充血した鉄の目が、真っすぐ牙禅を見つめる。
「ここから山の麓を辿って西に行くと別の集落がある」
1度だけ落長の命で取引したことがあった。
「そこの落長は女子どもを乱雑に扱わないやつだ。そこに行くんだ」
「俺は鉄達が追われないように痕跡を残しながら東に向かう。裏山は避けろ、化け物がまだいるかもしれない」
ずずっと鼻をすする鉄。
「わかった……」
「お前達の狩りの腕はかなり高い。別の集落でも必ず役に立つ」
「うん……準備、する」
牙禅は鉄をそのまま引き寄せ抱きしめる。
「絶対死ぬな。俺も必ず生き伸びるから」
「……うううぅ~」
鉄は声を上げて泣き出す。胸に突き刺さるようなその泣き声を聞きながら牙禅は身体を離した。
鉄は目と鼻をこすり、駆け足で寝屋に向かっていく。
幼いながらもあいつは優秀だ。狩人の鍛錬でも常に高い的中率を誇り、1発で獣を仕留める。身を潜めるのも得意だから、順当に行けば無事に別の集落まで辿りつけるはずだ。
牙禅は自室に戻り、黒布でできた外套を羽織った。集落の主力を失った今、今後利用できる子ども達をむやみに殺しはしないだろう。一歩足を踏み出すたびに、冷静さが失われ現実を突きつけられる。
片目から自然と流れ出ていた涙を拭い、後悔と絶望を感じながらも、そのまま集落を一瞥することなく、背を向けたまま東の方角へと向かう。
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