牙禅と森

これは俺がこの集落に来たとき、肌身離さずに握りしめていたものだ。正直当時の記憶は曖昧で覚えていないが、決して離そうとしなかったらしい。藤の蔓が緻密に巻かれた柄が手に馴染みやすく扱いやすいから愛用している。


牙禅は腰当ての空いた帯に刀を差し込み、自室を出た。


集落周辺は辺りが見渡せるよう木々は切られ整えられているが、少し先に進めば辺り一面森だ。木々の背は高く、森に入れば日の光が地面まで届くか届かないかのわずかな光しか差し込まない。


森に踏みこめばそこは獣の領域。牙禅は過去に何度も気を抜き、獣に襲われた経験があった。


集落から更に離れた森の中まで牙禅は足を進めていく。獣の気配を逃さないように神経を辺りに集中させるが、この辺りには何もいないようだった。


出迎え式で使う膠だ、少量で足りるはず。


なんとなくだが、今この森には多くの獣がいない気がする。

いつもなら森に侵入すると気配を押し殺した獣や鳥の気配がするのだが、今は何も感じない。なんなら風で草葉が擦れる音が心地良いほどだ。


牙禅はその後もしばらく森の中を捜索したが、獣を見つけられなかった。微かに差し込んでいた日も今は沈み、まもなく夕刻になる。


まずい。このままだと化獣どころか、獣すら見つけられねぇ。


獣の足跡を辿り寝床らしきものを発見し辺りを張り数刻。いつも狩場として使っていた場所を確認し数刻。他にもいつもより広範囲を捜索したが、生き物には一切遭遇しなかった。


こうなれば少々危険だが、夜間の間も森で張るしかない。落長からの頼みは命令と同様。出来なかったは通用しないのだ。


それでも事前に知らせてくれていればな……。


牙禅はそう思うが、今更文句を言ったところでどうにもならない。


1度集落へ戻り灯りを持ってくるか。


牙禅は辿ってきた道に戻る。森の中は小さい頃から何度も訪れているため、迷うことなく戻れた。


まもなく集落というところで、


「ピューィっ」


と突然鳥のような高い鳴き声が聞こえた。牙禅は立ち止まり耳を澄ませる。


「ピューィっ」


再度鳴き声。それほど遠くないようだった。

今まで静けさしかなかった森から突然音がするなんざ、何かあるに決まってる。


牙禅は周囲を警戒しながら、腰の刀を握り音のした方へゆっくり足を進めた。


腰ほど背丈のある草をかき分けると、手のひらほどの小鳥が1羽地面に転がっていた。


何かに襲われたのだろう。地面の草が紅く染まるほど腸が飛び出し絶命していた。


転がった小鳥の先にはもう1羽、同じ見た目の小鳥が佇んでいる。時折首を軽くかしげて、こちらの様子を伺っているようだ。


「呼んだのはお前か」


この小鳥達は分かりやすい。体長と同じくらい尾が長く、尾の先が美しい蒼色。更に二股に分かれてまでいる。普通の獣や鳥とは違う……化獣だ。


目の前にいる小鳥の化獣は少しすると森の中に羽ばたき消えていった。

残ったのは死んだ化獣だけ。


牙禅は小鳥の化獣から飛び出している内蔵と外へ取り出し、持参した袋に詰める。小さくても化獣は化獣。狩る手間や必要が無くなった今、目の前の好機を逃す手は無い。牙禅は小さな膠を手に入れるとそのまま集落へと足を運んだ。



――――――――――



集落に戻った頃には日がすっかり沈み夜になっていた。

牙禅は再度落長のいるであろう集会所に向かう。


「落長、牙禅です。頼まれたものを用意しました」


集会所の入り口前で言う。すっと扉が開き、落長が牙禅から死んだ小鳥の化獣を受け取った。


「ふむ……小さいが足りるだろう。ご苦労だったな。今日は夜警をせずとも良い。明日に備えておきなさい」


「御意」


落長は中で何か作業を続けるのか、集会所の扉を閉めて奥へ立ち去る気配がした。


夜警の免除が出されたが、基本的に夜警は2人1組で行う。牙禅は昨晩に引き続き、夜警担当だった。今日の担当は幼馴染の斗喜(とき)。夜警はみんなが寝静まった後だから、まだ数刻余裕がある。


「夜警の前に伝えておこう」


牙禅は斗喜がいる共同寝屋に向かった。


共同寝屋は寝屋や水場の他に、食事をする広い居間もある。斗喜はそこで他の子ども達と一緒に食事を嗜んだ直後のようだった。


「なんか今日の食事豪華じゃねぇか?」


牙禅は斗喜とまだ食事中の子ども達の中身を見て言う。

普段食事に出ない肉類がふんだんに使われた食欲をそそる内容だ。


「明日の出迎え式に向けての特別仕様だってよ」


斗喜は俺がこの集落に来た時からずっと仲良くしている幼馴染の友人だ。

俺よりも身長は少し低いが、細く引き締まったしなやかな筋肉で弓の扱いが得意。目元がまもなく隠れるほど伸びた髪はさらりと風になびく、集落の子供達に人気の優男だ。


斗喜は自分の使った食器や食事を手際良く片づけている。


「今日の夜警、俺免除だけど問題なさそうか?」


「あー1日くらい問題ないだろ。にしてもなんで免除?」


「今日起きてからさっきまで明日の儀式の準備の手伝い」


「あぁ……お疲れ様。毎回直前に言われてお前も大変だな……落長はもっと早く言えよな。早めに言えば手分けして出来ることもあるだろうに」


斗喜は眉間に皺を寄せて少し苛立ったような口調で言った。


「まだ小さい子供らも平気で狩りに連れて行かせるし……何度危険な目に合ったことか。人手だって足りているのに駆り出す理由があるか?」


「声。下げた方がいいぞ」


牙禅は遅くなった食事を頬張りながら淡々と言う。落長を否定することはできるだけ口に出して言わない方がいい……誰がどこで何を聞いているか分からない。


「悪かった……でもみんなが何かしても、当然かのようになんの労いも無い。普通労わる言葉くらいかけないか?もしくは成果を上げたら喜んだりするもんだろう」


「まぁまぁ。落ち着け」


斗喜は日頃から苛立ちが溜まっていたのか、不機嫌そうな声で言葉を続ける。


昔からそうだ。斗喜は子供達を気遣い、優しく声をかけて皆を労い慕われている。


牙禅は斗喜のことを、人の為に怒れる良い男だからと気に入っていた。

食事を終えた牙禅は自分の食器を片づけた後、斗喜と自室に向かいながら会話を続ける。


「落長には拾ってもらった恩があるけど、納得いかないことも多いんだよな……」


「俺も同じだよ。似たもん同士だな」


俺がここに来る前から、斗喜は集落の兄貴分として他の子どもたちに慕われていた。面倒なことを押し付けられながらも、子ども達にできるだけ影響が無いように立ち回っていたのだろう。そして小さかった子ども達も徐々に成長してきた今、溜まっていた不満が溢れ出てしまっている、といった感じか。


斗喜は自分の部屋の前で立ち止まり、牙禅を手招きして部屋に招き入れた。

そして扉を閉めて小声で、


「牙禅、夜警まで少し付き合ってくれない?」


と言ってきた。


「どうした?」


「実は俺もさっき落長に頼まれて。これから裏の森を偵察してこいって言われたんだよ」


「……夜間に?」


「明日の出迎え式関係で獣用の罠を仕掛けたから、獣がかかっているか見てきて欲しいらしい。居たら持ち帰れと」


「また急だな。だいたいいつ罠を仕掛けたんだ?罠に掛けるならもっと早い時間にするべきだし、掛かっていない可能性の方が高いだろ」


「だろ?それにもっと早く言えっての。鮮度が大事かもしれないけど、罠にかかった獣を集落で儀式まで生かしておくこともできるし?」


夜間の森の立ち入りを禁じたのは今の落長だ。禁じるからには理由があるはず。夜は危険度も増すのに落長は何を考えているんだ?


「俺が森に入ったときは罠なんて無かったはず……なーんかきな臭ぇな。俺も一緒に行く」


「助かるよ。さすがに夜の森に1人で立ち入るのはってためらってたんだ」



牙禅は斗喜が森に入る準備をしている間に素早く自分の食事を口にかきこむ。わずか数分で食事を終えた牙禅と準備を終えた斗喜は、小さなガラスと鉄の筒の中に火を灯した明かりを腰から垂らし、集落の裏側の森に向かった。

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