最終話

「ちょっ、待てよ!」

 ウキウキ気分の俺は、綾香とケンジのあいだに割って入る。

「天海さん、今はフリーで、好きな人はいないって言ってたよね?」


「うん。それは本当だよ。ケンジとは三ヵ月前に別れてるし」

 綾香はちらりとケンジを見て、また俯いた。


 なるほど。状況は理解できた。

 今この場に渦巻いている綾香とケンジの感情は、とても繊細なものだ。

 綾香が今何を思っているのか、その心を読むのは難しい。


 ただ、綾香のケンジを見る目に、嫌悪感は感じ取れなかった。

 綾香の中に、好きという気持ちが残っている?

 わからない。まだ何とも言えない。


「なあ、綾香。俺はこの三ヵ月、ずっと光の当たらない道を歩いてたんだ。気付いたよ。俺にとって綾香は、太陽のような存在なんだって。だからどうか、もう一度付き合って欲しい」


 正直に言って、臭い台詞だった。

 今時、『きみは僕の太陽なんだ』なんて台詞を脚本に書いたら、ボツを喰らうだろう。


 しかし俺は心の中でケンジに拍手を送っていた。


 いいぞ、ケンジ。多くの人間はお前の台詞を笑うだろうが、俺は認める。今のお前は、恋愛ドラマの登場人物のように熱い男だ。

 これが恋愛だ。人を愛するということだ。

 もっと思いの丈を綾香に伝えろ。


 そんな風にケンジを称賛している俺だったが、このまま綾香を譲る気はなかった。

 俺だって、綾香を好きという気持ちは持っている。

 出会ってから初デートまでに、二ヵ月という時間を費やした。まだ、告白もしていない。こんな中途半端な状態では別れられない。


「おい、ちょっと待ってくれ。俺も天海さんを大切な人だと思ってる。天海さんを想う気持ちは、あんたにも負けないぜ!」

 言った直後、俺の台詞も十分臭いなと思ったが、まあいい。このまま進もう。


「何だよ。あんた、綾香の彼氏ってわけじゃないんだろ?」

「今は、な。でも、いい関係になってきてると思う。今日は三回目のデートをしたし」

「本当なのか綾香?」

「え、うん……。三神くんのことは、いい人だと思ってるよ……」


 綾香が答えた直後、ケンジが俺の胸倉を掴んできた。

「おい、俺は綾香とりを戻したいんだ! 邪魔しないでくれ!」


 こいつ、誰の胸倉を掴んでるかわかってるのか。

 俺は全ての人間が恐怖する魔王だぞ。

 お前なんか、息を吹きかけるだけで焼き殺せるんだぞ。


 もし魔界で胸倉を掴まれていたら、きっとそう思っただろう。いや、そう思う前に焼き殺してるか。


 しかし今の俺は怒っていなかった。

 むしろケンジの行動が嬉しかった。


 人間界には、星の数ほどの男女がいる。容姿の似ている人間も、たくさんいる。恋人候補は、そこらじゅうにいるように見える。


 でも、今のケンジのように、絶対にこの人じゃなきゃダメだと言う者がいる。

 それはその人の心と繋がっていたいからだと思う。世界に一つしかない心と。

 そんな人間を素晴らしいと思うし、俺もそういう相手と繋がりたい。


 だが、ケンジよ。お前は大事なことを忘れている。

 恋愛というのは、自分の想いだけを伝えればいいというわけではないのだ。その想いを受け止めてもらわないと、恋愛は成立しない。

 俺はそれを伝えることにした。

 

 俺はケンジの両手を掴んだ。折れないように、そっと。

「さっきから黙って聞いてたら、勝手なことばかり言いやがって」

「何だと?」

「お前が縒りを戻したいと思うのは勝手だけど、それを判断するのは天海さんだろ」

「うっ、それは……」


 俺に正論を言われて、ケンジは黙ってしまった。俺の胸倉を掴んでいた両手が、だらりと下がった。


 いや、言い返してこいよ。そこで黙ったら面白くないだろうと思ったが、ケンジは理性のある人間なのだろう。正論を言われたからといって、逆切れして暴力を振るう人間ではないようだ。


 しかしせっかく盛り上がる展開になっているのに、このまま沈黙が続くのはもったいない。これが恋愛ドラマだったら、最終話のクライマックスである。視聴者が一番食いつく場面だ。

 なので、物語を進めるために俺が誘導してやることにした。


「ねえ、天海さんたちは、何で別れたの? あ、言いにくいんだったら言わなくていいけど」

「ケンジが、浮気したから……」

「いや、俺は浮気なんてしてないって!」

「嘘よ! カナエちゃんとデートしてたでしょ!」


 新たな登場人物カナエちゃん。

 情報がゼロに等しいので、どんな子なのかはわからない。

 二人の会話を見守ろう。


「だからそれは誤解なんだって。二人で会ったのは事実だけど、カナエちゃんの相談に乗っただけなんだ。カナエちゃんは、前から学校のことで悩んでて、それを聞いてあげただけなんだよ。その流れで、遊んだだけなんだ」

「じゃあ、何で、私が誰と遊んでたか訊いた時に、男友達と遊んでたって嘘吐いたのよ」

「それは、カナエちゃんと一緒にいたことを話したら誤解されるかもしれないと思ったから言わなかったんだよ」

「やましいことがないならはっきり言うべきでしょ。隠すから、何かあったって疑われるのよ」


「それは綾香の言うとおりだよ。ほんとにごめん」

「あの時にそう言ってくれていれば、こんなことにはならなかった」

「ああ、ほんとに、そうだな……。許してくれ、綾香」

「もう、遅いって……」


 なるほどねえ。俺は事の経緯を理解した。

 これは、よくあるパターンだよな。異性が原因で二人の仲に亀裂が入るやつね。


 二人の会話を聞いていて、一つはっきりしたことがある。

 ケンジは嘘を吐いていない。

 ケンジは、カナエちゃんとやましいことは何もしていない。

 それが真実だった。


 なぜそんなことがわかるのか?

 それは、俺が魔王だからだ。

 そういうのには敏感だからな、我々魔族は。


 あともう一つ、喋っている時の綾香の表情を見ていて気付いた。

 綾香は、ケンジに未練が残っている。

 それはつまり、まだ好きという気持ちが残っているということだ。


 どうしようか。俺は自問する。


 俺が綾香に対して好きという気持ちを持っているのは本当だ。今まで出会った女の中で一番愛嬌があるし、会話をしていても楽しい。

 綾香が大人になったら、きっといい女になるだろう。その時には俺ももっと女心がわかっているだろうし、素敵な恋愛ができると思う。


 でも、俺が綾香を想う気持ちよりも、ケンジが綾香を想う気持ちの方が上なのは明らかだった。ケンジはまだまだ子供だが、綾香を幸せにしたいという気持ちは俺を上回っている。


 だから俺は身を引くことにした。


 昔観た恋愛ドラマの、『愛しているから別れる』という気持ち。

 これだけはずっと理解できないままだったが、今ならその気持ちがわかる気がした。


「天海さん、ちょっといいかな」

「うん……」

「ケンジは、嘘を吐いてないと思う」

「えっ?」


 唐突な俺の言葉に、綾香もケンジも驚きの表情を浮かべた。


「こんな言い方をすると、変な目で見られるかもしれないけど、俺は人の嘘を見抜く力が長けてるんだ。過去にも、たくさんの嘘を見破ってきた。その俺が断言する。ケンジは嘘を吐いてない」


 俺を見ていた綾香の視線が、ケンジに移った。

 その視線が俺に戻されることはなく、そのままじっとケンジを見つめている。


「ケンジ、ほんとに、浮気してないの?」

「ああ。俺は綾香を裏切る行為はしてない」

「ほんとに、カナエちゃんの悩み事を聞いてあげただけ?」

「そうだよ。俺は何もやましいことはしてない。俺には、こうやって話すことしかできないけど、綾香が納得のできる方法があるなら言ってくれ。それがどんなことであっても、俺は必ず潔白を証明する」


 綾香は視線を地面に落とす。様々な思いが、その胸に去来しているのだろう。

 あと一押しすれば、綾香の心はケンジの元へと戻る。

 俺は綾香との思い出を振り返りながら、最後の一押しをすることにした。


 俺は綾香に近寄り、右腕の中に収められていた黄色いクマのぬいぐるみを手に取った。

「天海さん、このぬいぐるみは返してもらうね」


「えっ?」

「コレは、他の女の子にあげるよ。天海さんは、ケンジに取ってもらうといい。誤解とはいえ、拗れた原因がケンジにあるのは間違いないし、そのお詫びとしてなら安いもんだろう。……取れるまでにいくらかかるかはわからないけど」


 俺の言葉を聞いたケンジが、力強く頷いた。


「ああ。そのぬいぐるみは俺にプレゼントさせてくれ。いくらかかっても必ず取ってみせるから」

「……わかった」

「えっ、ほんとに? 俺の言ったことを、信じてくれるのか?」

「……うん。ケンジを信じる」


 割れたグラスが復元した。

 魔法なら、簡単にできること。

 しかし魔法を使えない人間が、同じことをしてみせる。

 俺は思った。やはり恋愛は面白い。


「それじゃ、俺は帰るね」

「あ、三神くん。ごめんなさい。私……」

「大丈夫だよ。振られるのは慣れてるから」

 俺は手を上げてその場を離れていく。一度も振り返らずに。


 勝敗でいえば、俺の負けだ。

 しかし、気分は悪くなかった。

 恋愛ドラマで主役が輝くのは、いい脇役がいるからだ。今日は、俺が主役ではなかったというだけ。


 通りの向こうから、小さい女の子供が歩いてくる。四、五歳くらいだろうか。

 子供は、俺が右手に持っている黄色いクマのぬいぐるみを見て「可愛いー。いいなー」と言った。


 俺は子供にぬいぐるみを差し出し、

「あげるよ。俺にはもう必要ないから」

「……でも、知らない人に物を貰ったらダメってママに言われてるの」

「きみは俺のことを知ってるよ。だから問題ない」

「お兄ちゃん、誰?」


 俺は変身を解き、魔王の姿に戻った。


 すると子供は、

「あ、見たことがある」

 と呟いた。


 ほう。この姿を見ても泣かないのは見所がある。将来は度胸のあるいい女になるかもしれない。


「母親には、このぬいぐるみは魔王から貰ったと言えばいい。それなら納得するはずだ」

「……わかった。ありがとう」


 俺は天空を見上げ、魔界へと向かって黒い羽根を羽ばたかせた――。


                               (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王だってキュンキュンする恋愛がしたい 世捨て人 @kumamoto777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画